第75話 消えた策士の足跡を巡る旅(中篇)
消えたエルヴィーラの足跡を追い、森の中を歩くこと六時間強。
ライカとカルラら人狼の少女たちを先頭にして、急なアップダウンの斜面を幾つも超えてきた一行は、いよいよオーディスベルト山麓へと足を踏み入れた。
「ソフィアたちの様子はどうだった?」
「さっき
徒歩と馬車とで隊を分け、連携を取りつつ進んでゆく。山深い森の中を徒歩で進むのは、瑛斗と人狼たちを中心とした捜索隊。荷を積んだ馬車で進むのは、ソフィアを中心とした運搬隊。その相互の連絡は、森に強いサクラと空を飛べるレイシャが交互に担当した。
「やっぱり山道を進まずに、森の中を進んでるのかい?」
「匂いを辿ると、そうみたいなのです」
サクラの問いに答えたライカは、頷きながらちらりと瑛斗を仰ぎ見た。
「どうやら追跡を逃れるために、単調な山道を避けたようだ」
瑛斗はそう補足を入れつつ、水筒の水を口に含んだ。
高原の森の中とはいえ、初夏の陽気は体力を奪う。水分補給は怠らない方がいい。重たい鎧を馬車へ預け、瑛斗と共に森の中を行くドラッセルへ水筒を投げてよこす。
受け取った水筒の水をひと口飲んで、ドラッセルがオーディスの山頂を眺めやる。
「ああ、うん……そういや」
「どうかしたのか、ドラッセル」
「おっと、いや、なぁに」
独り言を瑛斗に聞き付けられて、ドラッセルがきまり悪そうに頭を掻く。
「この辺りは、騎士学校の行軍や野営の訓練でよく来た場所なんだ」
「へぇ、そうなのか」
瑛斗とて中学時代から、林間学校や課外授業で山歩きは数多く親しんでいる。だがドラッセルら騎士たちに似たような授業があるとは、思い寄らないことであった。
「オレとアードナー、エアハルト……それにエルヴィーラは同期でな」
アードナーとエアハルトは同じ歳の幼馴染。騎士学校の受験に一度失敗しているドラッセルは、彼らよりも年齢がひとつ上のはずだ。
「やんちゃだったオレたちは、あれこれと馬鹿な真似をしまくったもんだが、そん中でも一番のドジを踏んじまったのが、この山中の行軍練習の時だったんだよな」
その当時を思い出したのか、ドラッセルが目を細めて懐かしそうに語る。
「そうか……オレぁすっかり忘れちゃいたが、アイツは覚えてたのかも知れねぇな」
「さぁ行こうぜ、ドラッセル」
「おっと、いけねぇ。日が暮れちまわない前に、先を急ごう」
少しの間だけ足を止めていた間に、人狼たちは先へと進んでしまった。ここは足を止めず、少しでも捜索を進めておきたいところだ。今は感傷に浸っている暇はない。
遅れを取り戻すため、瑛斗とドラッセルは山の斜面を急ぎ足で、かつ慎重に登り始めた。
足場の悪い急斜面を急げば、体力を奪われぬよう口数は自然と減ってゆく。ふたりはライカとカルラの後を追い、黙々と山登りに集中するのであった。
やがて日は暮れて、日没を合図に捜索は中断。瑛斗ら捜索隊はソフィアら運搬隊と合流すると、本日は森の中でキャンプを張ることとなった。
「さ、お夕食の支度をしちゃいましょ!」
「馬車からお水をとってきますーっ!」
今夜のキャンプ地を定めると、ライカとカルラは張り切って食事の用意をし始めた。
「今日は頑張ってくれたんだから、休んでていいんだよ」
「いいえ、へっちゃらです!」
「いつも野苺を探して、森の中を半日以上歩き回るもんね!」
疲れ知らずのライカとカルラは「ねー」と、姉妹の様に声を合わせる。
山中を
こうなると疲れの残る瑛斗は、獣人族たちの底知れぬ体力に恐れ入るしかない。
「で?」
