第28話 約束

 約束の時間に遅れているのでは、とフィオナは心配したが、それには及ばなかった。

 もともと、どこかで軽食をとってから訪問先へ向かうつもりだったらしい。

 先方にはちょうどよく到着するだろうとのことで、ひとまず安心する。


 とはいえ、あんなことやそんなことの後、馬車内の雰囲気は微妙で会話はそれきり途切れてしまった。

 しかも繋がれた手は離されることがない。

 走っている馬車の中でどこに行きようがないからと訴えても、黙って握り直されるだけ。


 これから鑑定する絵については「先入観を与えたくない」と、事前に情報はもらえないことがわかっている。

 今までなら多少の沈黙も気詰まりではなかったし、そもそも話題には事欠かなかったのだが。


「あの……」


 ジャイルズはちらりと視線を向けてくれるが、それだけだ。

 なんでもないです、と小さく返して視線を膝の上で握った手に落とす。

 ハンスともロッシュとも違う反応に、どうしたらいいか困ってしまう。


(うぅ……悪いのは私だけど!)


 全く弾まない会話を一方的に続けるのはつらい。

 そうはいえ、この妙な沈黙をどうにもできないままで、この後の時間がうまくいく気は全くしない。

 たいへんに寡黙なジャイルズの周りは、心なしか冷たい空気が漂っているようだ。


(なるほど、これが「冷徹貴公子」の本領発揮……って、納得している場合じゃないしっ)


 ……正直なところ。

 気を許してくれていても、ジャイルズにとってフィオナとの付き合いは一時的なものに過ぎない。

 それなりに関係を保って交流するのは、恋人のフリをしている今だけ。

 お互い領地に戻ったら、それでおしまいになる二人だ。


 だけど、多分……勘違いでなければ、ジャイルズは必要以上にフィオナのことを気にかけてくれている。

 それはきっと、フィオナが贋作に関わるようになったのは、伯爵家での出来事がきっかけだからだ。


 今回のルドルフ少年の逆恨みを買うことになった原因も、ジャイルズは自分にあると思っているのだろう。

 責任を感じているのに、当のフィオナが突っ走ってしまっては腹も立つだろうし呆れもするに違いない。

 なのに、まず真っ先にフィオナの身を案じてくれたのだ。ジャイルズという人は。


(うん。話を聞いてもらえなくても、やっぱりもう一回ちゃんと謝らなきゃ)


 膝の上、レティキュールの持ち手をぎゅうと握って心を決める。


「はぁ……」


 すう、と息を吸いこむと同時に、反対に大きなため息が降ってきて、びくりと肩が震えた。

 恐る恐る隣を見上げると、ジャイルズは手で覆った顔を向こうに背けて項垂れている。


(か、顔も見たくないってこと? 謝るのもダメ?)


 いっそ土下座でも、ああでもこっちの手は繋がれているし、などと散らかる頭でわたわたしていると、ぼそりと呟きが落とされた。


「……なかった」

「え?」


 うまく聞き取れなくて聞き返すと、長い指の間からこちらを窺う灰碧の瞳と目が合った。


(……?)


 今までジャイルズの瞳には浮かばなかった色だ。

 焦りながら首を傾げるフィオナに、さっきよりはっきりと、同じ言葉が告げられる。


「すまなかった、フィオナ」

「ジャイルズ様?」

「……我ながら、大人げない」


(「大人げない」って、さっきのこと?)


 恥じ入るように零された声が、肩身が狭いと言っているようで。

 そんなジャイルズを見るのも初めてで……今日は、初めてのことばかりだ。


「君の言い分も聞かず、こちらの事情ばかり押し付けている。元はといえばゴードンや贋作のことだって、私と関わったからこそ君は巻き込まれたのに」


 思った通り、フィオナは被害者だとそう言いたいのだろう。

 だがそれは違う。むしろ望んで関わったのだ。


「贋作は、ジャイルズ様とのことがなくてもいずれ知ったと思いますよ。私の仕事をお忘れですか?」

「だが」

「それに、ジャイルズ様のおっしゃったことは間違っていません」


 たしかに、観客がいない時に抱きしめたりするのはお芝居とは言えず、その練習とも言い難い雰囲気ではあった。

 まるで、本物の恋人を心配するような――そう思って、そんなことがあるわけはないと内心で首を振る。


 あの行為はイレギュラーではあったが、そのおかげで、危ない真似をするなというジャイルズの訴えは、疑いようもなく本心からのものと伝わった。

 口頭注意ではきっと効かないフィオナの無謀さを窘めるには、効果的だったと思う。

 

