第15話 画廊の小部屋

 フィオナは非常に腹を立てていた。

 あの場では、あれでもかなり抑えていたのだ。


 贋作にも需要はある。本物には手が出ない買い手にとってはありがたいし、描き手たちにとっては絵の練習にも、収入源にもなる。

 ただそれは、売るほうも買うほうも「偽物である」と分かったうえでのみ、成り立つ話だ。

 絵の価格だって本物とは雲泥の差があって当然である。


 ミランダの面目を立てるために「ゴードンも、偽物を掴まされた被害者かもしれない」というニュアンスで伝えたが、本当にそう思っていたわけではない。


「絵を金額でしか見ない人もいるけれど。でも、あの人ゴードンの目は、そういう人たちとも違ったの。贋作と分かった上で、レディ・コレットに売りつけようとしていたわ」


 投機を目的にしている人たちの絵に向ける眼差しは、もっとフラットだ。

 ゴードンは違う。絵画というものを、むしろバカにしているようにフィオナには感じられた。

 つらつらと述べ立てる耳触りの良い声を思い出して、また胸が悪くなる。


「愛しの姪が自分の偽物を見破ってくれたと知れば、レジーも喜びますね」

「……ベニヒワだったのよ。あれは、叔父様が私に描いてくれた鳥なんだから!」


 ベニヒワは、母が好んだ鳥だった。その小鳥の絵を、母を亡くしたフィオナのために描いたのだ。


 幼い頃から病弱だった母は寒い時期は特に伏せがちで、ベッドの上でばかり過ごしていたという。そんな母を不憫がった祖父は、部屋の窓辺に野鳥の餌台を置いた。

 そこに集まる鳥たちを眺めるのが、療養中の母の楽しみで――なかでも、ベニヒワが来ると喜んだそうだ。

 特徴的な羽毛の赤色が目立つから、部屋の中からでも見つけやすかったのだろうと、叔父は言う。


『この鳥はね、冬になると思い出したように現れるんだ。だからフィオナ。今、会えないだけで、いつかまた会えるかもしれないよ』


 そんな言葉とともに、フィオナに贈ってくれた絵だった。

 人物を描かない叔父にしては珍しく、後ろ姿の少女も一緒に小さく描かれていた。

 少女はフィオナであり、セシリアであり――母でもあるのだろう。


 死んだ人が生き返ることはない。

 叔父の言葉は子どもだましの慰めだったけれど、キャンバスの中で枝に止まり羽を休める小鳥はふっくらと柔らかく、幸せそうだった。


 囀る声まで聞こえてきそうなその絵を見ていると、ベッドで枕にもたれた母が微笑んで窓の外の鳥を眺めている姿が自然と想像できる。

 嬉しい時、困った時。何度語りかけたか分からない。


 まだ小さかったフィオナに、母との思い出は少ない。

 だから、あのベニヒワの絵はフィオナと母を繋ぐものであり、宝物なのだ。

 それを汚されたようで、無性に腹が立ったのだ。


 当然、モチーフが同一なだけで構図も何もかも違う。第一、あのニセモノには「少女」が描かれていない。

 別物だと分かっていてもなお、ゴードンによって粗雑に扱われるのは堪らなかった。


「ベニヒワですか、それはまた」

「そうなのよ。タチが悪いわ」


 ベニヒワが目録に載っていないということを、ゴードンも分かっていた。

 分かっていて、あえて選んだと言わんばかりの態度だった。


「レイモンドの関係者にコネクションがあるとも言っていたし。もしかしたら、ほかにも贋作があるんじゃないかと思うの」

「ありえますな」


 思い出してぷんと怒るフィオナにハンスも同意を示せば、ふむ、とロッシュは手を顎に当てる。


「向こうは、お嬢様がクレイバーン男爵令嬢ということを知っていますか?」

「ゴードンに直接は名乗っていないけれど、調べればすぐに分かるでしょうね」


 身元を隠して訪問したわけではない。伯爵家に乗って行った馬車には、大きくはないがクレイバーン家の紋章もついている。

 執事や使用人にさりげなく訊くか、馬車を見れば即、判明するだろう。

 ロッシュは思案顔のまま、フィオナを見つめた。


「……ゴードンの目的も、彼の後ろに誰かいるのかどうかもはっきりしていません。ですが、あの男に怪しいところがあるのは確かです。私もさらに調べますが、くれぐれもお気を付け下さい」

