第74話 褒賞の使い道

 食事が済み、使用人が食器を片付け始めると、家令のモーリスがやってきて来客を告げる。

 ジャイルズに驚いた様子はないから、前もって知っていたか予想の付く相手なのだろう。


「差し支えなければこちらにご案内させていただければ、と」

「私は構いません」


 ジャイルズが拒まない以上、フィオナが断わる理由もない。

 まもなく二人の前に現れたのは、大きな花束を抱えたリチャードだった。


「やあ、ミス・クレイバーン。元気になったようだね」

「ラッセル卿!」

「ああ、そのままで。お見舞いには遅いけれど、これ」


 立ち上がって挨拶しようとするフィオナの動きを遮るように、膝の上にぽすんと花束が置かれた。


「ありがとうございます。とても綺麗です」


 色とりどりの花のブーケは贈り主と同じくらい華やかだ。

 もうしばらく眺めていたい気もしたが、気を利かせたもモーリスが「お部屋に飾っておきます」と如才なく持って行ってくれた。

 茶の支度が終わった使用人も下がると、ガゼボには三人だけが残される。


「私、ラッセル卿に御礼を」

「うん? 特別に感謝されることはなにもしていないよ」


 舞踏会でのことを話し始めたフィオナに向って、リチャードはとぼけるように両手を上げて遮った。


「ああでも、約束したダンスが踊れなかったお詫びなら喜んで受けるけれど」

「急に具合が悪くなったのはフィオナの責任ではないだろう。縁がなかったと思って諦めろ」

「そうなんだけど、まあ、俺が残念だったということで」


 ――つまり、フィオナは舞踏会の途中で体調を崩して控え室で休んでいただけだし、リチャードは花火の時間を早まらせて客たちを煙に巻いたりしていない。

 そういうことにしておけ、という意味だ。


(……この先も他言無用ということね)


 徹底した割り切りは彼らの処世に必要なものだろう。リチャードは鮮やかな青い瞳を片方、ぱちんと瞑る。


「だから謝罪も感謝も必要ないんだけど、次の機会には必ず一曲付き合ってもらうよ」

「はい。お約束します」


 くすりと笑って素直に承諾すると、リチャードは勝ち誇ったような笑みをフィオナの隣のジャイルズに向けた。


「というわけだから、その時は邪魔するなよ」

「さあ、どうかな」

「うわっ、心狭いな!」


 快活な笑い声が花の庭に響く。使用人は会話の届かないところまで下がっているが、ガゼボの朗らかな雰囲気にそっと頬を緩めたようだった。


「ま、それはそういうことで。本題はこっち、事務官から興味深い話を聞いてね。ミス・クレイバーン、褒賞の使い道として研究者の派遣を依頼したんだって?」


 カップを傾けながら切り出された話に、フィオナはぱっと表情を明るくした。


「よかった! ラッセル卿の耳に入ったということは、申請は受理されたのですね」

「その話は私も聞いた。あの褒賞はフィオナ個人の資産にするか、そうでなければ領地での工事費用に充てると思っていたが」


 喜ぶフィオナとは反対に、リチャードとジャイルズは疑問があるらしい。


「そんな。あの額を個人のものにだなんて、とてもできません。でも工事費用にとは考えました」


 話題に上がったのは、国王陛下に拝謁して賜った褒賞の使い道のことだ。

 記念の品のほかに下賜された褒賞は予想外に高額で、フィオナは王宮で言い渡されたときに顔を伏せたまま耳を疑い目を剥いたことを思い出す。


 褒賞をそのままクレイバーン領で行われている河川工事の費用に充填すれば、全額とはいかないまでもヘイズ家への借りは限りなく小さくなる。つまり、ノーマンとの結婚を堂々と回避できるのだ。

 だがフィオナはそうしなかった。

 結婚をしたくなくてジャイルズと恋人の芝居を決めたはずなのに、と疑問を感じて当然だろう。


「あ、考えることは考えたんだね。理由を聞いてもいいかい?」

「もちろんです、ラッセル卿。ジル様には前に少しお話ししましたが、クレイバーンとヘイズの領地境にある川は度々問題が起こります。今の工事が済んだからといって、この先ずっと安全という保証はありません」

「あー、それはそうだろうね」


 未来は誰も予知できない。フィオナの祖父が子どもの時代にも、似たような原因で大きな被害を受けたと聞いている。

 自然の営みは、文句を付けてもどうしようもないことではあるが――


「でも、そのクレイバーンの領地にこれからも人は住み続けるのです」


 二人の顔を交互に見るフィオナの視線は、遠く故郷の領地を思い出しているようだ。


「今回の工事費用は一応、工面できています。それならば、あの土地をこの先どう整備し保全をしていけば、この先の被害を最小限に抑えることができるかを知ることにお金を使うのがいいと思ったのです」


