第2話 そもそもの発端

 時は少し遡り、二人の出会いとされる祝賀会の晩のこと。

 貴族たちが皆王宮に集まって王太子の第一子誕生を祝した会は、大変な賑わいを見せていた。


 まだ一歳にも満たない王子殿下のお披露目は一瞬で、あとは通常の夜会と変わらない。

 とはいえ、王家が主宰で会場も王宮なだけあって、饗される食事や出席者の装いは一段も二段も違っていた。


 華やかな人々がさんざめく中、大広間を抜け出して庭園へと向かう者もいる。

 大庭園のみならず、普段は入れない小庭園も今夜は特別に開放されている。数多く置かれたランタンに夜の庭は明るく照らされ、常とは異なる美しさだった。


 小庭園といえども、王都の貴族邸タウンハウスのメインガーデンよりずっと広い。外での会話も楽しめるように、とベンチやテーブルも置いてある。

 もちろん警備兵もいるし、使用人たちも飲み物を持って回っていて、夜間とはいえ不用心なこともない。

 多くの若い女性も夜の庭園風景や会話を楽しんでいた。


 その中に、シンメトリーに配置された美しい花壇を眺めるでも、凝った噴水に視線を向けるでもなく足を進める、一人の令嬢の姿があった。


「はあ……ちっとも楽しくない」


 伏し目がちにため息を吐くのは、父と一緒にこの祝賀の会へとやって来た、フィオナ・クレイバーン男爵令嬢だ。


 無難なドレスに最低限のアクセサリー。半分閉じた扇で口元を隠す所作には品があるが、くすんだ金髪も琥珀色の瞳もこの国ではよくある色合いだ。

 身長も平均的で顔立ちも平凡とくれば、すれ違った程度では全く印象に残らない。


 きらびやかな周囲にすっかり霞みながら歩くフィオナは、悩みを抱えていた。

 事情は深刻なうえに、非常にプライベートな事柄である。

 親友のオルガにも詳しくは話せないし、仲の良い妹にはなおさらで、一人で悶々としていたのだった。


(気分転換になると思ったけど、ダメね)


 一介の男爵令嬢の身では、王宮など滅多に来られる場所ではない。

 美しい宮殿で、絵画や彫刻などの綺麗なものに囲まれれば少しは気も上向くかと期待したのだが、なにを見ても心から楽しむことはできなかった。


 ダンスでは相手の幼なじみの足を踏んでしまったし、友人たちと会話をしても上の空。

 これではよろしくない。

 知り合いとの歓談を始めた父に「庭を見に行く」と耳打ちして、賑やかな大広間を後にしたのだった。


 そうして静寂を求めて来た小庭園だったのに、予想に反して人が多い。これではまるで祭日の広場のようだ。

 楽し気に浮かれる人々の中、一人だけ陰気くさい気分でいると思うとますます気が滅入る。

 ふう、と息を吐くと、フィオナは少しでも人の少ないほうへと足を進めた。


(……婚約発表のパーティーまで、あと二週間かあ)


 フィオナの目下の悩みは、幼なじみのノーマンと自分の婚約が、水面下で進められていることだ。


 事の発端は、フィオナのクレイバーン家とノーマンのヘイズ家の領地境にある川が、豪雨で氾濫したことによる。

 橋も流されてしまった河川周辺の補修には、巨額の費用が必要だ。

 遠縁でもあり領地も隣同士だが、資産家のヘイズ男爵家と、細々と領地運営をしているクレイバーン男爵家では、負担の影響は天と地ほどの差がある。


 拠出に対する話し合いの結果、ヘイズ家がかなりの割合を持ってくれることになったのだが――フィオナとセシリアの姉妹しかいないクレイバーン家に、ノーマンが婿入りし、後を継ぐことも同時に決まったのだ。


 そのことは、父とヘイズ男爵の間だけの話で、まだ自分は聞かされていない。

 フィオナが知ったのは偶然、父たちの会話を聞いてしまったからだ。


『二人は仲も良いですし』

『そうですな。いや、はねっかえりな娘ですが』

『いやいや。息子は末子のせいか妻が甘やかしましてね。ご存知の通り少し頼りないところがありますから、かえってフィオナ嬢くらいのほうが』


 薄く開いた扉の向こうから聞こえる朗らかな会話に、フィオナは耳を疑った。手にしていた書類の束を落とさないで済んだのは奇跡だろう。


(友達だもの、ノーマンと仲がいいのは当然で……でも私、まだ結婚なんて!)


