第16話 魔法の杖と鉱山街の旅

 ここは『グラスベルの玄関街』イラより北東を進んだ街道上。

 いつもの様にアーデライードを先頭とした瑛斗一行は、『グレイステール山脈の序の口』と称される北方街道をひたすら進み、鉱山街・ラフタへと向かっていた。

 イラからラフタの街までは、徒歩でおよそ七時間。険峻な山中にその街はあるという。

 山道だと聞いていた瑛斗は悪路を覚悟していたが、街道として整備されたそれは、荷馬車でも苦も無く通れるのではないかと思えるほど整備されたものだった。


「鉱物資源や加工品の交易路として行き交う商隊の多さを物語ってるでしょ」


 そう呑気に語るのはアーデライードである。そういうことならば先に説明しておいて欲しい。念の為、山岳登山用の装備を幾つか用意してしまった分、やや荷が重い。

 山中の街と聞いて最も懸念していたのは、まだ幼いレイシャの体力だった。だが今のところ街道を進むレイシャの姿に疲労の色は見られない。むしろ平野部よりも軽快なピッチを刻んでいる様にも感じるくらいだ。


 それにしても毎度のことだが、異世界人たちの長距離を踏破する能力には驚かされる。

 いつも部屋でゴロゴロしているアーデライードや、まだ幼いレイシャでさえ、一日中歩き詰めでも平気な顔をしている。日頃から鍛えてる瑛斗でも舌を巻くほどだ。車や電車のない世界に生きる彼女らは、現代人と歩く量や基礎体力そのものが違うのだろうか。


 夜明け前にイラの街を出発して、太陽は今や天頂へ届かんとしている。

 アーデライードの言うことが確かならば、もう一時間程度でラフタの街へ到着するはずだ。しかし目指すラフタの街は、依然とその気配すら見えてこない。

 そうなってくると「この丘を越えれば見えてくるはずよ!」と、リッシェルの街へ辿り着く前に何度も騙されたことが頭をよぎる。


「それはそれ、これはこれ!」


 と、アーデライードがぷうっと頬を膨らませた。

 ここは馴染み深いイラの街より程近く。何よりも聖域であるグラスベル周辺に於いて間違いを犯すなど、エルフ族の名折れであると言って憚らない。


「心配ならその証拠を見せてあげるわ!」


 と言い残し、街道を外れて森の急斜面へと足を踏み入れて、登って行ってしまった。

 嫌な予感しかしない瑛斗であったが、先導を失って先へ進むわけにもいかない。レイシャと顔を見合わせてから、仕方なしにアーデライードの後をついてゆく。

 行く手は所々岩が剥き出しになっている急な登り道。まさに道なき道である。今にも崩れかねない足元を注意しながら登坂するとなれば、かなりの体力を奪われる。

 そんな中、アーデライードは思いの外、急な斜面をすいすいと登ってゆく。続くレイシャも苦にならぬのか、その姿はますます機敏に感じる程である。

 こうなれば瑛斗だって荷物持ちの劣勢ハンデを背負っていようが、男児として生来の負けず嫌いが頭をもたげる。大粒の汗を流しながら、華奢なエルフたちの後を追う。

 十分程も登ったところで、先頭を進むアーデライードが声を上げた。


「ほら、ご覧なさい。あれがラフタの街よ!」


 森の木々が開けた高台から指差す先を見下ろすと、遠く山々の谷間に、針葉樹林に囲まれた小さな街並みが俯瞰できた。

 質素な赤い素焼き瓦とレンガ作りの家々からは、技工の街ならではの工房の煙突であろうか。幾筋かの煙が棚引いているのが見える。そんなラフタの街並みと共に、雪を冠したグレイステール山脈の美しい山並みを、同時に拝める絶景が広がっていた。

