第6話 少女戦士と冒険の旅(後篇)

 賑やかな夕食を終え、瑛斗は宿屋の裏手にいた。

 手頃な空き地をそこに見つけて、腹ごなしに剣の素振りをしに来たのだ。


 煉瓦造りの高い塀に囲まれたこの広い空地は、かつて貴族か豪商の邸宅であった場所だろうか。持ち主を失ったであろう建物は崩れかけ、すっかり廃墟となっている。

 ここならば、瑛斗の不自然なほど巨大な片手半剣バスタードソードを振り回しても、そう目立つことはあるまい。そう考えてこの場所を今日の修練場所と決めたのだ。

 アーデライードは暫くの間、二階に割り当てられた宿屋の部屋の窓から、窓枠に肘を掛けて退屈そうに様子を覗いていた。だが特に何もなさそうだと感じたのか、今はもう顔を引っ込めている。きっと今頃は、大好きな読書に没頭していることであろう。


「小柄な身体でその力……あなた一体何者なの?」


 片手半剣バスタードソードを軽々と振う瑛斗の背中へ、聞き覚えのある声がかかった。振り返らずとも間違いはない。そこには赤髪の少女・チルダが立っていた。


「今日は背中からよく声をかけられる」

「ごめんね。素振りしてる姿が見えたから、つい」


 そう言ってチルダは二階の窓を指差した。彼女の部屋はアーデライードの隣の部屋。なるほど、高い塀に囲まれたこの敷地内を見るに適した場所の一つだろう。

 赤い髪を揺らしながら廃墟の門をくぐって近寄ると、崩れかけたレンガ積みの建物外壁へ飛び乗って腰かけた。慣れた様子で、軽快な身のこなしだ。


「へぇ……身軽なんだな」

「軽々と巨大な剣を振り回す、あなたの方がどうかしてるわ」


 妙な所で感心する瑛斗に、チルダは呆れ顔でそう言った。


 自分の身の丈ほどある豪剣を悠々と振り回して戦う瑛斗。これに対してチルダが感じている疑問。実を言えば、この尋常ではない力には秘密がある。


 瑛斗にとって異世界の物質は、物質の構成そのものが現実世界とどこか違うようで、大抵の物品は見た目や実際の質量よりも、だいぶ軽く感じられることが多いのだ。

 身の丈近い巨大な片手半剣バスタードソードを選択したのも、これが一番しっくりくる重さだったからである。他の片手剣ワンハンデットソードは、丸めた新聞紙程度の重さにしか感じられず、力加減が難しかったのだ。


 身のこなしも同様で、現実世界に比べてかなり身軽に立ち回ることができる。

 それについて爺ちゃんはよく「月にいるようだった」と言っていた。当然、爺ちゃんは月へ行ったことがないわけだから、あくまで例え話でしかない。もしも本当に月面と同様なら、何もかもが六分の一程度の重さになるだろう。だがそこまでの軽さでも、ましてや重力のせいでもないのは明らかだ。


 ただ漠然と、だがはっきりと分かっていることは、現実世界よりも異世界の方が膂力りょりょくや俊敏性、跳躍力に於いて有利だ、ということだ。

 物によっては、硬度も非常に柔らかい場合がある。異世界へ来たばかりの頃は、これらの見分けをつけるのに、かなり戸惑ったものだった。


 このことについてアーデライードは常々「異世界人の特性を上手く生かしなさい」と瑛斗に口酸っぱく言ってくる。つまりは「身体能力の優位性アドバンテージを最大限に生かした戦い方をしなさい」ということなのだろう。


