第34話 獣人族と地図にない村の旅

「村が……カイが……家族が……」


 そう言い残して、獣人族の狼少女・ライカは気を失った。

 彼女をしっかりと受け止めた瑛斗は、少女の裸体を手早くシーツで包みこむ。そうして力強く胸に抱くと、再び戸内へと急ぎ駆け戻った。

 見たところ怪我は見受けられない。だが事情が知れないので慎重を期したのだ。


「エイトさん、こちらへ!」


 小屋へ入るとソフィアとレイシャが、手早くベッドまでの導線を開放していた。改めて整えられたサクラのベッドへ、手早くライカを寝かしつける。

 小屋内へ入る際、サクラが戸の傍でうずくまっていた。瑛斗は大丈夫か気になったが、ドラッセルに抱えられていたのを見て、少しホッとする。

 ベッドサイドに幾つかの椅子を用意すると、サクラをそこへ腰掛けさせた。サクラは獣人族の少女を心配する余り、オロオロと落ち着きを失っていた。


「なぁ、姐さん……ライカは、ライカは大丈夫なのかい?」

「平気よ。全速力で駆けたこと、それと張りつめた気が抜けただけだわ」


 少女の中に精霊を飛ばして容体を伺っていたアーデライードが答える。サクラは何度も少女へ手を伸ばしていたが、その度にアーデライードからぴしゃりと手を叩かれていた。

 ともかくまずは、この少女から事情を聞かねばならぬ。

 鼻近くに強い臭いの気付け薬を近づけると、獣人族の少女は目を覚ました。鼻の良く効く獣人族には、これで十分なのだそうだ。

 気が付いた彼女はまるで、悪夢に魘された後のような強張った表情をしていた。その額は汗だくに濡れ、荒い呼吸を何度も吐き出す。ソフィアが持っていたハンカチで、少女の額の汗を拭いとってやる。


「で?」


 そんな様子をお構いなしに、アーデライードが獣人族の少女に問い質す。


「何があったのかしら? ちゃっちゃと事情をお話しなさいな。火急の知らせがあるのならば、猶更ね」


 相変わらずキツい調子のアーデライードには、まるで容赦が感じられない。見たこともないエルフっぽい人にこんな調子で問い詰められて、ライカはすっかり怯えてしまった。

 だがサクラがアーデライードの言葉を補うように、彼女の目を見て力強く頷いて見せると、震えるライカは躊躇ためらいがちに、しかし意を決して噛み締める様に語り始めた。



 事はライカが友人の少女らと共に、村周辺の山野へ野苺を摘みに入っていた時に起きた。

 最初に異変を察知したのは、ライカの親友である同じ獣人族のカイであった。


「村の方で、何かが燃える臭いがする……」


 言われてみれば、確かに臭う。彼女らは村を一望できる森の切れ目へと向かった。

 そこには目を疑う光景があった。黒々とした煙が、村のあちらこちらから上がっていたのだ。一部では、轟々と吹き上がり屋根をも焦がす炎までもが見える。

 少女たちは何が起こっているのか把握できずにいた。失火による火事であろうか。だがそれにしては様子がおかし過ぎる。村全体が炎に包まれることなどあるだろうか。


「……襲撃だ!」


 そう、誰かが叫んだ。すると一番行動力のあるカルラを筆頭に、一斉に皆が村へ向けて駆け出した。当然ライカもそれに続いた。しかしどうしても足がすくんでしまい、皆と同じようにはなかなか前へ進まぬ。

 置いて行かれぬ様にと必死に勇気を振り絞り、やっとライカが村へ着いた時のことだ。行動を共にしていた他の少女たちは、既に村を襲った襲撃者たちと対峙していた。


「よくも村を!」


 即座に半獣人化メイクオーバーしたカルラが飛び掛かる。その後をカイが続いた。

 一人目は喉元に噛みついて負傷を負わせたが、二人三人と次々に増える襲撃者の数に、少女たちは徐々に圧倒されてゆく。

 網が投げられ、捕縛される仲間たち。そんな様子に怖気づいたライカがまごまごしている間に、友人たちは全て捕えられてしまった。


「逃げて、ライカ!」

「で、でも……」

「アンタだけでも逃げなさい!」

「そして伝えて、サクラ姉さまに!」


 狼狽えるだけのライカに向けて、少女たちが口々に叫ぶ。


「黙れ、貴様ら!」


 襲撃者の男は獣を躾ける様に、仲間の少女たちを銀の鞭で殴りつける。鞭で打たれ、無理矢理に頭を押さえつけられても、口々に逃げる様にと叫ぶ少女たちの声は止むことがなかった。

