第90話 開幕前夜の舞台裏

時系列は第1章13話「お芝居の始まり」のあと、帰宅したジャイルズサイド

・・・・・・・・・



 恋人のフリをする、と約束を交わしたフィオナをギャラリーまで送った後。

 いくつかの用事を済ませたジャイルズが屋敷に帰ると、姉はコレット侯爵家に戻り、母は社交へ出かけていた。


(とりあえず、やり過ごせたな)


 シーズン只中の今、姉たちも多忙だ。いつまでもジャイルズを待ってはいないと思ったものの、顔を合わせずに済んでひとまずほっとする。

 自分の代わりに相手を任せた友人リチャードは、ミランダたちから問い詰められたはず。

 多少気が咎めたが、貸しにすると宣言もされているし、そもそも「恋人のフリ」などと言い出した張本人である。多少の尻拭いは想定内だろう。


 人あしらいに長けているリチャードの対処に不安はない。とはいえ、状況は把握しておく必要がある。

 家に来いとの伝言も残されており、モリンズ侯爵邸を訪ねたところ、使用人を押しのける勢いでリチャードに迎えられた。


「やっと来たな! 待ってたぞ、ジル」

「遅くなって悪かった……が、リック。これはなにを始めるところだ?」

「明日から必要になるあれこれを、ジルに教えておこうと思って」


 リチャードの自室に通されたジャイルズは、いつもと違う部屋の様相に怪訝な顔をする。

 どこから持ってきたのか、華やかなボールガウンを着せたマネキンを筆頭に、女性用の服やアクセサリーが大量に広げられていたのだ。

 季節外のコートやブーツまであって、このまま店でも開けそうだ。


「女性とちゃんと付き合ったことないだろ。ジルみたいなのはまず、形から入らないと。実物があったほうが分かりやすいからな」

「……」


 ――特定の恋人を持たず、遊んでばかりの友人が言う「ちゃんと」とは、一体。

 どうだ、と言いたげに胸を張られてジャイルズは額を押さえた。

 物申したかったが、この張り切りぶりではジャイルズの言うことなど聞きそうにない。


「本当は、生身の女性を呼ぼうかと思ったけど」

「帰る」

「ほら、絶対そう言うからこうしたんだって。今回の件に関しては、どうしたって俺のアドバイスがいるはずだ。ジルはドレスの流行も種類も知らないだろ」

「それは、まあ」


 たしかに知らない。

 ミランダや母は社交界の流行を牽引するような立場にいて、ファッションも話題にされる存在ではあるが、それとこれとは話が別だ。

 ジャイルズ自身は、パーティーに出ても女性の着ているものを気にしたことがない。

 だが、それでは駄目だとリチャードは首を振る。

 

「ドレスのデザインでエスコートの仕方も変わるしな」

「そうなのか?」

「レディ・コレットほどであれば隣の男がどうでも問題ないけど、ミス・クレイバーンはそうじゃない。周りとの距離とか歩く速さとか、ジルが気をつけてあげなよ」


 ――考えてもいなかった。

 盲点を突かれ瞠目したジャイルズに満足そうに頷いて、リチャードは言葉を続ける。


家格クラス違いの大勢に囲まれるんだ。特に初回は、緊張してそれどころじゃないはずだ」

「……なるほど」


 言われてみれば尤もだ。リチャードの指摘に素直に感心する。

 

「それに、一緒にいるから恋人だ、なんて誰も思ってくれないからな。それっぽいこともしないと」

「それっぽい?」


 ピンときていない様子のジャイルズに、子供に言い聞かせる家庭教師のようにリチャードが説明する。


「仲よさそうにしとけってこと。ジルはこれまで女性に対して全然だから、やりすぎなくらいで丁度いい。それこそ、普段とは別人だって言われる程度は差をつけたほうがいいだろうな」


 誰がどう見ても特別扱いだと分かるようにしろ、と念を入れられる。


(一理ある……だが)

 

 どの程度が「やりすぎ」なのか、そもそもの基準が分からない。


 今日のエスコートや別れ際のキスは、リチャードの行動をなぞったものだ。挨拶と同じ頻度で目にするそれらでは、やりすぎとは言えないだろう。


 心強い身近な手本とはいえ、そういう意味でリチャードとその恋人を観察したことはないから、知っている行動パターンも多くない。

 明日からの芝居に助言が必要なのは事実だ。

 本物の恋人同士なら考えずとも動けるだろうが、自分たちはそうではないのだから。


 腕を組んで考え込んだジャイルズを安心させるように、リチャードはポンと肩に手を置いた。


「悩むなって。たとえば、エスコートの必要がないときも手を離さないとか、ダンスは必ず二回以上とか。できるだろ?」

「……ああ」


 近寄るたびに構えるような相手だったら、恋人のフリなどできっこない。その点フィオナは、近くにいることも、彼女に触れることにも不思議と嫌悪感はなかった。

 今言われた程度は問題ないだろう。


「ま、そっちは心配してないけど」

「リック?」

「いや、気にするな。とりあえず、バーリー家のパーティーまでは毎日でも出かけて、二人でいるところをできるだけ大勢に見せつけるんだ。ただし、君らの関係を誰かに訊かれても、まだ何も答えるなよ」

「何も言わない? どうしてだ」


 公言しないでは恋人と見なされないのでは、と訝るジャイルズに、リチャードは余裕の表情だ。


「ダメダメ、焦らしてやらないと。もしかして……って匂わせておいて、皆が二人の関係を確かめたくて堪らなくなったその時に、パーティーに現れて一気に認知させる、って手だ」

