第7話 ジャイルズ・バンクロフト(上)
華やかな祝賀会の翌日。ラッセル卿リチャードは、バンクロフト伯爵家に友人のジャイルズを訪ねていた。
使用人が部屋を出るとすぐ、用意された茶に手を付ける前に本題に入る。
「侍女長や侍従長にも確認して、俺も自分で小庭園を確認したけれど見つからなかった。ジルのほうはどうだ?」
「こっちも手がかりなしだ。……清掃係が見つけて隠していたりは」
「まあ、可能性は無くはないな」
否定はしないが不満そうに首を振るリチャードに、ジャイルズは両手を軽く上げる。
「……悪い。城の者や、リックの眼を疑ったわけじゃない」
「いいって。俺だって紋章入りを失くしたら焦るし」
カフリンクスが片方、自分の袖口から消えていたのに気づいたのは、逃げ出した小庭園から渋々大広間に戻ってからだった。
慌てて来た道を取って返したが、いくら明かりが灯っていても夜に黒色の小さなアクセサリーを見つけるのは困難だ。
信用できる者に探すよう内密に手配をして、昨夜は城を後にしたのだが。
明けた今日、宮廷に顔のきくリチャードに現場を任せ、ジャイルズは念のため使った馬車や自宅内を早朝から調べて回っていた。
着ていた服も全部裏までひっくり返したが見つからず、やはり、王城内で失くしたことは間違いない。
紛失は褒められたことではないが、カフリンクスの一つくらい失くしたところで普通ならここまで探さない。
問題は、それに紋章が入っていたことだ。悪用される可能性がある限り、放置はできない。
「自分で付け直したから、そのせいで落ちたと思ったんだが」
家で着替えた時のままなら、外れることはなかったに違いない。
断れない付き合いで、仕方なしに何人かの令嬢とダンスをしたのだが、やたら密着されたり、袖を引っ張られたりしたせいで服が乱れてしまった。
それを直すときに、ジャイルズ自身が一度外したのだ。
「これだけ探して出てこないとなると、誰かが持っているのかもしれないぞ」
「……可能性は否定できないな」
小庭園では、自分たちを追ってきた令嬢方との望まない遭遇があった。
やたらと距離の近かった彼女らの誰かが、どさくさに紛れてあのカフリンクスを手に入れていたら――表情を険しくしたジャイルズに、リチャードも神妙になる。
「ジルにとっては、金目当てのほうがマシだな」
「本当に」
自分のものではない紋章を持つ。
それは、男女の間では、深い関係の恋人か婚約者が一般的だ。
拾ったか盗んだか、真実を知るのは持っている本人だけ。
ジャイルズから
証拠品のある噂など、たとえ偽りであっても事実として扱われてしまう。
見合い話も拒み続けるジャイルズに業を煮やしている両親の耳に、そんな噂が届いたらどうなるか――なんて、考えたくもない。
「祭壇まで一直線だな。コートニーの大聖堂が待ってるぞ」
「縁起でもない。それに、人の頭の中を読むのは止めてくれないか、リック」
「読むまでもないって。さて、冗談は置いておいて。ジルは昨夜の令嬢たち、誰がいたか覚えているか?」
小庭園で会った女性の身元は分かるか、と訊かれ、ジャイルズは考え込む。
「……よく見る顔だった」
「おいおい、キャロライン嬢が先頭切っていただろう。巻き毛で緑の目の、バーリー伯爵の娘さ」
美しいと評判の令嬢である。だがジャイルズは、顎に手を当てて記憶を探るように視線を外す。
「巻き毛は二人いたな。声が大きいのと騒がしいのと、どっちだ」
「そこからか」
はあ、とリチャードはわざとらしく大きなため息を吐く。呆れ顔をされても、興味のないものをいつまでも覚えているほど暇ではない。
「いいよ、令嬢軍団は俺が全員把握しているから任せろ」
「そうか、助かる」
でも、と、どことなく悔しそうな表情で、リチャードは眉間にシワを寄せた。
「一人だけ。あの、先に会った子が分からない」
「先?」
