第48話 進む先、選ぶ道

 二人は通い慣れたロッシュのギャラリーに着く。

 王都にいる間は三日と空けずに来ていたフィオナには、やけに久々に思えた。

 ジャイルズと共に奥の部屋へ入ると、そこにはルドルフやデニスだけではなく、オーナーのロッシュとクレイバーンの爺やであるハンスも待っていた。


 ロッシュたちに会うのも久々だが、真っ先にフィオナの目に入ったのはルドルフだ。

 髪に櫛を通し、汚れた古着ではなく店の従業員と同じようなシャツにベスト、トラウザーズを着ていて、すっかり見違えた姿に目を見張る。


「あら……」

「な、なんだよっ」


 別人のようになった、とデニスから散々聞いていたが、百聞は一見にしかずとはまさにこのことだろう。

 呆気に取られるフィオナに、ロッシュたちはイタズラが成功したような表情で満足気にしている。

 一人不満そうなのは当のルドルフだ。


「すごく綺麗になったなあ、って思って」

「き、きれ……! そ、そっちだって、すんごい変わってんじゃねえかっ」

「こーら、ルドルフ。言葉」

「ふぎゅっ」


 綺麗、という褒め言葉は少年には気恥ずかしかったかもしれない。

 視線を揺らしながら紅潮したルドルフの頬を、デニスがむにゅんと摘まんだ。


「ひゃ、ひゃなしぇ」

「レディに食ってかからない、言葉遣いに気をつけるって散々約束したよな」

「ひひゃへふぉっ」

「いいのよデニス、放してあげて。不躾に眺めすぎてごめんなさいね、ルドルフ」

「ひゅえっ?」


 まさか貴族令嬢から謝罪の言葉を聞くとは思わなかったらしい。今度はルドルフが驚いた顔をして固まった。

 そんなルドルフにくすりと微笑んで、フィオナはロッシュたちのほうへ向き直る。


「オーナー、今回のことではご迷惑をおかけして」

「構いませんよ、お嬢様。聴取に立ち会ったり意見を求められたりなんて、滅多にあることじゃないですから興味深かったですし」

「そう言ってもらえると……じいやも、心配かけてごめんね」

「爺はフィオナ様がご無事であれば良いのです」


 シャンと背を伸ばしながらも、ハンスは久々に会った主家の令嬢に目を細める。

 頻繁に手紙を交わしていたとはいえ、お互いに積もる話もある。いくらでも話題は尽きないが、今日の目的はルドルフだ。


「では、早速始めようか」


 ジャイルズの声に、それぞれが席についた。

 事務室のソファーにフィオナはジャイルズと並んで掛け、対面にはルドルフが一人で座る。横に立つのはデニスだ。

 ハンスとロッシュが奥の机近くに控えたところで、ジャイルズが話し始める。


「まず。ルドルフに処罰が言い渡されたのは、贋作を制作した件についてだけだ」


 王太子廃嫡の計画も、詐欺という目的も知らされずに描かされていたということが認められて、ほかの罪には問われなかった。

 そう言われて、一同はほっと息を吐く。


「提示された処遇は、施設入所。そこで成人まで奉仕活動に勤しむこと。月に一度、担当官との面談と週に一度の報告文提出が必須だ」

「うえ……」


 心底嫌そうな顔をしたルドルフがデニスにちらりと睨まれて、盛大なため息と共に下を向く。

 これまで修復師の師匠の元、決して裕福ではないが自由に暮らしてきたルドルフだ。堅苦しい施設のルールに従い、規則正しい生活を見張り付きで数年以上というのはもはや投獄に等しい。