アーデライードから、いつもの調子で質問が飛んできた。そんな彼女へ振り向けば、早々に
「それ、晩酌用に用意したんじゃないの?」
「あら疲れをとるのに、蜂蜜はいいのよ?」
ずっと馬車の中で楽をしていたクセに、相変わらず口は達者なハイエルフである。
彼女が口にしている
余談だが、栄養価の高いこの酒は、蜂のような多産と滋養強壮をもたらすとされ、新婚直後の新郎が飲む酒でもあった。現在の「
その艶やかなとろみを帯びた金色の酒は、髪色同様のハイエルフによく似合う。小さな舌を突き出してチロチロと舐めとる仕草は、蜂蜜を舐める童女の様子に見えて愛らしい。
「それで、でってなにさ?」
「で、
「ああ、したよ」
どうせ気付いているのだろうから、瑛斗もあっさりとした口調で答える。
「オークが三匹と、他にはデ、ジュ……なんだっけ?」
「ジェヴォーダンだろ」
名前を詰まらせた瑛斗に、ドラッセルが馬車から荷下ろししつつフォローした。
ジェヴォーダンとは、狼と犬の特徴を掛け合わせた姿であり、その倍はあろうかという巨大な体躯を持つ
ただし自分よりも大型の動物を嫌い、しばしば牡牛などの家畜に追い払われて逃げ出すこともあるといわれている。
「そう、ジェヴォーダン。その犬と狼のあいのこみたいな大きいヤツ」
「ふんふん、山岳地帯特有のヤツらね」
「ジェヴォーダンは群れだったけど、殆ど逃げちゃったよ」
瑛斗らが戦闘で仕留めたのは、群れのうち先陣を切った二匹だけだった。
きっと経験の浅い、好戦的で若い個体であったのだろう。瑛斗とドラッセルに斬り伏せられるや、それを見た残りの群れはさっさと逃げ出していった。
ちなみにその遺骸は、サクラが手際よく皮を剥いで木の枝に干してある。毛皮として持ち帰るつもりらしい。森を中心にして生活を営む獣人族たちらしい智慧だ。
その毛皮を横目にしながら、悪い顔をしたドラッセルが人狼たちへ憎まれ口を叩く。
「ま、こっちにゃ本物の人狼がいるからな」
「えー、私たちそんなにわるものじゃないですーっ!」
「そうよそうよ! きっとドラさんを牡牛と間違えたのよ!」
「そんなにデカくねぇよ、オレ!」
人懐っこい人狼のちびっこふたりとドラッセルは、すっかり打ち解けて仲が良くなっていた。騎士らしい畏まったところのないドラッセルに、人狼たちも気兼ねないのだろう。
「カルラにライカ、ドラッセル……みんないるから心強かったよ」
瑛斗としては素直な感想であったが、やや優等生なきらいがある台詞だった。それを聞きつけたドラッセルが、巨体を利して瑛斗に圧し掛かる。
「おいおい、何言ってやがる」
「な、何って何さ?」
「とどめはみーんなエイトが倒してたじゃねぇか!」
「そりゃ俺の剣は……一撃で仕留めるしかないからさ」
ジェヴォーダン退治もそうだが、オーク討伐は見事であった。
謹厳実直を旨とする瑛斗は、失敗や隙を逃さない性格の持ち主である。
「オークを一瞬で斬り伏せるなんて。バケモノか、オマエは」
「ううん、こういう戦い方しか、俺はできないからなぁ……」
「美味しいとこだけ掻っ攫いやがって、まったく!」
ドラッセルは揶揄いながらも、爽快な気分で豪快に笑う。
揶揄われて困った顔の瑛斗に対し、アーデライードは実に満足げだ。
「ま、そういう経験を積ませたかったから、丁度良かったわ」
そう言われてみれば、山岳地帯の怪物と戦う経験を積ませたかった――と、アーデライードは前々から瑛斗にそう告げていたっけ。
斜面を足場にして戦う山岳戦は、常に斜面の上方を位置取って、斬り伏せる戦いが基本となる。時には逆に、上方の敵から攻撃を受けることもあるだろう。
