第25話 クレイバーン家のパーティー

「会いたかったわ、フィオナ!」

「オルガ、いらっしゃい!」


 まるで一年も離れていたかのように手を取り合って再会を喜ぶ二人だが、実際には、王宮の祝賀会以来だ。

 だが、ここ最近の毎日が濃密すぎるフィオナにはまるで一週間が一ヶ月のようにも感じられたし、友人のオルガはもっとである。


 センセーショナルな恋の噂だけが先行して耳に入り、当の親友とは半月も会えなかったのだ。

 手紙は何度か行き来したが、それで足りるはずがない。

 確実に話ができるこの日を、まさに一日千秋の思いで待っていた。


 オルガは王都社交界に疎いフィオナの貴重な情報源でもあり、恋愛小説の提供者でもある。

 ドラマティックな物語が好きで、だからこそ噂話も好むのだが、そこに自分の感情は入れないタイプだ。


「いい悪いを判断するのは私の仕事じゃないもの。集めた情報を比べたり並べたりして、関係性を考えるのが楽しいだけ」

 あっさりと、そう言い切るオルガがフィオナは好きだった。


「ね、向こうで話しましょ」

「いいわよ、オルガ」


 ジャイルズには、ほかの招待客より少し遅れて来てくれるように頼んであった。

 到着したらフィオナが応対することになっているので、オルガとゆっくり話せるのは今しかない。


 断るわけもなく、手を引かれるまま会場の隅にあるカウチに向かう。

 腰掛けると同時に、ライトブラウンのオルガの瞳が細い眼鏡フレームの向こうできらんと光った。


「で? ローウェル卿とは、いつからそんなことになったの?」

「ちょっと、早速?」


 食いつかんばかりの友人の勢いに、フィオナは思った通りと苦笑する。


「当たり前でしょう? こんなに噂になっているのに、友人の私がちっとも知らないなんて! 今日まですっごく我慢したんだから」

「そんなに噂になってる?」

「ここ数年で一番の話題ね。運命の恋人同士だって」


(そ、そこまで?)


 ちょっと引き気味になるフィオナに、オルガは綺麗なブルネットの髪を揺らして、ぷん、と怒ってみせる……というのもポーズばかりで、ひたすら楽しそうだ。


「……初めて会ったのは、祝賀会の日よ。帰る少し前に、小庭園で偶然」

「で、その二日後には公園デートして、週末にはバーリー伯爵家の夜会に二人で行ったのね? やっぱり運命じゃない!」

「もう、からかわないで」


 イエローダイヤモンドの指輪がはまるフィオナの手をうやうやしく捧げ持ちながら、オルガは神妙な顔をする。


「綺麗よねえ」

「うん……ちょっとじゃなく分不相応だけど」

「そんなことない、よく似合ってる。見る目あるわ、ローウェル卿」

「ほんと。豪華なの」

「違ーう、指輪じゃなくてあなたよ、フィオナ」


 不意に真剣な眼差しで見つめられて、フィオナはきょとんとしてしまう。


「もう、昔っから鈍いというか自覚がないというかなのよねー」

「え? ええ?」


 本気で分からないという顔をする友人にオルガは苦笑する。


「ま、そこがいいんだけど。それで? 最初から詳しく話してよ!」

「え、ええと、ね」


 家族に話したのと同じような「設定」を、聞かれるまま述べていく。

 だんだんと鋭くなっていく質問にこっそり汗を流し始めたとき、玄関のほうからどよめきが聞こえてきた。


 二人して振り返れば、ノーマンやヘイズ男爵をはじめ、顔見知りばかりの招待客の向こうにジャイルズの姿が見える。

 タルボット卿も一緒だ。


(よかった、いらしてくれた……!)


