第二章

第26話 新しい従業員

「フィオナさん。このオークション財団からの書類はどう処理するのですか?」

「あ、それはね、開封してどの画家のどの作品なのか、まず確かめるの」

「はい」

「落札された金額が書いてあるでしょう。向こうの棚にそれぞれの契約書類が収めてあるから、照らし合わせて計算して、銀行に振替依頼を……」


 ギャラリー・ロッシュの奥の部屋で、フィオナは新人に仕事を教えていた。

 新しく入った仲間は、デニス・グリーン。フィオナより三歳上の、やや赤みの強い金髪の男性である。


 別の書類をめくっていたフィオナからの指示をメモに書き留め、デニスは感心したように息を吐いた。


「いやあ、絵を売るだけかと思ったら、いろんなことがあるんですね」

「大変?」

「そうですね。覚えることも多いですし、計算もスペルも間違えられませんし」

「デニスは字もきれいだし、私より計算だって速いでしょう」

「銀行に行くたびに緊張しますよ。一番最初にミスして差し戻されてますからね」


 デニスはグリーン男爵家の三男坊だ。軍で物資配給の事務をしていた経験を買われて、この度ギャラリーに職を得たところだった。

「ブラウンですが、グリーンです!」と、目の色と名前を並べての自己紹介に笑わせられて、フィオナは彼とも親しくなった。


 事務がメインではあるが店頭で接客することもあるから、明るく人懐こい性格は向いている。すぐにほかの店員たちとも打ち解けたし、物覚えもよく、なにより仕事が早い。

 今もこうして、フィオナがしていた仕事をどんどん吸収している。


「シーズンの間の今が一番、数が多いの。夏が終わる頃には売買も落ち着くから、仕事も減るわ」

「フィオナさんが領地に戻られるまでには、全部覚えられるように頑張ります!」

「はい。よろしくね」


 今まではフィオナが叔父の代理人として諸処の手続きを行う際に、ついでにギャラリーの裏方も手伝っていた。

 だが、販路も広がり書類仕事も増えた上に、予定では来年フィオナはいなくなる。

 そのため、専属の事務員を入れる話は前から出ていた。人を見る目がシビアなロッシュのお眼鏡に適ったのが、このデニスなのだった。


「あと、こちらの件なのですが」

「……ここにはお客様もいないし、やっぱりふつうに話してほしいのだけど?」

「ダメですよ、フィオナさんは先輩です」

「私が敬語を使うと嫌がるのに」

「様、で呼ばないだけ、僕からしたらものすごい譲歩です」


 にっこりと笑うデニスは態度こそ気安いが、歳は上でも自分は後輩、とフィオナへの言葉遣いは改めない。


(私のほうが敬語使わなきゃいけないはずなのに……軍隊式なのかなあ)


 貴族の子息は、短期間なりと軍に入る義務がある。

 ノーマンも一年ほど従軍していたが、体躯がしっかりしたくらいで、あの通りなにも変わっていない。

 配属先や上長によるのかもしれない、とデニスと比べては首をかしげるフィオナであった。


「店頭以外でこうして呼びしてるのだって、ボスに聞かれたら怒られてしまいますから」

「そんなことオーナーは気にしないと思うけど」

「いやいや、減俸ものですって! 下手をしたら解雇ですよ!」

「まさか」


 大げさに怖がってみせるデニスと笑いあって、やはり言葉遣いはそのままなのだった。

 煩雑な事務のあれこれを毎日教えているおかげで、今のようにハンスが席を外したこの部屋でもフィオナが一人きりになることはない。


(……心配、してくれているんだろうな)


 ゴードンの逆恨みを警戒するようにと忠告されたことを忘れてはいない。

 このタイミングで、少し長めの軍経験があるデニスが採用されたのも無関係ではないだろう。


 買い付けに行っていて、ゴードンは王都にいないそうだが、ロッシュもハンスもまだ安心していないようで、しょっちゅう「変わったことはないか」と聞いてくる。

 もちろん何事もないし、そもそも常に人がいる店舗の奥にあるこの部屋でなにか起こるとは考えにくいのだが。


(ゴードンだって私なんかに構う時間があれば、いい絵の一枚でも探したほうがよほど有意義のはずだけど)


