第81話 静かな渓谷に佇む隠し里の旅(後篇)
刺客来襲――まだ陽が明けぬ、鬱蒼と茂る森深き渓谷の中。
敵の牽制と思われる攻撃をかわしたドラッセルは、念には念を入れて間を取ると、携えた自慢の
「おい、いるんだろう! 出てこい、この野郎!」
朝霧煙る静謐な森は、朗々と声を張れど
何者かの殺気や息遣いは微塵もない。だが余りにも気配を感じない静けさで、鳥や獣すら寄せ付けぬ不気味な森と予兆させる。霧が晴れず、正体どころか影も形も見えない。
「さぁて、どう駒を進めるか……だ」
そう呟いたドラッセルは、上唇を舌でぺろりと舐めた。
荒削りで好戦的な塊である彼の、戦いに集中する時の癖である。
まだ推測の域だが、エルヴィーラをかどわかした犯人を見つけ出すため。満を持するために思案に思案を重ねていたが、遂に刺客が現れたとなれば、なお好都合だ。機先を制すれば、先の駒へと進めるだろう。
だが――その前に、だ。ドラッセルにはやるべきことがある。
「もうっ! 私を降ろしなさい、降ろしなさーい!!」
「あっ! お、おう、スマン……」
ファイヤーマンズキャリーの状況で肩に乗せられたままのソフィアである。
慌てたドラッセルが、自らの両肩からソフィアを地へと降ろす。
「どうして気づかないのよ、唐変木!」
「う、何も言えねぇ……」
戦闘中で敵前となれば、猪武者と化して馬鹿力任せのドラッセルである。
通常勤務中は
「全くもう……あと相手は絶対に殺さないで。まだ容疑者なんだから!」
「お、おう、そりゃ分からいでか!」
気を取り直せんと、自らの腕を撫して啖呵を切った。
さりとてまだ予断はできない。敵の攻撃はどこか、再び戦闘に集中する。
「……どこだ?」
静まり返った森の中で、風の触感だけがそよそよと肌を撫でる。
敵側目線の推測と察するに、直接的な攻撃ではなさそうだ。
目的は恐らく、索敵か威嚇か、様子見か。はたまた――
「!! 来たぞ!」
突如現れた何もないところから白い煙幕が湧き立つは、
この眠りの雲は、朝霧にぴたりとまぎれたか。地形や天候、早朝時間との兼ね合いを判断するとは、まさに魔法使いとして知能に優れており、狡猾であり大胆不敵といえる。
最初の戦闘開始から
「オレら騎士ってのはな、魔法抵抗には煩いンだぜ……!」
眠りの雲を見抜くや否や、ドラッセルは自慢の長槍で切り裂いた。
名うての剛腕と見切り判定によって、眠りを誘う白煙は見事に消え去った。魔法抵抗による防御成功である。
騎士職では個人差や所説にも依るが、魔法抵抗にはそれなりの効果はある。騎士学校の授業中に何度も何度も嫌になるほどやらされた、初級魔法に対する対処方法だ。
「…………」
片や敵の魔術師は、黙して語らず。だが集中力と共に、魔法詠唱は必要不可欠だ。
恐らく敵側の
「う、静かで……そして速いわ!」
驚くほどに身軽で俊敏だと、ソフィアの目が丸くする。
どうやらかなり軽量で小柄、すばしっこい人物のようだ。
「チッ、ちょこまかと……これは単独犯か?」
ドラッセルとソフィアとの連携と直感で、敵の単独行動と見込んでいた。
何故なら単独行動の場合、呪文詠唱した術者にとって次へと移動しなければ、
だが弱点はある。
「見えた! 二時の方向、そこの木立、下二段の枝の上!!」
声を上げたソフィアは、樹木の枝へと指差した。
ソフィアの視覚能力は、弓の狙撃手として鷹の目のように非常に優れている。魔術師と思われる敵の不意打ちした行動パターンを踏まえ、魔法範囲と詠唱時間を察知して一瞬で見抜いたのだ。
「そこだな!」
阿吽の呼吸を感じたドラッセルは、握り拳大程にある石をむんずと左手で掴むと、木の上の藪の中を見切ったように投げつけた。しかもアンダースローである。