 タルボット卿はきっと来てくれるとフィオナは確信していたが、こうして目にするとホッとする。


 思わず立ち上がったフィオナに気づいたジャイルズが軽く手を上げるものだから、皆の視線を一斉に集めてしまった。


「オルガ、私」


 話は途中だが、行かねばならない。

 クレイバーンのパーティーに喜んで集まる客は伯爵子息や元宰相とお近づきになりたいと野心を燃やすタイプは少なく、むしろ緊張するだけというのは、父との共通見解だ。

 会場に留まっていられると気を遣って普段通り楽しめないだろう、というわけで、別室に引っ込んでもらう予定だ。


 よく考えれば高位の貴族に対してかなり失礼だが、タルボット卿は娘たちに会いに来るのだし、ジャイルズは姿を見せるだけで噂の補強には十分すぎるほど。

 パーティーそのものが目的ではない。


 別れの言葉を友人は明るく引き受けた。


「いいのいいの! 友人わたしのことより、彼のことで頭がいっぱいで当然よ」


 そういうわけではないのだが。

 だが、行けと言いながらフィオナの手を離さないオルガは唐突に、歌うように詩を紡ぎだす。


「『彼の一挙手一投足がふとした時に頭を過る。硬い胸に抱かれたあの日……触れた唇の柔らかさ、愛の囁きが耳に蘇って――』」

「ちょ、ちょっと、なに?」


「愛の囁き」以外、心当たりが微妙にあって思わずどきりとする。


「『愛は永遠の砂漠に』シャーリー・サンドナの新作よ。今度貸すわね!」


 何事かと思えば、小説の話だった。


「それも王女様の話?」

「ううん、踊り子と異国の王子様。でも彼女はある国の王族の落とし胤なの。ロマンティックでドラマティックでしょう!」

「やっぱり王女様じゃない」


 それがいいのよとオルガは楽しげに肩をすくめる。


「じゃ、またね。……私はいつでもフィオナの味方だから。それだけは覚えていて」


 そっと付け加えると、フィオナの返事を拒むように頬に友愛のキスをする。


「ほら、早く!」


 ウインクをするオルガに背中を押されて、フィオナは去っていく。

 恋人を迎えるジャイルズには、今までの「冷徹貴公子」然とした様子はない。

 こちらに背を向けているフィオナはきっと、先ほどまでと同じに上気した頬に少し困った感じの笑顔を浮かべているのだろう。


「あーんな可愛いフィオナ、初めて。……けど」


 ――なにか、隠している。

 それだけは分かる。


 基本的にざっくばらんなフィオナだが、自分以外の人が関わることに対しては慎重派でもある。

 だから、今はまだ話せないだけかもしれない。


 それに、二人の交際が順風満帆というわけでないことは想像に易い。

 相手のジャイルズは国内有数の旧家、バンクロフト家の嫡子だ。客観的に言って、家格も世間の評判も釣り合っているとは言いがたい。


 彼の身内や周囲が黙認しているのは、恋愛と結婚は別だから。

 女嫌いで誰も側に置かなかった彼が交際を始めたことを、ひとまず歓迎しているだけ。もしを、となれば簡単には認めないだろう。


 それにフィオナだって、来年になるのをずっと心待ちにしているのを知っている。

 彼女の未来予想図に、結婚の二文字が出たことはないのだ。


 ワンシーズンの遊びでも、夢を諦めるほどの本気でも、フィオナが納得しているならそれでいい。

 けれど――


「泣かせたら、承知しないんだから」


 華やいでいる一角に向かって、こっそり誓うオルガであった。






「ようこそお越しくださいました。タルボット卿にはご機嫌麗しく」

「招かれもせずに来てしまったが」

「光栄なことでございます。ささやかな宴ではございますが、ぜひごゆるりとお楽しみくださいませ」


 述べ合う挨拶もどこか気もそぞろなのが分かって、フィオナは内心微笑ましくなる。

 なにかを探すような視線は逸る心を伝えてくる。父と目配せを交わし、すぐにマリアンのところへ案内することにした。


「タルボット卿、ローウェル卿。向こうに部屋を用意しました。フィオナ、お相手を」

