第30話 ハイエルフと七人目の六英雄の旅

 公国府・ヴェルヴェドにて迎えた朝。

 霧に煙る灰色の城塞都市は、何故か空気さえ重たく感じられる。旅の空の下でいつも感じるような朝の清爽さを、この街に感じないのは何故だろう。

 この丘の上に建つ城塞都市がかつて魔王の熾した戦場の中心であったせいか。それとも石造りの人工建造物に囲まれているせいか。その理由まで瑛斗には分からない。

 アーデライードはよく「朝は大気中に精気マナが満ちている」という。もしかしたらこの街には、その空気中の精気マナが希薄なのかも知れない。

 昨晩、アードナーたちと決めた待ち合わせ場所は、かつての闘技場コロシアム前。

 待ち合わせ時間は「朝食を済ませた頃に」とだけ決めて、昨日の夜は酒屋の前で別れた。随分と曖昧なものである。だが時計のない異世界ではそれが当たり前なのだという。時間に正確で縛られがちな日本人の瑛斗としては、何処か不安で仕方がない。瑛斗手持ちの日時計も、この分厚い霧の前では役に立ちそうもなかった。

 ここの所アードナーらがずっと寝泊まりしているという屯所と、瑛斗たちの宿の距離はそう遠くない。それ故か「何かあれば呼びに来るわよ」と、適当ハイエルフは楽観的である。


 朝食は、宿で提供されたパンと豆のスープで軽く済ませた。

 真面目な瑛斗は、待ち合わせに遅れはしないかと気が気ではないが、そんな瑛斗を余所に、エルフたちはマイペースを崩さない。アーデライードはのんびりと食後のお茶をすすり、レイシャは古代魔法語ハイエンシェントの勉強をし始めてしまった。

 こうなると変なのは自分の方ではないかと思えてくる。時計は非常に便利な文明の利器だが、その発明による弊害を被っているのは、寧ろ現代人の瑛斗なのかも知れない。二人の呑気な異世界人を眺めつつ、なんとなくそんなことを思う。

 一向に動こうとしないアーデライードに、瑛斗はひとつ提案をしてみることにした。


「そうだ、闘技場コロシアムを見に行ってみないか」

「今は闘技も禁止されてるし、面白い所なんかなにもないわよ?」

「それでも歴史的建造物じゃないか」


 アーデライードは「ふむ」と呟いて、形の良い顎を細い指で撫でる。

 このハイエルフ、待ち合わせの時間などに微塵も興味がない。だがこのまま瑛斗を放っておけば、剣の素振りでもしに何処かへ飛んで行ってしまいそうだ。

 ただの石の壁よね、アレ……などと思いつつも、瑛斗の提案に乗ることにした。


 アーデライードの逆提案で、屯所の方とは別の方角から闘技場コロシアム前を目指すことになった。元来た道を戻るだけでは、あまり面白くないだろうという判断である。

 闘技場コロシアムは、野球場の様な高い壁を持つ石積みの建物だ。ローマ帝政期に造られた円形闘技場コロッセウムのような形だが、遠目に見る限りずっと質素で地味な石壁ばかりが続く。華美な装飾などはまるで見受けられない。

 奴隷市場が盛りだったころの闘技場コロシアムは如何なるものだったのか。

 怪物モンスターや猛獣が跋扈していた頃の異世界は、戦闘行為など日常の風景であった。そのせいか娯楽としての闘技よりも、懲罰や見せしめ的な意味合いが強かったようだ。

 牢獄のような石造りの通路といい、この堅牢な建物に収容された者たちに、さぞ絶望を感じさせたであろうことは、想像に難くない。

 しかし牢獄に縁のないアーデライードにとっては、単なる石の壁である。

 瑛斗としては、この積み上げ上げられた石の壁に染み込んでいるであろう、血と汗の記憶を読み出してみたい、などと思うところだが、それはロマンチスト過ぎようか。

 そんな歴史に思いを馳せながら闘技場コロシアムの外壁を辿り歩くと、次第に正門が見えてきた。その入り口をくぐると広場になっていて、幾つかのグループがそこここに固まって待ち合わせをしているようだ。