「それでうまくいくのか」

「噂は勢いとタイミングが肝だ。月並みなやり方だけど、効果は保証する」


 半信半疑……というより疑いのほうが大きいが、自信たっぷりに言い切られ反論を呑み込む。

 恋愛と社交に関しては、リチャードのほうが自分より何枚も上手うわてなのは疑いようがない。

 

「分かった。リックが言うなら、そうなんだろう」

「よし、その調子で任せろ」


 それじゃあ、とリチャードは、手近にあったドレスを掲げてみせた。


「円滑な関係は親しい会話からだ。たとえばこの夜会用のドレス。これを着てフィオナ嬢が現れたら、ジルはなんて言う?」

「……そのドレスは着ないだろ」

「え?」


 胸元だけでなく背中側も大きく開いた、鮮やかな紅色のイブニングドレスを一瞥して、ジャイルズは眉をひそめた。

 昨晩の祝賀会でも今日の訪問時も、フィオナの装いは地味な色合いで飾りも控えめだった。

 華美なドレスは好みそうにないし、それ以前に着たところを想像できない。


「っ、はは! そうだけど、そうじゃなくて!」


 一瞬きょとりとした後で、リチャードは盛大に顔をほころばせた。


「褒めろって言ってるんだってば」

「その色も着そうにないし」

「頑固だな!?」


 文句を言うリチャードは、なにが楽しいのか笑いっぱなしだ。

 笑いすぎた挙げ句、目尻に溜まった涙を指で拭い息を整えると、諦めたようにぽいとドレスをベッドに投げてしまった。


「いいよ、それならドレスでも宝石でも一緒に買いに行けよ」

「一緒に?」

「買い物に付き合うのは、デートの定番だな。あっ、家に外商を呼ぶんじゃなくて自分たちで店に出向くんだぞ。街中を歩けば、二人の仲のアピールにもなる」


 周囲に認知されてこその恋人のフリだ。芝居を観客の前で、というのは理解できる。

 しかしジャイルズは、女性の買い物にあまり良い印象がない。

 たまにミランダに付き合わされることがあったが、似たようなドレスや帽子で延々と迷った挙げ句、全く別のものに決めていた。

 店員がジャイルズに向ける態度も煩わしいし、あれは時間の無駄でしかない。

 それに、フィオナ自身も嬉々として買い物をしてまわるタイプではないように思える。


 気が進まなそうにしたのが顔に出たのだろう。

 リチャードが呆れた口調で人差し指を立てて振った。


「そこで面倒がらない。手間は交際の醍醐味だぜ」

「リックの案に反対したわけじゃない。ただ、行くなら買い物より美術館のほうが喜びそうだと思っただけだ」

「ああ、あの子なら確かに……っていうか、いや、それもいいけど……へええ?」


 面白そうにニヤリとする友人を尻目に、部屋に散らかる色とりどりのドレスを眺める。が、やはりどれもしっくりこない。

 どうしたものかと思っていると、リチャードがこほんと咳払いをして仕切り直した。


「とりあえず二人で店に行って、彼女に似合うと思うものをジルが見繕えばいい。そうすれば素直に褒められるだろ。あっ、押しつけはダメだからな、本人の好みも聞けよ」

「……楽しそうだな、リック」

「楽しいさ! ジルにアドバンテージがある分野なんて滅多にないんだから」

「そんなことないだろ。それに、こっち方面でリックに勝てるわけない」

「んー、それはどうかな」


 思わせぶりに口角を上げたリチャードは、次にテーブルに置かれたアクセサリーを指さした。

 ずらりと並んだ小物の中には香水や化粧品もある。一体どこから持ってきたのかと再度疑問が湧くが、もう気にしないことにした。


「こういうのをプレゼントするのもおすすめだ。なるべく目立つのがいいだろうな」

「随分種類があるんだな」

「手間も暇もかけて使い分けるんだから、女性の身支度には頭が下がるよ。だからアクセサリーでも髪型でも、彼女が何かを変えたときは忘れずに言及することだね」


 ネックレスやイヤリングなど煌びやかな品が並ぶ卓上で、クリスタルのアトマイザーが目に止まった。


(香水か……)


 そういえば、別れ際にフィオナの首筋から微かに立ち上ったのは、何の香りだったのだろう。

 夜会でおなじみの濃厚な重さも、流行の噎せるような甘さもなかった。

 控えめでどこか懐かしい涼やかな香りは、晴れた早春の朝を思い出させた。領地の冷えて澄んだ空気、透明な雪解け水――そんなイメージが浮かぶ。


「……香水は、今のままがいいから贈らない」

「だから、だって言ってるだろ! 面白すぎるぞ、お前!」


 腹を抱えてまた笑われた。不本意だとは思うものの、ジャイルズにはなにが正解なのか、相変わらずさっぱりだ。


「いやー、いいね。今日の俺、我ながらよくやったと思う。日記に書いておかないと」

「日記なんて書いてるのか」

「ロマンティックだろ」

「どうだか」


 終始機嫌のよいリチャードにその後もあれこれと「恋人とのつき合い方」を詰め込まれ、ジャイルズが家に戻ったのは深夜だった。

 翌日から発揮されたのは突貫講義の成果か、無自覚からか。

 王都の社交界に二人の恋の噂が吹き荒れるまで、あと少し――

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