第67話 対峙の時(前)

 ――フィオナがキャロラインに連れ去られ、ゴードンは見張りに危害を加えて逃亡。

 端的な報告で、ジャイルズたちはすぐに状況を理解した。


 苦悩の表情で額を押さえる王弟殿下を王太子に任せ、ジャイルズとリチャードは部屋を飛び出した。

 妹を盾に脅して同行を強要されたと、案内しながらジェレミーは証言する。

 フィオナは自分の噂や処遇にはわりと頓着しないが、家族の、特に病弱な妹のこととなると難しい。

 クレイバーン姉妹の仲睦まじさを知っているジャイルズには、フィオナのとった行動は理解できるものだった。


(フィオナなら、何を置いても妹を守るだろう)

 

 キャロラインはジェレミーの妹のことも脅迫の対象にしたという。

 案内の役目を全うできず、かえってフィオナに庇われたと良心の呵責に耐えかねている様子だ。


 今にも泣きそうな顔をするジェレミーの先導を追い越す勢いで、キャロラインが告げたという部屋へと足早に向う。

 いっそ走ってしまいたいが、大勢で駆けつけて騒ぎになればフィオナが醜聞の渦中に落とされることは間違いない。

 騒ぐ胸を必死に堪えながら、周囲の客達に異変を感じさせず、かつ警備兵に止められることのない態度を貫いて廊下を急いだ。


(やはり、離れるのではなかった)


 後悔の念に全身が塗り潰される。

 バーリー伯爵令嬢とゴードンが繋がっているという確証はないが、この短時間で起きた二つの出来事を結びつけずに考えるのは無理がある。


「こちらです」


 永久に着かないのではと思った頃、ようやく部屋へと到着した。


「リックは後ろを」

「まかせろ」


 王家所有の離宮だけあって壁や扉は厚く、中の様子は外からは窺えない。

 不測の事態に備えてリチャードに援護を頼みながら、ノックもせずに真鍮の取っ手を掴む。

 音も高く開いた扉の向こうでは、キャロラインが優雅に椅子に掛けていた。


「まあっ、ジャイルズ様!」


 予告なしで現れたことに驚いた顔を見せたが、すぐに満面の笑みで立ち上がって迎える。

 部屋に他の者の姿はなく、彼女一人だけのようだ。


(いない……?)


 強引に息を静めたジャイルズは、挨拶もなしにツカツカと部屋の奥に進む。寝台の後ろに回り、窓にかかるカーテンを遠慮なしに開いた。

 窓は腰高のものでベランダはない。出入り口のほかに扉はなく、人が隠れられるような家具も見当たらなかった。


 違和感に目を眇めて、ジャイルズはキャロラインを振り返ると低い声で問いかける。


「……バーリー伯爵令嬢。ここには一人で?」

「ええ、そうよ」

「ミス・クレイバーンは広間に戻ったのか?」


 目の前の自分ではなくここにいない令嬢の名前を出されて、キャロラインの顔に不満げな色が乗る。


「知らないわ」


 それがなにか、と首を傾げてこちらを窺うキャロラインは、フィオナのことなど全く興味がないという雰囲気だ。


 フィオナがキャロラインといたことは疑いようがない事実だ。

 相手が男性だったら今すぐ締め上げてでも聞き出しただろう。だが、こと若い女性相手となると、少しでも乱暴なことをすれば責任問題に発展しかねない。

 それを狙った接触を過去に多く受けてきたジャイルズは、ギリと奥歯を噛みしめる。


(焦るな。まずは確認だ)


 大広間を始め、舞踏会の各会場とエントランスには人をやり、門兵にも伝令を飛ばした。

 フィオナが無事に戻っているなら、そう連絡があるだろう。

 だが――ベッドの上に無造作に投げ置かれたネックレスが目に入る。


「……これは?」


 不審に思って拾い上げれば、それはジャイルズ自身がフィオナに着けたものだった。

 大きな破損はないようだが花弁の細工が歪み、チェーンが切れている。


 ――もし外れそうになっていたら、絶対すぐに教えてくださいね――


 そう言って、戸惑い恐縮しながら頬を赤らめて受け取ったフィオナが、このように乱暴に外すわけがない。


(しかも投げ捨てるように……)


 キャロラインに説明を求めれば、あら、と軽く肩を竦めた。


「あまりにも不釣り合いだから、外してあげたのよ」

「なんだと?」

「だってあんな子、バンクロフト伯爵家にふさわしくないもの。そうでしょう?」


 あまりな物言いに、思わず一歩踏み出す。伸びそうになった腕をリチャードが掴んで止めた。


「落ち着け、ジル」

「リック……!」


 交わした視線でジャイルズの口を閉じさせると、リチャードはお得意の人好きのする笑みを浮かべる。


「レディ・キャロライン。ミス・クレイバーンは一人でこの部屋を出たのかな?」

「ラッセル卿もあんな子が気になりますの?」

「そうだね。友人の姿が見えないとなれば、心配するのは当然だよ」

「……男性をたぶらかすのがお上手よね」

「っ!」


 吐き捨てるような小声をジャイルズの耳が拾って、言いがかりに胸が悪くなる。フィオナがキャロラインが言うような人間でないことは、ジャイルズが一番よく知っている。

 腕を押さえるリチャードの手に力が加わって、少しだけ冷静さを取り戻した。


(――私のせいか)


