第61話 ドレスとサプライズ

 オルガとセシリアによる髪結いが済んだのは、そろそろ出立の時間も迫る頃だった。


(お、終わった……!)


 時間には余裕を持って支度を始めたはずなのに。

 ベネット夫人の告げた開始時刻に対して「もっと遅くからでいいのでは?」とか言わないで本当によかったと、フィオナはこっそり胸をなで下ろす。

 肩に掛けていた化粧ケープを外し、請われるまま立ち上がると歓声があがった。


「わあ! お姉様、きれい!」

「本当に素敵よ、フィオナ」


 うっとりと破顔するセシリアとオルガが、掛け値なしに褒めてくれる。

 細かい調整も無事に済ませた針子をベネット夫人もねぎらっており、そちらの二人の表情も満足そうだ。

 普段、外見についてなにか言われることの少ないフィオナは、純粋な賞賛に面映ゆく思いながらも礼を言う。


「ありがとう。ドレスやお化粧のおかげね」

「着る人がいてこそのドレスですよ。貴女によく似合っています、予想以上でしたね」


 ベネット夫人の自信作である、メゾン・ミシェーレのドレスは文句なしに素晴らしいものだった。

 上半身はぴったりと身体に沿い、ウエストから下、フルレングスのスカートはふんわりと広がったボールガウンは舞踏会にも最適なスタイルだ。

 夜会用のドレスだけあってデコルテ部分は大きく開いているが、オフショルダーの短い袖がついていて露出も多すぎはせず、動いても安心感がある。


 特筆すべきは、グラデーションに染められた色だろう。

 胸元から始まる柔らかな薄金色は裾に下がるに従い、煙る青へと次第に変わる。まるで、夕焼けを映した水面のようだ。

 ベネット夫人とデザイナーが「絶対にこれ!」といって譲らなかった、とっておきの布地で、一緒にメゾン・ミシェーレを訪れたジャイルズも一目で気に入って、即決だった。


(綺麗、だけど……実際に着てみると、やっぱりこれって……)


 光沢を抑えたペールゴールドの絹地はフィオナの髪や瞳とトーンが合っていて、肌の色も引き立って見える。

 だが、スカートの裾にぐるりと施された刺繍の金糸の輝きはまるで、指輪のイエローダイヤモンドと揃えたかのようだ。

 そしてなにより。


「ねえフィオナ。私、刺繍しながらずっと思っていたんだけど、この青ってローウェル卿の目の色よね」

「マリアン、そこには触れないで」

「照れなくてもいいのよ!」

「オルガも、お願いだから」


 そうなのだ。薄暮のような灰碧の色は、どうしてもジャイルズの瞳を思い起こさせる。

 セシリアもうんうんと頷いているが、フィオナはなんだか落ち着かない。


(だって、パートナーの色を身につけるとか、どんな熱愛カップル?!)


 お芝居的には大正解だと分かっていても、なんだか落ち着かない。

 実際は婚約すらしていない恋人同士で、しかも偽装である。せっかくの美しいドレスだが、一抹の後ろめたさを感じることも確かだった。


 皆のほほえましい視線をまっすぐに受け止めきれずに姿見に目を移すと、当初の予定では、胸元にコサージュがあるデザインだったことを思い出した。

 フィオナは、すっきりとシンプルなネックラインの胸元を指さしながら振り返る。


「ベネット夫人。ここにコサージュがつくとお聞きしたと思ったのですが?」

「ええ、ありますよ。ほら、ここに」

「あ、本当」


 鏡の前でくるりと身体を反転させられると、ちょうど腰のところにコサージュが付いていた。

 後ろスカートのギャザーは中心から広がっていて、ちょうどその起点の位置にコサージュがあるため、むしろ元々こういうデザインだったかに見える。


「こっちに変えたのですね。こうしても可愛いです」

「デコレーションが重なるのは、私の好みじゃありませんからね」

「?」


 訳知り顔で待ちわびるように窓の外を見るベネット夫人には、なにか尤もな理由があるらしい。フィオナはファッションには詳しくない。プロに任せるべきだろうと疑問はそのままにした。


「お姉様、回って全身をよく見せて!」

「セシリア」

「ほら、フローラも見たいって言ってるわ」


 結局、母親のマリアンに抱かれてご機嫌なフローラの前でくるんくるんと回って見せるはめになる。

 賑やかにそんなことをしていると、ノックの音がしてハンスが顔を出した。


「フィオナ様……! なんとお美しい! ご立派になられて、爺は嬉しゅうございます……!」

「えっと、じいや、ありがとう」


 旦那様より先に見られて役得だと、ハンスが顔をほころばせた。

 思い出したように時計を見たフィオナは、はっと慌て出す。


「お父様も叔父様もきっと待ちくたびれているわね。そろそろ一階したに降りようと思っていたの」

「ええ、それは是非なのですが、その前にフィオナ様。ローウェル卿がお見えでして」


 ハンスが目頭を押さえつつ、思い出したように背後の扉を大きく開く。

 そこには、こちらも正装のジャイルズが立っていた。


(……わ、あ……!)


