第56話 同じだけど同じじゃない
夕食の間も和やかで賑やかな会話は続き、叔父の旅先での出来事や、 フィオナが不在だったときの話に花が咲いた。
陰謀で失脚したサックウィル卿や王宮での拝謁のことよりも、贋作の出来具合や王弟殿下のバラのほうで場が盛り上がったのは、やはりフィオナの家族というところだろう。
そして、毎日のようにクレイバーン家を訪れていたノーマンのことも、セシリアによって何度も話題になった。
「それでね、お姉様。シナモンを入れ忘れたのに、ノーマンお兄様ったら最後まで気付かなくて」
「いつもと味が少し違うなぁとは思ったんだよ」
「本当に?」
「うん。でもおいしいからいいかなって」
きゃっきゃと楽しげなセシリアは、フィオナの帰宅と叔父の訪問で明らかにはしゃいでいる。
それを別にしても、普段と表面上は変わらないように見えるノーマンとのやりとりが、どこか今までとは違うようにフィオナには感じられた。
(同じなんだけど、同じじゃないというか……)
もともと仲は良かった。
セシリアがノーマンに好意を持っていることに疑いはなかったが、恋愛的な意味合いがあるかは本人にも自覚が無く、フィオナも確証は持てないでいた。
それにノーマンのほうも、友情と親愛という好意の範囲にとどまっていると感じていた。
だが今は、これまでのような兄妹的な親密さとは異なる、もう少しだけ近しい空気が二人の間にある気がする。
(私の不在がきっかけになったのなら、結果オーライっていうことでいいかな?)
これまではずっと三人で一緒だったが、二人だけで過ごすうちにお互いを見る意識が変わったのかもしれない。
具体的に進展があったわけではなさそうだが、それだけでもフィオナは大歓迎である。
だって、似合いの二人だとずっと思っていたのだ。
婚約の話が出てもなお友達の域を出ないフィオナとは違って、セシリアは小さい頃からいつだってノーマンが「特別気に掛ける女の子」だったから。
(素直に考えて、この二人が結婚したほうが自然なのよね)
病気がちな身体も平癒されてきているのだから、ノーマンの婿入り相手をセシリアとすることに支障はないはずだ。
それに今は健康そのもののフィオナだって、事故に遭ったり急な病にかかる可能性はある。
未来に絶対なんてない。
それなら、諸々の条件ではなく心が選んだ相手と一緒になったほうがいい――父と母がそうしたように。
父男爵も、二人が少し変わったことに感づいているらしい。
にこにこと見守りながらも瞳に不安気な色がたまに浮かぶのは、セシリアに早世した母を、そしてノーマンには妻を見送った自分を重ねてしまうからだろう。
それに、フィオナの扱いにも頭を悩ませているに違いない。
愛妻の忘れ形見である娘を二人とも、いつまでも手元においておきたいという父の気持ちも分かる。
だが自分に関しては諦めてほしいと、フィオナは親不孝ながら思ってしまう。
(婚約発表は未然に回避できたし、私はやっぱり叔父様と一緒に……)
自分の夢のためにも、領地のためにも。それが最適解だと、何度考えてもそう思う。
第一、フィオナはそのためにジャイルズと恋人のフリをしているのだ。
(ジャイルズ様だって、いつまでも結婚しないわけにはいかないのだし)
由緒ある伯爵家の嫡男が生涯独身を貫くのは難しい。
ジャイルズもフィオナには普通に接していられるのだから、なにがなんでも女性はすべてダメということでもないはずだ。
(今までは、苦手なタイプの女性にばかり縁があったってことよね)
地方の一男爵令嬢でしかないフィオナには未知の世界だが、ジャイルズと釣り合う家にはキャロライン嬢のようなタイプが多いのかもしれない。
だが、そんな令嬢たちばかりではない。
探せば、家格も容姿も性格もジャイルズに似合いの女性がいるに違いない。
――フィオナはただの、期間限定の契約相手だ。
頬に落とされた唇の感触や背中に回された手の温度がやけにリアルに蘇るけれど、今一度、本来の目的に立ち返る必要がある。
なのに、そう思う端から侯爵家でのあの晩や、歌劇場でのことまで次々に浮かんでしまう。
(~~っ、だから、あれはなんでもなくて、なにもなかったの!)