 地に這って泥を噛みながらも、カイは、カルラは、それでもライカへ向けて叫ぶ。


「早く逃げて、ライカ―ッ!」


 声よ枯れよとばかりの、心からの叫びであった。

 襲撃者がこちらへ足を向けた時、ライカは踵を返して走り出す。

 少女たちの絶叫を背に残したまま、必死になって山を駆けた。

 意識をせぬまま何時の間にか狼の姿を身を変えて、必死になって駆けに駆けた。

 どこをどう駆けてここまで辿り着いたか。よく分からない。

 本能の命じるままに山中を駆け抜けて、必死の思いでここまで来たのだ。


「よくぞ……逃げてきてくれたね、ライカ……」

「姉さま……でも、私……私は……みんなを置いて逃げてしまった……!」


 仲間の少女たちの悲痛な叫びは、今もライカの耳に強く残っていた。

 両の目からは、止めどなくぼろぼろと涙が零れ落ちる。その様子を見たサクラは、自らの痛む傷を一切気にすることなく、自らの胸にそっとライカをいだいた。

 思い出すのも恐ろしい光景だったのだろう。ライカは小さな身体を震わせて、


「村は、酷い有様で……カイ、カルラ……おばあ様……うああっ!」


 そこまで口にすると遂に顔をくしゃくしゃに歪め、声を上げて泣き出してしまった。

 サクラは悲痛な面持ちで口唇を噛み締めたまま、ライカの声をじっと聞いていた。


 どっかと床に腰かけて静かに聞いていた瑛斗は、ゆっくりと膝を立てて立ち上がる。そんな瑛斗の姿を見たアーデライードは、何とは無しに口をぽかんと開けてしまった。


「あー……っと、もしかしてエイト、あなた……」

「行こう、アデリィ」


 おもむろに剣を肩にかけた瑛斗は、口にせずとも「助けにいく」気が満々であることが分かる。そんな瑛斗の隣では、生意気そうなダークエルフが、既に準備万端といった様子で、さも当然であるかのような顔をしている。

 もしもこのだーえるの小娘がすらすらと喋れるとしたならば「あなたが行かなくても、私は行くから。別に来なくてもいいし」とでも言いそうな雰囲気であった。なんだかやっぱり癪に障るところであるが、それは別の話である。


「俺には捨て置くことができない」

「やっぱりそう言うと思ったわ……」


 アーデライードをまっすぐに見つめ返す瑛斗に、お守のハイエルフは溜息を突く。

 とはいえアーデライードとて、瑛斗がそう言い出すことは分かり切っていたことだ。自分が形ばかりのスタンスを表明しているに過ぎないことくらい、もう分かっている。


「当然だがな、俺も行くぜ、エイト」


 引き締まった表情で、膝を叩いたアードナーが瑛斗同様に立ち上がる。それを合図としたかのように、他の三人の騎士たちも立ち上がった。


「公国内を荒らされちゃあ、黙ってられねぇなぁ!」

「……私は、騎士として民を護る務めを果たすまでだ」


 ドラッセルが指をボキボキと鳴らして闘志を剥き出しにすれば、エアハルトは静かなる闘志を燃やす。それを見たソフィアは、さも当然だと言わんばかりに口元を引き締めて頷いた。

 獣人族の少女の話を聞いた四人の騎士たちも、相当に気合が入っている様である。

 アーデライードは旅装のマントを翻し、優美な立ち振る舞いで立ち上がった。


「エイトって、本当に面倒事を背負いこむ天才ね……!」

「ごめん、アデリィ。迷惑をかける」

「いいわよ。お爺様の代からずっとだし、もう慣れっこなことだから」


 そう言って腕を撫すアーデライードの表情は、何気に楽しげである。


「さて、と。それじゃ色々尋問するわよ。まず襲撃者の数と姿は?」


 毅然とした声で、アーデライードが少女に問う。


「分かりません……十人……いや、もしかしたら二十……」


 戸惑うライカに、ソフィアが優しく問いかけた。


「ね、どういう人たちがいたかしら。ゆっくりでいい。できる限り正確に思い出して」


 ライカの肩に手を置いて、ソフィアは柔らかな口調で問いかける。アーデライードとは真逆のアプローチ方法である。

 必死に記憶を辿りつつ、一言一言を確かめる様にライカが答えるに、襲撃者は皆同様に身形みなり正しく銀の武器を持ち、銀の鎧を身に纏った男たち。その他には目深にフードを被った革鎧レザーアーマーとマント姿の魔法を使う数人の者。