 漆黒の燕尾服に身を包んだジャイルズはまさに「貴公子」という出で立ちで、部屋にいた全員が色めき立つ。

 整いすぎて彫刻のような美貌はそのままだ。だが、祝賀会のときよりももっと凜々しい装いに、フィオナは言葉が出ない。


 如才なく入室したように見えたジャイルズだったが、フィオナを認めると、向こうも言葉を失ってしまった。

 前に立ったままピタリと固まってお互い見つめ合う。


「…………綺麗だ」

「…………綺麗ですね」


 長い沈黙のあと、挨拶よりも先に出た言葉がまた重なって、二人して気まずく視線を泳がせた。


「す、すみません」

「いや、こちらこそ」


 赤くなる頬に片手を当ててフィオナが詫びるが、応じるジャイルズの声がどこか甘い。「冷徹貴公子」のはずの彼の普段とは違う様子に、マリアンたちもすぐ気が付いた。


「あー、私たちはお邪魔ね」

「えっ、マリアン」

「はい、退却ー」

「お姉様、またね」

「オルガ、セシリア?」


 引き留める間もなく、三人は軽く手を振ってそそくさと部屋を出て行ってしまう。

 ハンスも後を付いて行ってしまえば、部屋に残るのはベネット夫人と片付け中の針子の彼女だけだ。

 そのベネット夫人がついと進み出る。


「ローウェル卿。お待ちしておりました。遅いから心配しましたよ」

「失礼しました。さきほど受け取ったところで」


(なんの話?)


 ジャイルズとベネット夫人、二人の間で何か打ち合わせがあったらしいことは察せられるが、内容の予想がつかない。

 フィオナが首を傾げていると、ジャイルズは持参した薄い箱をフィオナの目の前でぱかりと開ける。

 黒い布張りの箱の中にあったのは、見事なネックレスだ。


「……良さそうですね。早速つけてさしあげて」

「では、フィオナ」

「あ、あの?」


 目を丸くするフィオナを蚊帳の外に、ベネット夫人にくるりと身体を回されてジャイルズが背後からそのネックレスを細い首に回す。


(えーっ? 待って、ちょっと待って!)


 急に近くなった距離と、開いた首元に触れる指にそわりと背中が震える。

 フィオナが戸惑っている間にネックレスが着けられてしまった。


 可憐に咲き誇る金の花を五輪、レースを編んだようなゴールドチェーンでゆったりとリズムよく繋いだ、美しい品だ。


 優雅なラインは鎖骨になじみ、デコルテを美しく装っている。

 小粒の真珠が各所にあしらわれて揺れているが、中央の大きな一輪の中心はなんと、指輪と同じイエローダイヤモンドだ。

 しげしげとフィオナの全身を眺めたベネット夫人が、ほう、と感嘆の息を吐く。


「長さも色もボリュームも、完璧ですね。悔しいですけれど、最高だと申し上げます」

「そう伺って安心しました」

「ですが、ええ。コサージュの位置まで変えたのですから、これくらいはしていただかなくては」

「はは、手厳しい。さすがプロですね」


 どうやら、ジャイルズがこのネックレスを用意すると言って、ドレスのデザイン変更に至ったようだ。

 それは理解したが、華奢なうえに豪奢なジュエリーを身につけたフィオナはそれどころではない。


(ど、どどどうしたらいいの、こんな……!)