 なのでチルダの感じた疑問はもっともである。しかしこの事は、アーデライードに固く口止めされているので、誰にも明かすことはできないが。


「どうしたらエイトみたいに強くなれるのかな」

「強い? 俺が?」

「ええ。あの太刀捌き……あれは初心者のものじゃない」


 昼間のゴブリンとの戦闘で見せた一刀両断の事を指しているのだろう。

 だがあれは上手く行き過ぎだ、と瑛斗は思っている。初めての戦闘で、練習通りの動きができるなんて。早々ありえない運の良さ。これこそ文字通りビギナーズ・ラックだ。


「あれは、偶然だよ」

「謙遜しないで。偶然でやられてしまった方がショックだわ」


 そう言って、チルダは寂しそうに笑った。

 あの時に、瑛斗との差をまざまざと見せつけられたのだ、と。


「私はあんな風に、剣を振るうことができない」


 彼女は悔しそうに俯いて、訥々とつとつと自らの過去を話し始めた。


 チルダ・ベケットは、屠殺業を主な生業とする肉屋の娘として生まれた。

 ベケット家は母を幼い頃に亡くした父子家庭であったが、店が繁盛していたため比較的裕福な家柄であったのだという。そんな中で育ったチルダ自身も店先に立ち、肉屋の仕事を覚えて精一杯働いていた。

 だがチルダが十三歳になろうかという頃、父を流行り病で亡くしてしまう。

 たった一人の肉親であった父までも失い、何の頼りも無くなった彼女は、狡賢い親戚たちに財産どころか土地や店舗、何もかもを奪われてしまったのだ。

 そうして嫌気が差したチルダは、当てもなく故郷を飛び出した――


「だから私に残ったのは、これだけ」


 腰のベルトから外して見せてくれたのは、肉たたき器ミート・マレット。そしてバッグの中にいつも持ち歩いている、肉切り包丁。


「肉を切る以外に、私にできることなんてなかった」


 ただ戦士の才能はあった。躊躇することなく肉を切り裂くことができたから。

 お蔭で女性リーダーの傭兵団『暁の地平団』に拾われて鍛えられた。最前線に立ち、夢中で戦い続けて三年。だが最近は、その戦いの日々の中で、違和感を払拭できずにいた。


 自分の限界と、剣を振るう意味。


 成長期を迎え、身体が変化する度によく分かる、自分の限界。

 周囲の戦士たちと比べて平均的な体格、凡庸な筋力。俊敏性と反射神経は多少勝るものの、それでも平均よりは上というだけ。決して突出しているわけではない。

 そして剣を振るう意味。最初は生きるためだった。生きるために剣を振るった。だが今は何のために剣を振るい、相対する敵を倒し続けているのか。それがわからなくなった。


 三年目を契機に暇を頂いて、傭兵団を抜けた。故郷へひとり戻る希望を告げて、村の近くまで戻ったものの――では、いったいそれからどうするのか。

 たまたま目にした冒険者ギルドの人員募集広告に応じて、冒険者としての第一歩を踏み出してみたものの、最初の探索クエストで呆気なく躓いてしまった。

 今は暗中模索、試行錯誤の最中さなか。答えはずっと見つかっていない。


「なんで今日出会ったばかりのエイトに、こんなこと喋っちゃったんだろ……」


 冒険者としての初陣で、挫折した気持ちが強烈だったからだと瑛斗は思う。

 瑛斗だって気弱くなった時に、誰かに語って吐き出してしまいたい気持ちの時があった。でも瑛斗はそれをチルダに対して口にしない。するべきことではない。代わりに瑛斗は彼女に頼みごとをした。