超重量で身の丈ほどもある
それに加えて、同レベルの仲間と連携が取れたとなれば、またとない実戦経験だった。
「さぁて、それじゃ次は、何処へ連れて行こうかしら……?」
異世界の
◆
宿営地にて賑やかな夕食を終え、皆が一息ついた頃――
「ああ、そうだ……あの山の端をよく覚えてるぜ」
月明かりに照らされた山の稜線を眺めながら、ドラッセルが懐かしそうに言う。薪を集めたソフィアが火打石を使って火を灯すと、傍近くの手頃な石に腰掛けた。
「前にさ……オレたちはエルヴィーラに命を救われたって言ったよな」
「ああ、確かに聞いたね」
確か、エルヴィーラ救出作戦の立案会議中の時だったか。
『だからこそ俺たちは、必ずやエルヴィーラを救い出す……!』
彼ら騎士団学校では、同期のことを『血よりも濃い絆』と呼ぶのだそうだ。
厳しい訓練を経る中で、様々な出来事を乗り越えて結束するためだという。そんな彼ら同期の絆を感じさせたそれは、改めての決意表明だったに違いない。
「実はさ、オレたちが十四歳の頃、コボルトの群れに襲われたんだ」
その時の話をする気分になったのか。音を立てて爆ぜる焚火の炎を眺めながら、ドラッセルがぽつりぽつりと語りだした。
「騎士学校で訓練中。ちょうど今みたいな山中行軍での出来事だった」
「それはええと、君らが
「そうだ……まだオレたちは、ぺーぺーの騎士見習いだったさ」
ドラッセルからいつもの様な豪快さは失せ、懐かしくも自戒した声で答えた。
「しかし血気盛んな生意気盛りでな。特にオレやアードナーは人一倍、腕には自信があったんだ。だがな、それでもまだまだ小僧だと思い知った……アレはそんな事件だった」
それは騎士学校時代――行軍訓練のため、山中を移動する真っ最中のことだった。
山中行軍で騎士見習いたちは、十二名でひとつのチームを組んで目的地へと向かう。そのチームリーダーは、旗本出身の貴族であり剣術主席のアードナーが務めていた。
「おい、なんか道が違わねぇか?」
そう気付いたドラッセルが手にした地図と見比べつつ、山の端を確認してアードナーに問う。剣術成績が次席であったため、副リーダー役を任されていたからだ。
「あの山を越えれば、どっちだって同じだろ」
「……まぁ、それもそうか」
「オレたちが一番に辿り着きゃ、それでいいんだ」
自信満々のアードナーが、野心を閃かせながら答える。だが山を甘く見たその考えが、そもそも間違えの元であった。
幾つのも山や谷を越え、鬱蒼とした森を抜け、開けた場所へ出た時――大きく道を外していることに気付いたが、それでは時すでに遅し。
意気揚々と訓練に参加した彼らは、惨めにも遭難する羽目にあってしまった。
「道理でおかしいと思ったんだ……」
陽が大きく西へ傾いても、予定する野営地になかなか着かないことに痺れを切らせ、アードナーを問い詰めた結果だった。
これは完全にアードナーの勇み足であり、ドラッセルの確認不足が招いたミスだ。だからこそ挽回しようと躍起になった結果が、こんな泥沼に嵌った理由のひとつだった。
「仕方がない、元来た道を戻ろう」
「いや、それでは他のチームに後れを取る」
ここで騎士見習いたちの間でも、意見がふたつに分かれた。
前進すべきと主張するアードナー派と、後退を主張するエアハルト派だ。だが経験の浅い彼らでは、どちらの手法をとるべきか決めかねる事態だった。
ここで更に不運にも、騎士見習いたちに予期せぬ出来事が重なってしまった。
「うわっ!!」
「どうした、なにがあった?!」
「て、敵襲だ!」
