第33話 ハイエルフと行く山岳地帯の旅(後篇)

 ここは山間の街・テトラトルテの北西。

 街と山岳地帯とのちょうど境目、森の奥に流れる小川のほとり

 その冷たい小川の水に、半身を浸して倒れ込む女盗賊の姿があった。


「ここまで……逃げてくれば……」


 とは言うものの彼女にはもう、指一本動かす程の体力は残されていなかった。魔法矢エネルギー・ボルトで貫かれた脇腹の傷口から、とうとうと血が流れ出してとどまることがない。

 水路の川底を波立てぬよう、無理をして這って進んだのがまずかったか。

 朦朧とする意識、身体から失われつつある体温。段々目も霞んできた。

 行く手に見える小さな小屋。それが自分の棲家だ。

 あと数十歩先。しかしその、たった数十歩の距離が果てしなく遠い。


 油断したのだ。いつも通りの簡単な仕事だと侮った。

 過信したのだ。生まれ持った自分の身体能力を。

 だがもう遅い。今更後悔したところで、既に遅いのだ。


 ああ……これまでか……


 獣人族の女盗賊はそう思った。

 何故ならば、彼女は勘づいていたから。すぐそこまで追っ手が迫っていることを。

 半獣人化した獣としての感覚が、追跡者の気配を感じ取っていたのだ。獣の如き嗅覚を以て知るは、無情に追いすがる追跡者の匂い。頭頂部に生えた大きな耳に響くは、徐々に迫りくる足音。鋭敏な獣としての感覚が、着々と近づきつつある追っ手の姿を告げていた。

 万事休す――彼女の脳裏にはそんな言葉が過った。


「あ、いたいた。あらなによ。もうすっかり死にそうじゃない!」


 最初に聞こえてきた追跡者の声は、存外に明るく楽しげな少女のものであった。

 女盗賊は「理不尽だ」と思った。自分がこんな惨めに死にそうなのに。

 だがそれも止む無しか。何しろ狩りの対象は自分なのだ。狩人にとっては所詮獲物の命など、ただの食糧か娯楽ゲームの対象でしかないのだ。

 こんなことになるなら、今まで森で狩りをした時に食べたうさぎにも、もっと優しくすべきだった。ああ、山鳥ヤマドリなんかも美味しかったなぁ……などと、どうでもいいことをぼんやりと思い出す。

 倒れたまま動けない彼女の枕元あたりに追跡者の誰かが立った。この匂いは知っている。小柄なクセに豪剣を振り回す、あのヘンテコな少年だ。思えばこの少年に関わったことが、自分の運の尽きであったか。

 獣人族の女はじっと横たわったままで、もう身動き一つできそうにない。だから諦めて半獣人化の変身を解いた。もう抵抗はしないというせめてもの意思表示代わりだ。見る間に身体が萎んで、人間の姿へと戻ってゆく。

 盗んだ小さな皮袋は自分の右手にあった。少年は固く握っていた掌を、ゆっくりと開くと、ようやく小さな皮袋を取り戻した。


「よく落とさないでいてくれたね」


 少年の声は予想外に優しい。しかし女盗賊はそう言われてやっと気が付いた。追跡から逃れたいだけならば、この小さな皮袋を何処かへ投げ捨ててしまえば良かったのだ。

 並の盗賊であればきっとそうした筈である。それをしなかったのは、捕えた獲物を離さない獣の本能だろうか。だがそれも今となっては、詮無いことだ。

 このヘンテコな少年――こと、瑛斗は小さな皮袋を逆さにして、その中身を掌の上へ取り出す。そうして中から出てきた何かを女盗賊の目の前へ持って来て見せた。これは初めての冒険でチルダから貰ったあの金貨だ。奴隷商人と女盗賊。奇しくも二人の手から取り戻すことになった因果のある金貨。