「そうですよ、フィオナ様。ただでさえ今はおみ足を痛めていますのに、あんな男に食って掛かって。お気持ちは分かりますが、爺は生きた心地がしませんでしたよ」

「心配かけてごめんね、じいや」


 反省はしている。でも似たような場面に出くわしたら、きっとまた同じことをしてしまうだろう。


「でもお嬢様。それなら余計に警護を考えたほうがいいですよ。取り越し苦労ならそれで構いません。念のため、一ヶ月程度でも」

「う……ん、そうね。でも、少し様子を見てからでもいい?」


 王族ならいざ知らず、ただの男爵令嬢に四六時中護衛がついていることは、普通ない。

 逆に注目を集めるだろうし、余計な勘繰りをされそうだ、というフィオナの言い分はもっともだ。


 それに――まずは明日だが、これからはジャイルズとも行動を共にするようになる。

 近くで見張られ続ければきっと、彼との関係が本当のものではないとバレてしまうだろう。


「外出するときは必ず誰かと一緒にいるようにして、一人でフラフラしないから。危なそうなところには近づかないし」

「そうですか? お嬢様がそうおっしゃるなら……」


 約束すれば、ロッシュは不承不承頷いてくれた。


「ただ、なにか気になることがあれば、すぐにご連絡くださいね。もしお嬢様の身に何事かあれば、レジーに申し訳が立たないので」

「あら、叔父様なら逆に面白がってあれこれしそうな気もするけど。あ、この手紙、今から読むけど、オーナーも内容を知りたい?」

「いえ、珍しく私にも届いていましたから大丈夫です。そちらはお嬢様宛ですよ」


 叔父からの手紙を持ち上げると、それには及ばないとロッシュは笑顔を見せた。

 普段は二人分まとめて書いてよこす叔父だが、今回は別々の封筒に入れてフィオナとロッシュに送ったようだ。


「私のほうには、進捗報告を書いてよこしました。順調だそうですよ」


 ロッシュはほっとした顔だ。だいぶ筆が進んだと聞いて、フィオナも嬉しくなる。


「今はなにを描いているか、まだ秘密?」

「相変わらずだんまりですね。でも、シーズン中に届くよう仕上げると書いてありましたから、王都にいる間にお嬢様も見られるんじゃないでしょうか」

「ほんと? それなら嬉しい!」


 叔父はアトリエにこもって絵を描く。

 フィオナやロッシュなどごく少数の例外を除いては入室禁止で、まだ途中の絵を見せることもしない。

 それこそ、モチーフや構図の盗作を疑われたり、真似られたりするのを防ぐためもあるが、叔父の場合は単純に作業の邪魔をされるのが嫌いなのだ。


 自分の絵について語ることも多くないし、弟子もいない。

 なので、今のように遠い地にいる時は、出来上がった作品が送られてくるまでは、なにが描かれているのか分からなかったりする。

 届いた荷を開ける時のワクワクした気持ちは、誕生日のプレゼント以上かもしれない。

 そんなことを話しているとまた扉がノックされ、今度は従業員が顔を出した。


「失礼します、オーナー。ベネット夫人がお見えですが……」

「お、そうか」


 ロッシュに呼びかけながら、制服を着た従業員はフィオナに向かって申し出る。

 伝えられた名前にフィオナはパッと笑みを浮かべた。


「フィオナ様がいらしていることを伝えましたら、ぜひお会いしたいと」

「私ってば、ちょうどいいタイミングでここに来たのね」


 ベネット夫人は、裕福な実業家の先代未亡人だ。

 隣国の出身でフィオナの祖母ほどの年齢だが、艶のあるグレイヘアと少女のような紫の瞳が美しい、快活な女性である。


「お相手をお願いできますか、お嬢様?」

「ええ、もちろん!」


 来店した上得意客の接客をしてほしい、というロッシュの頼みにフィオナは顔を輝かせたが、ハンスは不満そうな顔をする。


「あのご婦人は、話が長いのですよねえ」


 約束したからギャラリーに寄ったものの、早めの帰宅を諦めていないハンスである。

 ベネット夫人は帰化して長く、当然この国の言葉に不自由はない。

 だが、やはり生まれ故郷の言葉も懐かしいようで、話せる人がいると好んでそちらを使いたがるのだ。

 叔父と一緒に国外に行くために他国の言葉も勉強したフィオナは、夫人に絶好のおしゃべり相手とみなされている。


「私も久しぶりにお話したいの。歩き回るわけではないから、いいでしょう?」

「ですがねえ」


 ロッシュも数か国語を話すし、店員にも外国語が分かる者もいる。

 そうはいっても同性のほうが気安いようで、フィオナがいると嬉しがって、結果、長話になりがちなのだ。


「たまには話さないと、せっかく覚えた発音も忘れちゃうし」

「ハンスさん、私からも頼みます」

「……仕方ないですね」


 会話をきっかけに作品を買うこともあるし、フィオナはベネット夫人の人柄も好きだ。それに、教えてくれる外国の話も、夫人が個人的に経営している店の話題も興味深い。

 貴族のパーティーにあまり出席しないフィオナにとって、友人のオルガと並んで貴重な情報源でもある。

 ロッシュとともに再度頼めば、やっぱりハンスは許してくれた。


「ですが、必ず怪我をしていることを先に伝えて、あまりお話が長くなり過ぎないようにお気をつけくださいね」

「分かったわ」

「では、私はここで書類の整理などしておりますので。ミスター・ロッシュ、フィオナ様をくれぐれも頼みましたよ」

「頼むって……店内を移動するだけでしょう」


 相変わらずのハンスの子ども扱いの半分は、亡き母に向けたものであるような気もして、一概に否定もできない。

 が、さすがに過保護すぎではないかと思う時もある。

 そんな気持ちを汲んでくれるように、ロッシュが笑って引き受けた。


「はは、お任せあれ。ではお嬢様、ご一緒に」

「ええ」


 叔父からの手紙をポケットにしまうと、フィオナは店頭へと向かったのだった。





※お読みいただきまして、ありがとうございます!

先行連載している他サイトに追いつきましたので、連日更新は本回までとなります。

引き続きお楽しみいただけたら嬉しいです。

                  (小鳩子鈴)





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