 そして、村の者たちへ襲撃を繰り返す、幾多の怪物モンスターたち。


怪物モンスターたち?」

「はい……小鬼ゴブリンの他に、見たことのない蜥蜴トカゲのような……」

「ふぅん……」


 アーデライードの瞳がすぅっと細くなった。何か思う所があったようだ。


「他には何か、村にはないものがあったんじゃないかしら?」

「あっ、そういえば見慣れぬ大きな馬車が……」

「どんな?」

「幌の付いた四頭立ての馬車が、三台ほど見えました」


 少し落ち着いたのか、徐々に思い出したライカをアーデライードが「グゥーね」と言って褒める。彼女は美しい指をピッと伸ばして「OKサイン」を作っていたが、近年なかなかお目にかからない懐かしのポーズだよなぁと瑛斗は思った。特に指摘はしないけれど。


「さて、それじゃあ早速、講義レクチャーの時間よ」


 騎士たちの真正面に陣取ったアーデライードは、昼にも酒場バルで言っていたような台詞を口にした。どうやらちょっと気に入っているらしい。


「まず、連中の狙いは何かしら?」

「獣人の村を襲い、奴隷化する事?」

「何故?」


 問いに答えたソフィア以下、騎士たちは一様に押し黙る。


「そう、それが正解。奴らの狙いまでは判然としない。さて、次」


 アーデライードの質問はまるで、騎士たちをからかったかのようだ。だがそれは意味のないことではない。実戦に関して彼女は無駄なことをしない。すなわち「証拠のない憶測」を禁止した上で「証拠を見つけて動機を探れ」――そう再確認させたのだ。

 いずれそれらは必要になってくるから「常に頭を使っておけ」ということである。


「確実に言えることが一つあるわね」

「それはなんです?」

「連中は、自らが攻撃されないことを知っている」

「どういうことですか?」


 エアハルトの質問に、アーデライードが素直に教えてくれるはずがない。


「分かっていることを、まず纏めなさいな」


 そう言うと、アーデライードはくるりくるりと指を振る。


「ヒントはみんな、あの獣人の子が教えてくれてたわよ」


 教師顔のハイエルフが親指で指し示すは獣人族の少女・ライカ。エアハルトとソフィア、所謂いわゆる頭脳労働タイプの良識派組が中心となって腕組みをする。


「ライカが口にしていたのは、彼らの装備と人数よね?」

「あー、そうだな。それと旅装姿の精霊使いシャーマンらしき者か」

「あと怪物モンスター軍団もいたぜ?」

「いや……この場合、情報は分けて考えた方が良いだろう」


 エアハルトが次々に繰り出される一同の声を一旦遮った。それを受けて頭の整理整頓が速いソフィアは、最も特徴的な襲撃者を例に挙げる。


「ううん、まずは銀の武器を持ってる大所帯の集団パーティよね?」


 ソフィアがそう口にすると、エアハルトはハッとした表情を見せた。


「そうか、高額な銀の装備を揃え、目に付き易い大所帯で団体行動が可能な組織か!」

「イエース。この条件に当て嵌まる連中が、今回の犯人よ」


 アーデライードがにやりと笑って親指を立てた。

 しかし、公国内を我が物顔で闊歩し、贅沢な装備品を潤沢に扱える連中。だがそんな目に付くような怪しい集団の報告を、テトラトルテ駐在の騎士団では受けていない。


「でも完璧に当て嵌まる集団が居るでしょ?」

「……我が公国の騎士団!」


 既に気付いていたエアハルトは、強張った顔をして絞り出すような声で呟いた。

 アードナーとドラッセルが即座に色めき立つと、ソフィアの口が「まさか」と形作ったが、まるで声にならなかった。

 それを見てアーデライードは、愉快そうにけらけらと笑う。


「分かりやすいわよねぇ。これじゃ犯人が名札を付けて歩いているようなものだわ」

「確かに……公国の騎士団であれば目に付くことなく街道を自由に行き来し、潤沢な装備品を用意することも可能だ。そして何よりも如何な重装備に大集団であろうとも、決して怪しまれることはなく、他者から攻撃を受けることなどもない」