 その金貨をじっと見た女盗賊は、終ぞほろりと涙を流して泣き始めてしまった。


「ちくしょう……あたしはたった金貨一枚で死ぬのか……」

「そうだ。でも俺にとっては大切な金貨なんだ」


 と軽く脅してみるものの、いくら罪人とはいえ金貨一枚での死は瑛斗も望んでいない。江戸時代では十両盗めば首が飛ぶというが、この程度の窃盗で死罪は重過ぎる。

 瑛斗は身動きの取れぬ女盗賊の両肩を抱えると、小川からゆっくりと引き揚げた。そうしてすっかり力が抜け落ちた彼女の身体を、近くの木の幹へと寄り掛らせた。

 観念したのかもう逃げ出すことはなく、ただ力なく幹に身を預ける。その様子を見た瑛斗は、面と向かう様にしゃがみこむと女盗賊へと問いかけた。


「では、質問に答えろ」


 瑛斗が何やら目で合図を送ると、レイシャはこくりと頷いて呪文を唱えた。


「まず、お前は獣人族だな?」

「……そうだ」


 覚悟を決めた獣人族の女は、狩猟者エイトたちに従うことと決めたようだ。涙目で痛みに耐えつつ、荒い息使いで素直に答えた。

 瑛斗の質問に続いて、間髪入れずにアーデライードが問う。


「さっきの耳、ウルフっぽくないけど、アンタは何の獣人なのよ?」

「狐……」

「きつねぇ?」

妖狐ウェアフォックス……非常に珍しい種族と聞いている」

「へぇ、確かにあまり聞いたことないわね」


 人狼ウェアフルフ人虎ウェアタイガーといった種族は、かつてアーデライードも出会ったことがある。だが妖狐ウェアフォックスとなると非常に稀だ。知識欲旺盛なアーデライードですら、極東の寒冷地に極少数だけ存在している、と聞き齧った事がある程度である。


「だから……孤児みなしごとして、育った……」


 女盗賊の土や泥に薄汚れた頬を、ホロリホロリと涙が伝い幾本の筋を付ける。珍しい種族であることと、彼女が孤児みなしごであることがどうにも繋がらない。意識が朦朧としてきているのだろうか。


「あそこに見える小屋は、お前の棲家か?」


 瑛斗の質問に女盗賊は弱々しく頷いた。声を出すことすら辛そうである。


「木こりの休憩小屋みたいだが?」

「放置されてた……今はそこに住んでる」


 木を切り出す際に休憩や雨宿りに利用するような簡素な小屋だ。使われなくなったものを、そのまま自分の棲家としているのだろう。

 瑛斗はその後も、幾つかの質問を重ねたが、その度に女盗賊は素直に答えた。


「最後に。俺の名は瑛斗だ。お前の名は?」

「……サクラ」


 瑛斗はここで質問を切り上げてレイシャの方へと振り向くと、小さな魔術師はこくりと頷いて「へーき」と言った。


「でぃてぃくと・いびる」


 レイシャの唱えていた呪文「ディティクト・イビル」とは、対象の悪意を探ることができる他、簡単な質問に答えさせて相手の嘘を見破ることができる古代魔法語ハイエンシェントである。

 その魔法の効力を以て、幾つかの質問に答えさせてみた。どうやらこのサクラと名乗った女盗賊は、この期に及んで嘘を憑かなかったようだ。そう瑛斗は判断した。

 ならば此度の一件は、その正直さに免じて赦してやることとするか。


「命だけは助けてやる。俺はこれさえ返してもらえばいいからな」


 瑛斗がそう言うと、獣人族の女盗賊――サクラはキョトンとした間抜けた顔で、瑛斗の事を見上げた。もう死ぬしかない。そう思い込んでいたからだ。


「あら、なにマヌケな顔をしているのかしら、この子?」


 相変わらずアーデライードは、辛辣なことを何気ない調子でさらりと言ってのける。


「あなたは知らないみたいだけれど、獣人族は莫迦みたいに頑丈だから。残念だけど、その程度じゃ死ねないわよ?」

「へっ……? ふへぇ……」


 サクラは自分の身体からふにゃふにゃと力が抜けてゆくのを感じながら「とんでもない連中に出会ってしまった」と後悔した。特にこの耳の尖んがった、美少女だけど口の悪いエルフみたいなの。サクラの動物的な勘が告げている。こいつはなんかヤバい。イカれた奴だ、と。だがもう何もかもが遅かった。