見事、命中か。中型犬くらいの獣のようなモノが、ドサッと藪の音を立てて地面へと落ちた。すぐに犯人確保せんと、二人は何者かが落ちた場所へと急いで駆け寄る。
「あなた、石を左手で投げたの?!」
「ああ、両手で使えるんだ。オレは元々漁師の出でな、投擲には慣れてる」
漁師の中でも素潜りが得意で、銛の使い方は幼少の頃から誰よりも長けていた。
その応用編か、即興で力任せに編み出したドラッセルの妙技だ。
「さぁて、誰だ犯人……おわあぁぁぁぁああぁぁーッッ!!」
「えっ、なになにってきゃああぁぁぁぁああぁぁーッッ!!」
ドラッセルとソフィアは、二人とも顔面蒼白なほどに大きく声を出した。
仰向けに倒れていたのは、ダークエルフの少女――レイシャだ。
レイシャの額の右側に出血し、大きなこぶができていて気絶していた。
「し、止血! レイシャちゃんに、まずは止血を!」
「か、簡易救急箱があるにはあるが……
「そんなのないわよ! いいからそれ、貸して!!」
ドラッセルは慌てながら、腰バッグにある簡易救急箱を差し出した。
塗り薬をたっぷりと塗り付けると、すぐさま包帯を出して額を巻かせる。
「よくよく考えれば、見立てが甘かった……!」
ソフィアがついさっきを思い返すに、つくづくと反省が募る。
レイシャは――純真で公正に優れ、子供ながらにして有能である。
魔法攻撃『エネルギーボルト』は、足元であって直接攻撃はしていない。
恐らく『スリープクラウド』だってそうだ……あくまでも足止めなのだろう。
まずは勢いに任せず冷静にして、一時的にでも撤退して仕切り直すべきなのだ。
「なんてこった……」
その横で無駄にした大男がこじんまりと佇んで、眉間に縦皺を寄せて頭を抱えている。
あくまでもレイシャは悪くなかった。元から無口で、狡猾よりも才智を持つ小さな魔術師。自分が意固地に凝り固まって勝手に解釈した結果、完全に判断を誤ったのだ。
怒りを抑えて冷静になれば――今回の後の祭りは、ドラッセルであった。
「やーっちゃった、やっちゃった♪」
森の奥から現れた鼻歌まじりの人影。一際目立つ甲高い声。
まだ朝霧けぶる中、華奢で小柄な輪郭となれば――
「いーけないんだー、いけないんだーっ♪」
颯爽と現れた森の麗人・アーデライードその人であった。
「あーらら……エーイトーに、言ってやろっ♪」
「アデルさん……」
ソフィアは動揺し、どうすればいいのか判断がつかなかった。
もう混乱していたし、ソフィアの膝枕で眠るレイシャでは身動きできず。レイシャの助けを求めたかったが、後悔の念がこんがらかっていて、これ以上の言葉が紡げない。
「あらやだ。そんな泣きそうな顔なんてしないでよ、もう」
鷹揚に構えるハイエルフは、まるで気にも留めず。
横目でレイシャを眺めると、鼻息の音だけ「ふん」と
「ま、大丈夫でしょ」
腕組みして突っ立ったまま、さも気に掛けることなくそう言った。
憔悴しきった騎士たちは、ただただ気が抜けた。きっと『
「う……」
「あっ、レイシャちゃん!」
予想通り、すぐにレイシャの意識が戻ったようだ。
「レイシャちゃん、大丈夫!?」
「ん……だいじょび、なび」
選択を迫られて答えようにももどかしく、言葉に詰まるは加害者側である。
レイシャの言う「だいじょび、なび」とは、なんぞや。大丈夫か、大丈夫じゃないのか。どちらだったのだろうか。もしや脳震盪だろうか。よくよく見ると目が回った様子で気が気じゃない。
「……いく」
「ああ、待ってレイシャちゃん。ねぇ、動かないで……!」
起きて立ち上がろうとするレイシャを、ソフィアは優しく抱きしめる。
それは華奢な少女が動けば動く程、出血を止められなくなる可能性があるからだ。
「いいから寝てなさいな、ちびすけ」
指先をくるくると回すアーデライードは、
それと同時に、ゆらゆらと舟を漕ぐように
「さて、と。レイシャはエイトの約束を忠実に守ったみたいよ?」
