第63話 初めての対話

 舞踏会は国王夫妻のワルツで幕を開けた。

 何曲か見送って、オープニングの喧噪がやや収まった頃。フィオナとジャイルズも手を取り向かい合って踊り始める。


「大丈夫そうだな」

「ミランダ様や侯爵夫人のおかげです」


 離宮も飾られた絵も素晴らしいの一言だが、参加者が大物ばかりで気圧される。そうそうたる顔ぶれは、社交に疎いフィオナでさえ知っているような人物ばかりだ。

 その緊張を解してくれたのは、見知った相手との他愛ないおしゃべりだ。


「あの二人は、緊張するということを知らないからな」

「ふふ、そのようですね。この舞踏会のこともたくさん教えていただきました」


 社交は不要と言ったジャイルズだが、やはり話しかけられれば応対は必要だ。彼が幾人かと話し込んでいる間、フィオナはミランダたちと一緒にいた。

 レイモンドの絵を手に入れることができたミランダは上機嫌でフィオナに礼を言い、ますます張り切ってアドバイスをしてくれたのだ。


「何を話していたんだ?」

「デザートは華の間がいいとか、コーディアルの種類は青の間が一番多いとか、ですね」

「はは、姉上らしい」


 空いている控え室はここ、調度が美しい休憩室は向こう、邸内のちょっとした目印……等々、女性ならではの細かな情報が非常にありがたい。


(近寄らないほうがいいところも教えてもらえたし)


 王族や国外からの賓客など要人が多数来ているため、一般参加者は立ち入り禁止の区域もある。

 華やかな舞踏会に水を差さないようにと、警備の兵はそれと分かる姿をしていない。知らずに近づけば、いらぬ誤解と緊張を招いてしまうだろう。

 そういう注意点も教えてもらえたのは本当に助かる。

 だが、その情報は必要なのかとジャイルズは疑問のようだ。


「一人にならなければ大丈夫だろう?」

「でも、化粧室にジル様を連れて行くわけにはいかないですし」


 一人で歩かせるつもりはない、と言うジャイルズに、フィオナも困った顔で返す。

 会場内でも、先ほどのように仕事の話をするときは部外者は離れていたほうがいいだろうし、それに、フィオナにも都合がある。


 これまでのパーティーは比較的短時間で引き上げることが多かったが、今夜は閉会するまで途中退出は基本的にできない。

 長時間の宴のために控え室には侍女たちがいて、髪やドレスを直す手伝いをしてくれる。そういった場所は男子禁制だ。


 そこは盲点だったのだろう。考え込むジャイルズを安心させるように、フィオナは軽く言う。


「方向音痴ではないので、大丈夫ですよ」

「……だがフィオナは、廊下の絵に見蕩れて迷子になるかもしれないだろう」

「あ、ひどいです」


 けれど、否定はできない。

 反論しきれずに笑ってしまったフィオナにジャイルズも笑みを浮かべ、音楽に合わせてくるりと回る。

 そんな仲睦まじげな二人の様子に、また周囲の視線が集まる。


 ――これまで一切女性を寄せ付けなかったバンクロフト伯爵家の嫡男が、今シーズンはパートナーを連れて社交に顔を出している。

 その相手は毎回同じ、ただ一人。

 すっかり定着した噂をさらに裏付けるようにこの舞踏会に現れた二人は、噂以上に親しげだ。


「やっぱり、見られますね」

「気になるか?」

「平気です。慣れませんが、慣れました」


 家柄も突出しておらず容姿も平凡なフィオナは、ジャイルズのように幼少から注目されてきた経験がない。

 煩わしい視線に疲弊していないかと、気遣わしげに瞳を覗かれて苦笑する。


(それも覚悟の上で、お芝居を始めたのにね)


