第86話 二年の月日(中)

 クレイバーン領を訪れ、男爵と長く話し合った翌日。ルドルフが働く時計工房の視察も終えて、ジャイルズたちは領地を後にした。


 シモンズ子爵家にオルガを訪ね、王都に戻りリチャードと別れるとメゾン・ミシェーレに向かう。

 瀟洒な隠れ家ふうの店にはオーナーのベネット夫人だけでなく、レースの納品に訪れていたマリアンの姿もあった。

 小さいフローラを連れたマリアンに、タルボット卿が同行していたのは幸いだ。


 フィオナはどうしていると何の気なしに問われ、旅立ったことを伝えると店にいた三人が顔を見合わせる。


「逃げられおったな。その上、国からまで出ていかれただと? 情けない」

「でも、フィオナらしいわ。あ、フローラはおじいちゃまに抱っこね! はい!」


 苦々しげに呟いたタルボット卿に睨まれたマリアンは、さっと孫娘のフローラを抱かせて気を削ぐ。

 父娘はすっかり遠慮がなく親しげで、何年も疎遠だったのが嘘のようだ。


「マリアン。あなたは作業室で打ち合わせを済ませてきなさい」

「はい、ベネット夫人」

「ローウェル卿はこちらに。閣下もどうぞ」


 マリアンがデザイナーの元へ向かい、ジャイルズたちは奥のサロンに通された。

 ソファーに腰を落ち着け改めて事情をかいつまんで話し終えると、夫人とタルボット卿は揃って長々と嘆息する。


「やはり儂が別の相手をあてがっておけばよかった」

「閣下、お若い方の未熟さを責めるのは酷ですよ。この度はあの子の行動力が発揮されただけのこと。まあ、私たち、そのうち手紙が届くでしょう」


 フィオナを気に入り、目をかけてきた二人である。予定を大幅に前倒しした突然の出国は確かにジャイルズのせいであり、責められる覚悟をしてきたとはいえ耳が痛い。

 だが、フローラを抱くタルボット卿は強い言葉と裏腹に威圧感が薄く、むしろ声に同情のようなものまで感じられる。

 むしろベネット夫人の淡々とした物言いのほうが容赦がない。


「それで、ローウェル卿。忙しい貴方がわざわざそのことを告げに私の店ここにいらしたのではないのでしょう。ご用向きを伺っても?」

「ゼフティマ鉱山について、お二人の意見を訊かせていただきたい」


 ベネット夫人にさくりと斬り込まれ、ジャイルズも単刀直入に返す。

 脈絡がなく聞こえたはずだが、さすが老練な二人は話が早い。ベネット夫人もタルボット卿も表情一つ変えなかった。


「大きく出たな。まあ、実績として見せつけるには申し分ない」

「あら。それだけでなく、あちらはなかなか興味深い国ですもの。フィオナが訪れる可能性は高いでしょうし、いろいろ承知しておくのはよろしいでしょうね」


(鉱山の名前だけでこれだけ見抜くとは……)


 相変わらず気を抜けない二人を前に、ジャイルズは居住まいを正す。

 ゼフティマは北の隣国との境にある鉱山だ。豊富な資源が確認されているものの、国土を接する両国がそれぞれ権利を主張しているため、採掘は長く中断されている。

 開発に向けて辺境の貴族が中心となって取り組んでいるが、交渉官を何度送っても躱されるばかりで協議開始の目途が立たない。


 膠着が続く現状に痺れを切らした議会と王宮が、外交に明るいバンクロフト伯爵家に助力を求めた。

 父伯爵は断るつもりだったそれを、ジャイルズが受けたのだった。

 そう話すと、タルボット卿が膝の上でフローラをあやしながら不満そうに目を眇める。


「儂は退いた身だぞ。何をさせる気だ?」

「これまでに鉱山の件で先方と対話を成立させたのは、タルボット卿お一人だけだと。その手立てを教えていただきたく」

「……よくそんな古い話を知っておったな」


 鉱山の協議に関する過去の資料を浚ったものの、そもそもの議事録が少ない上に情報も古く、ほとんど役に立たなかった。

 間に戦争も挟み、双方の為政者も辺境の貴族たちも代替わりしている。パイプとなる人脈が切れているのも痛手だ。

 ジャイルズも加わり打開策を検討してしばらく。処分寸前の過去の予備資料に、宰相になる以前のタルボット卿の名前を見つけたのだった。

 