「よし。それじゃあ、まずは手当だ」


 瑛斗はずぶ濡れで泥にまみれたサクラに厭う様子もなく肩を貸すと、横抱きに抱き上げる。横抱きとは俗称・お姫様抱っこの事である。そうして傷を負っていた彼女を小屋まで運んでやることにしたのだ。


「レイシャのエート、やさしい」


 それを見たレイシャはいつもの台詞を呟くと、とととっと瑛斗の後をついてゆく。そうしてアーデライードは、いつもの様に面白くなさそうな顔で後に続くのである。



 レイシャが先行して小屋の扉を開くと、中は酷く雑然としていた。

 片付けが下手なのか、それともガサツなのか。所狭しと生活用品などの物に溢れ返っていた。ただし暮らしぶりは質素なようで、高価そうなものは何もなさそうだ。例えるならばアパートは六畳一間の、一人暮らしのガサツなOLの部屋、といった風情か。


「うっわ、汚ったない!」


 アーデライードが早速、眉をひそめて苦情を申し上げた。


「そうかな。俺が来た頃のアデリィの部屋とそう変わらないじゃない」

「ぜっ、全然違うでしょ?!」


 思わぬところから不意討ちを受けたアーデライードが、真っ赤になって口を尖らせる。彼女の場合は広い専用客室キープルームが書物の山で埋め尽くされ、床が見えないくらいであった。しかしこの小屋では、足の踏み場があるだけまだマシである。

 瑛斗ら一行は小屋の中へ立ち入ると、適当なスペースを見繕ってサクラを椅子に腰かけさせた。


「アデリィ、ポーションを使うよ」

「いいけど。瑛斗はお人よしよね」


 高価なポーションを使うため、瑛斗はアーデライードから許可を得た。

 ポーションとは魔法を付与された回復薬の事である。主に内臓に疾患を得た時に用いられ、軽度な傷であれば即座に再生させる代物である。病や傷創に万能とは言えぬものの、冒険者らの不慮な怪我に対応するに十分な物品アイテムとして大いに活用されている。

 瑛斗はサクラの打ち抜かれた横腹の、内臓への損傷を考慮してポーションを使うことに決めたのだ。


「口を開けて」


 瑛斗がそう言うと、サクラはぼんやりとした顔で素直に口をぱくっと開けた。それを見た瑛斗は、蓋を外したポーションを素早く逆さにし、サクラの口へとねじ込んだ。


「……?! !?」


 ポーションを飲んだことがない者は、こうでもしないと余りの苦さに吐き出してしまう場合が多いという。それを見越して、ちょっと強引な手法をとったのだ。

 サクラはあまりの苦さに目を白黒させると、指一本動かせそうになかった身体が不意に動いて、瑛斗のシャツの端をギュッと掴む。そうでもしなければ耐えられそうにない。

 瓶が空になったのを見届けた瑛斗がサクラを解放してやると、涙目の彼女は何度もけほけほと咳き込んだ。バッグから水筒を取り出して水を一杯飲ませてやる。口にした水が何故か仄甘く感じる程に、ポーションの薬液は苦かった。


「ああ、本当だ。傷口を見てごらん」


 そう言われてサクラはのろのろと自分の傷口を見る。そこからうす暗い緑色の光を放ち始めていた。そんな光景を見たことがないサクラは、薄気味が悪くて仕方がなかった。

 小さく「ひぃっ」と声を上げると、心細げに瑛斗の顔を見上げた。


「大丈夫だよ、薬が効き始めた証拠だ」


 バッグから応急セットを取り出しながら、瑛斗はサクラの不安に答える。とはいえアーデライードから聞いてはいたものの、この光景を目にしたのは今回が初めてだ。この異世界ならではの不思議な光景に、瑛斗も少しだけ目を奪われてしまった。

 清潔な布で患部の周辺を丁寧に拭いてやる。幸いサクラの服装は胸元を隠すだけのへそ出しで、服を脱がさずに手当てするに支障がないのはありがたい。

 異世界の薬草を傷口へ宛がうと、現実世界から持ち込んだ包帯を腹部に巻いてやる。

 瑛斗がサクラにしてやれることはここまでだ。お次は――


「アデリィ」

「なによ?」

「サクラの服を着替えさせてやりたいんだけど」

「嫌よ」


 水路の水底を這い回り、小川を歩いてここまで来たのだ。ずぶ濡れの上、泥まみれである。このままベッドへ寝かせるわけにもいくまい。身動きの取れぬサクラの濡れた服を脱がし、着替えさせなければならない。それには女性陣の助力が必要だった。