 強引なところもあるが、結局ジャイルズは何よりもフィオナを優先している。

 向けられる悪意や利用しようとする相手は徹底的に遠ざけて、目に入らないようにしてくれていたことに、フィオナだって気付いている。

 そんなふうに扱われて、正直、嬉しくないわけがない。けれど、守られてばかりでは不公平だと思ってしまう。


 今までのパーティーとは違い、若い令嬢からだけでなく父母や祖父母の年齢の人からの視線も感じるのは、先ほどタルボット卿と挨拶を交わしたからだろうか。

 注目されているのはジャイルズだと思いたいが、聞こえてくる小さな声の中にはフィオナの名も少なからずある。


(気にしないでいいのにな)


 ジャイルズの相手であるフィオナを「地味で見劣りがする」と酷評する者は、今ではほぼいない。

 令嬢たちから嫉妬や羨望を込めて睨まれるのは相変わらずだが、そこに諦めの色が乗ることも多くなった。

 親世代からは値踏みをするような視線が多いが、ヘイワード侯爵家に滞在してからはそれもかなり減っている。


(……どれも、私の力ではないもの)


 今のフィオナの立ち位置は、ジャイルズの後押しと伯爵家の名による庇護があってこそだ。

 結局、自分にできることは多くない。

 だからせめて、ジャイルズが存分にしてくれたらいいのに、と考えてしまう。


(できることって、たとえば、仲の良い恋人同士のフリをしたり――)


 こうしてワルツを踊るのにもすっかり慣れた。

 複雑なステップも流行のアレンジも加えないワルツはそれでも楽しく、構えることなく身体が動く。

 繋いだ手にきゅ、と力を込めてホールドの距離をフィオナから縮めれば、驚くジャイルズと目が合った。

 フィオナはにこりとイタズラっぽく口角を上げて、声を潜める。


「見せつけて来シーズンまでの時間を稼ぐ、ってジル様がおっしゃったでしょう」

「それは、そうだが」

「大丈夫です。私、それほど弱くないですよ?」


 フィオナの返事に、ジャイルズはちらと視線を外した。代わりに、背中に回された腕に力がこもる。


「ジル様?」

「……今夜の君を、他の奴に見せたくないだけだ」


 ぼそりと落とされた呟きは、音楽の最後が重なってよく聞き取れない。

 聞き返せばなんでもないと言われ、そのまま流れるように二曲目も踊った。






「ジャイルズ」


 三曲目も続けて踊りそうな勢いだったが、後ろから声を掛けられて動きが止まる。

 後で来ると言っていたリチャードかと思えば、立っていたのはバンクロフト伯爵夫妻だった。


(ジル様のご両親……!)


 父親の伯爵は、歌劇場の帰りに遠目で見たことがあった。しかし、こうして二人と顔を合わせるのは初めてだ。

 向こうから面会要請がない場合、格下のフィオナから伯爵夫妻に面会を申し入れるわけにいかない。

「本物の」恋人でない以上、不用意な接触も避けたくて、会う必要はないというジャイルズの言葉のままにいたのだった。


 礼を取って顔を上げると、伯爵の陰に寄り添うように立っていた女性と目が合う――バンクロフト伯爵夫人の姿を、フィオナは初めて見た。

 蜂蜜色の艶やかな髪、楚々とした佇まいは貞淑な女主人にふさわしい華やかさと繊細さだ。

 派手な装飾はないが、一目で質が良いと分かるドレスやジュエリーの選び方はミランダと趣味が似ている。

 その彼女はフィオナと目が合うと、ふっと眦を緩めた。


(きれいな方……)