「少し相手をしてくれないか」


 廃墟の壁に立て掛けて置いた、二本の竹刀の内一本をチルダへ放る。


「なにこれ? バンブーブレード?」

「うん。練習用に使うんだ」

「あのさ、あなたは旅の間に、こんなものまで荷物に入れて持ち歩いているの?」


 瑛斗は何の迷いもなく「うん」と頷いた。最初は「練習好きにも程があるわよ」と呆れ顔だったチルダだが、急に馬鹿馬鹿しくなったのか、ふっと笑顔を見せた。


「いいわよ。私の三年間の全て、ルーキーに見せてあげる!」



 翌朝、初めての本格的な探索クエストへと出発した。

 唐突なアーデライードの我儘で、ホロ馬車を借りることになった。オークの「アジト」までは徒歩で一時間少々の距離であったが、彼女が歩きたくないと言い出したのだ。

 馬車の御者台にて手綱をとるはチルダ。ホロ内には瑛斗とアーデライードが陣取った。

 暫くすると瑛斗の背後から、青ざめたチルダの恨み言めいた独り言が聞こえてきた。


「なによあの剣技……あんなの初めて見たわよ……」

「あれは剣道っていうんだよ」


 昨夜の剣の練習で、チルダは瑛斗にこてんぱんにされてしまった。いつもと勝手の違う剣術相手だから、そういう結果になるのは仕方のない所ではある。

 お互いに負けん気を発揮して、汗だくになるまでやり合って。こてんぱんにはされたものの、チルダは少し元気を取り戻したようだった。


「今度、色々と教えてあげるよ」

「うん、お願いね……絶対だからねっ!」


 そうチルダと会話をして、ふとアーデライードへと向き直る。

 するとそこには、世にも珍しいハイエルフのむくれ顔があった。


「随分と、仲が宜しい様で」


 前門の虎、後門の狼――などと言うが、この後の展開を想像するに、女の子に挟まれた経験の少ない瑛斗は「なんでこんなことに」と思わざるを得ない。


「素振りするって出かけて、帰りが遅いとは思ったけど……アンタ何やってたのよ!」

「ええっ? チ、チルダに手合せしてもらってただけだよ」

「それだったら私がいくらでもやってあげてるじゃない!」


 睨み節が炸裂した。ああ、この馬車の中で暫く小言を聞かされるのだろうか。


「なによ! 私との稽古がそんなにご不満!?」

「そんなことないよ」

「じゃあなんでよ!」

「色んな敵と戦って経験を積むといい。そう言ったのはアデリィだろ?」

「ふむ……敵、か。エイトがそういう認識なら悪くないわね……」


 顎をつまみながら何やら妙なことを口走っているが、納得しているならひとまずそっとしておこう。アーデライードの怒りが少し収まった隙を狙って、話題を変える。


「ところで『暁の地平団』って傭兵団を知ってる?」

「ふん? 南方国境に拠点を構える騎士団崩れの連中よね」


 暁の地平団は、うら若き女騎士が仕切るという傭兵団である。

 元々は王弟公国――エディンダム王国に属し、その南東に位置する公国の――南蛮国境沿いの街を守護する騎士団だったそうだ。数十年前に起こった奴隷解放戦争に敗走し、現在は傭兵稼業を生業として組織されているらしい。

 主に国境沿いの街や村を巡回して怪物たちから守護したり、王弟公国の依頼により山賊や盗賊団を討伐する任務をこなしているという。


「でも最近は、あまり良い噂を聞かないわね」


 ここ数年で急激に兵力を増強し、最近は国境を越えてまで活動範囲を拡大させている、ともっぱらの噂だ。依頼は選ばず、対敵は殲滅し、慈悲は与えず。非常に好戦的な様子から、首領の女騎士を『血に飢えた狼』と呼ぶ者もいる。


