第95話 深夜の報告
(時系列は本編68話「対峙の時(下)」の後、離宮から画廊に戻ったデニス視点)
・・・・・・・
離宮へ向かったデニスがロッシュのギャラリーに戻ったのは、深夜もかなり回ってからだった。
「ルドルフ?」
「なんだよ、オレがいたら都合悪いのか」
「『悪いのか』って、お前……もう夜中だぞ」
オーナーのロッシュだけでなくルドルフにも出迎えられて、デニスは驚く。
夜更かしを咎められても悪びれずにこちらを見上げてくるルドルフの横では、ロッシュが苦笑を浮かべていた。
「先に寝ろって何度か言ったんだけどね」
「だってデニスたちがなかなか戻ってこないから。そんなん、向こうでなにかあったんじゃないかって思うだろ」
言いながら、ルドルフは気まずそうに眉を寄せる。
自分が関わったことの顛末が気になるのは理解できる。それに実際「なにか」はあった――しかも、かなりの
(子どもにはあまり聞かせたくない内容なんだけどなあ)
「だいたい、なんで濡れてるのさ」
「え、あ、これはちょっと」
「やっぱりなんかあったんだろ。それならますますオレにも聞かせろよ」
湖に落ちたフィオナをボートに引き上げるとき、レジナルドほどではないがデニスも水飛沫を被った。だいぶ乾いた染みを、ルドルフは見逃さなかったらしい。
湿って色の変わったところのあるジャケットに、ロッシュも眼鏡の向こうで目を細くする。
「デニス、説明を」
「は、はい」
結局そのまま、三人で事務室のソファーに落ち着いた。
一応、ルドルフには聞き終わったらすぐ寝ることを約束させて、デニスは離宮でのことを話し始める。
今夜の舞踏会の出席者は高位貴族ばかり。招待状もなく突然押しかけたデニスとレジナルドは、当然すんなりと通されることはなかった。
緊急の用がある、伝言だけと頼んでも、男爵家三男程度のデニスの言うことなど取り合ってもらえない。
苛立ちを募らせるレジナルドを宥めつつ門兵と押し問答をしているところに、偶然リチャードが現れた。
「それで、ようやく中に入れたのですが……」
門兵を取り成してくれたリチャードから、キャロラインに連れて行かれたフィオナの行方が分からなくなり、探していると聞いて青ざめる。
ゴードンとキャロラインが共謀していた可能性を伝えるために走ったのだが、事態は悪い方向に進んでしまっていて――結果的に、フィオナは危害を加えられた。
「……二階の窓から湖に? なんてことだ……」
「運良く僕たちが近くにいたので、すぐに救助はできたのですが」
ルドルフの反応を気にしながらも正直に伝えると、嫌な予感が当たってしまったとロッシュが盛大にため息を吐いて額を押さえる。
「デニスがここにいるっていうことは、お嬢様は無事なんだよな?」
「はい。手当は済みましたし、重篤な症状は今のところ見当たらないということです」
「そうか」
手放しで喜べる状態ではないが、湖に落とされたフィオナを迅速に救助できたのは、あのタイミングでデニスとレジナルドが到着したからだ。
離宮に行ったことが無駄ではなかったと、それだけは良かったと思う。
「フィオナさんの意識はまだ戻っていませんが、これは時間を待つしかないそうです。ただ、相手は刃物を持っていたようで」
「は?」
「振り下ろされるのを防ごうとしたんでしょう。手にですね、こう、切り傷が……」
手のひらを示しながらのデニスの話に、ルドルフも顔をしかめる。
救助したばかりの湖上は暗くて気がつかなかったが、フィオナは両手に傷を負っていた。
岸に着いてから出血が明らかになって、それを見たジャイルズはさらに蒼白になった。
自分が刺されたかのような顔色の悪さで、さすがにレジナルドも口から出かけた糾弾を引っ込めたくらいだ。
だが、そこまで動揺しながらもジャイルズは的確に指示を出し、人目につかないルートで迅速にフィオナを医師のもとへ搬送した。
関わる人間を最小限に抑えるため、看護師の代わりに姉であるミランダを内密に呼ぶなど、醜聞対策も抜かりない。
フィオナが治療を受けている間、ジャイルズは事態の収拾に向けて王太子たちと段取りをつける一方で、まだ見つかっていないゴードンの捜索も開始させていた。
リチャードに引き継ぐまで手際よく采配をとった彼は、傍からはいつもと同じように見えたはず。
しかしその瞳には、言いようのない焦りと悲壮感が色濃く浮かんでいた。
「あのさ……ケガ、酷いのか?」
神妙な表情で自分の手をじっと眺めたルドルフが、おずおずと訊いてくる。