「だけどそれ故に、すっかり油断しているようね」


 だからこそ白昼堂々、過疎とはいえ獣人族の村を襲うことが可能であったのだ。

 であれば、何故公国の騎士団がこのような所業を行ったのか。エアハルトは考える。アーデライードが最初に騎士たちへ問いかけた「連中の狙い」こそが最も気にかかる。これこそが自分たちへ彼女が施した講義レクチャーの核心ではないだろうか。そう考えて、エアハルトはしかと肝に銘じて置くこととした。


 更に調子と図に乗りに乗ったアーデライード先生の講義レクチャーは続く。


「さて、それじゃ地図を広げましょう!」


 地図とは、エアハルトの持っていた周辺地図のことである。真面目な彼はやはり、肌身離さぬよう地図の入った銀色の筒を背負っていた。この地図のことを言っている。

 アーデライードは自分の持ち物ではない地図を、手前勝手に広げろと言い出したのだ。だが彼女の実力を信じたエアハルトは、文句の一つも言うことなく素直に応じて、持っていた地図を広げた。


「さて、獣人族あなたたちの村は何処にあるのかしら?」


 言われるがまま、サクラとライカが地図へ目を落とした。

 初めて見る地図に戸惑いながら、獣人族のふたりが指差した先は――


「……地図にない村、か」


 そこには何も描かれてはいなかった。だからこそ襲撃者たちは、この村を標的に選んだのだとすぐに分かった。

 地図にない村――故に消失してしまっても誰にも知られることはない。襲撃者の蛮行を闇から闇へと葬り去るに適している村であると言えた。


「さ、ではこの時間に襲撃した理由と、目下の敵の目的地は?」


 アーデライードの問いに、騎士たちが腕組みをして呻る。


「まず村の位置から捕虜を連れて移動できる範囲を逆算なさいな」


 移動できる距離は、移動手段によって異なってくる。徒歩か、馬車か――


「あっ、確か大型の馬車があったのよね」

「そして南北に結ぶ街道を幾つか横切ることになるな……」


 夜間の山間部移動は困難を極める。陽のある内に街道へ移動したいところだ。様々な推論から移動範囲を狭め、幾つかの地点へと絞り込んでゆく。

 絞り込んだ地点の内、エアハルトがある一点を指差した。


「山間部の公国直轄領から、ある領主が収める地へと入る最良の順路ルートだ」

「その領主とは?」

「……デラヴェ領領主、クレーマン子爵」


 先代のエディンダム王国・反オスカー派と呼ばれた一派の貴族。アーデライードの言う公国内に潜む「獅子身中の虫」の一人である。しかもこの男、テトラトルテからエキドナへの南北街道を結ぶ、街道警護の一端を担う騎士団を編成している。


「ならば敵は、第十四騎士団か!」


 クレーマン子爵直属である子飼いの騎士団名を、アードナーが叫ぶ。

 第十四騎士団は「街道の怪物狩り部隊」とも呼ばれる一団である。だが獣人族は狂獣化ルナティックした場合を除き、大陸上で市民権を得ている種族。通常は狩りの対象に含まれない。


「ねぇ、確か……」


 ふと思いついたような顔で、ソフィアが口を挟む。


「王家のエキドナ別宅の警護って、クレーマン子爵の親族じゃなったかしら?」

「そうだ。エゴン・クレーマン……子爵の従弟いとこだ」


 エアハルトが口にしたエゴン・クレーマンは、公国きっての武辺者である。槍斧ハルバートを操る恰幅の良い大男で、警護の任はその武を買われての事だという。


「へぇー、良かったじゃない。なんだか話が繋がってきたみたいで」


 先程まで教え子のように扱っていた騎士たちに対し、手のひらを返す様に他人事っぽく口にするあたり、アーデライードはいい加減な講師ティーチャーである。


「そこまで尻尾を丸出しにする……要するに、彼奴等きゃつら阿呆あほうね」


 アーデライードのこの言いざまに既視感がある瑛斗は、爺ちゃんがよく言っていた「一言でいやぁ、彼奴等きゃつら阿呆あほうじゃな」という台詞を思い出した。

 騎士団の作戦行動とは思えない杜撰ずさんさに「平和ボケも甚だしいわ!」などとワザとらしく大袈裟に嘆くアーデライードに対して、それまでの話をじっと黙って聞いていた瑛斗は、彼女に冷静に意見した。