 その幾つかの内、二台の大型馬車の前に見えるはアードナーとソフィア。瑛斗がふたりに向かって手を振ると、いち早くソフィアが応じた。


「あら、早かったですね。おはようございます」


 お互い朝の挨拶をする。やはり早く来過ぎてしまったようだ。のんびりと時間を潰していたアーデライードの方が、この場合は正しかったということか。


「おうエイト! わりぃな、まだ資材を積み終わってねぇんだ。もう暫く待ってくれ」


 寝ぼけ眼のアードナーが、くすんだ赤毛を掻きながら言ったその時だった。


 オオオオオオーッ!


 廃止されたはずの闘技場コロシアムの中から、一斉に大きな掛け声や号令、怒号のような大声が、それまで静かだった朝の広場に響き渡った。


「……あれは?」

「ああ、ありゃ新兵どもの早朝訓練だ」


 アードナーは「昔はオレらもやらされたもんさ」と苦笑いを浮かべる。

 今日はこの闘技場コロシアムで早朝訓練が行われているそうで、この声の主は司令官や教官、新兵たちの声なのだという。闘技の禁止された現在では、兵士たちの訓練場として使われている――とは聞いていたが。


「これがそうか」

「ああ。この時期の早朝練習は稀なんだがな、今は特別なんだよ」

「と言うと?」

「何せ今、『英雄』がここに来ているのさ」


 アードナーが意味ありげにニヤリと笑う。


「英雄?」

「そうさ。その騎士は『七人目の六英雄』と言われるほどの勇士だ」


 六英雄に関すると聞けば、フリークの瑛斗としては黙っていられない。

 そこでその英雄の一人であるアーデライードに訊ねてみたが、ふるふると首を振り「知らない」とまるで素っ気ない。


「そもそも六英雄なのに、七人目ってのがおかしいでしょ?」


 とアーデライードは言う。尤もである。

 サッカーに於いてサポーターを指す『十二人目の選手』みたいなものだろうか。


「彼はな、騎士に知らぬ者は無しと言われる騎士の中の騎士だぜ!」


 とアードナーは言うが、ここにはその存在すら知らない六英雄アデリィがいる。騎士じゃないから知らないのか、騎士じゃないと知らないのか。

 どちらだか分からないので、仕方なしに改めて訊ねてみることにした。


「すまんが、アードナー……それって誰だ?」

「はぁ? いやいやいや、ありえないだろエイト!」


 アードナーは冗談だと思ったようだが、瑛斗たちが本当に知らないと分かると、大仰な身振り手振りでがっつりと説明してくれた。


 『七人目の六英雄』と呼ばれた男とは――


 かつて魔王戦争に於いて、六英雄の冒険に最後まで付き従った騎士見習いである。

 直接歴史に関わることはなかったが、様々な局面でカギを握ったとされる。

 その後、正規の騎士となり剣技を極めた彼は、諸国漫遊を趣味として、その行く先々で数多の事件や紛争を解決した。また、小国である王弟公国が『奴隷解放戦争』を戦い抜くことができた理由は、彼の力によるところが大きいとされる。