「これからは、もう少し警戒心を持つようにします」


 ようやく顔を覆っていた手を外してこちらを見たジャイルズは、ややほっとしたような表情をしていた。

 その彼をもっと安心させるように、にこりと微笑んでみせる。


「全力で走るのは、逃げる時だけにしますね」

「……そんな場面も無いほうがいいのだが」


 ジャイルズがようやく見せたのは苦笑だったが、笑みには違いなく、フィオナも肩から力を抜いた。

 謝罪は求められていないと感じて、フィオナは浮かんだ別の言葉を口にする。


「でも、ジャイルズ様。私は大丈夫ですよ」

「君のその自信はどこから来るんだろうな」

「だって、私がちょっと大きな怪我をするのは五歳、十歳、十五歳と、五年ごとなんです。そうすると次は二年後の二十歳なので」


 今年はなにもない、と言い切るフィオナに、ジャイルズは疑わしそうに目を細める。


「もしかして、さっきハンスが言っていた?」

「はい。猫を助けようとして木から落ちたのは十歳で、十五の時は階段を踏み外して」

「聞かないほうがいい気もするが、五歳の時は」

「川で流された時に岩に腕をぶつけて」

「……ご家族とハンスに同情するよ」


 ジャイルズは下を向いて盛大にため息をつきながら、さらに強くフィオナの手を握りこむという器用なことをする。

 豪華な指輪がめり込んで地味に痛いが、払いのける気も文句もなかった。


「二十歳の君の隣にいるには覚悟が必要だな」

「いえ、あの、たまたまです! なにも私だって、進んで怪我をしているわけじゃありませんから」

「そうだったら困る」

「ですからジャイルズ様。私、死にませんよ?」


 虚をつかれたようなジャイルズの目を見つめながら、握られた手に反対の手を重ねる。


 バーリー伯爵家の夜会でリチャードと踊った時に少しだけ聞いた昔話によると、婚約解消と飼い犬の死が、それまでのジャイルズから変わった時期と重なっているらしい。

 それが原因とは限らないが、ショックを受けたことは間違いないと思う。犬でも人でも、それまで親しく側にいた誰かと会えなくなるのは辛いものだ。それが死による別れならなおさら。

 犬ポジションであろうフィオナは重ねられたかもしれない。


 胸の奥に母を思い浮かべる。

 命というものは儚くて、本当はこんなふうに断言なんてできないけれど。


「約束します。私は大丈夫」


 強く握られた手を持ち上げて、一度ほどき、小指だけでつなぎ直す。

 きゅ、と軽く小指に力を込めると、戸惑うように揺れたジャイルズの瞳が何度か手元とフィオナの顔を往復して――ふっと笑った。


「そうか」

「はい」

「それでも……自重はしてくれ」

「ふふ、はい」


 心配性なのかなとも思うけれど、それが嫌だとは感じなかった。


 そういえば、と話題を変えてくれたので、それなりに納得してくれたのだろう。

 ジャイルズの視線はフィオナの膝の上のレティキュールに移っている。


「その贈り主の、レジナルドというのは?」

「え? ああ、叔父です。仕事を手伝っている……言ってなかったでしょうか?」

「名前は聞いていない」

「あら、失礼しました。うっかり」


 成人の祝いと土産を兼ねて貰ったこの小さな手提げは、絹を美しく染め上げた生地に細かな刺繍が施されている。

 野に生えている植物と見まごう緑の色と可憐な花の刺繍は、素朴なブーケのようで着る服を選ばない。

 繊細に見えて丈夫なうえ、案外物が入る。おかげでついこればかりを手にしてしまうのだ。


「綺麗で、使いやすくて合わせやすくて、お気に入りです」

「そういえば、いつもそれだな」


(あれ)


 どこということはないが、せっかく良くなったジャイルズの雰囲気が、また少しあやしくなった気がする。


(もしかして……)


「あ、あげませんよ?」

「いらないから」


 パッと手を離して両手で手提げを抱き込むフィオナに、そうじゃないとジャイルズは首を振る。


 そうして馬車は、今日の訪問先であるヘイワード侯爵家に到着した。








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