 万が一落としたら、なにかに引っかけたらと考えるだけで気が遠くなりそうだ。

 なのにベネット夫人まで針子を連れて出て行ってしまった。

 二人きりで残されてしまった部屋で、少しの沈黙の後にジャイルズが不安げにぽつりと零す。


「……気に入らなかったか?」

「き、気に入らないとか、そういう問題ではなくて、聞いていません!」

「言っていないからな」


 たしかに、上半身のポイントだったコサージュが無くなってしまった胸元は、すっきりしすぎた感はあった。だが、まさかこうなると思うはずがない。

 あわあわと混乱するフィオナに、ジャイルズは苦笑した。


「本当はイヤリングも揃いで用意しようとしたのだが」

「無理ですっ」

「そう言われると思ったし、ベネット夫人にもそう言われた」


 見透かされていると唸るも、手を差し出されれば素直に片手を預けてしまう。困ったように見上げるフィオナを、ジャイルズは目を細めて見つめ返した。

 その眼差しは歌劇場でフィオナを引き寄せた時の色に似て、とくりと胸が音を立てる。


「よく似合っている。できればそのまま着けていてほしい」


 ――その、言い方はずるいと思う。

 貴族として、伯爵家の嫡子としてではなく、まるでただの少年が願いを捧げるように言われると、フィオナもしがらみを取り払って返したくなってしまう。


「っ、わ、わかりまし、た……けど、もし外れそうになっていたら、絶対すぐに教えてくださいね」

「……約束する」

「わ、笑うところじゃないです!……でも、あの。……ありがとうございます」


 忘れたはずの記憶が蘇ってしまいそうで、うつむいて謝辞を述べるとジャイルズの袖口が目に入った。


(?……これって)


 そこに嵌まる、黒色のカフリンクスには見覚えがありすぎた。

 フィオナの視線に気付いたジャイルズが、ちらりとジャケットの袖を捲って見せてくれる。伯爵家の紋章がついたオニキスは、あの晩と同じものだ。


「自分で着けました?」

「いや、ダルトンが」

「じゃあ、今夜は外れませんね」


 このカフリンクスは年代物で、嵌めるのに少しコツがいる。祝賀会の時は会場で着け直したために外れてフィオナの元に来たのだろう、とその後に聞いていた。

 伯爵家の頼もしい執事がしっかりと嵌めたのであれば、今夜は落とす心配はなさそうだ。

 少し気を取り直したフィオナが微笑めば、歩き始めたジャイルズが片眉を上げる。


「フィオナ以外と踊らなければ、な」

「今夜はそういうわけには」

「踊らない」


 さらりと言い放たれるが、今日はただの夜会ではなく舞踏会なのだ。たくさんの人と踊って当然のひとときである。


「カドリーユやリールは?」

「ワルツだけだ」

「……ジル様、そういうところ変わらないですね」

「変わるわけがない」

「言い切らないでください」


 あまりのブレなさにとうとう吹き出したフィオナに、ジャイルズも満更でもなさそうだ。

 笑い合いながら二人が階段を下りると、ホールには皆が揃って待っていた。

 華やいだ雰囲気の面々の中、父男爵だけが場違いな表情で立ち尽くしている。

 その顔に広がる驚きは、着飾った娘に対してか、朗らかな笑みを娘に向ける冷徹貴公子に対してか分からない。

 ともあれ、ジャイルズは父の正面に立った。


「フィオナ嬢をお連れします、男爵」

「あ、ああ。そうですな。どうぞ、よろしく……フィオナ、とても綺麗だよ。お前の母様も、喜んでいるだろうね」

「お父様……」


 深すぎる愛故にか、普段の父は母のことをあまり口にしない。なのに今、急にそんなことを言われるから、フィオナは思わず涙ぐみそうになる。

 ぱちぱちと瞬きでごまかすと、父を押しのけるようにして、レジナルドが前に出た。


「義兄さん、それじゃあまるで花嫁へ向けた言葉じゃないか」

「んなっ? そ、そんなことは……!?」


 叔父の軽口に、フィオナの涙も引っ込んだ。忙しく目頭と額を交互にハンカチを押し当てて父がよろよろと下がると、レジナルドはちらりとジャイルズを見た後に、にっこりとフィオナを眺める。


「うん、素敵だね。隣にいるのがこの彼っていうのがちょっと癪だけど、せっかくだから楽しんでおいで」

「はい、叔父様。行ってきます」


 目上の人物に対してひやひやするような口をきくレジナルドだが、言われたジャイルズはひとつも気にしていないように軽く頭を下げる。

 握手を交わすと叔父が間近に足を進めた。いつも通り頬に別れのキスが落ちそうになった、その時。


「行こうか」


(ひゃ!?)


 くるりと身を引かれて、フィオナはジャイルズの胸に納まる。

 全員があっけに取られているうちに、にこやかに出立の挨拶を済ませたジャイルズに手を引かれ、気付けば馬車に乗っていた。

 なにやら盛り上がる玄関ホールを小窓から遠くに眺めながら、家を後にしたのだった。







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