その叫び声に周囲を見渡せば、暗くなりつつある森の奥に光る眼玉がひとつ、ふたつ。そして威嚇するような唸り声。その数は明らかに数を増していくようだった。
「コボルトだ……!」
コボルトとは、狗頭に毛深い体毛、小人の姿をした
知能は人よりも劣るが狡猾にして残忍な性格で、ゴブリンよりも優れた俊敏性を備え、棍棒などの武器を用いて群れで獲物を襲い、追い詰める習性を持つ。
中には友好的な種族や、賢者のように知恵が回る種族もあるとされるが――
「攻撃……来ます!」
「剣を抜け、応戦しろ!」
そんな幸運など滅多にない出来事だ。武器を持たざる者は、凶暴な彼らに山中で遭遇しないことを、ただ祈るしかないだろう。
しかし幸運なことに騎士見習いたちは、未熟ではあっても武器を持つ者たちだ。
「駄目だ、囲まれたぞ!」
「くそっ、マールがやられた!」
「防護陣形! 怪我人を護れ!」
勇敢なアードナーが誰よりも先陣を斬って叫ぶ。智慧者のエアハルトが陣形を指示し、ドラッセルが巨体に任せてコボルトの群れを蹴散らす。
だが多勢に無勢――騎士見習いたちは、たちまち劣勢に追い込まれていった。
「あれを見て!」
誰かが叫んだ。その方向を眺めやれば、建物のような影が見えた。
夕闇迫る薄暗い森の中、アードナーが勇猛を見せてコボルトどもの包囲を食い破ると、見習い騎士たちは建物の方角目指して一目散に突っ走った。
「オレたちで最後だ!」
怪我をした仲間を背負ったドラッセルと共に、殿を務めたエアハルトが俊敏さを生かして建物へと飛び込む。木製の大扉を数人掛かりで閉じれば、扉への体当たりで潰れる様な衝撃音と、コボルトたちの悲鳴が直後に響き渡った。
何度か棍棒で扉を叩く音が響いたものの、それ以上は無駄だと判断したのか、やがてその音も止んでいった。
「ここは……なんだ?」
「どうやら古い砦のようだぞ」
そこは魔王戦争時に使われて、今は打ち捨てられた砦であった。
あれから半世紀近くを経ており、よって地図からは既に消されている砦である。
「辺りはどうだ?」
「駄目だ……すっかり囲まれちまってる」
見張り台に立った仲間のフリッツが、落胆した声で答えた。
「仕方がない、今夜はここに立て籠もろう」
その意見に誰もが頷いた。所々朽ち果てているとはいえ、堅牢な砦は護るに堅い。また手持ちの予備食料はふんだんにあった。
だが騎士見習いたちは、そこで思いも寄らぬほど立ち往生することになる。
まずコボルトどもの数が如何せん多いこと。腹を空かせているのか、その数は日増しに増えていった。加えて季節外れの悪天候が、彼らに襲い掛かったからだ。
「おい、どうする」
「このままでは、ジリ貧になる一方だぞ」
「……討って出よう」
そう考えたアードナーを始めとする血気盛んな者たちは、砦を出て、即時決戦によるコボルトとの殲滅戦を主張し始めた。まだ体力が十分に残されているうちに、包囲網の一点突破から戦況を打開する作戦だった。
「では、怪我をした者はどうするの?」
「ここへ置いていくつもりか!」
最初にコボルトの襲撃を受け、身動きのとれぬマールが怯えた表情を見せる。
幾たびかのコボルトによる襲撃で、怪我をして動けなくなった友も多かった。例え動けたとしても、長時間の戦闘後に山を下りる体力が残されているとは、とても思えない。
「あの……みんな、私に任せてくれないかな」
その隊の中に、当時からよく智慧が廻ると評判の少女・エルヴィーラは居た。
ただその時の彼女はひたすら地味で、これまで発言をすることはなく、隊の最後尾をじっと黙ってついてくるような、そんな少女だったと記憶している。
