第三章
第50話 褒賞と王弟殿下
王宮の謁見の間で陛下と王太子殿下を前に、フィオナは片脚を引いて腰を落としたまま深く首を垂れている。
褒賞の内訳を言い渡す近侍の声が室内に響いた。
「――以上をフィオナ・クレイバーンへ授ける」
「謹んでお受けいたします」
フィオナの横に並んで辞儀の姿勢をとったジャイルズとリチャードも、同じように褒賞を受けていく。
サックウィル卿とゴードンの企みを阻止したとして、王宮からは幾人かに褒賞が授与された。
たまたま、本当に偶然居合わせただけのフィオナよりもっと貢献した人がいるのではと思ったが、功績を認められる一人になってしまった。
初めて拝謁が叶った今でも信じがたいが、事実である。
顔は上げても目線までは上げられない。フィオナの視界に映るのは、赤い絨毯と前方におわす陛下方の足先ばかりだ。
そのまま、最後に畏れ多くも陛下と王太子殿下から感謝の言葉を賜り、御前から退出する。
謁見の間の扉が見えなくなるまで廊下を進んだところで、預けていたショールとパラソルを受け取り先導する使用人と別れた。
日の当たる回廊に出て、ようやく深く息を吐く。
「……緊張しました……」
準備に掛けた時間に全く比例することなく、拝謁は拍子抜けするくらい簡単に終わった。
それでもやはり相手は王族、しかも国王と王太子である。視線を合わせなくても纏う空気だけで別格だった。
「そう? 落ち着いていたように見えたけど」
「ラッセル卿、とんでもない。心臓が口から出るかと思いました」
「初々しいねえ。なあ、ジル」
「リックは慣れすぎだ」
侯爵家の子息であるリチャードは、ジャイルズよりもさらに王宮に縁がある。先年、他国に嫁いだ王女殿下とは一時期交際の噂まであったくらいだ。
今もまるで自邸のようにフィオナに王宮を案内しつつ進んでくれている。
「はは、まあまあ。それにしてもミス・クレイバーン、今日のドレスもとても素敵だ。よく似合っているよ」
「ありがとうございます。ヘイワード侯爵夫人とミランダ様が用意してくださいました」
謁見に臨む今日のフィオナの装いは、いつかの言葉通り侯爵夫人が張り切って準備してくれたものだ。
肩や胸元の露出は控えめで、生地は光沢を抑えた滑らかな絹。合わせるアクセサリーはパールで揃えられている。
どこから見ても上品で清楚だが気取ったところのないドレスで、たしかにフィオナによく似合っていた。
メゾン・ミシェーレに頼んでいたドレスは夜会用で、日中の拝謁にはそぐわなかった。
話を聞きつけたミランダがやってきて、侯爵夫人と二人であれこれと当のフィオナよりも熱く語り合い、こまごまとしたところまで気を抜かずに決めてくれたのだった。
一から仕立てるには時間が足りないし、それ以前に拝謁用のドレスは生地の入手からしてすぐには困難だ。
というわけで、やはりミランダが昔着たドレスが元になった。
もったいなさすぎて遠慮したかったが、着道楽を自認するミランダが「いいから黙って受け取れ」と押し付けた。
リメイクとはいえ一度全部解いて、上から下までフィオナに合わせて仕立て直してある。もはやオーダーメイドと言って過言ではないだろう。
当然、コルセットもばっちり締められたが、ここまでしてもらって文句など言えるはずもない。
迎えに来てくれたジャイルズも目を見張ったくらいだが、そのジャイルズの正装のほうが凛々しくてフィオナはフィオナで見惚れてしまった。
おかげで、ジャイルズからも褒められたはずだが、よく覚えていない。
「ほんとほんと。ほら、そこに掛かっている絵の貴婦人みたいだ」
「さすがにそれは言い過ぎです」
「そうかなあ」
くすくすと笑いながら、リチャードの軽口に返す。
普段、衣装や容姿を褒められることはない。今日は満面の笑みで送り出してくれた二人の侯爵夫人のためにも、称賛の言葉は素直に受け取ることにしていたが、さすがに名画に描かれた麗人になぞらえるのは無理だ。
でも、そのおかげで残っていた緊張の余韻も消えて、すっかりいつも通りの自分に戻った気がする。
そんなフィオナを察して、リチャードも満足そうに笑っていた。
(さすがというか、だなあ)
ムードメーカーの印象が強いリチャードだが、観察眼は鋭いのだろう。
切れ者のジャイルズと揃えば、今回のような事態の対処も難しくないのではと思える二人だ。
「それにしても、呼ばれたのが私たちだけだなんて思いませんでした」