「……と、言いたいところだけれど」


 面倒臭がりのアーデライードとしては、ちょっと複雑な心境である。何しろレイシャの時の前例があるからだ。瑛斗に着替えを任せてしまっては、今後に禍根を残しかねないことを、彼女は様々な実例を以て学習している。

 そんなやきもきハイエルフはイライラと口をへの字にひん曲げると、見下したような表情でジロッとサクラへ目をやった。サクラとしてはこのエルフっぽい人にそんな目で見られた日には、身体の芯から怯えて身を縮こまらせるしかない。

 アーデライードとしては単に見下ろしただけであったが、目を奪われるほどの絶世の美女とは、見る者の感情により一挙手一投足が誇張されて見えてしまうもののようだ。

 いや今回の場合、ほんのちょっぴり睨んでいたのは、間違いのない事実であるが。


「レイシャ、アンタちょっと手伝いなさいな」

「まかせろ」


 サクラの寝室はすぐ手前のドアの向こう側のようだ。瑛斗は再びサクラを抱きかかえると、寝室まで連れてゆく。そこから先はアーデライードとレイシャに任せることとした。

 瑛斗が寝室の部屋を出て、後ろ手にドアを閉めた間もなくの事だった。


「あ、あの……ひぃ、あっ、あわっ! あ、あうっ、ああーっ!」

「ふむ、ちょろい」


 瑛斗の閉めた薄いドアの向こう側。嬌声のようなサクラの悲鳴が、背中の方からすぐさま聞こえてきた。これはドアを開けずとも想像できる。

 間違いなくこれは、レイシャのエクストリーム脱衣の絶技が炸裂したのだ。

 加えてサクラは極度の薄着であった。そうなればレイシャの超絶技巧が容易く火を噴いたに違いない。そしてあっという間にすっぽんぽんに剥かれてしまったことだろう。

 そこまで推測して「あれって他人にも有効なんだ……」と独り言ちると、瑛斗はそれ以上想像することをやめた。

 脱がせるのは早いレイシャだが、着せるとなるときっと遅かろう。

 瑛斗はそう考えてサクラの目がないうちに、現実世界から持ち込んだキャンプ用品の一つ、アルコールバーナーとシェラカップで湯を沸かしてしまうことにした。



 湯が沸いた頃、アーデライードから「いいわよ」と声が掛った。

 寝室のドアをノックして中へ入ると、ベッドの中にはサクラがいた。はにかんだように掛け布団で顔の半分まで隠してかぶり、横になっていた。頬がほんのりと赤い。

 瑛斗はドアを開けたままにして手近にあった盆を使い、三人分の温かい蜂蜜レモンティーを持って寝室に入る。コップをアーデライードとレイシャへ手渡して、サクラにも手渡そうとした時だ。


「あ、あ、あたしは今、下着姿で、あの、えと……」


 サクラがあわあわと慌て始めた。確かにベッドでは服を着せる必要まではないが、寝間着を着せるひと手間を、どうやら省いたと見える。

 するとアーデライードがサクラの頭をパコンと引っ叩いた。しかも結構な力である。


「アンタね、エイトの好意を無にする気なのかしら?」

「と、とんでもないです、姐さん……」


 叩かれたことを意に介さぬところは、通常打撃の効かない獣人族ならではであろうか。その上、この短期間によく分からない舎弟関係が出来上がってしまったようだ。

 呆れた様なジト目で「下着姿みたいな服着てたクセに」と言うアーデライードは、サクラにいちいち手厳しい。確かに彼女は盗人で、瑛斗には多大な迷惑をかけている。だから手厳しいのは分からないわけではない。だがこのお気楽ハイエルフは、解決さえしてしまえば大抵の事は我関せずで興味を失ってしまうことが多い。よって厳しいのは何か他に理由がありそうだ。とはいえ瑛斗には、その理由がどうにも掴みきれない。