 バーリー家からは、キャロラインとの縁談を何度も持ち込まれていた。

 ジャイルズとの結婚に並々ならぬ意欲を見せるキャロラインに辟易していたが、その意思が変わっていなければ、フィオナの存在は目の上の瘤以外の何者でもない。


 フィオナを蔑視する原因は、結婚もキャロラインも拒み続けた自分にある。

 女性たちへの牽制と風除けにフィオナを立たせた自分を殴りつけたい気分だ。


 しかし、ジャイルズが耳を疑うようなことをキャロラインはさらりと言う。


「心配しなくても、新しいパートナーと一緒よ」

「なに?」


 目を見開いたジャイルズとは反対に、リチャードは表情を変えずキャロラインにさらに問う。


「へえ、相手が誰か聞いても?」

「引き合わせるようにって、前から熱心に頼まれていて。平民の画商でしょう、ジャイルズ様と一緒にいるよりずっとお似合いだったわ。代わりを紹介してあげるなんて、感謝されてもいいくらいよね」


(ゴードン……!)


 嫌な予感が的中する。

 いてもたってもいられないジャイルズとは反対に、どこまでも落ち着き払うキャロラインは「貴族の令嬢が働くなんて」と軽蔑した口調だ。

 ――今すぐ、助けに行かなくては。

 しかし闇雲に飛び出したところで時間の無駄でしかない。


「二人はどこに?」


 駆け出したい衝動を堪えて発した問いは、自分で聞いても剣呑な響きをしていた。

 ジャイルズの怒気にようやく気付いたキャロラインが、僅かに後退る。


「ど、どうしてそんなことを気にするの? ジャイルズ様が関わる必要などないのに」

「それは私が決めることだ。貴女には関係ない」

「関係ないだなんて! あなたと結婚するのは私しかいないのよ」

「私はバーリー家からの申し出に応えたことは一度もない」

「でも、バンクロフト伯爵夫人が務まるのは私の他にいないもの」


 程度に違いはあれど、こういう思考の持ち主は高位の貴族に珍しくない。

 彼女の中では、自分がジャイルズと結婚することが完全に正当であり正統なのだ。


 ネックレスを壊して取り上げたことだけではなく、フィオナ本人をジャイルズから遠ざけたことにも罪悪感など欠片もない。

 むしろ、正しいことをしたのだから褒められるべき、くらいに思っているだろう。


 血統と家柄を重んじ、貴族として常識ある考え方だと尊重する向きもある。

 だがジャイルズはそれを拒絶して、これまでの縁談をすべて断わってきたのだ。とても容認できることではない。


(直接拒否しなかったことが一因か)


 これまで、家を通しての申し出には家を通して断わりを告げてきた。

 しかし、それではキャロラインには通じなかったようだ。


「レディ。ご両親は今、君がしていることを知っているのかい?」

「あの人たちには関係ないわ。諦めろだなんて、最近はそんなことばっかり。分かってないのよ」

「ふうん、なるほどね」


 開いた口がふさがらない。

 リチャードの相槌に呆れが滲んでいることに気付かないのか、同意されたとばかりにキャロラインは威勢を取り戻した。


「心配しなくても、男爵家の娘との噂なんてすぐに社交界も忘れるわ。それに私が、」

「社交界がどうでも、私は彼女を忘れるつもりも手放すつもりもない」


 不快感を隠す気も失せたジャイルズはキャロラインを睥睨し、厳かに言い切った。


「彼女の居場所を知らないのなら、これ以上話すことはない。バーリー家には正式に抗議させていただく。今後一切、私の前に現れるな」

「な、なんですって……?」


 冷徹貴公子などというものの比ではない絶対的な言い方に、さっとキャロラインの顔色が変わる。

 背を向けて部屋を出て行こうとするジャイルズの上着の裾を、キャロラインがとっさに掴んで引き止める。

 振り返る時間も惜しくて、ジャイルズはかろうじて視線だけ向けた。


「待って! あの子でいいなら私でいいでしょう、何が違うのっ!?」


(何が、だと?)


 違うところしかないというのに。

 話したところで伝わらない言葉の代わりに、キャロラインの手を躊躇わずに払う。


「触れるな」

「あ……ど、して……?」


 背後に聞こえるくずおれる音に構わず扉を閉めると、憂い顔で待っていたジェレミーに見張りを命じる。


「バーリー伯爵令嬢をここから出すな。騒がれるのは迷惑だ」

「は、はい!」

「ローウェル卿!」


 と、そこに王太子の側近が駆け寄ってくる。


「この下の階で、具合の悪そうな女性を伴ったゴードンらしき男を見たと、警備の一人が」


 すぐにでも向おうとするジャイルズに、リチャードが声を掛ける。


「ジル、応援を呼んでくる。あと、なるべく騒ぎにならないように……って言っても難しいだろうから、そっちのほうの細工をしておく」

「頼む」

「大丈夫、あの子はきっと無事だ」

「……ああ」


 ぽんと肩に手を置くと、リチャードは正面の階段を降りていく。一つ息を吐いて、ジャイルズは反対方向に急いだ。






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