 フィオナの十八歳という年齢が結婚に早いということはない。

 むしろ婚約者を持つには遅いほどだ。


 だが、フィオナは令嬢には珍しく、仕事をしている。叔父の手伝いではあるが、自らの意思で働いているのだ。

 末端の男爵家とはいえ、貴族の妻が表立って働くのは外聞がよろしくない。今は父も黙認してくれているが、結婚などしたら即、辞めさせられるに決まっていた。


(仕事は辞めたくないし、それに、ノーマンと結婚? ……無理。想像できない)


 物心つく前から泥だらけになって一緒に遊んだノーマンは、異性といっても限りなく家族に近い存在だ。

 実際には向こうが一つ年上だが、弟のようにさえ思っているし、遠慮なく言い合いもする。

 父たちの目には似合いだと映ったらしいが、そういう意味で仲が良いわけではない。


『では、婚約発表はシーズンが始まってから王都で』

『ははは、フィオナには内緒にして当日驚かせてやりましょう!』


(おじ様にお父様! そんなサプライズいらなーい!!)


 フィオナは叫びそうになった声をぐっとのみ込んだ。

 今、飛び出していったら「照れなくてもいい」などと勘違いを増加させるのがオチだ。

 むしろ、知られてしまったのならいっそ、と予定を早められてしまう可能性のほうが高い。


 フィオナが喜ぶに違いないと思い込んでいる父たちに罪はない。

 ないのだが……これはいけない。

 ふらふらと一階に降りて、行儀悪く階段に腰を下ろすと、フィオナはぐったりと頭を抱えた。


(……ノーマンに確認しないと)