「何をするつもりだ?」
「いい手があるのか?」
口々に尋ねる交戦派の面々に対し、エルヴィーラは落ち着いた口調で言った。
「人遠く
「あっ……えっ?」
「遠く将来のことを考えて動かねば、近い将来に問題が起こる」
「ど、どういうことだ?」
「直面している問題だけを解決しようとしても、ダメなの……」
そして彼女が頭角を現したのは、この時であったとも記憶している。交戦を訴える多数派に、論を以て真っ向から反対したのが、このエルヴィーラであった。
普段は目立つことなく物静かだった彼女は、頑として譲らず滔々と主張し始めた。いつも見張り台に立ってじっと周囲を観察し続けた末、最良の方法を思いついたのだと言う。
確かに――遠くにある山の端を見据えるように、澄み切った横顔が印象的であった。
「私に三日の時間を頂戴……必ず何とかして見せるから」
彼女はそう言って、交戦開始までに三日間の猶予を願い出た。
数々上がる質問の声に、エルヴィーラはじっと黙して具体策を答えなかった。だがその瞳には、誰よりも強い決意が感じられた。それだけは誰が見ても、間違いがなかった。
そうして慎重派のエアハルトと共に、交戦派の意見を辛抱強く抑え込んだ。
「わかった、オレが必ず三日間を持ちこたえて見せる」
交戦派でもあり、リーダーでもあるアードナーが決断を下した。攻撃最大の要となる男の決断だ。こうなると他のメンバーも、口を噤む他なかった。
そして間髪置かず、その翌日の朝――事件は起こった。
「おい大変だ、アードナー!」
「どうした?」
「エ、エルヴィーラが……!」
立て籠った古き砦より、彼女は忽然と姿を消してしまったのである。
ひとり、誰にも告げることなく。きっと夜中のうちに行動を起こしたのだろう。
「エルヴィーラが逃げ出した!」
「あの女だけ、オレたちを置いて逃げたんだ!」
仲間を、怪我人を置いて逃げたんだ――そう口汚く罵る奴もいた。
だがエアハルトの一言で、その場で声を荒らげた全員が黙り込んだ。
「ではコボルトの群れの中、たった独りで逃げ出してみるがいい」
辺りはすっかり囲まれて、怪物の溢れる森の中。
たった一人で逃げ出すことは、とても勇気のいることだ。
「恐らく彼女の真意は、敵に気付かれやすい多勢での団体行動を捨て、エルヴィーラ単独による敵陣の突破行動。隠密性と機動力を重視して、自分の身を投げうったんだ」
思えばエアハルトは、エルヴィーラと共にずっと殿を務めていた。その時に彼女の聡明さに、思慮深さに気が付いていたのであろう。
エアハルトだけが――彼女の意図を的確に見抜き、そして信じていた。
「たった独りで死地を駆け抜ければ、英雄だ」
「だが失敗すれば蛮勇、犬死の誹りを免れまい」
そんな中でも一人、エアハルトだけは主張を曲げず貫き通した。
「援軍を連れてエルヴィーラは必ず戻る……私は彼女を信じる」
エアハルトは当時、まだ線が細くて気弱な色男だとみんなから思われていた。そんな普段は覇気を欠片も感じさせぬ男が、頑として主張を曲げなかった。
幼馴染であるアードナーは、そんなエアハルトを誰よりも一番理解していた。冷静沈着な知性派である彼が、意味もなくここまで妄信することはあり得なかったから。
「敵陣の配置を読み、抜け道を探り、その間隙を縫って、援軍を引き連れて帰る……彼女ならばできる。いや、これは彼女でなければ、きっとできない仕業だろう」
崩れかけた砦を盾にして、コボルトの群れと抗戦すること三日間。
