第3話 小庭園の内緒話
結局、話ができたのはそこまでだった。
「お姉様、ノーマンお兄様。あの、お話は終わりました?」
「あっ、ええ、セシリア。もう大丈夫よ」
衝撃の事実を知って打ちひしがれるフィオナは、おずおずと掛けられた声に顔を上げる。
「ごめんなさい、お邪魔して。パイが焼けたそうだから、迎えに」
「わあ、嬉しいなあ。呼びに来てくれてありがとう、セシリア」
「あ、あの、はい」
好物が用意されたと聞いて嬉しそうなノーマンから満面の笑みで礼を言われ、セシリアの頬にパッと朱が散る。
病気がちで家の内でばかり過ごして育ったため、人見知りなセシリアは特に男性に慣れていない。
赤ちゃんの時から顔を合わせているノーマンに対してもこの調子だが、フィオナは妹のコレは単に人見知りのせいではないと思っている。
(……やっぱり、ねえ)
ノーマンは、セシリアはこういう子と頭から思っていて気に留めていないし、下の娘はいつまでも幼くあってほしいと思っているらしい父は言うまでもない。
第一、本人にも自覚はないようだ。
(ノーマンが婿入りするにしても、その相手は私じゃないってば)
自分が知ってしまったことはくれぐれも口外しないよう、ノーマンに約束だけは取り付けた。
父たちに気付かれたら婚約発表が早まるだけ、とのフィオナの考えには彼も同意らしい。
その後はノーマンと会う機会がないまま、王都にやってきた。
今夜の祝賀会では顔を合わせたが、大勢の前でできる話でも、ダンスの短い時間で出来る話でもなく、進展はない。
河川周辺の工事は始まっている。
半月後、自邸で開かれる初回の夜会が、婚約発表の場になるだろう。
父は、フィオナが旅立つのを歓迎していないのだから、たとえノーマンとの結婚を免れても、きっとほかの相手を見つけてくる。
そしてセシリアが成人する前に結婚式だ。
(お父様のことは大好きよ。私を心配してくれているのも分かる。でも……)
もっと広い世界をこの目で見たいと思う。
働いて、自分自身を養いたいとも思う。
誰かに依存した籠の鳥は嫌なのだ。
フィオナの考えが、世間に受け入れられない類のものだということも分かっている。
父がフィオナに内緒で強引に結婚話を進めるのは、娘の幸せを願うからこそということも。
八方塞がりの中、悶々と考え続ける思考は不穏なほうへ向かう。
「……やっぱり、家出しかないかな」
物騒な言葉が不意に口を吐いて、フィオナはハッと我に返った。
(あれ、ここどこ?)
周りも見ずに鬱々と歩き続けた結果、辺りはすっかり人気がなくなっていた。
慌てて見回せば、少し先には歴史のありそうなレンガ塀と木戸――小庭園の終端だ。
履き慣れない靴だというのに、思いのほか遠くまで来てしまっていた自分の健脚に驚くが、一度立ち止まったことで急に疲れが襲ってきた。
ふと見ると少し先に、白い花をつけた蔦がみっしりと絡んだラティスがある。その前には、華奢な猫足のガーデンベンチが用意されていた。
(少し休んでも、大丈夫そうね)
客の姿はほとんどないが、木戸を中心に警備の兵は見回っている。ランタンも明るく灯っているし、そもそも王城内である。危ないことはないだろう。
ほっとしつつ腰掛けると、背後のラティスで咲き乱れる小花の甘い香りが漂う。その瑞々しい香気に一息ついた時だった。
「――から、私は結婚する気も全くないと言っている」
「それは無理だって、ジル」
背後の蔦の向こう側から聞こえてきたのは、二人の若い男性の声だった。
緑濃く茂っていて見えなかったが、どうやら反対側にも同じようにベンチが置いてあるらしい。
ドサリと座り込んだ振動がこちらにも伝わった。
「いっそ志願兵になって、外国に行ってしまえば……」
「ジルが次に行くなら外交官としてだな。もちろん奥方様も帯同で」
「勘弁してくれ、それじゃあ意味がない」
いかにも不満そうな声を笑いながら宥めて、ついでにパシンと肩を叩いたような音もする。気の置けない間柄のようだ。
「リック、他人事だと思って」
「ジルの肩にはバンクロフト伯爵家がかかっているからな。親父さんたちが強引になるのも仕方ないさ」
(バンクロフト伯爵家の、ジル? それにリックって……もしかして、ジャイルズ・バンクロフトとリチャード・モリンズ?)