「享楽主義で闘ってる連中もいるわ」


 魔王の侵略戦争終結から、平和な時代を享受する時代へ。それに甘んじて戦闘を娯楽ゲームのように考える輩も、少なからず存在する。


「ま、その傭兵団がそういう連中と同等かどうかまでは、知らないけどね」


 そこまで話したところで、業者台のチルダから声がかかった。


「着いたわ! さすがに森の奥へ馬車は無理。ここからは歩くわよ!」



 馬車を降りて森の中を進むこと十分程度。オークの住むという洞窟へ到着した。

 入り口を見るに、天井の高さはゆうに四メートルを超える。瑛斗の身の丈にほど近い片手半剣バスタードソードでも、充分に振り抜く事ができるだろう。

 洞窟内は崩落した天窓ドリーネがあり、ある程度の明るさは確保できていた。


「さぁて、ちゃっちゃと行って片付けちゃいなさいよ、若者どもよ!」


 いつもと変わらぬ余裕綽々な気軽さで、アーデライードは号令を発する。


「ちょ、ちょっと! 中にオークがいるかどうかも分からないのに、そう簡単に行けるわけないでしょ!」

「いるわよ。臭うもの」


 精霊使いシャーマンのアーデライードは、精霊や気の動きを見て気配を探るのが得意中の得意だ。それを知らないチルダにとっては、もう暴言に他ならない。


「へぇー、随分と鼻が利くのね。犬みたいに」

「言うじゃないの、お猿さん。また減らず口を叩けなくするわよ」


 びくっと身体を震わせたチルダが慌てて口元を押えた。

 それを見たアーデライードは、遠慮なしにケラケラとわらう。


「ちょ……また、このぉ! からかったわね!」


 皮肉ったつもりが逆襲を受けてチルダは憤慨したが、今はそんな場合ではない。


「どんな依頼でも甘く見ちゃダメなんだろ、チルダ」


 瑛斗に注意を受けて、常識人のチルダがしゅんとなる。

 それを見たお調子者のハイエルフが追い打ちをかけぬように「アデリィもな」と釘を刺しておく。これを忘れてはならない。

 瑛斗は妙なバランス感覚を、戦闘以上に身に付けつつあるようだ。


 一行パーティは不意打ちを受けぬよう、慎重に洞窟内へと足を踏み入れてゆく。

 事前に聞いていた通り、洞窟内へは陽の光が入り込んでいるようだ。薄暗いとはいえ差し込む光がぼんやりと足元を照らし、松明無しでも十分に先へ進むことができる。

 三十歩ほど進んだところで、獣の臭いと生き物の気配を感じた。


 想定通り――遭遇エンカウントするは、二匹のオーク。


 標的オークを視認した途端、突撃を仕掛けそうになったチルダを瑛斗は制止する。先制攻撃の好機を逸せられたチルダは、思わず抗議の声を上げそうになった。


「……ふーん」


 アーデライードはつまらなさそうな表情で、精霊語魔法サイレントスピリッツを詠唱する。すると眩い光を放つ精霊が現れた。それを前方右側の暗がりへと飛ばす。


「ウィル・オ・ウィスプ」


 これは鬼火、もしくは愚者火とも呼ばれる光を放つ精霊である。その精霊に照らし出されて、洞窟の奥から姿を浮かび上がらせるは、一回り以上体格の良いオーク。

 この場にいるオークは二匹だけではなかった。ここで飛び出していれば、チルダはまた同様の挟み撃ちを受けていたであろう。


「目に見える敵だけを見てちゃダメだ、チルダ」


 瑛斗はアーデライードからの受け売りを、そのままチルダに伝える。その代わり先制は、二匹のオークに取られてしまった。瑛斗は二人を庇うように前衛を担う。


 オークの初撃。振り下ろされた棍棒を瑛斗は難なく躱すと、二匹目の石斧による攻撃は、背中から素早く引き抜いた片手半剣バスタードソードで受け流す。

 相手は二メートル近い巨体を誇るオークだ。筋力は尋常ではない。しかも奥に控えるオークは、その二匹よりも一回り以上体格が大きい。この群れのボスだろうか。


「頬傷のオーク……私の仲間はそいつにやられた!」


 このボス・オークの頬には、生々しい刀傷が残る。それはチルダが退路を切り開いた時に付けたもの。その隙にチルダのパーティは、逃げ切ることができたのだ。

 復讐心に駆られたか、チルダは瑛斗の背から飛び出した。彼女の攻撃は素早く鋭い一撃だったが、ボス・オークに通じることなく石斧で弾かれてしまった。


「くそっ!」

「お下がりなさいな、赤毛猿!」


 アーデライードのキツい一喝が洞窟内に鳴り響く。


「瑛斗の邪魔しないでって言ってるでしょう?」

「邪魔ですって?!」

「ええ、邪魔よ。素人に居られては迷惑だわ」


 アーデライードの熾烈な剣幕を前にして、チルダの抗議はそれ以上続かなかった。実際に自らの剣技が、オークに通用していなかったことも理由にある。


「あなた、傭兵団で先陣切ってたとか言ってたわね?」

「……それが何よ?」

「それがダメなのよ。あんなものは莫迦でもできるわ」


 相変わらずアーデライードの言は、歯に衣を着せず容赦ない。


「いいかしら? あれは集団戦闘。正面の敵さえ見ていれば、あとは指揮官が指示してくれる。でもここは冒険者の領域フィールドよ。淡々と命令に従えばいい傭兵団とは違う。冒険者は己の判断が状況を左右する」