「褒賞にも種類がある。ほかの人たちは別の日程で拝謁しているはずだ」
「そうなんですね」
ジャイルズの説明に納得する。確かに、褒賞の内容によって個別に対応したほうがいいのだろう。
実際、フィオナが受けた褒賞はちょっともらい過ぎじゃないかと思うような内容だった。思わず声を上げそうになり、謁見の緊張とはまた別に心臓に悪かった。
(……お父様と相談しなきゃ)
フィオナ個人に授けられたものだが、とても自分一人の手には余る。有効な使い道は想定できるものの、まずは父に話を通さねばならない。
家にはいつ戻れるだろうと思いながら歩くフィオナの横で、リチャードがジャイルズに声を掛ける。
「俺はこれからスコット家のサロンに行くけど、二人も一緒にどう?」
「遠慮する」
「だと思った。じゃあ、ミス・クレイバーンも?」
「はい。私はアカデミーに行く予定でした」
「へえ、なにかあるの?」
「毎年シーズン中に何度か行くのですが、今年はまだでしたので。
王宮の周辺には施設が多く揃っている。競馬場や競技場は少し離れているが、図書館や議会場、博物館などが点在していた。
美術館や博物館の所蔵品の管理鑑定だけでなく、様々な文化事業の窓口でもある王立アカデミーもその一つだ。
「ジルも一緒に?」
「ああ。今回はかなり無理をきいてもらったからな。礼を言っておこうかと」
普段なら絵の鑑定にも予約が必要で、日数もそれなりにかかる。だが、ゴードン関連の色々はどれもほぼ即日で対応してもらっていた。
疑惑の内容の緊急性や、バンクロフト伯爵家やヘイワード侯爵家の名がそうさせたのだが、アカデミーの職員達に苦労をかけたことは間違いない。
今回、フィオナがアカデミーに寄りたいと言ったところ、それならとジャイルズも同行することになったのだった。
「そうか、そうだな。じゃあ、そっちはジル達に任せるよ。俺も行ったほうがいいんだろうけれど、大勢で押しかけても迷惑だろ?」
「向こうは気にしないと思うが」
「そういうことにしておけって。あ、俺こっちだから。またな!」
軽く片手を上げると、さっと身をひるがえしてリチャードは回廊の分かれを別方向に去っていく。
「あいつはまったく」
「ふふ、ラッセル卿らしいですね」
残された自分たちも足を進めたとき、背後からジャイルズを呼ぶ声がした。
王宮の事務官の制服を着た男性が、書類を片手に駆け寄ってくる。
「ローウェル卿、お呼び止めしてすみません。先日の件なのですが……」
なにか仕事の話らしい。
二人から少し距離を取ろうとしたフィオナに、ジャイルズが事務官の説明を遮って声を掛ける。
「フィオナ、すまない」
「いえ。私はそこの中庭に降りて花を見ていますね」
「……目の届くところにいてくれ」
「はい」
回廊の向こうは美しい中庭だ。主に来賓の接待に使われるそこに今は人の姿はないが、自由に散策してよい場所になっている。
ところどころに警備兵も立っているし、視界を遮るほどの高さの樹木もない。さすがに王宮内で何かあるわけはないと思うのだが、ゴードンに監視が付いている今でもジャイルズの心配性は健在だ。
くすぐったく思いながら回廊を外れて中庭に降りる。ショールを纏いパラソルを広げると、盛りの花を眺めながら小道をゆっくり進んだ。
しばらく進んで振り返ると、なにやら難しい顔で書面を見ながら話し込むジャイルズと事務官が見える。
ちら、と目を上げたジャイルズにパラソルを軽く振った。
バンクロフト伯爵家の当主の座は、ジャイルズが将来引き継ぐことになっている。
伯爵家の王宮での業務は守秘義務の多い内容で、詳しいことはフィオナには分からない。
だが、王宮で姿を見かけたからとジャイルズに事務官が声を掛けてくるということは、それだけ彼らとの距離が近いのだろう。
(アカデミー担当の上層部の方は、そうでもないという話だったなあ)
仲の良い調査官から愚痴を聞いたこともある。
残念ながら、貴族が担っている役職は、大きな問題がない限り世襲だ。偉そうに文句だけ言うトップなど敬して遠ざけるしかないが、厭わず話を聞く上司ならやりやすいに違いない。
貴族だからと驕るのではなく、ジャイルズがしっかり内実を把握して取り組んでいるだろうことは、普段からの多忙さをもってしても明らかだ。
議会だって多いのに、このサックウィル卿の企みによる騒ぎで、今年のシーズンは余計に大変だったろう。
