第82話 朝霧けぶる森の中での決闘の旅(前篇)

 お互いに決闘しようか――


 その一言で、場が一瞬にして雪像のように凍って静まり返った。

 皆が愕然とする中で最も蒼褪めたのは、一目瞭然のドラッセルである。


「お、おいおい……エイト、本気で言ってんのか?」


 瑛斗の言う「お互いに決闘しよう」の発言は、かなりの由々しき事態である。

 決闘とは異世界とも同じように、時期や場所など取り決めた方法で闘い、死を賭して勝敗を決する。それは時代劇などで恨みを晴らす『果たし合い』さながらだ。


「本気って、そりゃ、負けたくないしね」


 瑛斗が気軽にそう言うと、肩を回しながら準備体操し始めた。

 何気に軽口を叩いたとはいえ、その場にいた誰しもが悟った。いつも真っ直ぐな性格であり、義理堅い瑛斗のことだ。だからこそ決闘への決意が固まったのだ、と。


 決闘とは――この異世界における決闘での裁判法であり、今から約三十年ほど前、かのエーデルシュタイン王弟公国領主エドガー・エーデルシュタインが法に基づいて制度化された、この異世界では画期的な法律である。

 この法律は、罪人が明白にも関わらず物的証拠など、嫌疑不十分のために推定無罪や不起訴処分など曖昧な罪状となった時、被害者や有志などが決闘を申し込むことができる。

 ただし騎士の間では決闘を安易には一切禁じており、ともすれば騎士剥奪、もしくは重罪として処罰されるだろう。騎士とは王との主従関係として厳格な職務である。騎士の間の亀裂を最も忌避し、忠義心を胸に刻んで、憂国の士を名誉として重んじる。

 決闘が過剰に発生すれば、仲間意識に亀裂が生じる。軋轢やいざこざは元より、内通や内乱、謀反にもなりかねない。さらには国家崩壊の危機や、国家転覆の引き金となるやも知れない。

 当時の世情は荒くれ者も多く、国家安寧と万全を期すための対処法でもあった。


「まぁ身体がなまってたし、運動がてらにちょうど良いさ」


 またもや瑛斗が、まるで末期テストが終わったかのような物言いをした。


「いや、そんな運動がてらって、オマエ……」

「それくらい、いつもやってるけどね」

「そんな気楽に、いつも何をやってるんだよ」

「えっ、そりゃもちろん、決闘なんだけど?」


 全員が全員、戸惑った。


「えっ?」

「はっ?」

「んっ?」

「えっ? な、何っ?」


 蒼褪めていたドラッセルは元より、固唾を飲んでいたソフィアも呆気にとられたように口をポカンとする。その場できょとんとしている瑛斗の他に、野次馬のように割り込んでいたアーデライードですら、間が抜けた顔で小首をかしげる。


「んあっ? ……あ、あーっ!」


 急に我に返ったか。アーデライードが突拍子もない裏声で叫んだ。


「そ、そうそう! 決闘、決闘! 運動がてらの模擬決闘!」

「う、運動がてらの?」

「もっ、模擬決闘??」


 面食らったドラッセルとソフィアまでもが、奇妙キテレツな声で叫んだ。

 言い出しっぺに仕掛けた迂闊者は、口を滑らしがちのハイエルフに他になし。

 ちぐはぐで慌ただしくも、話をはぐらかして必死の形相でアピールする。


「模擬決闘ってのは、腕試しに剣と剣を交えて真剣勝負しとかないとねっ、ねっ?!」


 そう――元を正せば、瑛斗が去年の冬休みだった頃のことだ。

 初めての冒険の猛特訓として、特に対人戦闘の訓練前で「さぁ! まずは、私とエイトとの決闘よーっ!」などと、冗談めいたアーデライードが勝手に命名したものである。

 この原因について、当初の瑛斗は「決闘って、生死を賭けた決闘?」と生真面目に問うたが、瑛斗との初めての手合わせでテンション爆上げとなったお茶目なハイエルフが「この世界って、そういうものなのよ?」などと、高を括ってちゃらんぽらんな発言をした。このような結果を招くとは、誰しもがお釈迦様でもお天道様でも気がつくまい。

 だがこの冗談を真に受けた者こそが、素直で純粋で異世界初心者な瑛斗ならではである。


「そうだね。決闘くらいしとかないと、気分が乗らないでしょ?」


 などと、嘘を知らない瑛斗は、とんでもないことを言い放つ。

 しれっと「そうよ、練習試合みたいなものよ」と、アーデライードは口を挟む。


「そういうものかな……そんな気がしてきた」


 それを聞いたソフィアが混乱しつつも、横に御座す『聖なる森グラスベルの大賢者』たる御高名と御高説に乗せられたか、真実を無視してホッと胸を撫でおろす。

 ともあれ、面食らって開いた口が塞がらないドラッセルなんて目もくれない。


「それよりも、騎士としてやるべきことがあるんじゃないか?」

「そ、そうよそうよ、そうよー」


 ついでに口を滑ってしまった手前、合いの手が無視できないハイエルフは白を切る。だが、拍車をかけた瑛斗の言葉は、初手を取ろうとする挑発であった。


「やるべきこととは……それは、責務だ」


 その尋問に気付いたドラッセルが、ハッと我に返ってこう反論する。


「何が何でもやり遂げる気概こそ、騎士としての本分だろう」

「その騎士の本分とやらはどこいったんだ、自尊心を空回りして」

「空回りだと? 自尊心なんぞ、騎士の名誉と血の結束こそ誇りだ!」

「へぇ、それで焦ってたんだな、ドラッセル」

「ムッ……なんだと?」


 瑛斗からの挑発にまんまと乗せられたか、騎士は眉根を寄せて巨漢を揺らす。

 意地悪そうな笑みを浮かべた瑛斗は、さらに重ねてこう言い放つ。


「だから思い通りにいかず、気分が落ち着かないんだ……違うか?」

「……ああ、そうだよ。その通りだ!」


 煽られたドラッセルだが、苦々しくも珍しく素直に応じた。

 怒りとともに迷いも見えてか、声が震え、そうそう気持ちが抑えられそうにない。


 エルヴィーラ救出の原因究明についてこず、自分自身の焦りが堪りに堪って、戸惑いと意気地とやるせなさとが被さって、憤懣やるかたないままに整理がつかなかったのか。もしくは様々な要因が重なって、容疑者に怒りをぶつけるしかなかったのだろうか。

