第80話 静かな渓谷に佇む隠れ里の旅(前篇)

「もう! 止めなさいよ、ドラッセル! ねぇ!」

「構うんじゃねぇ、ソフィア! オレが決めたんだ!」


 ここは森の中。まだ深き朝霧が立ちこめる薄明の刻である。

 二人の喧噪も鬱蒼とした森にかき消され、声は響けど静けさに埋もれゆく。


「屋敷に殴り込んで、ヤツを吐かせて、絶対に暴いてやる!」

「だから! 止めなさいよバカ、ドラッセルのバカ!」


 ドラッセルが振り向かないので、ソフィアが仕方なく追い掛ける。

 巨漢であるドラッセルは、膂力や背筋力も半端なく強い。ソフィアが彼の腕を取って止めようとしてもまるで歯が立たないし、我も強くて言うことを頑として聞き入れなかった。


「まだ確信なんてないのでしょう?! まずは真相を確かめないと!」

「もういい! ソフィアは、馬車に残ってろ!!」

「そんなのノコノコとできるわけないでしょう、もうっ!」


 そう言ってソフィアは、こめかみを押さえた。確かに騎士学校の頃から元々そういう性格だった――と、昔を振り返ざるを得ない。それなのに手綱を締め忘れたか、ブレーキを踏み損ねたか。そう思い出しては、いちいち深く溜息を吐く。