怪我人を助け、お互い励まし合いながら、ドラッセルはアードナーと共に奮戦した。騎士見習いたちは皆、歯を食いしばって佳く戦い、約束通りに彼女を待ち続けた。
◆
「それでどうなったんだ?」
「果たして援軍は来たよ……約束通り、三日後の昼にな」
エルヴィーラは見事、単独で森を抜け、街道騎士団を連れて帰ってきた。
決死の覚悟でコボルトの包囲網を掻い潜ったエルヴィーラの、全身に負った怪我は深かった。それでも気丈に道案内を買って出て、見事に騎士団を導いてやってきたのだ。
三日三晩寝ずの行軍に疲労困憊の彼女は、砦へ着くなりただちに崩れ落ちた。
「その時に確信した……彼女は、命懸けでオレたちを救ったんだってな」
騎士学校の同期による『血よりも濃い絆』は、こういったところに所以する。その一端が、瑛斗にも分かったように感じられた。
「エルヴィーラのお蔭でオレたちは、命を落とさずに此処に居る」
だがドラッセルが思ったように、エアハルトがここまで情熱を持って人を信じている様を見て、アードナーも自分を不甲斐なく、また悔しく思ったに違いなかった。
必ずやエルヴィーラの恩に、彼女の義勇に答えねばならぬと共に誓っている。
「だからこそオレは、いや今度こそオレたちは、必ず彼女を助け出す……!」
そこで瑛斗は、ふと思いついたひとつの疑問を口にした。
「ところで、その古き砦ってどこにあるんだ?」
「それがなぁ……不甲斐ないことに、誰も分からないんだよ」
ドラッセルが申し訳なさげに、後ろ頭を掻いた。
「何しろ地図に載っていない場所だからなぁ……今となっては、何処をどう歩いたかも分からんし。その砦が何処にあったのかすら、杳として知れんのだ」
立て籠った古き砦は、魔王戦争時に築かれた、粗雑で小さな山中の出城だ。
異世界では、地図が戦略上の重要な
それ故に再び訪れるような好機はなかったし、まだ少年といえる年齢のドラッセルたちの記憶では、迷い込んだ砦の位置まで特定することができなかったのだ。
「今から考えりゃエルヴィーラの行為は、
「それは、どういう意味だ?」
「何せ敵陣の配置は元より、自らの往路から街道騎士団の行軍の復路、オレたちと交渉可能な我慢の限界点、全部ひっくるめて計算のうちに読み込んで、三日間――と、十四歳の少女がピタリと的中させたんだからなぁ」
ドラッセルはお手上げだとばかりに、両手を上げて降参して見せた。
「しかも地図まで正確に把握してたんだから、彼女の智謀は計り知れんよ」
それが確かならば、エルヴィーラの権謀術数は一国の軍師並みだ。宮廷書記官として公国の暗部に忍び込み、たった数年でその核心に迫った手腕もまた頷ける。
「ドラッセル、最後にひとつ聞きたいんだが」
「ああ、なんだ?」
「結局、行軍訓練の結果は、どうなったんだ?」
トラウマを思い出したか、ドラッセルは白目の表情になって蒼褪めた。
「ああ……後で教官たちに囲まれてこっぴどく叱られた……」
地図や道標の不注意による大失策として、大目玉を食らわせられたという。
ただし、稀有なコボルトの大群との遭遇に鑑み、お咎めなしとなったようだ。
「ま、それはさておき……」
それまでずっと黙って聞いていたハイエルフが、明るい調子で口を挟む。先程から間断なく
「明日はライカとカルラに任せて、もうちょっと先へ進んでみましょ!」
締めくくりに指を鳴らすと、絶妙のタイミングで焚火の炎が心地よく爆ぜた。
そこで今夜は、みな是非もなく。早めの休息をとることとなった。
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