第91話 星月夜に花の名を(上)

(ノベル版『運命の恋人は期限付き』各電書サイトで配信開始となりました! 詳しくは2023/1/23付け近況ノートをご覧ください)


時系列は、84話「バラと苺とチョコレート(下)」のすぐ後です。

※こちらはジャイルズサイドの糖度増しエピソードとなっております!

・・・・・



 レジナルドが夕食に選んだレストランは、地元住民に人気の店だった。

 複数の貴族宅と一流ホテルでも料理長を務めた経験のあるコックが腕をふるい、多彩なメニューが味わえる。ワインなど飲み物の品揃えも幅広く、気取らずに一段上の食事ができるとあって評判がいい。

 今夜もジャイルズたちが席について間もなく満席となった。


 クロスの掛かったテーブルにジャイルズとフィオナが並び、向かい側にレジナルドとロッシュが座る。メニューを決めたのは常連客のレジナルドだ。

 不意打ちに辛い一皿があったのは、彼らしい悪戯だ。残念ながら標的にしたはずのジャイルズには好評で、ダメージを負ったのはフィオナとロッシュだったが。

 涙目でグラスを空けた二人が揃ってレジナルドに抗議をし、皆で笑い合う一幕もあった。


 これまでの滞在地のことや開幕が迫る美術展のこと。

 話題は尽きず、賑わう店内で和やかに話に花が咲いていたのだが――


「……あつい……」

「フィオナ?」


 先ほどから口数が減り、にこにこと楽しそうに話を聞く側になっていたフィオナがぽそりと呟く。

 呼びかけたジャイルズには返事をせずに、フィオナはカトラリーを置くとレースのボレロをするりと脱ぎ出した。


「!?」

「お嬢様っ?」


 隣のジャイルズだけでなく正面に座るロッシュも慌てるが、そんな周りのことは目に入っていないらしい。

 夜会の女性たちよりは控えめに、だがフィオナにしては広めに開いたワンピースドレスの胸元や素肌の腕が剥き出しになる。

 そのまま、今日は下ろし気味に軽くまとめていた髪を持ち上げて襟足に風を通す。

 ふわりと動いた空気に、ほんのりと涼やかな香りが乗る。見えた首裏がうっすらと赤い。


(……酔っている?)

 

「ええと、お嬢様は飲んでいませんでしたよね?」


 ロッシュも同じことを思ったらしい。

 焦り気味に、ほぼ空になっているグラスに目を向ける。フィオナは一人だけ、アルコールの入っていない飲み物を選んでいたはずだった。

 しかしそこにタイミングよく呑気な声が上がる。

 

「あれ、これ僕が頼んだのと違うー」

「レジー?」


 こちらもマイペースで過ごしていたレジナルドが自分のグラスを掲げ、中身を確かめたロッシュが得心したように頷いた。どうやらそちらが、フィオナが頼んだもののようだ。


「ウエイターが、レジーとお嬢様の注文を取り違えたんでしょうねえ。混んでいますし、中身の色も似ていてグラスも同じですから」

「えー、僕の酒はー?」

「また頼めばいいだろ。もとはと言えば、レジーがあんな爆弾みたいな料理を食べさせるから、お嬢様まで味も分からず一気飲みする羽目に」

「辛いけど、おいしかっただろ」

「そういう問題じゃないって」


 熱を冷まそうと手で顔を扇ぐフィオナはこちらの話を聞いているのかどうか、ただふわふわと楽しそうだ。

 二年前、恋人のフリをしていたときは夜会でも二人きりの食事でも、フィオナはアルコールを口にしなかった。

 だからジャイルズはフィオナがどの程度飲めるのか、酔うとどうなるかを知らない。

 

(飲み慣れていないと言っていたはず)


「フィオナ、大丈夫か?」


 目のやり場に困りながら、体調を確認する。

 具合を悪くしていないかと窺えば、今度は声が届いたらしい。ゆっくりとこちらを向いた瞳が少ししてジャイルズを認め、軽く小首を傾げる。

 