「己の判断……」

「エイトは違うわ。冒険者の戦い方。その基礎を。しっかりと身に着けている」


 この半年間、アーデライードは瑛斗を冒険者として理想の形へ鍛え上げた。もちろん理想と信念に於いて、その先駆となった模範モデルはいる。それも最高の勇者モデルが。

 アーデライードの苦言にチルダは下唇を噛んだ。心の奥に残るは初戦で挫かれた苦い思い。沈殿する色濃い淀んだ残滓。


「確かにエイトは強いけど……」

「彼はちっとも強くないわよ」


 瑛斗の強さに関して、アーデライードはあっさりと否定した。


「彼は剣道をやってて、一度も勝ったことがないって言ってたし」

「い、一度も、勝ったことがない?!」


 これは瑛斗の剣道試合での話である。異世界での大冒険を志して、強豪の剣道道場へ通い続けた中学の三年間。瑛斗は一度も試合で勝ったことがない。当然、大会に出場どころか補欠にすらなれなかった。


「だけど彼は決して諦めない。挫けない。目標があるからね」

「目標って?」

「もちろん、世界一の勇者よ!」


 アーデライードは自信と確信に満ちた表情で、屈託なく答えた。

 いつもは呆れ返っているチルダだったが――この時は、何故かすとんと腑に落ちた。


「でも、オークは初心者が一人で相手する敵じゃない……」

「莫迦莫迦しいわね」


 チルダの言葉など愚問と言わんばかりにアーデライードは切り捨てる。いつもだったらそのまま無関心に手放してしまうだろう。だがこの時は少し様子が違っていた。


「だったら、あなたがすることは、何?」


 そう言って後ろへ回り込むと、アーデライードはチルダの背中を押した。


 洞窟内での戦闘は、理に適っていた。

 巨体で小回りの利かないオークは、狭い洞窟内で巨大な武器を持て余す。一方の瑛斗は腕を器用に折り畳み、長剣を巧みに操る技を心得ている。また洞窟の壁を上手く背にすれば、背後からの包囲を防ぐこともできた。それにより瑛斗の立ち回りは、決して多対一の状況を作らせない。実に見事な戦いぶりである。