「……くそっ!」


 さりとてドラッセルとて、自らが苛つくのも分かっていた。焦りも感じていた。騎士としての正義感もそうだし、時間と心を削って消耗し続けていたから。

 それはソフィアだってそうだ。騎士としての職業病か、仲間のことを思えば心配よりも率先して、身体が勝手に動き出してしまうだろう。


 どちらが正解か。それは分からなかった。

 しかし、絶対にエルヴィーラを見つけ出さねばならない。


 騎士の仲間の結束が、そうしても譲れない血の絆が、本能としてそう掻き立てる。

 仲間を思う信念が、心に秘めた激情が、若い血潮の中にはここにあったのだ。



 さて、最初に経緯を説明するに、少し前の話を遡ることとしよう。

 事の始まりは、エルヴィーラ捜索より瑛斗が離脱してから八日目のことだ。

 おおよそ瑛斗が期末試験に追われた、午後の試験開始直前の昼過ぎであった。


「ここです! ここなのです!」

「そうよ! いくつかの香水の残り香があるわよ!」


 エルヴィーラの匂いを頼りに見つけ出したのは、ライカとカルラ。

 彼女らが指を差す場所は、三角州の中心付近であった。


「あの崖から落ちて、急流な峡谷からここまで流れたのかしら」


 山並みの方向を眺めながら、森の麗人・アーデライードがそう呟いた。

 捜索から峻険なる峡谷を抜け、今はやや広めな浅瀬の河原の上に立っている。


「ねぇライカとカルラ、生存の可能性って、どれくらいかしら?」

「ううーん、腐敗の匂いはありませんし、水を吐いた形跡はあります」

「だから生の息吹を感じる……生きているんだって思うわ!」


 証拠を集めたライカは黙々と推測し、カルラが直感で導き出す。

 その言葉を聞き取ったドラッセルとソフィアは、歓喜の声を上げる。

 騎士たちとサクラは馬車を馬留めしながら、遠目で状況を見守っている最中だ。


「それにしたって……かなり頑丈なのね、彼女」


 若くして川の流れに流されて、ここまで辿り着くとは恐れ入る。

 呆れ顔のハイエルフの背中に、ドラッセルとソフィアが駆け寄ってきた。


「そらそうだ、騎士学校でかなり揉まれて鍛えてたからな!」

「それに魔法能力が高いし、機転を利かすし、きっとそうよ!」


 生きている可能性を感じた二人は、珍しくハイタッチしてそう言った。

 確信したか、一縷の望みを縋っていた二人にとっては、とても嬉しそうだ。


「ふむ……」


 ハイエルフが何かを察したようで、小さなへの字口で鼻を鳴らす。

 周囲を眺め見るに、こんな山奥に点々とした民家がどうやら存在するとは。

 荷解きをして地図を確認してみたが、どうやら地図のない集落のようだ。

 急峻な渓谷に囲まれた、村とも言えない小さな集落――隠し里といえようか。


「この周辺の住民が救助に当たったのだろうか……」

「それにしては、ここに珍しい形跡があるわね」


 ライカとカルラが確認しに行くと、そこここに灰を撒いた跡が見受けられた。


「これは……お香を焚いた灰のようです」

「匂いが分からないように仕向けたのかしら?」


 どこかで香を焚いた後に、特段ない河原に灰を撒くとは。

 ここの風習でもそうそう見慣れない、特殊な行為である。


「人の匂いを消すためか、偽装工作させたか、或いは……」


 推理し始めたアーデライードが呟いたと同時に、二人の可愛いメイドが声を大にする。


「それでも誤魔化せないのなのですっ!」

「それでも誤魔化せないんだからねっ!」


 ライカとカルラの発言が、ほぼピタリと被ってしまった。

 お互いに顔を見合わせ、一緒に「にししっ」と笑い合う。


「それは……確かに違いないわね」


 話の腰を折られたアーデライードだが、一本取られたか苦笑いする。

 なにせ今回の論功行賞は、一番のお手柄であったライカとカルラだ。

 みんながみんな、彼女たちを褒め称え合って、喜ぶしかなかった。




 エルヴィーラ捜索の一行は、改めてこの周辺を探索することとなった。

 地形を鑑みるに、水流豊かで緑深く山々に奥まった渓流地である。

 苔生す奇岩と清らかな渓流が、緑と水を織りなす景観美といえよう。

 幾つもの河床の段が流れ、長閑な清流のせせらぎで耳を癒してくれる。


「これは……絶景だな」


 高台を望めば、急峻な山峡と豊富な支流が複雑に組み入っていると分かる。

 幾つもの暴れ川が、身を委ねる台地を荒々しく削り出した――否、磨き出したというべきか。それでもヴェルヴェド地方では、類を見ない珍しい地形であった。

 森を抜けると伏流水が漏れ出たか、断崖絶壁から大瀑布が現れるといった具合だ。


 山間の河川の上流域と言えるだろう。大きな砂利石や岩と多々見受けられる。

 傾斜は少なければ長閑のどかと言えるが、流れが急に速くなり泡立つほどしぶきが上がる。

 渓流地とは呑気なのか激情型か。どれほどまでの気分屋か。分からなくなる。


「お、見えてきたぞ!」


 さらに奥へと踏みしめると、敷き詰めた石畳が見えてきた。恐らくは散策路であろう。そこで歩を進めると、徐々に建物が見え始めた。予想通りの隠れ里のようだ。

 その隠れ里を散策すると、釣り人が幾人か見受けられた。渓流釣りなのだろう。

 渓流釣りは異世界と同じく、川の冷たい水に足を入れるようだ。釣り人たちの出で立ちを眺め見るに、騎士では見たことのない、野獣の革を用いた独特の防水服だろうか。

 ついでに山の方に顔を向けると、里人があちらこちら山菜採りをしているようだった。