「はい、お父様。では、どうぞこちらへ」


 父と一緒に二人を二階へと案内する。

 細い廊下を進み、奥の客間の前で足を止めたフィオナにタルボット卿が声をかけた。


「……久しいな」

「ええ、本当に。お元気そうでなによりです」

「は。職を辞したとて、まだまだくたばらん」

「これからは別の楽しみと幸せがありますもの。きっとお勤めの頃より、よほどお忙しくなりますでしょうね」


 眉間にシワを寄せるタルボット卿に微笑むと、フィオナは客室のドアを軽やかにノックし、ノブに手をかけた。


「……よろしゅうございますか?」

「なにがだ」

「あら。これは失礼いたしました」


 むっとしたように言うタルボット卿にふふと笑って、かちゃりと扉を開ける。

 中には、マリアンとカイルが強張った面持ちで寄り添って立っていた。


「お父様……」

「……」


 部屋の中には入ったものの、タルボット卿はそこから動こうとしない。

 閉めた扉の前で、タルボット父娘のにらみ合いを見守ってしばらくの沈黙が続く。

 こういう空気が大変苦手なフィオナの父の額に汗が浮いて――先に折れたのはマリアンだった。


 苦笑を浮かべ、軽く膝を曲げる。隣でカイルが深く腰を折った。


「ご無沙汰しております。お変わりないですわね、お父様」

「……ああ」


 それきり会話はまた途切れたが、娘を凝視し終わったタルボット卿の瞳が、ちらちらと彷徨う。

 できる限りの譲歩を見せただろう元宰相に、フィオナは助け舟を出すことにした。


「タルボット卿。フローラはさっきからねんねですよ?」

「そ、そうか。なんだ、せっかく……いや、儂はなにも言っていない」


 ……ちょっといたずら心が湧いたのは仕方ないだろう。


「フローラは起きていると名前の通り花の妖精のようですけれど、寝顔は天使なんです。ね、お父様」

「あ、ああ、そ、そそそそうだな!?」


 ギョッとして、なんで自分に振るんだとうろたえながらも肯定する男爵を、タルボット卿がギロリと睨む。


「さっきも、お父様が抱っこしているうちにウトウトし始めて」

「あ、ああ、可愛かった」

「こう、ぺったんってくっついて」

「くうくう寝息を立てるんだな、うん」

「……」


 胸に抱いてあやす真似をするフィオナと、つい顔が緩む男爵を交互に見つめ、ギリ、と奥歯を噛むタルボット卿。

 巻き込まれてここにいるジャイルズは沈黙を保っているが、内心で額を押さえているのがフィオナには分かった。


 と、ふぇ、と場違いな甘い声が不意に上がる。


「!!」

「あ、おっきしちゃった?」


 びくりと体を震わせたタルボット卿におかまいなく、フィオナはいそいそとソファーの向こう側に行く。

 溶けそうな顔で小さな揺りかごを覗き込むと、歌うようにあやし始めた。


「おはよう、フローラ。やーん、お目覚めもかわいいですねえ。ママは今来ますよー」


 ふえ、むぐ、と甘え声で母を見つけて腕を伸ばしたフローラを、マリアンが危なげなく抱き上げた。


「ほら、フローラ。……おじいちゃまよ」

「だーぅ?」


 ふわふわの金髪の赤ちゃんが、親指を咥えた顔を向ける。食い入るように見つめたまま、タルボット卿は固まってしまった。

 いい夢でも見ていたのだろうか。ご機嫌な寝起きのフローラは、自由なほうの片手を動かしてきょろきょろ見回している。


「あー、あう」

「知らない人がいっぱいでちゅねえ。誰かに抱っこしてもらいましょうか、フローラ?」

「おお、では私が」

「な!?」


 マリアンの言葉に、そそくさと近寄るクレイバーン男爵に遅れること一瞬。慌ててタルボット卿も足を動かす。


「な、なぜ貴殿が」

「いやいや、そう仰らずに。子は宝ですゆえ」

「おじいちゃんよりお兄ちゃんがいい?」

「は!?」


 自分か!?と目を丸くするジャイルズは、振り返った祖父(仮、含む)二人に睨まれて盛大に怯む。


「あの、いえ、どうぞ」

「ふん」