「む、それは……もしかして、エイトが来る予定だったのか?」
「そう。さぞかしエイトと会えず仕舞いで、残念だったでしょうけど!」
レイシャはエイトとの約束に関しては、しっかりと寸分違わず守るけれど、アーデライードの忠告に関しては、まるで言うことを聞きやしない。それみたことかと言いたい。
もしもレイシャが目覚めた後に瑛斗の登場が終われば、さぞや待ち望んだ再会が見られなくて残念無念、きっと悔しかろう。ざまぁみろ。とまでは、云わんこっちゃないが。
「……レイシャちゃんは、どうして私たちが分かったのでしょうか」
「予見して古代語魔法『アラート』でも掛けたんでしょ、多分」
警戒魔法を使って、侵入者が範囲内に入り込みことを予期していたのだろうか。
或いは、朝よりも早くから待機していたのだろう――きっと瑛斗を待ちながら。
「ま、いいんじゃないかしら。『てれび』を見逃した子供みたいなものだし」
「……てれび?」
ドラッセルとソフィアが同じ動作で首を傾げた。
そう――ゴトーがよくボヤいていたっけ。異世界から実家へと帰宅するも、よりにもよって何者かに邪魔をされ時は「テレビを見逃したプロ野球の生中継のようだ」と。
ま、ゴトーの独り言でたまに耳についただけで、実際に見たことはないけれど?
だからこそ老婆心ながら、レイシャが待ち望んだであろう昭和の流行語『巨人・大鵬・卵焼き』みたいなもんだと思って、夢の中でゆっくりがっつりと眠りにつくがよい――などと、なんだかんだでほくそ笑んでしまう。もちのろんよ。冗談はよしこちゃんだけど。
「さてと、話は置いといて。エイトの約束は前からそう云いつけていたのよ」
瑛斗が来る前に、この里へ何者かが現れないように。
また、見つけたらアーデライードと綿密に連絡を取るように、と。
「エイトと連絡を取っていたのか?」
「それはそうよ。エイトと手紙のやりとりでちゃんと取り合っていたし。そのために今日は朝食の準備だって滞りなく、お出迎えの待ち合わせだって取り入れたしね!」
ちなみに、里の宿を貸し切ったサクラたちは朝食の準備中である。
「いや、それはこれとで別の話で……」
「だとしても、何処に行ったと思いきや、こんなところに来たなんて、ね」
突然話を戻したアーデライードは、ソフィアの膝枕に眠るレイシャをじっと見る。
この娘って、まるで猫よね。
気まぐれな野生の猫だわ――と、しかめるような不満顔で呟く。
「でもま、連絡を無視して私も出し抜いて、一方的に攻撃を仕掛けたわけで」
責任を押しつける様に「だからレイシャが悪いんだけど」と嫌味を言う。
そこでようやくソフィアも気が楽になったか、ドラッセルに小言を言いたくなる。
「ねぇ、だからやめなさいって言ったでしょ?」
「う、うるせぇよ。やるべきことはやると、筋を曲げないのが男だ」
「はーっ、呆れた!」
ソフィアは手でおでこを抑えつつ、眉間に皺を寄せる。
「暫くの間は、現地調査のために村の外に逗留するって言ったわよね、私」
「もちろん万が一のため、オレの後輩を密偵……じゃなくて、警護させてる!」
「それよ」
すぐさまアーデライードが遮った。
「それはのちの『
「……キーワード?」
ドラッセルとソフィアの声がつい被ってしまった。
どうしても理由と根拠が分からず「ううむ」とドラッセルの喉が唸る。
「ま、後で分かるわ、きっと」
台無しになった気分でそう言うと、アーデライードは深い溜息を吐く。
「……おや?」
そこで気付いた
簡易的な古代語魔法『アラート』よりも、更に気品に溢るる優雅で華麗な
「はーん、それでか……分かったわ」
「?」
「でもね、エイトだったら黙っちゃいない」
「えっ……?」
「ホラ、ここに来るわよ」
準備万端なアーデライードは、全てがまるっとお見通しなのだ。