 サクラは胸元を押さえつつ半身を起こすと、瑛斗から蜂蜜レモンティーを受け取った。

 口にしたことがない飲み物の様で、覗き込んだりくんくんと匂いを嗅いだりしている。害はなさそうだと判断したのか、一口こくりと飲み込んだ。


「……甘い! 甘くて香りも爽やかで美味しい!」


 サクラが蜂蜜レモンティーに夢中になり始めると、胸元を押さえていた脇が疎かになって、たわわに実った大きな胸が、ぼろんと顕わになった。下着を付けているとはいえ、小さな布から零れ落ちそうな程のサイズである。

 目の前の飲み物に夢中な彼女は、鷹揚な動きで胸元を隠すが大して隠れずに下着と胸の谷間がはっきりと見える程に。元々その辺りは無頓着な性格のようだ。

 それを見たアーデライードが、サクラの後頭部を握った拳でバコンと引っ叩く。


「は、ふえっ?」

「きちんと隠しなさいな、莫迦狐!」


 普通の人間なら物凄い損傷ダメージこうむっていそうな打撃であったが、さすがは獣人族ライカンスロープだ。何ともなさそうな顔でぽかんとしていた。

 アーデライードもレイシャも、何故か非常に不機嫌そうな様子である。やはり瑛斗には何故だか見当もつかない。その原因が、サクラの大きなバストに由来することに。

 それ故に、よく分からない覇気オーラを身に纏ったエルフ二人の様子を、瑛斗はただ眺めやることしかできなかった。


「そうだ、レイシャ。ちょっと頼みがあるんだが、お使いを頼めないか?」


 瑛斗はレイシャのコップが空になったタイミングを見計らい、彼女に頼みごとをすることにした。ひとつ気になっていたことがあるのだ。


「アードナーたちをここへ連れてきて欲しいんだ」


 アードナーとはテトラトルテの路地裏で別れたきりである。絶対に諦めないと騎士の誓いをした彼の事だ。今もまだ街中を走りまわり、瑛斗たちを探しているかも知れない。そう考えると少々不憫である。

 何も返事をせずにこくりと頷いたレイシャはふらりと立ち上がると、寝室の窓を開けて飛び出して行ってしまった。何故ドアから出ない。それはレイシャに聞かないと分からない行為である。