 川では渓流釣り、山では山菜採り――夏から秋には、沢登りにもってこいだろう。時には峻厳なる天然であり、時には山菜や川魚など多種多様の豊かさを感じさせる。


「あら、奥まったところに、こんな洋館があるわね」


 石積みの重厚であり蔦の絡まる小洒落た屋敷が現れた。

 塀は自らが積んだような、殆ど加工せずに積み上げた野面積みであった。他の建物と比べると頭一つ権威を感じさせた。恐らくは、この隠れ里の地主かおさだろうか。


「うっし、それじゃここに聞き込みを開始してみるか」


 まずはドラッセルが交渉に赴くこととなった。




「ここにはない。帰ってくれ」


 分厚いドアが即刻に閉じられた。交渉に当たるも、にべもなく返されたのだ。

 やや古ぼけて質素なローブを着た、六十半ばの男である。いかにも熟練な好々爺にも見えるが、眉間の縦筋を見るに威厳と格式な雰囲気を醸し出す。


「くそっ! あの爺さん、頑として聞いちゃいねぇ!」


 ドラッセルが、腹立ちまぎれに拳を掌に打って悪態をつく。

 ソフィアが交渉に当たろうとしても、もう返事はないようだ。


「で、どうなのよレイシャ」

「ん」


 彼らを見ていたアーデライードとレイシャは、呑気に会話をし始めた。

 屋敷よりかなり遠くの木の枝の上に座って、足をプラプラと揺らす。


「ここ、まりょく、すごい」

「そうね、この屋敷には魔力オドが密集している」


 この屋敷の様子を察知したか、どうやら近寄らなかったようだ。

 憮然顔のドラッセルは、エルフたちが待つ木の下へと駆け寄った。


「もしかして、気付いていたんですかい?」

「まぁね。魔法くらいは感じるし……よっと!」


 アーデライードが枝から飛び降りると、レイシャもこぞって後から続く。


「でもね、あのお爺様は恐らく、上級魔術師ウィザードかしら」

「ウィザード!?」


 ドラッセルらは、驚いた様子で眉根を寄せて色めき立つ。

 澄ましたアーデライードは「古代語魔法は興味ないけれど」とあっさり答える。

 そこでいつもは無表情で無口なレイシャが、自らが久々に口を開く。


「けれど、なにかあの、アレ、ある」

「そうね。かなり複雑な魔術回路が仕込まれているようだわ」

「たくさん、アレやって、なにか、する」

「無数の複合魔術を駆使して、何らかの魂胆がある気でしょうね」

「うー」


 レイシャは、頬をぷくーっと膨らませてぶーたれる。

 魔術理論の説明不足を補うため、アーデライードが翻訳しているからだ。

 たった十歳でありダークエルフであるレイシャは、共用語コモンがまだ不十分である。だから仕方ないといえば仕方がないのだが、レイシャとしては歯痒さが残る。

 そういう時に限って得意満面でニヤーリと嗤う、底意地の悪いハイエルフであった。


「あの、私、分かっちゃってる……かもです」


 呟いたライカが、おずおずと小さく手を挙げてこう言った。


「あの屋敷から感じるのは、例のお香の香りなのです」

「私も分かってるわ。あの香水とお爺さんも……そして、灰の匂いもね」

「微々たるものですが、その匂いは分かりますです」


 三角州の中心付近にあった、エルヴィーラの痕跡と立ち入った者、お香の灰の匂い。

 ライカとカルラが全てに「残り香」があると、双方の意見に一致していた。


「要するに、ここに何かを隠そうと画策しているってことか?」

「もしかして、エルヴィーラを監禁している……とか?」


 お互いにドラッセルとソフィアが、ハッと目を合わせた。


「い、いや、きっと早計だわ……止めましょう」

「だがここにあるエルヴィーラの痕跡は、間違いない事実だろ!」


 ドラッセルは息巻きながらこう叫んだ。

 胸騒ぎを抑えきれないソフィアは、アーデライードに判断を仰ぐ。


「どどど、どうしましょう、アデルさん」

「そうねぇ……ま、帰りましょ」


 きまぐれハイエルフは、いとも簡単にあっさりと答えた。


「え、あの、帰るって……?」

「これで今回の捜索は、打ち切るってこと」

「えっ……えええっ!?」


 素っ頓狂な声を出したソフィアは、鯉のように口をパクパクする。

 ドラッセルも同じく、全身が固まったままで開いた口が塞がらない。


「なーんか、別の裏がありそうなのよねぇ。もちろん、引き続き周辺の事前調査……あ、聞き込みを開始するつもりだけれど!」

「いや、あの、でも……」

「これはいわゆる『現場百遍』ね。うっふふ、面白くなってきた!」


 悪辣さを含ませた胸躍る声で、嬉しそうにほくそ笑む。

 誰もが知らないアーデライードは、推理小説大好き愛読少女であった。


「あ、それからは、ぜーんぶエイトに任せるつもり」

「えっ、任せるって……?」

「私はね、旅の行先案内人コーディネーターだから。あとは依頼者クライアントの判断を委ねるのが都合が良、いや……まっ、そういうこと!」


 ハイエルフは、あざとらしくウインクする。

 どうみても依頼者である瑛斗を促せるため、一任する腹積もりなのだろう。


「さ、取り敢えず暫くの間は、ここに逗留ね。生活に関して……あとは宜しく」


 サクラに向けて「いいわね?」と問うと、獣人族たちは「はーい」と答えた。

 馬車にある荷物を点検しつつ荷解きすると、いそいそと準備をし始めた。


「いやいやいや、待ってくれよ!」


 頭を抱えて動揺しつつも、まずは端を発するドラッセルである。