 現在は年に数度の訓練を公国兵に施す、公国の剣術指南役として活動中とのことだ。

 『七人目の六英雄』もしくは『流浪の黒騎士ダークナイト』の二つ名を持つ――


「その男の名こそ、クリフ・ヘイゼルダイン。騎士の中の騎士だ!」


 アードナーが名を告げた瞬間、アーデライードが間の抜けた声を上げた。


「ああーあ! なぁんだ、クリぼうかぁ!」

「クリ坊?!」


 その英雄は、六英雄たちにクリ坊と呼ばれていたらしい。

 恐らく爺ちゃんやアーデライードに言わせれば『坊や』の年齢だったのだろう。

 爺ちゃんならこういう呼び方をするだろうな、と容易に想像がつく。


「へぇ……あの子、今そんな風に呼ばれているの?」

「あ、あの子ぉっ?!」


 そう言ったきりアードナーとソフィアは開いた口が塞がらなくなってしまった。

 彼女の言う「そんな風に呼ばれているの?」とは、瑛斗の方が言いたい台詞である。


「エイト、クリ坊に会ってみたい?」

「まぁ……そりゃあ、興味がないことはないけど、でも……」


 聞くが早いが、アーデライードは「ちょっと待ってなさいな」と言い残し、ずかずかと闘技場コロシアムの入り口へ行ってしまった。

 瑛斗が「ちょっと待って」と言う前に、アーデライードの甲高い声が響き渡る。


「ねぇ、そこの門番! ちょっとクリフに会わせなさいな!」

「う、うわぁ……」


 と青褪めた声を上げたのは、アードナーとソフィアである。

 瑛斗としてはもう目と耳と口を閉じて、静かに動向を見守るしかない。

 詳細までは聞こえないが「とにかくいいから通しなさい」とか言っているようだ。


 ここをブチ破ってまかり通ってもいいけどね。

 この私を通さずに後で叱られるのは、アンタらの方よ?


 とか言っているんじゃないだろうか。たぶん。

 こうなっては平穏無事に済んでくれることを、心から祈らずにいられない。


「ふぅん、あらそう。じゃあ、こう聞きなさいな……」


 門番に何やら言伝ことづてを言い付けているようだ。

 待たされている形となったアーデライードは、渋々と奥へと引き上げてゆく門番に「駆け足!」とか言ってる。彼も仕事でやっているだけであろうに、段々不憫になってきた。

 モンスタークレーマーの様なアーデライードの様子を暫し見守っていると、行きと打って変わって慌ただしげに戻ってきた門番が何事か告げている。


「エイトー! 入っていいって!」


 広場に響くは、瑛斗を呼び寄せるアーデライードの明るいお気軽な声。

 どうやらゴリ押しが成功してしまったようだ。瑛斗は思わず苦笑いをするしかない。


「すまないがアードナー、ちょっと待っててくれないか?」


 そう言い残すと、瑛斗はレイシャの手を取って闘技場コロシアム入口へと小走りする。


「ううん、なんだってんだ?」


 言い残されたアードナーは、思わずソフィアと顔を見合わせるしかなかった。

 だが顔を見合わせた所で、答えなんて簡単に出るはずがない。何せ目の前にいたお調子者のときめきハイエルフが六英雄の一人だなんて、思いも寄らぬことなのだから。


「何者なのかしら、彼らは……?」


 走り去る瑛斗の後姿を目で追いながら、ただそう呟くだけのソフィアであった。



 門番に行き先を案内された後、闘技場コロシアム入口からの長く薄暗い通路を、二人のエルフと並んで三人で歩く。


「良かったよ、アデリィ」

「なによ?」

「てっきり精霊語魔法サイレントスピリットで、強引に突破するのかと思った」

「何よそれ。流石の私もそんなことしないわ、今は」


 まるで前はやっていたかのような口振りである。信用ならないハイエルフである。

 過去を問い詰めようかとも思ったが、それよりも瑛斗には気になることがあった。


「ところでさ」

「なによ?」

「さっき門番に何を言伝ことづてしたんだ?」

「うん? 大したことじゃないわよ」


 あっけらかんとアーデライード曰く、


「クリ坊へ私の風貌を詳細に告げた後、ただ一言『ゴトーのメガネをどこやった?』と、お聞きなさいなって」

「あ、あーあ……」


 その事も無げな一言で、瑛斗は即座に察してしまった。

 英雄と呼ばれる騎士クリフ・ヘイゼルダインは、アーデライードの前で何かをやってしまって弱みを握られていたんだ、と。それは二人にしか分からぬ秘密なのだろう。

 自分も努々ゆめゆめ気を付けることにしよう、と気を引き締める瑛斗であった。


 さて、薄暗い通路を突き当りまで進むと正面に階段があった。急勾配で長い石造りの階段を、足元に注意しながらゆっくりと上る。

 その先に見える出入り口から洩れる小さな外の光が、やがて大きな光へと変わってゆく。その光眩しい出入り口を目を細めつつくぐると、闘技場コロシアムの客席最上段へと辿り着いた。