 レイシャが森の中へ飛び込むと、十秒もしないうちに姿も気配も感じられなくなった。さすがエルフ族と言うべきか。それでもレイシャのそれは突出していて忍者のようである。

 頼んでおいてなんだが、瑛斗の中に若干の不安が残る。よくよく考えれば、レイシャ一人にお使いを頼むのは、これが初めての事であるからだ。


「レイシャ、大丈夫かな?」

「まぁ、大丈夫じゃないかしら、たぶん」


 アーデライードは相変わらず呑気そうに答える。わざわざ語尾に「たぶん」と付けるのも、相変わらずの事である。

 騎士たちをここへ呼ぶ――そう気付いたサクラは、ベッドに横たわったまま不安そうな表情を隠せずにいた。逃げようにも痛んだ傷が疼いて今はまだ動けそうにない。


「大丈夫だよ、悪い様にはしないから」


 サクラの不安を察した瑛斗が諭すように問いかける。チルダから貰った金貨も無事に取り返せたことだ。実害がなければ、瑛斗としてはそれでもう十分である。


「ま、平気よ。どうせ呑気な連中なんだから」


 アーデライードはそう言うが、彼女の方がその数倍は呑気である。言われた騎士たちも承服しかねる程度には不本意だろう。


「で?」


 アーデライードが質問する際のいつもの「で?」に、どう応えていいのか分からぬサクラは困惑した。仕方がないので瑛斗が翻訳に回る。


「どうして盗人家業なんかしてたのかってさ」

「それは……」


 口籠ってはみたものの、容易く嘘を見抜くことのできる連中である。覚悟を決めたようにゆっくりと噛み締めて口を開く。


「私は幼いころ母様……母親と死に別れちまってさ。それでこの近くの獣人族の村に拾われたんだ。小さな村でさ。その頃は戦争が終わったばかりでみんな疲れ切ってた」


 サクラの言う戦争とは、奴隷解放戦争の事であろう。

 頑健な身体を持ち通常の武器の効かぬ獣人族は、戦場で大いに重宝がられる存在である。故にいざ国同士で事を構える事態となった時、前線へと駆り出されることも多いという。

 そうして若い男手を失った獣人族の村は、徐々に疲弊してゆく。


「そんな村に迷惑をかけるわけにはいかないし、あたしは十五で村を出たんだけど……」


 時は悪政による不況の真っただ中。真っ当な職に就く事も出来ぬ。

 そこで彼女は生まれ持った敏捷性アジリティ器用度デキシティリティを生かして、酔客から財布を盗み取る技術を身に着けていった。

 顔も割れぬ素早さで財布を盗み取る、盗賊シーフギルドに属さない盗賊シーフ。人の仕業とは思えぬこの名も知れぬ盗賊を、街の人々は「陽炎カゲロウの幻獣」などと噂したそうだ。

 失敗知らずでここまでやってきた彼女は、やがてすっかり有頂天となっていた。


「そしたらこんな目に遭っちまってさ……罰が当たっちまったんだ……」


 そう言ってサクラはますますしょげ返る。だが、アーデライードが聞きたかったことはそこではない様で、つまらなさそうにふーんと鼻を鳴らせると、


「で、溜め込んだお金はどこへやったのよ?」


 と訊ねた。というのもアーデライードの事だ。決まって理由がある。


「アンタさっき『たった金貨一枚で死ぬのか』って言ったわよね。スリの稼ぎにしちゃ十分な額でしょ? それなのに『たった』だなんて、随分羽振りのいいセリフじゃない」

「ちっ、違うよ……た、溜め込んじゃいないよ!」


 サクラが慌てて否定する。だが、この小屋の中は雑然とはしているものの質素そのもので、贅沢のカケラも見当たらない。ならばどこかに溜めこんでいるだろうという推測だ。

 参ったように眉をしかめたサクラは「後生だから内緒にしておくれ」と懇願したのちに、相当重たそうな口を開いた。


「全部……村に……」

「村に?」

「ああ、あたしと同じ孤児みなしごがまだ村にいるんだ……だから……」


 盗んだ金を「盗んだ」とは告げず、こっそりと村の人や孤児みなしごらに渡していたのだという。小さく貧しい村である。サクラの援助は、随分と村の助けになっていたようだ。


「だからあたしは、死ねないと思ったんだ……まだ、死ねないって……」


 サクラはしんみりと語った後に「不甲斐ねぇ……」とぽつり呟いて、がっくりとこうべを垂れると深く深く嘆息した。

 訳ありとはいえ、盗人は盗人。犯罪はそう簡単に赦されるものではない。しかし事情を知った人の好い瑛斗は、早々責める気にはなれなかった。

 これもひとつの市井しせいの声。悪政により生まれた歪と言えるだろうか。

 さて、疑問が解消したアーデライードは、もうこの話題に興味を失ってしまったようだ。先程とは全然無関係の話をサクラにし始めていた。


「で? この仕事、一生続ける気だったわけ?」

「いいや、あたしだってさ、村が落ち着いたら足を洗うつもりでいたんだよ……」

「ふーん。まぁ、盗賊シーフはハンパな技術と気持ちじゃできないものよ。アンタさ、器用度デキシティリティは高そうだけど、盗賊シーフには向いていないんじゃないの?」


 そう小言を言われたサクラは、今回の一件で相当にショックを受けていたようで、疲れ切った顔で項垂れたまま素直に答えた。


「ああ……胸に刻んでおくよ……」


 サクラはそう言って胸に手を置いて頷くと、大きな胸がたゆんと揺れた。


「ほう、その大きな胸だから、刻み易いとでも言いたいのかしら?」

「え、何の話ですかい、姐さん?」


 そうしてレイシャが戻ってくるまでの間、何故かカチンときた様子のアーデライードから、サクラはネチネチと説教を食らってしまったのは言うまでもない。



 レイシャの道案内で、森の奥にあるこの小屋まで四人の騎士たちが辿り着いた。

 こんなところにこんな小屋があったとは、と騎士らは驚きを隠せない。ここまで街道と街を外れれば、怪物モンスターたちがうろつき始めておかしくない場所であるからだ。

 この辺りで林業が最も栄えし時期、危険を冒してまで未踏の地へと足を運び、木を切り出していた頃の名残であろう。そして彼女がここに住まうことができたのは、怪物モンスターですら近寄らぬ屈強な獣人の身ゆえだろう、と結論付けた。