鬱蒼とした森が演出したかのように、深き霧が徐々に二つ割れ始める。
まるで人跡未踏に眠る大地が、流浪の旅人を待ち侘びたかのように。
真っ直ぐな姿勢で引き締まった体幹を持つ、小柄な少年の姿。
その背中には、背丈ほどある武骨な
前へと胸を張るのは、簡易な革の
ここにいる全てが知らぬ者はいない、小さな見習い勇者――
「久しぶりだね……二週間振りだけど」
正体は、誰しもが言わずもがなである。
珍しくさっぱりと散髪したか、散切り頭の瑛斗であった。
「おかえりなさい、エイト」
「ただいま、アデリィ」
二人の会話は、いつもの挨拶から始まる。
そして家族の間みたいな雰囲気。もちろん気心が知れるも相変わらず。
「で?」
「昨日の午後にリッシェル邸から出発してね。近くの野原で野営をしたんだ」
ドルガン率いる飛竜旅団一行は、人目につかない上で離着陸可能な野原を見つけた。
そこで人里を外れたテントを張って、ドワーフらと語らいながら一夜を過ごしたのだった。
「でも急に魔法の警報があったんでね、急いで駆け寄って来た」
「…………」
「話を聞こうか、二人とも」
周知の通り、騎士二人とも黙ったまま。足元をじっと見ていた。
ソフィアはついに決したか、言葉に詰まりながら口を開いた。
「あの、ね。わざとじゃないの……偶然っていうか、その……」
嘘を付けないソフィアは、誤魔化してしまって
だが彼女の太腿の上に乗せている事実は、怪我を受けて眠ったままのレイシャである。
「一応、連絡を受け取ったんだけど、間に合わなかったみたいだね」
「う……スマン。こんなことになるなんて、な」
こめかみを押さえていたドラッセルは、面目なさそうに頭を下げた。
「いいさ。構わないよ」
冷静沈着な面持ちの瑛斗は、さらりと今回の件を水に流す。
どうやら何か思いを巡らしているようだ。だが、片や――
「ハーッ、これだから
高飛車な態度をとったアーデライードが唐突にクレームをつけた。
瑛斗の前になると、俄然とテンション爆上げで途端に豹変する。それは久々の赤面を隠すため。瑛斗の顔を背けたかったから。こういう時だけはぐらかして、辛辣の垂れ流しに値するは、ツンデレのハイエルフより他はなし。
「う……面目ない……」
「あなたって、まるでブレーキが利かないダンプカーのようじゃない!」
こういう時に限って、いちいちと茶々を入れたがる。
だが瑛斗はそういう時こそ、きっちりとツッコミを入れたがる。
「でもアデリィは、ダンプカーなんて見たことないでしょ?」
「うっ……た、例えよ、例え!」
つい口を滑らせたか、焦ったハイエルフの長耳が垂れてますます真っ赤になった。狼狽えつつも「この世界に紛れ込んできた、ってこと!」と、まごまごと茶を濁す。
確かに――この世界にダンプカーなどという重機は存在しない。恐らくダンプカーという単語を知っていたのは、爺ちゃんの口癖を聞き齧っただけなのだろう。
「それよりも……怪我は問題なさそうだ。レイシャ、君はお休みだね」
そう言って俯いた瑛斗は、レイシャの頬を優しく撫でた。
撫でられたレイシャは、まるで夢の中でも見ていたのだろうか。
無表情だが、くすぐったような微笑みを垣間見えた――そんな気がした。
「あによぅ……ふんだ!」
それを見た途端、アーデライードにとってはもちろん気に食わない。
さっきまでは、気まぐれな野生の猫だわ――と、そう思っていたけれど。
まるでレイシャは瑛斗の保護猫みたいじゃない! と、膨れっ面である。
「まずは、そうだな……」
瑛斗は、レイシャの傍から立ち上がる。
真っ直ぐと、ドラッセルに面と向ってこう言った。
「お互いに決闘しようか、ドラッセル」
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