 よってこの戦闘で、チルダには割り込む余地がない。


 だからこそ必死になって考える。冒険者は己の判断が状況を左右する――あのエルフはそう言っていた。

 確かにそうだ。自分で考えて自分で動く。傭兵団にいた頃は考えもしなかった。指揮官の命に忠実に。目の前の敵を倒すこと。そればかりを考えていた。

 今の私には何ができるのか。私ができることとは、一体何なのだろう。


 その時だった。戦闘に一つの決着がついた。


 一匹のオークの胸元に、瑛斗の片手半剣バスタードソードが深々と突き立ったのだ。

しかもそれは致命傷となるであろう、渾身の一撃だった。

 しかしもがくオークの胸元から、なかなか剣を引き抜くことができない。

 ボス・オークが好機と見たか、瀕死のオークを無理矢理押しのけて、瑛斗の死角から石斧を振り下ろす。


 瞬間的に、身体が反応した。


 傭兵団時代、直感ばかりで行動していたことが幸いした。チルダの幅広剣ブロードソードがボス・オークの石斧を滑らせるように受け流したのだ。


「助かったよ、チルダ! 俺の背中は任せた!」


 瑛斗に、託された。有無を言わさぬ何かが「これだ」と感じさせた。

 己の判断であったとはとても思わない。いつも通りの直感だった。

 何かを得られたとは思わない。今も瑛斗に命じられただけだ。

 しかし、冒険者としての第一歩を踏み出せた。そんな気がした。

 それに気づいたチルダは、あえて瑛斗の後衛へと一歩下がった。

 瑛斗の動きを一瞬たりとも見逃さぬ。人間には必ず死角が生まれる。その死角を狙われぬよう細心の注意を払う。限界まで集中力を高める。

 瑛斗へと襲い掛かる怪物の凶刃を、悉く受け流し、弾き返す。

 係る瑛斗への負担は大幅に減った。攻撃に専念し、結果二匹目のオークを仕留めた。

 最後はあのボス・オークを残すのみ。

 チルダに後衛を託す瑛斗、後衛の魅力を感じ始めたチルダ。

 二人の呼吸が整った時、瑛斗の片手半剣バスタードソードが鈍い光を放ち輝きだす。

 攻撃付与エンチャントの魔法。アーデライードだ。

 彼女は満足そうに頷いて、朗々と声を張り、こう言った。


「ご覧なさい、彼は勇者になる男だわ!」



 瑛斗たち三人は、街道上の丘の上にいた。

 戦闘終了後、エーデルの街へと帰り、大いに祝勝会をした翌日である。


「ごめんなさい。まだギルドで換金していないから、今はこれしかないのだけれど」


 チルダはなけなしの金貨を一枚取り出した。冒険に対する報酬である。

 報酬は一人金貨三枚。前金で受け取っていた一枚しかチルダの手元になかった。


「いらないよ」


 瑛斗は穏やかな笑みを浮かべて断ったが、アーデライードが口を挟んだ。


「受け取っておきなさいな」


 金貨は戦闘に対する対価。正当な報酬。それが冒険者の証。


「お願いエイト。受け取って欲しい。私とあなたと、アデルとの冒険の証を」


 アーデライードとチルダにそう言われて、瑛斗に断れるはずなどない。


「そうか、これが……」


 冒険者として、初めての報酬になるんだ。

 思わず金貨を強く握りしめる。胸の芯がじわっと熱くなるのを感じた。


「あのね、エイト。おかげで私も目標ができたわ!」


 気持ちの中身を改めて確かめると、チルダは瞳を輝かせた。

 思えばこれまでずっと最前線で戦ってきたチルダである。これからは冒険者として、仲間の力を最大限発揮させられるような、後衛の技を磨きたいという。

 それが身体能力で優位性を持たぬ彼女が、考え出した結論の一つだった。


「へぇ。頑張りなさいな。でもここでお別れよ」


 アーデライードは、相変わらず冷たく言い放つ。だがその一方で、自らも冷たい視線に晒されていることに気付いていた。


「……何か言いたいことがありそうだけど?」


 横目で瑛斗を見ると、彼はへの字口をして何やら無言の抗議をしているようだ。


「あのねぇ……エイトはそうやって、誰も彼も助けて回るつもり?」

「義理がないのは分かっている。だけど初めての冒険の仲間だろ」


 瑛斗に真正面から見つめられてそう言われると、アーデライードとしても非常に弱い。にも拘らず、瑛斗はアーデライードの瞳をじっと見つめ続けている。こうなるともう駄目である。狷介孤高の彼女も次第にキョドり始めた。


「ま、まぁ? 確かに筋はいいし? エイトを助けたことは評価に値するわけ?」


 アーデライードは、何やら言い訳めいたことをもごもごと自分自身に呟きながら、美しい曲線を描く顎に白く細い指を当てて考える。


 そう言えば、と何か思い当たる節があったようだ。ニヤリと微笑む。これは悪戯っ子のような時の顔とも違う。どちらかと言えば、小悪魔なような狡猾な笑み。

 この顔をした時のアーデライードは大抵の場合、碌なことをしない。彼女の笑みを横目に見た瑛斗は「あ、なんか嫌な予感がする」と思った。

 しかし流石の彼女も、この状況で悪いようにはしないはずだ……はずだろう。信じたい。


 アーデライードは一枚の紙を取り出して、さらさらとペンを走らせる。書いた紙を封筒に入れて何やら幾つかの精霊を呼び出すと、封をする前にふうっと息を吹き込んで、あっという間に封蝋で封印を施した。