 獣人娘との対決がもうすっかり決着してしまったことに、アードナーは歯噛みをしていた。だがそれは後の祭りである。これから始まる街の祭りの方で頑張って頂きたい。

 今回の一件で、まるで蚊帳の外だったドラッセルとソフィアは、淡々と様子を眺めるだけで別段口を挟む気はないようだ。

 そこで冷静で公正なエアハルトが、この場にて簡易的に処罰を下すこととなった。その判決が以下の通りである。

 獣人の女盗賊・サクラの罪状は、微罪とはいえ窃盗という立派な犯罪である。また今回の一件以外にも余罪はあるものと想定される。

 まずはそう告げて、早々に赦される案件ではないと断罪した。

 但し今回の被害者である瑛斗から情状酌量の嘆願が出されていること。被告人に反省の色が見られ、素直に応じていること。それを以てして減刑処置を加えることとした。

 それには条件があり、傷が癒えたなら直ちにこの小屋を出て、余所の土地へ行くこと。この街での再犯の可能性を見逃すわけにはいかないからだ。出て行かぬ場合は早々に引っ捕らえ、公国の刑法に則り厳正に処罰する。そう決まった。

 これは捕縛されぬだけ十分に軽い処罰と言えよう。通常ならばもっと重い刑に処せられてもおかしくはなかった。故にサクラは、ありがたくこの条件を飲んだ。



 山間部の日暮れは早い。サクラの処遇が決まったところで、瑛斗らと四人の騎士たちは、テトラトルテの街へと戻ることとなった。

 寝室を出る間際に、瑛斗がサクラに一言声を掛ける。


「しっかりと養生してくれよ、サクラ」

「済まないね、エイト……迷惑を掛けちまった」

「いや、こっちこそ連れが迷惑をかけた。君の大怪我こそ不本意だった」

「こんなあたしに……優しいね、エイト。ありがと……」


 サクラがちょっとはにかみつつ、申し訳なさそうに礼を言った。

 その様子を眺めていたレイシャは、ぼそっと「エート、おんななかせの、ようじょきらー」と呟く。傍に居たソフィアには何のことやらさっぱりわからなかったが「やっぱり可愛いなぁ」と、とりあえずレイシャの頭を撫でた。

 瑛斗はアードナーとドラッセルらと話しながら小屋の外へ出た。獣人族とどう戦ったかを説明していたのだ。そうして外を歩き出した時である。

 アードナーとドラッセルが一歩前へと踏み出し身構える。陽が山の辺に落ちて暗くなりつつある森の奥から、こちらへ駆け込んでくる獣の姿が見えたのだ。


 それは一匹の灰色狼ハイイロオオカミ

 人の身の丈程はありそうな大きな狼である。


 それを見た二人の騎士は、一斉に剣を抜き放つ。

 だがその狼は身動き一つすることなく、赤い舌をチロチロとさせながら、荒い息でこちらをじっと見つめていた。


「ライカ?!」


 その声の先には、寝室の窓を開け放ち、叫ぶサクラの姿があった。


「待って! ……その子を、殺さないで!」


 弱々しくベッドから起き上り、窓から叫ぶサクラは必死だった。

 身動き一つしなかった狼が、サクラの顔を見た途端、安心したかのようにその身をゆらりと揺らした。かと思えば、あっという間に狼の姿から全裸の少女へと姿を変え始めたではないか。


「これを……!」


 瑛斗に向けて叫んだサクラが、真っ白なシーツを獣人の膂力りょりょくで投げつけた。しかと受け取った瑛斗は、今にも倒れそうだった全裸の少女の下へ駆け込み、広げたシーツでしっかりと包んで受け止める。

 サクラはソフィアとレイシャに支えられつつ、時折転げそうになりつつも外へと駆け出していた。


「どうしたんだい! しっかりおしよ、ライカ!」

「サクラ姉さま……助けて……」

「助けてって、いったい何が、何があったのさ!」

「村が……カイが……家族が……」


 そう言って、少女は気を失った。

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