 奉仕活動という名の単純作業に明け暮れ、絵を描く機会は当然ないだろう。


 だが、代わりに多少の教育も受けられる。

 無罪放免という建前で身寄りのない子どもを路上に投げ出すことをしないだけ、むしろ同情的とも言えた。


「もう一案ある。そちらはフィオナから」

「はい」


 代案があることはルドルフに知らされていなかった。

 ジャイルズから促されて口を開くフィオナに、不安そうな目を向ける。


「ルドルフ、あなたが元の絵画修復の仕事に戻るのは難しい。それは分かるわね」

「……分かる」


 柔らかくはあるが真剣味を帯びたフィオナの声に、ルドルフは素直に頷く。


 修復師の仕事は傷んだ絵画の修復だ。無断で複製を作ることではない。

 しかし今回の件で、ルドルフは独り立ち前ながら、贋作を作れる修復師として認知されてしまった。


 つまり「修復のために預けた絵が、偽物とすり替えられるかもしれない」「知らぬ間に贋作を作られてしまうかもしれない」といった疑心を、顧客は常に持つということだ。


 やらないと誓ったところで、実際に事件になってしまった以上、その言葉はそう簡単に信じられることはない。

 画壇がどうこうしなくても、修復の依頼をする顧客はいないし、どこの工房もルドルフを受け入れないだろう。


 これまで、絵を描くことでルドルフは生きてきた。

 身寄りのない孤児だったルドルフが、親方に拾われてようやく身につけた技術が彼の拠り所で、唯一無二の活計になっている。

 まだ年は若いが、腕があるから生きていける。そんな自信があったからこそ、親方が亡くなっても気丈に前を向いていられた。


 それを取り上げられると思うと身がすくむ。

 たとえ、自分で描きたくて筆を取っていたわけでもなく、施設に入れば絵を描かなくても食べていけるとしても、だ。


「あなたの贋作はとても良くできていたわ。だからこそ……本物と偽物を区別できる人が少なければ、なおさら信用が大事なの」

「分かってるよ……」


 分かっていても、改めて言葉にすると重みが違う。

 ルドルフの人生の中で意味があるものといえば、絵だけだ。

 足元が崩れるような気持ちを必死に隠して待ったフィオナの次の言葉は、意外なものだった。


「ルドルフ。本当は、あの絵がよくないことに使われるって気づいていたでしょう。だから手を抜いたのよね」

「えっ?」


 驚きの声を上げたのはデニスだ。ジャイルズも意外そうな表情で、横にいるフィオナを見る。

 ルドルフは下を向いたままびくりと肩を振るわせて、膝の上でぎゅうと両の手の拳を握った。


「ベニヒワの赤も、ランメルトのグラデーションも、ほかの絵も。贋作だってバレるようにわざとしたわね?」

「……なんで、……」


 顔を下げたまま、ルドルフは上目でフィオナを窺う。

 その瞳は可哀想なほど揺れていて、指摘を認めたも同然だった。


 フィオナも、最初からそうと思ったわけではない。

 何枚か見ていくうちに、筆が乱れた箇所に作者のなんらかの意図があるのではないかと感じるようになった。


 ルドルフの腕ならば、全てを完璧に真似ることができただろう。

 だが、ぱっと見では気づかない部分に巧妙に隠して、でも明らかに「本物」ではありえない部分を作って――実際にゴードンは見逃した――それは、故意ではないかと思ったのだ。