 人にもいろいろなタイプがある。商売人だからといって一律ではない。

 それは分かるが、怒ったり憎んだりしても一度区切ればそれなりに落ち着く性分のフィオナには、固執して延々と恨み続けるという心理がそもそもよく分からないのだ。


 もちろん、ベニヒワの絵をレイモンド作と謀ったゴードンの行為は許すまじだ。

 しかし、詐欺をやめてフィオナに関わらないのであれば、もういいとも思う。


「あ、そろそろじゃないですか?」


 言われて顔を上げたフィオナが時計を見ると同時に、部屋の扉がノックされる。

 その音にデニスはにやりとし、フィオナは気まずそうに眉を下げた。


「時計塔の鐘のように、時間ぴったりですねえ」

「デニス」

「いえいえ、なんでも。はい、どうぞー」

「……失礼する」


 扉を開けて入ってきたのは、やはりというかのジャイルズであった。

 事務室に足を踏み入れた彼は、見回して怪訝そうな顔をする。


「ジャイルズ様。今片付けますので」

「いや、急がなくていい。ハンスはどうした?」

「あ、今は郵便局に行ってもらっています。そろそろ戻るはずですが」

「……そうか」


 デニスに揶揄われてやや赤くなった頬を隠すように机上の書類をまとめると、フィオナはくるりと背を向けて書棚にしまい始める。

 そんな後ろ姿をにこにこと見守って、デニスはジャイルズに礼をした。


「こんにちは、ローウェル卿」

「デニス・グリーン。仕事は慣れたか?」

「はい。先輩の教え方がいいですので」

「あら、デニスの覚えがいいのよ」


 後ろを向いたままのフィオナの相槌に、ジャイルズがついと目を細くする。


?」

「えっと、他意はありません、ローウェル卿。はい、大丈夫です!」


 急にうすら寒くなった空気の中、小さいルーペを入れたレティキュールを片手にフィオナが戻ってくる。


「お待たせしました……あの、ジャイルズ様?」

「なんでもない。では、ミス・クレイバーンをお借りする」

「はいっ、どうぞごゆっくり! いってらっしゃいませ!」

「ふふ、デニスってば変なの」


 引きつった笑顔のまま直立不動で軍式の礼を取ったデニスに、フィオナは朗らかに手を振る。

 扉が閉まり二人の足音が遠ざかると、冷や汗を浮かべたデニスはどっかりとソファーに座り込んだ。


「……あれで無自覚って……。冗談キッツいですよ、少佐ぁ」


 デニス・グリーン、二十一歳。

 かつての上司であったジャイルズ・バンクロフト元少佐の変わりようをその身で実感して、天を仰いだのだった。





 ジャイルズはいつの間にロッシュとも知り合いになっていたのか。

 バーリー家の夜会が済んだ翌々日。出勤したフィオナは、いつもの笑顔で、「ローウェル卿から依頼がありました」と告げられて非常に驚いた。


 ゴードンの件で、思うところがあったのだろう。

 ジャイルズがそれとなく贋作の話題を振ったところ、自分も確かめたい、という相談を貴族仲間の何人かから受けたのだという。

 二人で相談したのちに、フィオナに白羽の矢が立ったと告げられた。


「鑑定なら、私よりオーナーやアカデミーのほうが適任ですよ?」

「いえ、お嬢様の目の確かさは保証します」

「そう言ってもらえるのは嬉しいけれど……」

「現代の画家なら私より詳しいくらいじゃないですか。それに、私に身分はないですし、貴族の皆さんはお抱え画商をそれぞれお持ちですからね。できるだけ内密に、ということですので」