「いいじゃないか。その方がこちらとしてはやりやすい」


 沸々と湧き上がる怒りを抑えつつ、瑛斗は振り向いて獣人族の少女に言った。


「ライカ、君は逃げて正解だった」


 何故ならば、獣人たちの過疎の村は、地図にない村である。襲撃者である公国の騎士団たちは、痕跡さえ残さなければ、如何様いかように扱おうと構わぬという腹積もりだったのだ。ライカが逃げおおせなければ、悪事に手を染めた公国の騎士団によって、闇から闇へとこの事件は永遠に葬られていたに違いなかった。


「君の臆病がみんなを救うきっかけだ――あとは俺が絶対に助けてやる」


 瑛斗の言葉に、獣人の少女はぽろぽろと涙を零して感謝した。ついでに横にいたサクラまで貰い泣きしそうになってしまったが、彼女は年長の意地でぐっと堪える。真っ赤に腫れ上がった瞼は、とても隠し果せるものではなかったが。


 こういう時の瑛斗は「救えない可能性」を考慮した言い方を決してしない。希望がある限り最善を尽くす。決して諦めない性格がそうさせる。

 悲観論者ではないが楽観主義でもない。現実主義ではないが夢想家でもない。

 そんな瑛斗の姿を度々目にしてきたアーデライードとしては、不確定な要素を数多く孕み、奇跡と因果の多様性に富む異世界に於いて、瑛斗の性格は最良なのではないか――そう思うことがままある。経験豊富なアーデライードですらそう思うのだ。間近に見てきた自分の孫について、あの人はどう考えたのだろうか。

 とはいえ、この勝手気ままなハイエルフが結論として結びつける事いえば、「瑛斗と一緒にいると心躍る」というところのみであるのだが。



 作戦会議の終わった一行は、日の暮れ掛けた小屋の外へと出た。

 四人の騎士たちとはすっかり打ち合わせが済んでいる。まず彼らはテトラトルテの街へ戻り「銀の皿騎士団」へ招集をかける。それと同時に早馬を操り想定されるルートへ駆け付けて、山間から間道、間道から街道へと至る出口を二隊で封鎖。網に引っ掛かった襲撃者たちを、まずは正規の尋問に掛けて足止めを図ることになる。


「では、作戦通りに頼む」

「任せとけ。今度はエイトばかりにいいカッコさせんからな!」


 威勢のいいアードナーたちを見送ったところで、サクラが外へと出てきた。

 独りではまだ歩けずに、ライカに支えられてのことである。


「あたしも行く」

「あら、もう歩けるようになったの? さすがは獣人族じゃない」


 アーデライードが呑気に口笛を吹いたが、瑛斗が見た感じでは、とても大丈夫そうに見えない。明らかに皮肉である。よろよろとよろめくサクラに、おずおずと心配するライカ。支え合うふたりは、傍目にも頼りなさ気であった。