「監禁状態への意趣返し」とジャイルズは前に言っていたが、それだけではなく、贋作に対する罪悪感や危機感があったのではないか、と。


「ああいった部分がなければもっと発覚は遅れたでしょうし、もしかしたら最後まで贋作だなんて気づかれなかったかもしれない」

「……そのことが分かっていれば」

「無理です、ジャイルズ様。事実は覆せません。どんな背景があっても関係ないのです」


 もっと減刑が叶い、無罪にもできたかもしれないと言いかけたジャイルズに、フィオナは首を振り、ロッシュも重々しく頷く。

 それに、とロッシュが同情を込めた目でルドルフを見た。


「それに、計画通りゴードンたちの企みが成功していたらもっと悪かったでしょうね。この子が解放されたのは、途中で贋作だとバレたからでしょう?」

「……じゃあ、バレなかったら」

「デニス。ああいう奴らの常套手段はあなたも知っているはずですよ。企みの進行中は不測の事態に備えて監禁、無事に終わったら口封じ。そういうことです」


 あっさりとロッシュに言われて、ルドルフ本人よりもデニスのほうが憤りをあらわにする。

 デニスは軍に長くいたが、大きな争いはない現在、国境での牽制と偵察が主な任務だ。市民との交戦はなく、特に子どもはいつでも守る対象としてのみ存在する。


「厳しいようだけど……修復師として絵筆を持つことも、贋作を描いたという事実を忘れることも許されません」

「……そんなこと、知ってたよ」


 フィオナの静かな断言に、膝の上で握り込まれたルドルフの拳にぽたりと雫が落ちる。

 ゴードンたちの話に顔を顰めたデニスがルドルフの頭の上にぽんと手を置いて、ますます涙が続いた。


 そんな、しんと重くなった空気を入れ替えるように、フィオナが明るく声を張る。


「だからね、ルドルフ。クレイバーンの領地に来ない?」

「え……?」


 思いもよらない提案にルドルフは顔を上げる。

 滲んだ視界の向こうで、フィオナが微笑んでいた。


「腕の良い時計職人がいるの。彼はスタンリーといって、小さい工房を一人で切り盛りしているわ」

「……時計?」

「頑固で偏屈で強面の、凄腕技師よ。あなたの師匠と似ているかもね」


 同じように面倒を見てあげてちょうだい、と軽やかに言うフィオナの顔を、ルドルフは涙の止まった目でまじまじと見つめた。


 完全な贋作にできるのに、しなかった。

 それが自分の生殺与奪を握るゴードンに対するギリギリの線での抵抗であり、職人としての矜持だったのだろう。

 そんなルドルフだから、フィオナはこの提案を思いついたのだ。


「絵画とは違うけど、器用さも活かせると思うし」

「それは……うん。嫌いじゃない」


 むしろ細かい作業は好きだ、とルドルフは頷く。ランプの部品やイーゼルの鎖なんかも、自分で何度も直したこともある、と。

 ほっとしたようにフィオナが頬を緩めた。


「スタンリーは愛想はないけど腕はあるから、いい品を手がけるわ。目が肥えて大変になるわよ、きっと」

「……面白そう、だな」


 目に生気が戻ったルドルフが呟く。

 また一から修行のやり直しだろう。

 それでも、ゴードンに連れてこられてから見えなくなっていた未来に、初めて明るさを感じた。

 そんなルドルフを、フィオナはなにかを重ねて向こうを見るようにした。


「修復師には戻してあげられないけれど……いつか……何年もしたあとで、もしあなたが自分自身の絵を描きたくなったら」


 誰かの絵を直すのではなく。

 修復師としてではなく、自分のために絵筆を取りたいと心から思ったら。


「その時は、ここに来ればいいわ」

「ここ?」

「ギャラリーにね」


 確かめるように見上げられて、代わりにロッシュが答える。


「言っておくけれど、査定も商談も甘くないよ。ゼンマイとネジにまみれても腕は落とさないように」

「絵も描ける時計技師って素敵ね?」


 楽しげに話を合わせるフィオナとロッシュをぽかんと口を開けて見て、ルドルフは慌てて首を振ると、ぐいと袖で乱暴に目元を拭った。


「……バッカじゃねえの。なんでオレみたいなガキにそこまでするんだよ。アンタたち、関係ないじゃん」

「ん? そうだなあ、大人の都合で振り回した罪滅ぼし、かな」

「大人がみんなゴードンみたいだと思われるのは嫌だわ」

「思わねえよ。……あんなヤツと一緒になんか、ぜってーしねえ」


 ようやくルドルフの顔に勝気な笑顔が浮かんだ。

 和んだ室内の雰囲気に、ハンスもほっと満足そうにしている。


「月に一度の面談はクレイバーンで。それと、報告文代わりに週に一度デニスに手紙を書いてね」

「は? なんでコイツに」

「あら、じゃあ、会ったこともない補佐官に書く?」

「……デニスでいい」

「おっ、偉そうだな?」

「わっ、や、やめっ!」


 デニスに今度は両手で髪をぐしゃぐしゃにかき混ぜられて、真っ赤な顔でルドルフがソファーの上を逃げようとする。

 部屋に満ちる楽しげな笑い声の中、視線を感じて見上げると、フィオナを見つめるジャイルズと目が合った。


「……よかったな」

「はい。ありがとうございます、ジャイルズ様」


 肩の荷を下ろした気分で微笑み合って。

 シーズンが終わってフィオナたちが領地に戻るときに、ルドルフも一緒にクレイバーンの地へ行くことが決まった。








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