 それには知識と経験が必要だ。クレイバーンの領地には高等な学問を修める学校や研究所はなく、いるのは河川や土木に親しんだ大工や工事人くらい。

 王立の大学院では、技術が進んでいる隣国から地質や土地改良の研究者を教授として招いているとアカデミーのリスターから聞いたことがあった。


「ですので、そういった方に領地に来てもらって、助言をいただけたら、と」


 今だけではなく将来を見据えたフィオナの言い分に、ジャイルズは瞠目する。クレイバーン男爵も同意したというが、同じように感心しただろう。


「なるほど……だが、それで良いのか?」


 婚姻を前提にした借金が残ることには変わりない。軽く首を傾げるジャイルズにフィオナは困ったように笑った。


「実はヘイズ家との貸し借りは、残っていたほうがいいような気がして」


 父の口からはっきり聞いたわけではないが、フィオナとノーマンの婚姻自体は諦めたようだ。

 だが、ノーマンがクレイバーンを継ぐのは決定事項である。そこまで言えば、ジャイルズにもフィオナの本意が伝わった。


「ではセシリア嬢がノーマンの相手に?」

「はい。そうなると思います」


 姉であるフィオナの目から見てもセシリアとノーマンは似合いだし、お互い惹かれ合っていると思う。

 しかし二人の性格からして、どちらかが自発的にリードして婚約を結ぶ流れにはならないだろうという長年の付き合いによる確信もある。


 幼いころから伏せがちだったセシリアが世間知らずなのは間違いないが、根はしっかり者である。とはいえ、自己評価は高くなく、将来への希望といったものも多くない。

 我慢すること、諦めることに慣れすぎているセシリアが、いくら惹かれている相手とでも結婚に積極的になるのはきっと難しい。

 だがそこに「縁組みをする理由」があれば話は別だ。


「あの子には、なにかがあったほうが受け入れやすいでしょうから」

「そのために借金を残すことにしたのか」

「ええ。ヘイズからの持参金という扱いになれば、どちらの領にも損はありませんし。妹も来年には成人です。婚約期間を一年くらい設けて、世事に慣れれば大丈夫じゃないかな、と」


 もともと父は、フィオナとノーマンを結婚させて、セシリアは未婚のまま家で面倒を見続けるつもりだったようだ。だが、成人後のその立場は「居候」とみなされる。

 フィオナたちがセシリアを蔑ろにすることはありえないが、外から言われて、セシリアが肩身の狭い思いを抱くのはまったく嬉しくない。


 領民たちも、領主の病弱な末娘にはなにかと心を寄せてくれている。ならば、次期領主がセシリアの夫であるほうが皆が安心もするし、話もスムーズにまとまるだろう。

 ひるがえって、お転婆で鳴らした姉のフィオナは「どこにいっても大丈夫だろう」という謎の信頼を得ている。

 領地を旅立つときも笑顔で送り出してくれること間違いなしだ。

 ジャイルズは納得したようで顎に手を当てて頷く。


「だけどね、生物学者も呼んでいるのはどうして?」


 リチャードは面白そうに瞳を細めながら、もう一つの疑問を口にする。


「不思議ですか? だって、治水工事で氾濫はなくなったけど魚もいなくなった、では嫌ですよね」

「ははぁ。やっぱり面白いこと考えるね、ミス・クレイバーン」


 水害を抑えるためになら何をしても良い、とは思えない。フィオナはあの川に住む、魚や水草の豊かな環境を大きく変えたくはなかった。


「そうでしょうか。住んでいる人の意見は大事ですから」

「それで魚に話を聞こうというわけか」

「ええ、ジル様。魚に言葉が通じればよかったのですが無理なので、生物学の先生にお願いしようと」

「あっははは、言葉って! うん、分かった! いま適任者を選定中だそうだから、近いうちにクレイバーン男爵宛てに知らせが届くと思うよ。もし彼らの実績や人柄について不安があれば、いつでも俺に聞きにおいで」

「ありがとうございます。その時はお願いします」


(そんなに妙だったかな……?)


 父に話したときも不思議そうな顔をされたなと思いつつも、希望がそのまま通ったらしいことにフィオナは喜びを隠せない。

 国が招聘した教授たちは多忙だろうから、その弟子が来るのが精一杯だろうと思ったが、どうやら研究者たち本人が複数調査に来てもらえる方向で調整中だという。

 そのことにも手放しで喜んでいると、モーリスがまたそっと訪れてジャイルズに耳打ちをした。


「すまない、少し席を外す」

「ごゆっくりー」

「……リック」

「はいはい。こっちは心配するなって」


 後ろを少し気にしたジャイルズの背中が見えなくなると、また笑いを堪えていたリチャードがとうとう吹き出した。


「っくくっ、ジルってば分かりやすい。ねえ、ミス・クレイバーン。あいつと一緒にいて疲れない?」

「え? いいえ、そんなことは」

「そう? だってずーっと枕元に付いてたって聞いてるよ。事情が事情だから心配するのは仕方ないかもだけど、さすがに重たいでしょ」


 寝込んでいた時のことだろう。

 だが、ジャイルズの親身すぎるともいえる看病は、フィオナ自身にも覚えのあるものだった。






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