「あー……そう、ね」


 長い付き合いの画商を差し置いてロッシュを呼ぶのは難しいし、そもそも平民の鑑定など信用ならんと言う頭の固い貴族もいる。

 難しい修復の相談や寄贈以外で直接アカデミーと関わるのもイレギュラーで、目立ってしまう。


 客人として、絵画に詳しい男爵令嬢が「私的に」訪れた際に「たまたま」目にする、という体が一番平和的なのだという説明にはフィオナも納得する。

 もしかして、との疑問を呈された後であれば、第三者に鑑定を依頼することも不自然ではないからと。


「ギャラリーで請け負って、お嬢様に仮の出張鑑定を依頼する形になります。判断に悩むものに関しては、改めてアカデミーに正式に依頼しますから」


 仕事と言われればもとより断る話ではなく、フィオナは頷いた。


 夜会やサロン、観劇に外食といった恋人のフリの合間に、鑑定目的でジャイルズの知人の貴族宅に伴われ、今日で三件目。


 そんなに贋作が出回っているのだろうかと疑問に思ったが、実際、今まで見せられた二枚は偽物と判断せざるを得なかった。

「レイモンド作」ではなく、ここ数年に没した別の人気画家の手を真似ていて、やはりとても良くできていた。

 販売元や買った価格は教えてもらえていない。

 フィオナはただ、ゴードンのような人物が複数いないことを願うばかりである。


 ロッシュにも見送られて店を出る。

 ジャイルズが店の真ん前に馬車を停めたのは、ギャラリーに来た最初の日だけ。今は少し離れた広場に馬車を停めてある。


 二人で歩くのもだいぶ慣れた道を、いつもの通り進んでいく。

 今も噂の二人だが、こうしてこの辺りを歩くのはもはや恒例。移り気な王都の噂は、二人を「日常」として受け入れつつあった。


(さすが王都は、噂に飽きるのも早いわね……ん?)


 見られるのにもだいぶ慣れた。だが、学術書を専門に扱う書店を過ぎたところで感じた視線には、なにか強い意志を感じて、何の気なしに振り返った。


 そこにいた人に、フィオナは自分の目を疑う。


「え……っ、!?」


 驚いて、ちゃんと見ようとした時、狙ったように突風が吹く。

 急な風に目を塞がれ、帽子を押さえ――風が止んで顔をあげると、そこには誰もいなかった。


(……見間違い?)


「フィオナ?」


 足を止めたまま動かないフィオナにジャイルズが声をかける。


「あの、今……そこに、キャロライン様がいらしたような気がして」

「路地に?」


 書店と、隣の高級食器店の間には、大人一人がようやく通れるくらいの細道がある。

 両側の店の木箱なども積んであって、通るのに難儀しそうなそこに、バーリー伯爵令嬢がいたのだ。


 真正面から散々睨まれたフィオナは顔だってしっかり覚えていたし、美しい巻き毛と高級そうな街着はたしかにキャロラインだと思ったのだが……。


 ジャイルズが背伸びをして奥に目を凝らしても、誰もいないようだ。


 服飾関係の店は別の通りに並ぶから、こちら側に若い女性は多くない。

 好まれそうな店といえば少し向こうのパン屋くらいだろうか。

 あの店のペストリーはフィオナも好物だが、伯爵令嬢が自ら買いに来るとも考えにくい。それに、早々に売り切れるので、午後のこの時間だと店じまいをしているはず。


「ごめんなさい、気のせいだったみたいです」

「……いや」


 やはり見間違いだろうと思い直して、思案顔のジャイルズに詫びて歩き出そうとした時。

 フィオナの半身に衝撃が走る。


「きゃ!?」


 ドン、とぶつかられてよろけた体はジャイルズに危なげなく抱きとめられたが、ハッと気づけば手が空だ。

 駆けてきた少年が、すれ違いざまにレティキュールを奪ったのだ。


 少年はそのままの勢いで、あの路地に駆け込んで行く。


「あ、ちょっと! こら、待ちなさいっ!!」

「フィオナ!」


 ジャイルズが引き止める間も無く、フィオナは少年を追いかけて走り出していた。








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