 そっと静かに微笑んでいる伯爵夫人の瞳は、なにか遠い、懐かしいものをフィオナの向こうに見ているようだ。


「交代だ。たまには母親に付き合え」


 それだけ言うとエスコートしていた伯爵夫人の手をジャイルズに渡し、代わりにフィオナの手を取る。


「父上っ?」

「曲が始まるぞ」


 やや強引にジャイルズたちとは距離を取られ、向かい合うと同時に新しい曲が流れ出す。

 戸惑いつつも、巧みなリードで踊りにくいということは全くない。

 音楽を聴き、リズムを合わせ、ステップを踏む。

 伯爵が声を発したのは、そうしてしばらく経ってからだった。


「……君が気になるらしい」


 ジャイルズがこちらを気にしているのは、さっきから届く視線で感じていた。


「私が失礼をしないかと、心配してくださっているのでしょう」

「自分の足元も固められない青二才が他人の心配など」


 伯爵は軽く鼻で笑うが、どこか満足げだ。ちらりと向こうを見ると、ジャイルズも母親に何か言われたようだ。

 視線が来なくなったのを確認して、伯爵はジャイルズの死角へと踊りながら移っていく。


「会う機会がなかったが」

「はい。これまでご挨拶もせずに、大変失礼を」

「構うな。無駄な儀礼は好かない。もったいぶるのも腹芸も仕事だけで十分だ」


 ばっさりと切り捨てられて、かえって潔い。

 投げやりにも聞こえる言い方にフィオナが言葉なく目を瞬かせると、伯爵はくいと片眉を上げた。


「なんだ」

「いえ、あの……似ていらっしゃるな、と思いまして」

「よく言われる」

「合理的なのに、律儀なところが」


 そう言って微笑めば、さも意外だというように伯爵が黙った。

 無愛想で突き放すような話し方の奥には、誠実さが滲んでいる。いくらでも外面を取り繕って簡単にあしらえるだろうに、それをせずに素のままをフィオナに見せてくれた。

 厳しい人だが、それだけではないのだろう。

 そう分かるから、自衛しようなどという気構えも勝手に失せてしまう。


「あ、お顔も似ていると思います」

「……そうか」


 こっちを先に言うべきだっただろうか。くるんと回されながら、何を話せばいいかと考えるが、自分ではなく、伯爵がフィオナに話があるのだと思い直す。

 だからこそ今、接触してきたのだろう、と。


(別れろ、っていう話かな)


 クレイバーン男爵家に後ろ暗いところは一つもないが、フィオナ個人も家もバンクロフト伯爵家が認め、歓迎する対象ではないことは分かりきっている。

 だが、正直に二人は芝居の関係なのだと言えるはずもない。


 神妙な顔をするフィオナをどう思ったのか、伯爵の表情からは察せない。

「冷徹貴公子」をしているときのジャイルズと似ているな、と半分現実逃避のようにフィオナは感じた。


「……君と出会って、息子は変わった」

「そうなのですか?」

「仕事に身を入れるようになったのは、君とのことが噂されるようになってからだ」


 返事に困る。フィオナから見たら有能過ぎるほどのジャイルズだが、父親の評価はまだまだだったらしい。

 だがそれは、成果や功績のことではないようだ。


「能力にかまけて、おざなりにしていたことにも気付いたようだ。自覚が遅いが、ないよりはマシだろう」


(き、厳しい!)


 さすが筆頭伯爵家の当主である。求めるもののレベルが違うと、フィオナは内心でおののくが、なんとか顔には出さないように堪える。

 話し出すまでにかなり時間が掛かってしまっていたから、ワルツはもう終盤だ。

 結局、実のある話はしていない気がするが、こうして踊って会話が続いただけで十分だとも思う。


 最後のターンをして、足を止める。

 指が離れる瞬間。まっすぐに合わされたジャイルズと同じ灰碧の瞳が、ほんの少し和らいで見えた。


「……感謝する」


 目を丸くするフィオナの手を、踊り終えてすぐ小走りで来たジャイルズに渡す。そしてくるりと背を向けた。


「フィオナ」

「大丈夫ですよ、ジル様。――バンクロフト伯爵」


 心配そうにフィオナに声を掛けるジャイルズに微笑んでみせると、彼の手を一度離してドレスに添える。

 呼びかけられた伯爵は、行きかけていた足を止めて肩越しに振り向いた。


「フィオナ・クレイバーンと申します」


 そう言って、指の先まで気をつけてカーテシーを披露する。見た者が皆、感嘆の息を吐くような美しい礼だった。


「知っている」


 伯爵は片手を軽く上げ、満足そうに口角を上げて、また背を向ける。

 妻の元に戻る伯爵を見送って、フィオナとジャイルズも踊りの輪から離れたのだった。




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