聞こえた名前にフィオナは驚いた。この向こう側にいるのは、社交界でも有名な二人に違いない。
鬱鬱と訴えている『ジル』は、バンクロフト伯爵の嫡男――ローウェル卿ジャイルズだろう。
美しいダークブロンドに烟るような灰碧の瞳の持ち主で、冷たい美貌と由緒ある家柄の両方に惹かれる令嬢は数多くいる。
そんな友人を宥めている『リック』は、ラッセル卿リチャード。二人は同じ歳の友人で、よく一緒にいるのだ。
モリンズ侯爵の三男であるリチャードは、いつも笑顔を浮かべているイメージがある。髪も明るいハニーブロンドで、ジャイルズとは反対に柔和なタイプの美形だ。
とはいえ、フィオナは実際の二人を見たことはない。
(オルガがいろいろ言ってた人達かあ。そんな有名人に遭遇できちゃうなんて、さすが王宮の夜会……)
友人から得た情報を思い出し、十八の自分とは五歳差程度と指を折る。
誰でも――そう、王都の噂に疎いフィオナのような者にまで知られるほど、有名な二人なのである。
脳内を整理している間にも、また溜息が聞こえてくる。
「親もだが親戚連中が余計に煩い。いい迷惑だ、まったく」
「おいおい、聞かれると面倒だぞ」
「ここまでくれば誰もいないだろ」
勝手に耳に入ってしまったとはいえ、盗み聞きはよろしくない。立ち去ったほうがいいのだろうが、話の内容が気になってしまった。
というのも「結婚」は、フィオナがまさに今、抱えている悩みでもあるから。
(さっき、「結婚する気はない」っておっしゃった? 私も同じだけど、でも……)
爵位を血縁で繋ぐこの国で、家督相続は貴族の重要な義務だ。
しかもバンクロフト伯爵家は建国以来の重鎮貴族。次代の伯爵である彼には、どうしたって伴侶が必要のはず。
独身のまま養子を取るという方法もあるが、そうなると親や親戚が黙っていないだろう。ちんまりと末席にいるフィオナのクレイバーン男爵家とはわけが違う。
次々と胸に浮かぶ考えを、リチャードの声が遮った。
「それなら遊べば? 呆れて放ってくれるようになるかもよ、俺みたいに」
(ああ、うん、そうね。ラッセル卿の恋愛遍歴はちょっとすごいわ)
恋多き遊び人として有名で、これまでにお付き合いをした令嬢やご婦人を数えるには、両手と両足が必要。さらに一夜のお相手なら数えきれないほど、という話だ。尾ひれがついているにしてもすごい。
トラブルになったという話も聞かないから、お互い納得した上での関係なのだろうが、フィオナには少々理解しがたい。
まあ、他人事である限りは、別に構わないのだが。
「リックはいつか刺されるんじゃないかと心配だよ」
「大丈夫、相手は選んでるから」
「威張るな」
どうやらジャイルズとフィオナは同意見のようだ。
ははは、と笑う陽気な声に対し、苦笑いしている雰囲気が垣根越しにも伝わってくる。
「でもなあ、ジル。兄たちがいる俺と違って、お前が結婚から逃げるには限界があるぞ」
「……女性は苦手だ」
「知ってるけどな」
鉛でも飲み込んだような言いようだ。表情は見えないが、心の底からの本音だろうとフィオナには感じられた。
(驚いた。本当に結婚したくないんだ)
女性に比べて男性の婚期はそれなりに長い。よりどりみどりだから、ゆっくり相手を吟味しているのだと思っていたが、どうやら違うようだ。
垣根の向こうからは、毎日のように届く釣り書きや、親戚からの強引な花嫁候補の斡旋に対する恨みつらみが聞こえ続ける。
「おとといの晩なんて、家に帰ったらまた知らない女性がいたんだぞ。いい加減にしてくれ、本当に」
「おっと、例の伯母上の仕業か? で、その招かれざる客はどうした?」
「即刻お引き取り願った」
「だろうな。お疲れさま」
(わあ、大変)
強制的に自宅に異性を送り込むなど、やりすぎだ。
伯爵家の行く末を心配した末の暴走かもしれないが、逆効果だろう。
「それはそうと、今夜は少しは気分転換になったか?」
「いいや、まったく」
(わかる……わかるわー、私もよ)
ジャイルズもこの祝賀会を楽しめていなかったと知って、ますます親近感が湧く。
しみじみと頷くフィオナに聞かせるかのように、二人は会話を続けていく。
「大広間でもご令嬢たちに囲まれてたもんな。見ものだったよ」
「面白がるな」
「ジルが一人でいるのも悪いんだって。誰か適当にエスコートしてくればいいのに」
パーティーの同伴者は彼の姉であることがほとんどで、彼女がコレット侯爵に嫁いでからは単身でばかり参加している。
もっともこの情報も、フィオナは夜会に滅多に出ないから友人からの受け売りだ。
「誘って誤解しない女性に心当たりがない」
「言うねえ。ま、こうして助け出してやったじゃないか、怒るなよな」
お前にも隙がある、と言うリチャードに何やら反論している。が、別の方向から風に乗って小さく聞こえてきた声のほうにフィオナは気を取られた。
遠くてまだよく聞き取れないが、どうやら数人の令嬢たちのようだ。
小庭園は綺麗に手入れされているが、目を引くものは入り口近くの噴水くらいで、奥のこちら側は若い女性が特別好んで見るようなものはない。
だとすれば。
(もしかして、この二人を探しに来た?)
さらに耳を澄ますと、ジャイルズ様が、とか、たしかこっちのほうに、とか言う声がして、どうやら自分の予想は当たりのようだ。
ジャイルズ達は、それこそ彼女たちのような令嬢から逃げてきたはず。図らずも盗み聞きをしたお詫びとして、接近を知らせたほうがいいだろう。
自分の悩みはまったく解決していないが、結婚を嫌がっている同族を得た満足感でフィオナの心は少しだけ上向きになっていた。
(ええと、通りかかったふりをして、さりげなく……)
そうして扇を握りしめると、ベンチから立ち上がったのだった。
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