 ぐるりと見渡せば、楕円形に造られた闘技場コロシアムの壮大な姿。その中心には数百人からなるであろう兵士たち。手抜かりの一切ない訓練風景は迫力満点で、その姿に圧倒された瑛斗は思わず息を呑む。

 広大な客席に人はいない。見渡す限り無人である。ある一角を除いては。

 必死で訓練に励む兵士たちの望むずっと先。客席上段から指揮を執る男の姿が見えた。そこはかつての王族の展覧席であろうか。噂通り黒い全身板甲冑フルプレートアーマー姿に、顎鬚を蓄えた偉丈夫である。

 幾人かの部下を従え、矢継ぎ早に指示を出すその姿は、まさに威風堂々。如何にも騎士のリーダーたる威厳を放っていた。

 その姿を瑛斗が目にすると同様に、アーデライードの目にも留まったのだろう。隣ですぅーっと息を吸い込む音が聞こえたかと思うと、


「クゥーリィーぼーぉぉーっ!!」


 闘技場コロッセオの客席最上段から響き渡るは、アーデライードの甲高い声。


「なっ……ちょ、ア、アデリィ!?」


 一瞬にして、瑛斗の胆が冷えた。数百人規模の新兵たちを前にして、今は指揮官クラスの騎士である男を、あろうことか幼少のあだ名で呼んだのである。

 流石にそれはないだろう、と瑛斗は思った。相手は今や、名誉も地位もある騎士なのだから。幼少の頃のような扱いは、承服しかねるのではないか。

 ところがなんのことはなかった。強面の偉丈夫は腕組みを解くと、アーデライードの声に応える様に、愉しげに手を振り返したのだ。

 それを見た背の小さなハイエルフは、負けじと背伸びをして両手をぶんぶんと振りだした。そんな姿を見ていると、とても英雄たちの邂逅とは思えない。

 気さくな様子で駆け寄るは、重厚そうな黒い甲冑を纏った精悍な髭面の大男。その体躯、ドラッセルに負けず劣らず。瑛斗が見上げる程の巨躯である。歳の頃は半世紀を少々超えた程度の中年期だろうか。刻まれた顔の皺には歴戦の深みが感じられる。