修復師の弟子であり、これからは時計技師の弟子となるルドルフにとって、手の怪我は死活問題でもある。自分に置き換えて想像して、薄ら寒くなったようだ。
(実際、まだ意識が戻っていないし、傷も軽いとは言えないけど……)
後遺症は残らないと思われるが、注意深く経過を見守る必要があるという医師からの説明をデニスも聞いた。
ルドルフは、自分の情報が遅かったせいだと責任を感じているようだ。だが、悪いのはルドルフではないとフィオナなら言うだろう。
安心させるように、デニスは金の髪をくしゃりとかき混ぜてやる。
「大丈夫だ、国一番の医師がついている。きっとすぐに目も覚ますよ」
「一番の……っていうと筆頭医師のマイヤー氏か? それは安心だ」
「ええ、本当に。不幸中の幸いでした」
フィオナを診ているのは、平民のロッシュでも名を知っているほど高名な老医師だ。王族の顧問医で、人柄も腕も信用できる。
そんな人物が、舞踏会の救急医として控えていたことは救いだったろう。
「だとすると、レジーはまだ
「あ、いえ。コレット侯爵夫人がフィオナさんに付いてくださるというので、一緒に戻って来たんです。僕だけここで降ろして、レジナルドさんはそのままクレイバーン家に向かいました」
「ああ、ご家族にも知らせないと、か」
クレイバーン男爵は、出かけた娘の帰りを待たずに先に休むような父親ではない。
帰りの遅いフィオナのことを、きっとハンスと一緒になって気を揉んでいるだろう。伝えることで余計不安になるかもしれないが、隠していることはできない。
「そうなると……レジーは男爵になんて報告するかな」
「あー……」
ロッシュの呟きにデニスも思いを巡らす。
短時間とはいえフィオナと離れたのは王太子に呼ばれたからだし、離宮にゴードンがいたこともジャイルズの責任ではない。
けれど、そもそもフィオナは今夜の舞踏会に行く必要はなかったという大前提がある。不可抗力とはいえ、エスコート役を全うできなかったのは連れて行ったジャイルズの落ち度だ。
(帰りの馬車のレジナルドさん、静かすぎて怖かったな……)
いつもの明るく飄々とした態度はどこへやら。レジナルドはじっと黙り込んで冷気を発しており、デニスが話しかけても空返事をするだけで明らかに不機嫌だった。
レジナルドはもとからジャイルズへの不満を公言してはばからない。短い付き合いだが、
交際どころか、即刻縁を切って面会すら禁止するよう男爵に進言しておかしくない。
(……そうなったら)
せっかく最近ご無沙汰になった「冷徹貴公子」が再来することは間違いない。いや、
従軍事代のジャイルズ――しかも輪をかけて近づきがたい――を想像して、デニスはぶるりと震える。
「な、なんとか穏便に済ませてくれると、僕としては嬉しいのですが!」
「同感だが、こればっかりはなあ。あのレジーだし、ほかの誰でもないお嬢様が被害者だし」
デニスよりもレジナルドをよく知るロッシュは、諦め気味に肩をすくめた。
「いやでも、そこをなんとか――」
「なあ、それって、あの兄ちゃんがお嬢サマにフラれるってことか?」
「ルドルフ! 縁起でもない!」
不穏なことを言い出したルドルフに顔を向けると、しれっと不思議そうに首を傾げられる。
「なんでさ。デニスが励ましたらいいだけじゃん。部下だったんだろ」
「で、できるわけないだろっ?」
ぶんぶんと首を横に振るデニスの肩に、ロッシュがポンと手を置いた。
「いや、もしもの時は頼むぞデニス。うちの店もまだローウェル卿にご贔屓にしていただきたいし」
「オーナーまで、そんな無茶なことを!? 無理ですって!」
「成せば成る」
「がんばれー」
「酷い棒読み! 他人事だと思って、二人とも!」
フィオナが一刻も早く目を覚ますことと、ついでにレジナルドを取り成してくれることをデニスは強く願ったのだった。
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お読みいただきありがとうございます。
2024/12/24、ノベル第3巻『運命の恋人は期限付き 薔薇の秘密と舞踏会の巻』が配信になりました。
いつも応援してくださる皆様、本当にありがとうございます!
3巻も篁ふみ先生がイラストを担当してくださいました。美しい挿画とともにお楽しみいただければ嬉しいです。
運命の恋人は期限付き 小鳩子鈴 @k-kosuzu
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