(残念ながら王の崩御によって事前交渉の段階で中断し、そのまま会談は立ち消えとなったが……実現していたら、この国の歴史は変わっていただろう)


 目の前のタルボット卿は、かつては姿を現すだけで議会場の空気を変えるほどの存在感があった。

 そんな大御所と世代も違う自分がこうして近くまみえるのは、ほかでもないフィオナがきっかけだ。

 いなくなってなお存在感を際立たせるフィオナにジャイルズは刹那思いを馳せ、二人に向き直る。

 

「そしてベネット商会は、鉱山近くに本拠地を構える業者と取引をしていましたね」

「過去のことですよ。先方はとっくに廃業しています」

「それでも。どうかご助力をいただきたい」


 率直に情報提供を求め頭を下げたジャイルズに、タルボット卿とベネット夫人はさも意外そうに互いの顔を見た。


「ローウェル卿が他人を頼るとはな」

「虚勢は無意味と考えましたので」

「はっ、随分成長したようだ。儂の後継もこのくらいなら安心なのだが……」


 少し遠くを見たタルボット卿から零れた一言を、ジャイルズはあえて聞き流す。本当なら娘のマリアンに婿を取り、その彼に職と家を継がせる予定だったのだろう。

 名宰相と呼ばれた卿は孫娘を揺すり上げ、思い出すように目を瞑る。


「儂は、あの国の古い暦に添って申し入れをしただけだ」

「暦ですか?」


 意外な切り口を聞かされ驚くジャイルズに、土着の旧教の暦だとタルボット卿が付け加えた。


「ゼフティマ鉱山の一角は古い一時期に聖地とされたために、為政者ではなく聖職者の意向が強く反映されていた。暦は神官たちの行動を縛る。あれがなかなか厄介な代物で、外部との接触が許される日なども決められているのだ」

「聖地に暦……初めて聞きました」

「私たちの代でも知っている人は多くありませんよ。お若い方はご存じなくて当然でしょう」

「左様。さすがに夫人は知っておったか。そうだな、まずは験の悪い日を避け、作法に則った使者を送ることからだ」

「……はい」


 タルボット卿のアドバイスに、ベネット夫人も頷いている。

 閉鎖的な彼の国の志向と戦前からの没交渉具合を鑑みれば、ジャイルズが知るはずはないと言われたが慰めにはならない。そういったことを把握することこそ、自分の職務なのだ。


(やはり、まだまだだな)