 彼こそが『流浪の黒騎士ダークナイト』クリフ・ヘイゼルダインである。

 同様に駆け寄ったアーデライードを、両手を大きく広げて出迎えた。


「んんっ、元気かね、クリ坊!」

「ハハッ、アデッさんも元気そうで!」


 アーデライードは、クリフ・ヘイゼルダインを未だ平然とクリ坊と呼び、そう呼ばれた黒騎士はといえば、さも当然といった顔で嬉しそうに受け入れている。

 数十年の時を経ようが寸分も変わらぬ程、仲の良い間柄だったのだろう。


「何よアンタ、鬚なんて生やして!」


 かの黒騎士の胸甲冑ブレストアーマーを無遠慮にバンバンと叩く。


「ハハハ、アデッさんは全ッ然変わらんなぁ!」

「何言ってるのよ、ちゃんと成長しているわよ! よく見なさいな!」

「ううーん、全然わからん。ワハハハハッ!」


 瑛斗はそんな二人の再会を邪魔せぬようにと、レイシャと二人で遠巻きに様子を眺めていたが、アーデライードに「何してるのよ、アンタたち」という呆れ顔をされた。

 仕方なしに前へと歩み出ると、髭面の英雄が瑛斗を見た途端に目を丸くする。


「いや……いやいやいや、これは驚いた」


 初めて瑛斗と出会ったアーデライードと同じような反応だ。すなわち、共に旅をした勇者である爺ちゃんと瑛斗の雰囲気は、瓜二つだということだろう。


「これは、まるでゴトーさんと生き写しの様だ」


 瑛斗が想像した通り、クリフはそう口にした。その様子をニヤニヤと見たアーデライードは、満足そうに「でしょでしょ!」と相槌を打つ。


「初めまして、クリフ・ヘイゼルダインさん、俺は……」

「エイト君だろう?」


 ニヤリと笑ってクリフは握手を求めてきた。瑛斗が手を差し出すと、クリフはガッチリと受け取って力強く握り返す。流石は歴戦の英雄らしく、分厚くて堅い掌をしていた。


「きっとゴトーさんみたく、背はもう少し伸びると思うよ、エイト君」

「そうなることを願っています、クリフさん」

「ちょちょちょ、ちょっとお待ちなさいな」


 二人の間にアーデライードが割って入る。


「なんでアンタがエイトの事を知っているのよ?」

「フッフフ、実は先月、エルルカ姉の修道院に立ち寄ってね」

「あーあ、そうね、なるほど確かに……」


 エルルカ姉とは六英雄の一人『鉄壁の聖闘士』エルルカ・ヴァルガのことであろう。

 後にアーデライードに聞くところによると、王国は南海岸方面から公国内へ入るには、エルルカの住む聖ヴァルガ修道院のある街を経由するのだそうだ。

「そこでアデッさんが、ゴトーさんの孫を無碍むげに連れ回していると聞いたんだよ」

 喉で「ククッ」と笑うクリフに対し、アーデライードは「チッ」と舌打ちをした。


 あの口軽女エルルカめ。ちょっと自慢したかったのが裏目に出たか。

 そもそも誰が瑛斗を無碍に連れ回しているっていうのよ?

 彼と私は同じパーティの仲間であって、私が連れ回しているんじゃないの。

 そこのところ、間違わないで欲しいものだわ!


「クリフさんは、アデリィの事をアデッさんと呼ぶんですね」


 アーデライードがぶつくさ言っている隙に、瑛斗はクリフに話し掛ける。


「ああ、まだ幼くて舌足らずの俺では『ル』が言い難くてね」

「そうね、どうしても『あでうさん』か『アデッさん』になっちゃうのよね」


 アーデライードが懐かしそうな声で二人の会話に割り込む。


「そこでアデッさんと呼び始めたってわけだが……なぁ、アデッさん」

「なによ?」

「アデッさんはもしかして、エイト君にアデリィと呼ば」

「そそそそ、そんなことどうだっていいわ! いいわよね?! ねぇッ!?」

「お、おう……ぅ」


 歴戦の英雄『流浪の黒騎士ダークナイト』が『聖なる森グラスベルの大賢者』の迫力にたじろぐ。

 なんだかよく分からないが、アーデライードの気迫は本物であった。


「ととと、ところでアンタに聞きたいことがあるわ!」


 明らかに話を変えようという意図を感じたが、全員が口をつぐむ決断を下した。


「なんで『七人目の六英雄』なんて言われてるのよッ!」

「あれ、アデッさんの地獄耳に届いちゃったか」


 アーデライードは「地獄耳は余計だわ」とクリフに苦情を申し入れたが、その鋭く長い耳は伊達ではない。まさに地獄耳である。


「うーん、奴隷解放戦争からこっち二十年くらいかな。そう呼ばれ始めたのは」


 魔王戦争終結後、クリフが『放浪の騎士』として名を馳せ始めた頃から、ゴトーと旅をした一員であることは周知の事実である。ただしゴトーを信奉する彼は、誰の下にも付かぬと決めた自由騎士。故に騎士としての輝かしい武勲とは無縁の人生であった。