 まるで喜劇の舞台を見ているようで、フィオナとマリアンは吹き出し、さすがにカイルも苦笑する。

 そうして男爵を制しながら近づいたものの、あと一歩のところでタルボット卿は動けなくなってしまった。


 もうひと押し必要かと、フィオナがなにか言いかけたとき。

 ぽつりとタルボット卿の口から声がこぼれた。


「……リリアーナに似ているな」


 亡くなった妻の面影が色濃く認められるフローラに、たしかに血の繋がりを感じたようだ。

 ハッとしたマリアンが、フローラを優しく揺すり上げる。


「かわいいでしょう」

「ああ。素直そうな顔をしている」

「お母様はお淑やかだったものね」

「まったく、お前は誰に似たんだか」


 ため息とともに出た言葉は本心であったが、そこに恨みや叱責の色はなかった。

 力なく傍のソファーに座ったタルボット卿の膝の上に、丸く暖かい温もりが乗せられる。

 見上げる瞳は、自分と同じ海の色。

 見覚えのない耳の形は、そこに立つ夫のものかもしれない。


「だうー」


 小首を傾げて、確かめるように小さな手が伸びてくる。抱っこをせがんでいるのか、髭に触りたいのか分からない。

 ――タルボット卿の胸に、名状しがたい感情が込み上げてくる。

 小さく震える手で赤子の体を支える父のすぐそばに膝をついてしゃがむと、マリアンがすっきりとした笑顔で言い切った。


「私は、お父様に似たのに決まってるでしょ」

「……ああ、そうだな。困ったことだ」

「困ることなんてないわ。おかげで……幸せよ」


 マリアンとフローラを抱きしめたタルボット卿の目尻に光るものがある。

 フィオナは父男爵の手を引いてカイルに目配せをすると、静かにその場を離れた。


 扉前に戻りふと横を見れば、ジャイルズはなんとも言い難い表情をしている。


 ――姉のミランダとはそれなりのようだが、両親や親戚に対しての口ぶりはいつもやけに淡々として、避けているような印象も受けた。

 親子とはいえ、気安い関係ではないのだろう。

 マリアンたちに焦がれるような視線を注ぐジャイルズに、やりきれない思いがする。


(なんというか……損な人)


 身分も容姿も教養も、人が羨むものをなんでも持っているのに。

 これが欲しいあれはいらないと、わがままを言って泣ける子どもだったらよかったのに。


 目の前の光景になにを感じているのか――分かるなどと思うのはきっと驕りだから、フィオナはそっとジャイルズの手に触れる。

 視線を合わせないまま、指を握り返された。


「……カイルといったな」


 穏やかな空気にほっとしたのもつかの間。

 タルボット卿の低い声が、ここまで無言で見守っていたカイルに向けられる。


「は、はい。お嬢様のことでは父君に、多大な」

「今はそのことはいい」


 直立不動で緊張の面持ちのまま述べ始めたカイルの言葉をバッサリと切って、タルボット卿はカイルを強い視線で睨めつけた。

 まさかここで離縁かと、強張ったマリアンを制するようにタルボット卿はカイルに言い放つ。


「妻も子も、置いて逝かぬと誓え」


 眼光鋭く問われた覚悟に、カイルは緊張を捨てて、す、と真剣な表情になる。


「もとよりそのつもりです」

「ふん。……近頃の若い者は面白くない」


 カイルとジャイルズを交互に見て、苦々しげに呟くタルボット卿の曲がった口元にフローラの手が伸びる。


「だー、だう」

「む、んうっ!?」


 小さな手が目一杯髭を掴む。ぎゅむっと引っ張られたタルボット卿が鈍い悲鳴をあげた。


「いっ、痛ぅ、むぐぐ……!」

「あらあら。おヒゲが珍しいのねえ」

「こ、こら、フローラっ」


 きゃっきゃと楽しげなフローラと一緒になって、マリアンは笑っている。痛がりながらも振りほどけないタルボット卿を助けようと、カイルの奮闘がしばらく続いたのだった。






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