 そう正義感と虚無感の葛藤が去来して、投げ捨ててでも叫びたいと心の中で連呼する。


「怒りを発散するに運動は必要さ、身体が鈍っちまう」


 準備体操を欠かさない瑛斗は、上半身を捻って背骨に音を鳴らせる。

 いつも冷静な表情の瑛斗にも、何故か口をへの字に結んで隠せない。

 気のせいかも知れないが、ほんの少し怒りが滲んでいるようにも見える。


「ドラッセルだって、鬱憤を発散しとかないと、な?」


 知ってか知らぬか。瑛斗はドラッセルの真意を見抜いているかのようだ。

 それに続いて屈伸運動をしながら、芯が通った本心を投げかけた。


「それよりも俺は、自分の実力を試したい。剣と槍、どちらが強いか」


 剣と槍――双方、ふと別のところへと腑に落ちた。

 瑛斗とて、曲がりなりにも保護猫扱いレイシャの責任不足の後悔は然りとて、逆に滾りに滾った冒険心の火が灯り、ますます熱く炎が燃え盛る。

 その怒りの原因は、机に齧り付いていたから。休日返上での末期試験の猛勉強であり、二週間の間からようやく開放されて休日を得た、試験休みだからである。


「……本当にいいんだな?」


 二人とも真っ直ぐ正面で立ち、視殺戦で交差し合う。

 お互いに機が熟したか、瑛斗がこくりと頷いた。


「ならば、やろうか」

「よし、やろう」


 そういうことになった。

 二人の間に極まっていた緊張感が、いつの間にか打ち解けていた。

 それよりも意気軒昂と高揚感が先に上回ったのである。


「それじゃ、私がこの決闘を審判するわね」


 審判役を買って出たアーデライードが、手を挙げて双方の位置を促した。


「あの……二人とも大丈夫なんですか?」

「んー、大丈夫じゃないの? たぶん」


 ソフィアが言葉に窮するほど適当にいなす。相変わらず曖昧なハイエルフである。


「ま、精霊の護符アミュレットはジャブジャブ浴びせかけるから平気よ、きっと」

「はぁ……」


 などと、堂々とあっけらかんと言い放つ森の麗人に、素人のソフィアは困り果てた。

 何故ならば、高位精霊使いシャーマンロードの何たるかを理解しがたい、単なる若き新人騎士ルーキーなのだから。


「なんとかなるでしょ、なんとかね!」


 ソフィアに向けて、明るく振舞うアーデライードはこう言った。


「男の子ってのはね、そういうものなのよ?」


 経験値なら、ハイエルフだってよく分かる。決闘なんてお手の物。

 どちらとも、若々しくて猛々しい、血気盛んなお年頃だから。

 怪我はなかろうか、不運に見舞われないか、杞憂にならないか。

 心配だって、気が気じゃない。普通じゃ考えられない。信じられない。

 とてもじゃないけれど、こんなことするなんて――でも。

 それでも、そういうものなんだから。なんとかなるでしょ、なんとかね。


「はぁ、そういうものですか?」

「そういうもの!」


 そう言うと、小さな舌を上唇へと突き出した。てへぺろである。

 勇者見習いと出会ったアーデライードと、騎士学校からの繋がりを持つソフィア。

 心の繋がりがふらふらと揺れながら、思い思いでもある共通点でもあるのだ。


「だって、何度でもやり合ってくぐり抜けた仲間パーティじゃない!」


 得意満面なハイエルフに対し、意気消沈のソフィアは気分が晴れない。

 アーデライードの横顔を見るに、意気揚々と自信満々で鼻息が荒い。

 まるで選手の介添人セコンドか、応援している観戦者みたいに見えたから。


「はぁ……部隊パーティですか……」


 仲間と部隊の違い。塩対応のソフィアは、また溜息を吐くしかなかった。

 まだ十七歳とうら若く、若さとは何たるかを微塵も知らないからなのか。

 もしくは、未来を導く開拓者となり得る姿を崇奉して、先へ目指すべきなのか。

 いっぱいいっぱいで、何も思いつかなくなってきた。ならば、仕方ない――


「とりま、レイシャのほっぺで補給しとこ」


 自らの膝枕ですやすやと眠る、レイシャの寝顔をじっと眺める。


 男同士の決闘なんて、野蛮で単純で殺伐過ぎる。

 それよりも、可愛さと愛情を欲して、欲望と母性本能を満たしたい。


「ほれほれ、憂い奴じゃ」


 それとなく親指と人差し指の間で、レイシャの頬を挟んでほっぺたをぷにぷにと触る。柔らかい。レイシャは子猫のようで愛くるしい。寝顔を見ているだけで癒される。

 まずはこの子が目が覚めるまで、静養するまで支えてあげなきゃなるまい――などと心の中で呟いて、全てを投げ捨ててまで現実逃避をしたいと思う、ソフィアであった。

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