 だが、その名を一躍有名にしたのが『奴隷解放戦争』である。

 弱小国家でありながら戦場の中心地となったのは、エーデルシュタイン公国。その先陣には、老いたとはいえ未だ健在な賢弟王・エドガーの姿があった。

 賢弟王・エドガーと勇者・ゴトーは共に盃を交わしあった旧知の仲である。

 それを知るクリフがエドガー王を支えるべく馳せ参じ、公国府防衛に獅子奮迅の活躍を見せたのだ。その活躍により、エーデルシュタイン公国は滅亡の危機を免れたとされる。

 余談だが、彼が公国の剣術指南として役に付いているのは、その功からである。


「それがなんでそうなったのよ?」

「そりゃあ、六英雄に騎士がいないことに対する、まぁ……嫉妬からだろうな」


 魔王を倒し世界に平和をもたらせた六英雄の中には、彼らが最高戦力と信じる騎士が存在しない。そのことは名誉を重んじる騎士たちの心を深く傷つけていたという。

 そこに流星の如く現れたは、六英雄の魔王討伐に最後まで同行していたクリフだ。

 魔王討伐そのものには戦力として関わっていなかったものの、逞しく成長した彼は『奴隷解放戦争』に於いて著しい戦果を上げた。

 そこで一躍脚光を浴びたクリフは、六英雄と同格の英雄として騎士たちから妙な持ち上げられ方をしてしまったのだという。


「あらまぁ、大変ねぇ」

「いやぁ、大して。まだまだ気楽なもんだ」


 二人とも他人事のように、実にあっさりとした物言いである。

 栄誉に拘りなく和やかに笑い合って旧交を温める。その姿こそが真実なのだろう。

 それは、アーデライードを見ていればよく分かる。

 彼らにとって六英雄などという名称は、結果であって些細な出来事なのだ。

 胸の内に光り輝くのは、爺ちゃんを中心として繰り広げた冒険の日々。

 必要なのは、その大切な思い出だけ。きっと、それだけなのだ。


「ま、アンタはもうちょっと長生きしなさいな、クリ坊」


 そう言って微笑むアーデライードの横顔に、一抹の寂しさが浮かんでいた。

 瑛斗はそんな彼女の様子を、じっと黙って見つめていた。六英雄の一人であるドルガンとの間柄とは、また違う別の繋がりを、クリフとの間に垣間見た気がしたのだ。

 アーデライードとクリフ、種族を超えた二人の間に感じる、逃れられぬ絶対的な運命の溝のようなもの。エルフ族と同様に長命なドワーフ族であるドルガンとは、決定的に異なるもの。


 察するにそれはただ一つ――寿命の差である。


 寿命が存在しないと云われる長命なハイエルフに比べ、人間の寿命は圧倒的に短い。

 彼女が十代の頃にハイエルフの森を飛び出してから、どれほど数多くの仲間と出会えたのだろう。そしてどれほど数多くの別れを経験してきたのだろう。

 爺ちゃんを始めとした六英雄たちの中には、既に人としての天寿を全うした者もいる。その仲間とは、もう二度と会うことができない。あの頃の冒険は、仲間は、彼女の思い出の中でのみ生き続ける。それが人間界で暮らしていくハイエルフの宿命なのだ。

 そんな苦悩が、彼女の背中にくっきりと浮かび上がっているように感じられた。


 ちっぽけな自分はこの広大な異世界で、アーデライードに何をしてあげられるのか。何を残してあげられるのか。瑛斗はついそんなことを考えてしまった。

 口にすればきっと「柄でもないわ、そんなの」と叱られてしまうだろう。だからこれは、自分の心の中にだけ、留めておくべき事柄だ。

 そう考えていた時、瑛斗は婆ちゃんに言われたことを、ふと思い出した。


「思ったことを思った通りに、真っ直ぐにやりなさいな」


 そうだ。自分の思い描いている道を真っ直ぐに進もう。

 未来なんて誰にも分からない。だったら今は目一杯に旅を楽しもう。

 そうすれば目の前の二人の様に、結果は自ずと付いてくるはずだ。

 心にそう刻み直して、この人間臭いハイエルフと共に旅することに決めた。

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