「おい、サクラ。無理をするな」

「いま無理しないで、いつ無理すんのさ!」


 今にも泣きだしそうな声で、サクラが叫んだ。


「あたしゃ分かったよ……いつ死ぬかなんて、誰も分かりゃしないんだ!」


 サクラはそう言って、悔しそうに唇を噛んだ。


「あの村にゃ、散々世話になってんだ……ここで恩返ししないと、いつ恩を返せるってんだい? そんなの、今しかないじゃないのさ!」


 そう言うサクラに、ライカが続いた。


「私が、行きます。今度は、みんなを助けたい。力になりたい。臆病で逃げたままじゃ、きっと後悔する……そんな気がするんです」


 義侠心の人一倍強い瑛斗には、ふたりの気持ちが痛い程よく分かる。

 万が一自分が大切な故郷ふるさとを襲撃された日には、なんとしてでも駆けつけて、少しでも力になりたい――きっとそう思うはずである。

 瑛斗はなんとはなしにアーデライードをチラリと見た。


「なによ?」

「いや……何かいい方法はないか、アデリィ」

「ないことはないわね」

「頼むことは、できるか?」

「んー、できないことはないけど……」


 アーデライードはちょっと考える振りをした。

 あくまでちょっと考える振りである。


「あーでれ、けちんぼ」

「う、うっさいわね。レイシャはあっちへお行きなさい!」


 さっきまでぼんやりしていたレイシャが突然割り込んできた。

 しっしと手で追い払うと、コホンと咳払いひとつして改めて瑛斗へ向かう。


「終わったら全力で森の中を駆けることになるけれど、いいかしら?」

「それで構わないよ」


 レイシャの茶々に動じることなく、瑛斗は真面目な表情で答えた。

 もちろんアーデライードは、瑛斗の冒険にあれこれ手を出すつもりはない。だが瑛斗とは同じパーティの仲間でもある。出来る限りの助力は惜しまないつもりだ。

 最近ちょっとサービスし過ぎかしら? などと首を傾げながらも、他ならぬ瑛斗の頼みである。やれやれと肩をすくめつつ、もうちょっとだけ手助けいたしますか――などといちいち理由を付けねば動くことが叶わぬ。面倒臭い思春期型の屁理屈ハイエルフである。


「それじゃ、小一時間ほど時間を頂戴な」


 残念だけど僧侶プリーストほど上手くないけれど、と瑛斗たちにひと声かけると、森の中にサクラを座らせて、精霊語魔法サイレントスピリットの呪文詠唱を開始した。

 彼女が精霊たちに囁きかけている、この魔法とは「ヒーリング」である。

 「ヒーリング」とは、大地や大気、森や泉。至る所に存在している精霊たちへ働きかけて、自然の治癒力を増幅・強化させて対象に身体的な治療を施し、怪我や病気を回復させる精霊語魔法サイレントスピリットである。


「でもね、私の魔法は一味違うわよ?」


 そう告げながら詠唱を完了させると、大気と大地に激震が走るような振動と共鳴が轟いた。実際には効果対象であるサクラにしか感じられていないが、魔力を持たぬはずの瑛斗の目にも、空気の層が断裂したかの様な錯覚程度は目にすることができた。


「ヒーリング・フルラウンド」


 「ヒーリング・フルラウンド」とは「ヒーリング」の最上位魔法である。精霊使いシャーマン最上級者であることを条件に、術者の知力インテリジェンス精神力マインドポイントに比例し、知覚できる範囲全ての精霊たちを使役して治療を施す精霊語魔法サイレントスピリットである。

 よって、現代の異世界では『高位精霊使いシャーマンロードのアーデライード』以外為し得ぬ最上位クラスの精霊語魔法サイレントスピリットであるといえよう。


「あのさ、アデリィ」

「なによ?」

「これって大丈夫なのか……?」


 魔法の効果対象であるサクラは、半透明のヴェールみたいな輝く光に包まれて、白目を剥いて脱力し、ヨダレを垂らして緩みきった顔をしていた。

 気持ちがいいのだろうか、悪いのだろうか。なんだかよく分からない。強いて言うならば、ヘブン状態の様に瑛斗には見えた。


「大丈夫じゃない? たぶん……」


 アーデライードは根拠なく適当に答えた。実際、常人に仕掛けるよりも強めに魔法を仕掛けておいた。時短を狙っての事と、頑丈な獣人族だからいっか、という判断である。

 ハラハラとした表情のライカと軽く引き気味の瑛斗を余所に、アーデライードは「ふむ」と呟いた。そうして彼女は形のいい顎に指を当てて、何やら考え込む。


「これは夜戦になりそうね……ま、丁度良いかしら」


 本来、瑛斗には山間の怪物モンスターらとの遭遇エンカウントを経験させたかったところだが、これはこれで今後の良い糧となりそうだ、と考えたのだ。


 さて、どうかしら瑛斗。

 今回の作戦立案と指揮。その方法を少しは感じてくれたかな?

 ゴトーやエリノアほど上手くはないと思うけれど。

 瑛斗には少しずつでも異世界の歩き方を覚えていって欲しいと思う。

 私は瑛斗を正しく導いているだろうか――いつも背中で語っていたゴトーの様に。


 アーデライードは誰に言うでもなく、そう独り言ちた。

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