「キャロライン嬢に押されて転びそうになった、あの子さ。彼女らが来る前に少しだけ話していただろう」
女性同士のさや当て、というか、一方的にとばっちりを食った令嬢がいた。
忘れてはいないが、窃盗疑惑の犯人候補からは無意識のうちに除外していたらしい。言われるまで意識に上らなかった。
「ジルが支えただろ。もしかしてそれも記憶にないとか?」
「いや、さすがに覚えているが……彼女は違うだろう」
地味な娘だった。
伯爵夫人の座を狙う令嬢たちに感じるようなしたたかさはなく、初対面の若い女性にもかかわらず珍しく嫌悪感を抱かなかった。
皆がああいう態度なら、こうも女性を苦手に思い続けることもなかっただろうに、とジャイルズは腕を組み内心で自嘲する。
(時間薬というが、なかなか効かないものだな)
ジャイルズが女性を、ひいては結婚を拒む理由は、長い付き合いのリチャードにも話したことがない。
忘れたくとも消えない記憶に蓋をしようと、軽く頭を振って少し温くなったカップに口をつけた。
「まあ実際、通りがかっただけのようだったし。ジルや俺のことも、どこの誰か分かっていなそうだったもんな」
「ああ」
実に「普通の」挨拶だった。
社交界きっての有名人である自分たちを相手にすれば何かしら態度に出るはずだが、そういうことは一切なかった。
リチャードの認識は、うぬぼれのようだが事実である。
(……細い肩だったな)
後ろから押されたことも、ジャイルズに抱きとめられたこともすぐには理解できなかったようで、ただ驚いていた。
驚いて、自分の腕の中で、色も欲もない目をぱちぱちと瞬かせていたのが新鮮だった。
「そういえば、ジル。あの子のこと引き止めていなかったか?」
「そうだったかな」
そうだったかもしれない。
会った時と同じく綺麗な礼をして去っていく彼女が、ほんの少し足を庇っているような気がしたのだ。
彼女が振り向くことはなかったけれど。
「どこの令嬢だったんだろうなあ。あー、残念。もう少し話せれば」
「気になるのか?」
「このシーズン中の王都に、俺のことを知らなくて、しかも俺も向こうを知らない令嬢がいるなんてありえないだろう。一晩中考えても思い出せなかったんだぞ」
「相変わらずだな、リック」
「昨日の祝賀会にいたんだから、社交界にデビューしてないわけではないのに」
全ての令嬢の情報はインプット済みだと自負する彼は、覚えのない女性がいたことがショックだったようだ。
リチャードが彼女のことを一晩中考えていたと聞いて、なにか釈然としないものが胸に湧いたが、ジャイルズは軽く肩を竦めるにとどめた。
「ま、でも。俺の経験上、ああいう子は伯爵夫人の座とかに興味がないタイプだ。ジルのカフリンクスなんて欲しがらないだろうし、放っておいて問題ないというのは同意だな」
「リックのもいらないって言うだろうな」
「なんだ、張り合うなよ」
誰に渡すつもりもないが不要だと断言されると、それはそれでなんとなく面白くない。
お互い軽く小突き合えば気心の知れた同士、少し溜飲が下がる。
「ほかの令嬢たちには俺がそれとなく探りを入れてみる。ただし、ジル。親父さんには先に話したほうがいいぞ」
「……そうだな」
このまま見つからなければ、父の伯爵に打ち明け、悪用された場合に備えて予防策を取らねばならない。
幼い頃から過度な期待と重圧ばかりを負わせてくる相手に、自らの失態を打ち明けるのは非常に気が重かった。
「きっとすぐに見つかるさ」
ほんの少し同情を滲ませたリチャードは立ち上がり、ジャイルズの肩を叩く。
「まずは早速キャロライン嬢に会いに行ってみる。心配すんなって」
「リック、恩に着る」
「お互い様だろ」
そう言ってリチャードが部屋を出ようとした時、ノックの音が響いた。
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