「なあに?」

「っ……!」


 上気したあどけない笑みと、無造作な話しぶりに不意を突かれて息が詰まった。

 視線をまっすぐ合わせたまま、ジャイルズの次の言葉を待つフィオナに声が出ない。


「――い、いや。とりあえずそれを」

「……それ……?」


 伝わるのを待っていられずに膝の上に置かれたボレロを取り上げ、着せ掛ける。

 肌は隠れたが、フィオナは不満らしくジャイルズの手を抑えにかかる――距離が、近い。


「いや。あついの」


 指を絡めた上目遣いで抗議され、動きが止まってしまった。

 その隙にまた、ぽいと上着を脱いでしまう。本当に暑がっていることは、触れられた手の温度からも分かるのだが……こちらまで酒が回りそうだ。


「あはは! ロッシュ、見た? 珍しく焦ってるー!」

「揶揄っていると痛い目に合うぞ、レジー」


 指を差す勢いで喜ばれるが、取り繕う余裕もレジナルドに構うゆとりもない。


「……つめたい」

「!」


 一方のフィオナは、温度の低いジャイルズの手が気に入ったらしい。抑えた手をそのままぴたりと頬につけて涼を取られる。

 満足そうに目を閉じて、手のひらが温まると甲に変えて当てられるが――どうしたら。

 そこに、助け船にもならないロッシュの注釈が入る。

 

「お嬢様は『眠くなるから』って、外では滅多に飲まないんですよ」

「……酔うといつもこうなのか?」

「ええ。ご機嫌ですけど、喋らなくなりますね。今日は……まあ、一息に飲んだから回ったんでしょう」


 視線を感じて見おろせば、相変わらずジャイルズの手を冷タオル代わりにしているフィオナが不思議そうにこちらを見ていた。

 数秒かけて、視線が交わっていることに気付いたらしい。

 静かに瞬きをしてふわりと微笑む。あまりに無防備な表情に、ここが大勢の客がいるレストランだということを忘れそうになる。


「フィオナ」

「……は、い?」


 聞こえてから反応までに間があるフィオナは、仕草も心許ない。

 ――これは、まずい。

 二年間、忘れることなどできなかった相手なのだ。

 こんなに隙だらけの姿を見せられては、再会したばかりだからと抑えているいろいろが音を立てて溢れ出そうになる。

 

「……なんだか面白くなくなってきたぁ」

「だから言ったろ、レジー」


 こちらの気も知らず、ただジャイルズだけを見てにこやかな笑みを浮かべ続けているフィオナに、レジナルドが頬を膨らます。

 いや、不愉快の矛先は姪のフィオナではなく、当然ジャイルズに向けられているのだが。

 

「ローウェル卿。差し支えなければなのですが、お嬢様を連れて一足先にお帰りになりませんか」

「オーナー?」

「このまま座っていると、いくらもしないうちにお嬢様は眠ってしまいそうですので。それに、お気付きでないかもしれませんが、さっきから視線がすごいです」

 

 声を潜めたロッシュが示す先を見ると、ウエイターがちらちらとこちらを窺っていた。しかも複数。

 彼らが見ているのは食事の進み具合ではなく、フィオナだ。

 

「お嬢様がローウェル卿と一緒に来たことで、店員がしょげ返っていました。これ以上は彼らにも目の毒かと」

「なん……っ」


 ――抜かった。

 レジナルドが常連の店なら、フィオナも顔見知りだろう。彼女に好意を持つ者がその中にいても不思議ではない。

 その上、酔った姿を彼らも目にするなど歓迎できるわけがない。

 そんな思いが顔に出たらしく、ロッシュが訳知りに提案を続ける。

 

「ちょっと回り道になりますが、川沿いを行くといいですよ。歩いていればお嬢様の酔いも醒めるでしょう」

「えー、デザートこれからだよ。あと、まだ飲むー」

「こちらは任せて」


 不貞腐れたように片肘をついたレジナルドが異を唱えるが、はいはいと受け流したロッシュが席を立つよう勧めてくる。

 

「……そうさせてもらう。フィオナ、帰ろう」

「かえる?」


 事の次第が分かっていないフィオナは舌足らずに言葉を繰り返すがそれだけで、手を引くとなんの抵抗もなくジャイルズに応じる。

 少しふらつく足元といい、いよいよ危なっかしい。


(いや、危ないのはむしろ……)


「……食べ終わったらすぐ追いかけるからね。帰る先を間違えないでよ」

「もちろんです、叔父上」

「まだ君の叔父さんじゃないから!」


 低い声で釘を刺さしてくるレジナルドに、上の空で型通りの返事をする。

 外の風に当たる必要があるのは自分だろう。

 腕を預けさせると素直に寄り添うフィオナに半分以上気を持っていかれながら、店を後にした。


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