「あそこの屋敷には、魔術回路ってヤツが存在してたよな?」

「そうね」

「それで無数の複合魔術とかを駆使して、何かする気だろ?」

「でしょうね」

「だったら! 出所と犯人は、もう確定的じゃないか!」


 軽く憤慨するドラッセルに、またもやアーデライードが油に火を注ぐ。


「ま、あの屋敷にエルヴィーラを連れ込んだのは、間違いないでしょ」

「やっぱりそうだろ?! ならばまず、ヤツをねじ伏せて吐かせておけば――」

「そこから先は、断言できないわね」


 舌鋒鋭いアーデライードは、一瞬にして切り捨てた。


「な、なんで……」

「そこが今回の『キモ』なのよ」


 エルフ特有の美しい人差し指を、指揮者のようにクルクルと表現させる。


「恐らく彼は、魔法使いキャスターでかなりの策士。そう易々と尻尾は掴めない」


 アーデライードの語尾は、その期に及んで「多分ね」と適当にお茶を濁す。

 みんなが瑛斗がいれば良かったと心から思う、どこ吹く風のハイエルフである。


「それにね。さっきも言うけど、裏があるのよ」

「いや、しかし……!」

「しかしもカカシもヘチマもないわ」


 ドラッセルは不満を漏らすも、アーデライードは素っ気ない態度で示す。

 人差し指を使ってドラッセルの口を封じると、ニヤリと微笑んでこう言った。


「これ以上、四の五の言わない。いいわね?」


 威圧するほどの鋭い眼差しで、ハイエルフはギロリと睨んだ。

 そうとなると若き騎士らは、それ以上何も言えなくなる。


「さってと、あとはエイトと合流よね~」


 踵を返すと同時に、鼻歌を鳴らして嬉しそうに帰っていった。

 ともあれ、独断で勝手に捜索を打ち切られてしまったのである。



 さて、時を戻そう。

 未だに深き霧が立ち上る夜明け前、誰も届かぬ喧騒が響き渡る森の中――


「だがな、もう七日だぞ。七日も待ったが、進捗もままならねぇ!」

「そんなの当たり前だし、証拠や立証なんてないんでしょう?」


 その七日前のドラッセルとソフィア一行は、公国府・ヴェルヴェドへと取って返すと、銀の皿騎士団の上層部に状況の結果を報告。上司に直訴して、以下は二つの請願となった。

 まず一つは、銀の皿騎士団の名の元に冤罪の証明を条件に捜査を受領すること。

 アウグスト=アギレラ団長の粋な計らいで仮の任務を任された、お墨付きである。

 もう一つは、名も無き里の視察と称し、護衛として二名を派遣すること。

 実際は、証拠を集めるとともに、正体を見極めるための密偵でもあった。


「でもハッキリとした確証は、依然と持っていないまま……そうでしょう?」

「…………」


 ソフィアの言う通り、ドラッセルは黙り込んでしまった。

 調査を開始すれど、かの屋敷周辺に張り巡らされた魔法そのものが、まるで分厚い壁のようで成果は掴めず。それ以上の正体や結果は、未だに掴み切れなかった。

 騎士たちの調査で分かったことは、かなりの術者であることのみである。


「ねぇ、アデルさんたちならここで長居して、確証を掴めるんじゃないかしら?」


 そのエルフら一行と言えば、たまに外出しつつも一週間は民宿に泊ったまま。

 一方、獣人族の彼女たちはと言えば、里に馴染んでいた様子で、時には里人らと談笑していた。もちろんエルフらの食事を作る傍ら、借りてきた厩戸の輓馬を世話しつつ、民宿ではなく馬車の中でのほほんと暮らしている。平気の平左で危機管理能力はどこへやら。逆にメイドの生活能力を如何なく発揮するほどであった。


「そりゃあ、そう簡単に落ち着いてはいられないけれど」

「…………」

「でもエイトを待ちながら、気長に待ちましょう? ねっ?」

「ぐッ……気長だと?」


 ドラッセルは踵を返すと、ソフィアに向けて怒鳴った。


「そんなものクソ喰らえだ! 一刻も早く死へと向かう猶予なんざ、誰も待っちゃいねぇ! だからな、だからこそ俺たちがやる! 何としてでも、俺たちの力でこじ開けてやるしかねぇんだよ!!」


 エルヴィーラの安否の行方は、刻々と時間が進んでゆく。生命が先か、真実が先か。まさに板挟みな状況だ。

 そんな中で猪突猛進で迷わず即決する血気盛んな男は、もう苛立ちを隠せない。居ても立っても居られない。愚直であり若気の至りでもあるドラッセルであった。


「そんなの……力任せで意地を通すなんて、度が過ぎるじゃない!」


 ソフィアだって諦めない。力強く拳を握ってドラッセルに立ち向かう。

 二人とも真剣な眼差しで真っ向に対立していた、そんな矢先である。


「…………?」


 朝霧深き静謐な森の中、ソフィアは周辺にざわめきを感じた――刹那、


「危ない!」


 閃光にいち早く反応したのは、弓兵であり最も目敏かったソフィアだ。


「どけっ!」

「ちょ、ま……ふわあぁっ!」


 ソフィアを守るため、ドラッセルはファイヤーマンズキャリーですぐさま避ける。

 間一髪、真っ白な閃光の後に、足元近くの地面が真っ黒に焼け焦げた。

 ドラッセルの後ろから突然に襲い掛かるは、ソフィアに怒鳴り込んで振り向いたためであろうか。直線状に光を以て矢を放つ、古代語魔法『エネルギーボルト』であった。


「……来たな、この野郎!」


 鬱憤を晴らさんとするドラッセルは、ヒグマのように唸り声を上げた。

 遂に戦闘の時、来たるか。何者かによる謎の襲来である。

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