言い聞かせても、胸の音がやけに煩い。それはきっと、自分に恋愛的な経験値がない故だ。
どうにか顔に出さないようにしてグラスを手にすると、叔父と目が合う。
「フィオナ、どうかしたの?」
「な、なにが?」
「んー、なんとなく」
誤魔化すと、おどけたように肩を竦められてしまった。
軽い居心地の悪さを感じたまま食事は終わり、ノーマンはヘイズ家に帰っていった。
見送りから戻りながら、フィオナはセシリアに聞いてみる。
「ノーマンが帰っちゃって寂しい?」
「昨日までは、ちょっとだけ。でも今日は、お姉様も叔父様もいるもの!」
裏のない笑顔はセシリアの本心だろう。今はまだあどけなさがあるが、きっと成人を迎える頃には女性らしい表情に変わるに違いない。
フィオナが母代わりの役割をするのも、きっともうすぐお終いだ。
嬉しいような、寂しいような……不思議な予感がする。
「フィオナ、ちょっといいかい?」
はしゃぎ疲れたセシリアを休ませると、レジナルドに声を掛けられた。
父とハンスも自室に下がり、サロンはフィオナとレジナルドの二人だけ。
ソファーに座るかと思ったら、レジナルドは大窓を開きフィオナをポーチへと誘う。ついて出た表は夜の帳が下りており、空にはたくさんの星が輝いていた。
さら、と吹き抜ける風が気持ちいい。
レジナルドと並んで手すりに寄りかかりながら、フィオナが先に口火を切る。
気になっていたことがあったのだ。
「……叔父様。ジャイルズ様をギャラリーに呼んだのはどうして?」
描いた絵を持参してきたと言った叔父だが、この家には身の回り品だけ持って訪れていた。
「嵩張るから、駅まで迎えに来たロッシュに先に渡した」と聞いて、ずいぶんがっかりしたのはついさっきだ。
だから、明日ギャラリーへ荷を開封しに行くのを楽しみしているのだが、そこにジャイルズを呼んだ意図が分からない。
「ああ。絵を見せておこうかと思ったんだよ」
「叔父様がレイモンドだっていうことを教えるの?」
レジナルドの返事にフィオナは驚いた。
叔父が「画家レイモンド」だということは秘密で、知っているのは家族とロッシュくらい。ギャラリーの従業員にだって秘匿事項だ。
叔父が名や顔を伏せるのにはいくつかの理由があるのだが、特に貴族には教えたくないはずだ。
「さあ、どうかなあ。でもとりあえず、僕が『レイモンドの絵』を持ってきたっていうことだけは教えておこうかと思って」
「……?」
「僕の贋作が、フィオナと彼が付き合うきっかけになったって聞いたよ」
「それは、うん。多分そうだけど」
叔父は楽しげに斜め上を見て頭を揺らす。星を見ているのではなく、その仕草はなにか企んでいるときの癖だ。
フィオナやセシリアの誕生日プレゼントを隠しているときにもよく見るその動きで、それ以上は教えるつもりがないことが分かる。
「彼は秘密をペラペラ他人に話すような人?」
「違うわ」
レジナルドに問われてフィオナは言い切った。付き合いは長くないが、そういう人ではないと信じている。
「だよねえ。そんな奴だったら即交際終了をおすすめするよ」
即答したフィオナに満足そうに頷くと、レジナルドは上げていた顔を戻した。
「……ねえ、フィオナ。フィオナはどうしたい?」
「どうって?」
「今も僕と一緒に行きたい?」
表情も声もあくまでそのままで、視線だけに真剣さを滲ませてレジナルドはフィオナの目を見る。
自分より少し明るい琥珀の瞳に見つめられて、フィオナは一瞬言葉に詰まった。
頭を過るのは幼い頃から繰り返し聞いた、海を越えていった異国の風景だ。
――知らない土地、知らない建物。
様々な肌や髪の色。
耳慣れない言葉と音楽、バザールの熱気。
ドレスではなく軽やかで鮮やかな布を身に纏い、そこで過ごしている自分。
名を呼ばれて振り返る。手を伸ばした先にいるのは――
(……そんなわけない)
これまで
知らずぎゅっと握った手に、指輪の硬さが伝わってくる。
「……ええ。もちろん」
「そう」
浮かんだ人の面影に、心の内で首を振る。
フィオナの頭にぽんと手を乗せて、にこりと笑うレジナルドに、フィオナも笑顔を返した。
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