 瑛斗に対してはにこーっと微笑み――チルダに対しては渋々と手紙を差し出す。


「恩に着なさい。世界で最高に後衛を熟知する人、紹介してあげるわ」

「へぇーっ、ありがとう……って、これって……?」


 表紙の宛先を見るに、聖ヴァルカ修道院高聖司教への手紙となっている。

 場所はエーデルの街から更に南下した港町・エルルリア。エーデルから大河を下る定期船に乗れば、三日ほどの距離にある街である。

 聖ヴァルカ修道院の高聖司教といえば、それはかつて六英雄と呼ばれた者の一人。


「後はあなた次第。徹底的に頼みこんで御覧なさい」

「えっ、えっ……?」


 チルダの顔面からは、汗が滝のように流れ出した。

 何やらとんでもない物を渡されてしまった気がする。もしかして六英雄と呼ばれた一人に、会いに行かなくてはならないのだろうか。


「ま、まさかね……」


 彼女の中の常識と生まれながらの楽観が、交差しながら不安要素を打ち消してゆく。


「あと私はエルフではなくて、ハイエルフよ。二度と間違えないように!」

「ハッ、ハイエルフゥ?!」


 どこでそんな会話を耳にしていたのか。チルダがアーデライードのことをエルフと呼んでいたのを、耳聡く聞きつけていたようである。

 しかし――極希少種族・ハイエルフとは。長い人生の中で出会うことなど、ほぼあり得ぬと言ってよい。そして彼女の愛称は、アデルであり、アデリィ。

 チルダは喉元のどこかで引っかかる違和感に、ふと一つの伝説を思い出した。


「あっ、アーデライード……聖なる森グラスベルの大賢者……?」

「あら何かしら? 私の事を呼んだ?」


 ふふんと鼻を鳴らして踏ん反り返るアーデライードだった、が――


「って……まっさかぁ! あっははははーっ!!」


 寄りにも寄ってチルダは、大声を立てて独りで爆笑し始めた。アーデライードの言うことなど、まるで信用していなかったのだ。

 また揶揄からかおうとしているに違いない。確かに稀に見ぬ美少女であるから、ハイエルフなのは間違いないのかも知れないけれど。

 そうチルダは考えたのだが、今までのアーデライードの大人げない行動を鑑みるに、それは仕方のないことである。


「そもそも大賢者と呼ばれる人が、こんなに子供っぽいハズないでしょ?」


 瑛斗は「あーあ……」と頭を抱えた。今日一日は、この我儘ハイエルフの癇癪に付き合わされそうな気がする。

 隣にいる無言のアーデライードはといえば、ぴきぴきと音が聞こえそうな程、青筋を立てているのがよく分かる。血管が切れてしまわないかと心配になってしまう。

 ひとしきり笑い終えたチルダは「よし!」と気合を入れ直すと、エーデルの船着き場へ向けて猛然と走り出した。

 こうと決めたら一直線に走りだす、真っ直ぐで一本気なチルダである。勢いそのままに走り去ろうかというチルダだったが、ふいに足を止めて振り返り叫ぶ。


「エイトーッ! アナタだったら絶対に勇者になれるわ!」


 そう叫ぶと、チルダは踵を返し、再び走り去っ――いや、走り去ろうとした。しかし残念なことに「っぶみゃっ?!」と無様な声を上げて転んだ。しかも結構派手に。


「……あのさ、アデリィ。いま何かしただろ?」

「さぁ? 彼女がドジなんじゃないの?」


 あのまま走り去っていれば、清々しいシーンとして胸に刻まれたはずなのに。こういうことになる時は、必ず悪戯好きのハイエルフが関係しているのだ。

 瑛斗が彼女の細い人差し指を確認すると、思った通りタクトの様に振られていた。

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