 あまり長く悩むのは性に合わない。

 さっと立ち上がると、父のヘイズ男爵と一緒にクレイバーン家を訪れているノーマンを探した。

 まあ、探すまでもなく、妹セシリアに付き合って庭の花壇にいるのを発見したのだが。


「ノーマン、ちょっと来て!」

「わっ、フィオナ!? 驚かすなよ」

「いいから! セシリア、ちょっとこの人借りるわね」

「お、お姉様?」


 目を丸くしたまま頷く妹が見えなくなるところまで、ノーマンを引っ張っていく。

 ブツブツ文句を言いつつも、ノーマンがフィオナの手を振りほどかないのは友達だからだ。

 自分に恋をしているからでは決してない。

 庭の端の楡の木の近くでようやく足を止めたフィオナに、ノーマンはおっとりと尋ねる。


「なにかあったのかい?」

「困ったことを聞いたの!」


 きょとんとしてフィオナを見る、ノーマンの容姿は客観的に言って悪くない。

 少し癖のある明るい金髪に、透明感のあるブラウンの瞳。華やかな色合いとは裏腹に人畜無害な雰囲気は、なんというか、気のいい大型犬のようだ。

 なんの疑いもない様子でフィオナの言葉を待つノーマンに、直球で問いかけた。


「あのね、ノーマンと私を結婚させるって話があるらしいの。知ってる?」

「ああ、やっぱりそうなった?」


 あっけらかんとした返事に、フィオナの口がぽかんと開いてしまった。

 のんびりと肯定するノーマンの腕をつかんで、ゆさゆさと揺する。


「は、はあ!? 知ってたのっ? このままじゃノーマン、あなた私と結婚することになるのよ!?」

「フィオナこそ知らなかったの?」


 逆に問われてフィオナは狼狽える。

 しかたないな、と言いたげな笑顔で、ノーマンはフィオナが掴んだ腕をやんわりと外した。


「僕ばっかりがここに来る理由とか、おじさんについて回っている理由とか。考えたこと、なかった?」

「……え?」


 たしかに、頻繁に遊びに来るのはいつもノーマンだけで、彼の兄たちは滅多に来ない。

 しかもここしばらくは、ノーマンは父の秘書のようなこともするようになっていた――領地内の視察や、近隣の領主たちとの会合に同行したり、だ。


「うちは姉妹だけだから、ノーマンがクレイバーンの跡目を継ぐんだろうなとは思っていたけれど……け、結婚までついてくるとは思わないわ!」

「僕もそう思ってたんだけど、どうやら違うみたいだねえ」

「えっ、そんな、ええ……」


 おろおろするフィオナと対照的に、ノーマンは表情も口調も普段となんら変わりない。


「僕は別にフィオナでいいけど。気も使わないし」

「今までだって、ノーマンに気を使われた記憶はないけど」

「僕もフィオナから気を使われたことはない気がするなあ」


 のほほんと返されても、いつものようには一緒に笑えない。むう、と口を尖らせると、余計に笑われてしまった。


「まあ、大丈夫なんじゃない? 僕がここに住むようになるだけで、今までと変わらないよ」


 それはそうだ。物心つく前からの幼なじみであり、遠縁の親戚だ。

 むしろすでに身内なのだ。

 だからこそ、改めて「夫婦」としては……フィオナには難しい気がする。


「……ノーマン、好きな人はいないの?」

「どうだろ、考えたことなかったな。でも、フィオナだっていないよね」


 断言されてしまい、ぐっと反論を飲み込んでフィオナは頭を抱えた。


「あー、もう! 川のせいでこんなことに」

「え? それは違うよ、フィオナ。来年になったら、レジー叔父さんと一緒に外国に行くって言ってるでしょう? 工事云々より、そっちを心配されてるんだよ」

「え」


 フィオナが仕事を手伝っている叔父のレジナルドは、外国と自国を行き来して暮らしている。

 さまざまな国の土産話を聞いて育ったフィオナが、実際にこの目で見たくなるのは自然の流れだ。


 叔父とは既に話がついていて、三歳下のセシリアが成人したら、と約束している。

 だからフィオナは、来年を指折り数えていた。


「結婚すれば、ずっとここにいるからって言ってさ。ほら、おばさんのことがあるから、心配なんじゃないかな」


 ノーマンは少し言いにくそうに、声のトーンを下げた。

 フィオナの母は、妹のセシリアを産んだ翌年に亡くなっている。もとから体が弱く、産後の経過も思わしくなかったのだ。

 

 姿だけでなく体質まで父似のフィオナは、風邪も滅多に引かないほど健康だ。

 ゆえに、母の死と自分の行動を重ねて考えることもしなかったし、母の弟である叔父もなにも言わなかった。


 だが、父は違ったらしい。


「で、でも、お父様も行っていいって……」

「そりゃあね『領地のためにも』ってお願いされたら、そう言うしかないと思うよ」


 フィオナが旅をして回りたいのは、なにも叔父の手伝いと観光だけが目的ではなく、自領のためでもある。

 クレイバーン領は、景色は素朴で美しく、人も穏やかないい土地だ。しかし、これといった資源も観光名所も特産品もない。

 おかげでいつも経済状態はカツカツだ。


 診療所や学校に先生を呼ぶにも、新しい品種の野菜を作付けするにも資金が必要だ。今回のように不慮の災害が起こる場合もある。

 どうにか領地に財源を作りたい――そのためにも、いろいろな土地を見て回り、なにかヒントを見つけられればと考えているのだ。

 そう訴えるフィオナに、少し困った顔をしながらも父は頷いてくれたのだが。


「本当はさ、行かせたくないんだよ」


 自領の活性化は常に課題だし、申し出自体は領主としてむしろ歓迎すべきだろう。

 だが、もし異国の地で事故に遭ったり、病気にでもなったらと思うと気が気ではない。どうしても心配だ――そうぼやいていたと、ノーマンはフィオナにこっそり打ち明ける。


「実はね、ヘイズからの助けがなくても費用の工面はできたんだ。被害規模と工事の内容からいって、財務院に融資の申請もできるしね。だから僕との結婚が付いてきたのは、どっちかっていうとフィオナのせい」

「そ、そんなあ!」


 急な結婚話の原因の一端が自分にあると知って、フィオナは愕然としたのだった。







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