 己の未熟さを実感するが、交渉官が無為に戻される理由が判明したことは幸いだ。

 早速次策を練り始めるジャイルズを眺めながら、二人が追って口を開く。


「あちらの国は信者が多いからな。政治の側でどうかしたくても、聖職者の反発を考えれば強硬は難しい。向こうの大臣たちも内心、手を焼いていることだろうよ」

「そうでしょうね。そして、ローウェル卿。もし真珠を持つ人物が現れたら、その方に最大限の敬意を忘れずに。たとえそれが幼い子どもでも、みすぼらしい老婆でも、ですよ」

「真珠?」

「私が見た時はピンブローチでした。今の形は分かりませんが、過去にはペンダントに加工されていたこともあったそうです」


 とにかく、銀色の雫のような大粒の真珠を身に着けた者がいるはずだと、夫人は言う。

 ゼフティマ鉱山は海から遥か遠い。唐突にも思える話に、ジャイルズだけではなくタルボット卿の顔にも疑問が浮かんでいる。


「聖遺物だと伝えられています。聖地に関して最終的に裁量を持つのは神官長ではなく聖人の末裔で、真珠はその証。彼が頷かなければ山が拓かれることはありません」

「ほう。それは儂も知らなかったな」

「……なるほど。そこまで信仰が影響しますか」


 この国にも国教はあるが、とくに若い世代に敬虔な信者は多くない。

 国の運営はあくまで議会と王家が主導で、神官たちは基本的に政治と距離がある。だが、どうやら向こうは違うらしい。


「若い者はたかがと思うかもしれんが、相手にも譲れない道理がある。理論と合理だけで世は回らないものだ」

「ええ、その通り。どちらか一方の考えで事を動かそうとしても、うまくはいきません。恋心と同じです」


 ベネット夫人からも情報を得て見通しが明るくなったはずが、なぜか思わぬところに着地されてしまった。

 自分のことを言われたのかと思えば、タルボット卿も肩身が狭そうに小さく咳払いをした。


(そういえば、マリアンは父に交際を反対された末の駆け落ちだったか)


 ややぎこちなくなった空気の中、ベネット夫人は悠然と持ち上げたティーカップの向こうで目を細める。


「ところで……近々、針子の一人を私の故郷に戻して新しい店を出させようと思っているのです」

「隣国への出店ですか。それは素晴らしい」

「私が出資するつもりですが、共同経営で新しいことを試すのも面白いかと思っていまして」


 如才なく相槌を打つジャイルズに、ベネット夫人が口角を上げる。

 ――有益な情報が無料ただで手に入る訳はない。商人相手なら尚更で、それはジャイルズも承知の上だ。


「ここのような女性向けのドレスショップでしたら、姉が好みそうです」

「コレット侯爵夫人は事業計画書をご覧になりますかしら」

「きっと興味があると」


 満足そうに頷いたベネット夫人は立ち上がり、資料棚から古い帳面を取り出すとサラサラと紙に書き写した。


「昔、取引をしていた相手です。商会自体は畳みましたが、今も顔の広い人ですからそれなりに役に立つでしょう」

「助かります」


 渡された紹介状を、ジャイルズは丁寧に受け取った。

 視線を感じてそちらを見ると、タルボット卿にはフンと顔を逸らされる。


「借りを返しただけの儂に見返りは不要だ」


 クレイバーン家のパーティーでタルボット卿とマリアンの再会が叶ったのは、ジャイルズの同伴者という口実があったからだ。

 ジャイルズは貸しなどと思っていなかったが、違ったらしい。

 驚きが顔に出てしまったようで、タルボット卿が気まずげにまた、コホンと一つ咳払いをする。


「最後に忠告だ。協議では敬意を示しつつ、主導権を握れ。ただし功を焦るな」

「それも恋と同じですね。まあ、主導権をどちらが握っているのかは、聞かないでおきましょうか」

「……なんとも手加減のないご婦人だ」

「あら、辣腕と恐れられた名宰相にお褒めいただくほどではございません」


 ぼそりと呟いたタルボット卿を、ベネット夫人がちろりと横目で剣呑に睨む。


「いや別に儂は、おっとフローラ、こら、離しなさ……っ、うぐ!?」

「ほら、小さなレディも女性の味方ですよ」


 大人の話に飽きたらしい孫娘に顎ひげを引っ張られたタルボット卿をベネット夫人が朗らかに笑い、室内に和気が戻った。

 ようやく肩の力を抜いたジャイルズに、夫人が初めていたわるような眼差しを向ける。


「ローウェル卿、今はできることをなさい。人生は案外、長いのです」

「その通りだ。それに、そう簡単に上手くいかれては儂が面白くない。あの娘なら、マリアンにも手紙をよこすだろう。届いたら知らせてやる」

「……ありがとうございます」


 もう一度頭を下げたジャイルズが使節として王都を発ったのは、その年の雪が舞う頃だった。


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