足元に咲く花から目を上げれば、あの祝賀会の晩に小庭園で咲いていたような、白い小花を付けた蔦がここにもあった。
やはりラティスに絡まり咲いているが、その高さは腰ほどに作られており、近付いてよく見ると花の形も違った。似てはいるが、同じ花ではないようだ。
(……私とのお芝居が、役に立っているとは言ってくれているけれど)
シーズンが終わるまでという約束だった。
だが最近のフィオナは、その前に契約を終わらせたほうがいいのではないかという気持ちに時々なる。
王都に広まった噂も落ち着いて、フィオナとジャイルズの関係は恋人同士ですっかり固定だ。
狙ったのだからそれでいいはずなのだが、どこか居心地が悪い。
それはきっと、ジャイルズのフィオナに対する行為のあれこれだけではなく――
「ご令嬢はその花がお好きかな?」
「え? あっ、は、はい」
ぼんやりと白い小花を眺めていたフィオナは、急に声を掛けられて我に返った。
声の主は手に剪定鋏を持っており、花の手入れをしていたようだ。しかし、王宮の庭師ではない。
慌ててパラソルを畳むと、フィオナはすっと膝を折る。
「ああ、これ。面を上げてくれないか」
「いえ、畏れ多くも……
――サックウィル卿が次期王座に、と支持していたその人であった。
上の空で口上を述べながら、フィオナの心は驚愕で一杯だ。
(な、なんでっ? どうしてここにいらっしゃるの!?)
直接会ったことはもちろんない。が、参賀の席には必ず姿を見せるし、フィオナも貴族の一員として王族の顔を知らないなどということはない。
王家直系だけが持つ紫紺の瞳があればなおのことだ。
(ここだって、たしかに庭だけど!)
普段は温室に籠り切りで、植物の世話と研究に没頭していると評判の王弟である。
いくら王宮に来ているとはいえ、そうそう会えるわけなどない。今日は王族との邂逅特異日なのだろうか。
「うーん、驚かせてしまったな。調子の悪い花があると庭師に聞いて、様子を見に来たのだが」
「さ、左様でございましたか」
「ここに若いご令嬢がいるのは珍しい。王妃の昼食会でもないし、今日はなにか……ああ、そうか。君が例の『絵のお嬢さん』か」
王宮の表の庭園とは違い、奥のこちら側には許しを得てからでないと入れない。
今日の謁見の場にはいなかったが、本日褒賞の授受があることとその内容は、王弟殿下も知っていたようだ。
「フィオナ・クレイバーンにございます」
「うん。さすがにあの場に私がいるわけにいかないからね。顔も見せずに失礼したよ」
「いいえ、そのような……!」
軽くとはいえ謝罪されてしまい、フィオナはますます顔が上げられない。
サックウィル卿が玉座に押し上げようと画策したその人だ。本人にその気は全く無いとはいえ、従える貴族達を抑えきれなかった責はあるだろう。
――本当に王座を望まないのか。
サックウィル卿をうまく使って、あわよくばと画策したのでは、と疑わない瞬間がなかったとは言えない。
だが今、実際の本人をこの目で見て。
(本当に王権なんて望んでいらっしゃらないんだ……)
ラフなシャツに土のついた作業用ズボン、園芸用の長いブーツ。使い込んだ鋏と、もはや顔の一部ともいえるくらい似合っている日よけ帽。
植物と同調する雰囲気といい、芝居だとしたら大したものだ。
頑なに下を向いたままのフィオナに、王弟がふっと笑う気配がする。パチリと花鋏の音がして、屈んだ頭になにかが差し込まれた。
「これを私から」
「……ありがとう存じます」
現れた時と同じくらい唐突に、気配が消える。
ゆっくりと顔を上げれば、既に王弟の姿はなかった。
「フィオナ!」
「ジャイルズ様」
事務官との話は終わったらしいジャイルズが、急いだ様子でフィオナのところまで駆けてきた。
「今、王弟殿下がここにいらしたようだが」
「そうなのです、偶然」
もの言いたげな視線をたどって、頭にある違和感を思い出す。手を当てると、ふわりと瑞々しい感触が指先に触れた。
そっと髪から引き抜いたそれは、淡いクリームイエローのバラだ。
「……いただいてしまいました」
「……驚いたな」
「はい、すごく」
手に持ったバラは棘も抜いてある。
フィオナは王弟が立っていた場所と手元の花を、交互に見つめたのだった。
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