 山間の森の深緑と、鋭鋒の真白き冠雪、空の蒼さのコントラストが素晴らしい。あまりの絶景に、瑛斗は思わず感嘆の声を上げた。


「ほらね! ちゃんと道は合っていたでしょ!」


 アーデライードが当たり前のことで胸を張る。そこは間違ってもらっちゃ困る。

 ともあれ、あれほど奥まった山間にある街であるから、なかなかその風景が見えてこなかったのだ、と理解できた。

 納得した瑛斗の顔を満足そうに見たアーデライードは、すぐさま踵を返して言った。


「さ、来た道を戻るわよ」

「えっ、何でここまで登ってきたのさ?」

「なんでって……証拠を見せる為に決まってるじゃない」


 あっさりとそう言って、アーデライードは口を尖らせた。どうやらこの景色を見せるためだけに、ここまで登ってきたようだ。


「あーああ、そういう……」


 茫然とする瑛斗を置いて、ここまで連れてきた張本人はさっさと戻って行ってしまった。気が付けばだいぶ下まで降りていて「早くなさいな」などと手招きしている。

 すると瑛斗の隣に寄り添うようにいたレイシャが、珍しく不満を口にする。


「あーでり、ひどい」

「まぁいいさ。その代わり素敵な景色が見れたしね」


 レイシャは相変わらずの無表情でぼんやりと瑛斗を見上げると、瑛斗のお尻の辺りをぽんぽんと叩いて言った。


「レイシャのエート、やさしい」


 もしかして慰めてくれたのだろうか。それだけを言い残すと、身軽なレイシャは急斜面をぴょんぴょんと跳ねる様にして降りていく。

 なんとなくだが、その背中は照れ隠しに飛び跳ねている様に見えなくもない。


「……うっし!」


 瑛斗は気合を入れなおす。自分に二人の様な身軽さがないのは百も承知。

 一歩一歩を慎重に踏みしめながら、急斜面を降って行った。



 鉱山街・ラフタ。近隣の山中に希少鉱物の採掘地を持つ、この街の歴史は古い。

 かつて「黎明の刻」と呼ばれた神代の時代より、良質な鉱物資源の採掘地として有名であったという。今の世も鉱物にまつわる幾多の神話が語り継がれている。

 この地を始めとする山々や近隣の森を、神格化した山岳信仰が根付く。

 貴重な鉱物を産出する鉱山では無駄な乱獲採掘が禁じられ、その周辺に於いても森林伐採が固く禁じられている。そうして住民たちで結成された幾つかの自警団によって、厳重な警備と厳格な統治がなされていた。

 腕自慢の鉱夫たちと、古き良き職人気質の技工士たち。彼らの強い信念と深い愛情よって、この街の伝説と伝統は、頑固一徹に守られ続けているのだ。


 その掟を厳格に護る、最たる種族が「ドワーフ族」である。


 ドワーフ族とはエルフ族と同様に、亜人類デミヒューマンと呼ばれる種族だ。

 背丈は低いものの頑健で屈強な身体を持ち、長く豊かな髭を蓄えている者が多い。

 岩石や金属に親しんでいる彼ら種族は、工芸に関して高度な技術力を身に付けているという。石工としての石造技能、鉄鋼を利用した鍛冶技能。そのどれも素材の特性を知り尽くした彼らだからこそ、という優秀な作品を数多く輩出している。

 そんなドワーフ族こそ、鉱山街・ラフタを最も愛した種族と言えるかもしれない。



 そんな鉱山街・ラフタに到着した正午過ぎ。

 今日の宿をキープした瑛斗たちは、少し遅めの昼食を摂った後、二手に分かれてそれぞれの用事を済ませることとなった。

 瑛斗とレイシャは、魔法杖ワンドを求めて商店の立ち並ぶ中央通りへ。アーデライードは、今度のゴールデンウィークを利用した旅の『核』となるであろう準備の為に、古い友人へ会いに行くという。

 さて、瑛斗には一抹の不安がある。レイシャの買い物に付き合って魔法杖ワンドを探すといっても、全くの門外漢なのだ。何をどうしてよいのか、まるで見当もつかない。


「何かレイシャへいいアドバイスはないかな、アデリィ」

「適当に好きなの選んじゃえばいいんじゃないの?」


 考えなしの様子でアーデライードが、さもいい加減なアドバイスを送る。

 様々な言語を操れるクセに、精霊語魔法サイレントスピリット以外には、さして興味を抱かない彼女らしいと言えば彼女らしい。

 相変わらず無表情のレイシャだが、ダークエルフ特有の吊り目がちょっと鋭くなっている気がする。鋭いというか、これは……もしや呆れ顔という所だろうか?


「レイシャに呆れられてるよ」


 と、アーデライードに言ってみると、レイシャが間髪入れずにこくりと頷いた。


「あら、いっちょ前ね」


 などと、誰にどう呆れられようが澄まし顔のハイエルフだが、


「でも私のアドバイスも、あながち間違いじゃないわよ」


 などと、悪びれることなく堂々と言い放つ。そんな彼女の言い分は、こうだ。

 魔法杖ワンドとは、魔法の威力を高めたり強力な魔力を持つ杖、精巧な装飾をちりばめた高価な杖、鑑賞用の美術品から果ては粗悪な模造品等々。まさにピンからキリまで多種多様に存在する。

 しかしそんな中でも、自分の身の丈サイズや実力、感性に見合った杖となると、そう多くはないのだという。


「エイトの剣も、そう」


 身の丈ほどもある両手剣ツーハンデットソードを改造した片手半剣バスタードソード。一見すれば、派手で見栄っ張りに見える代物だ。

 だが異世界人の特性と戦い方を考えれば、瑛斗が最初に持つ剣として最適解であったと言えるのだという。


「だから、気に入ったのを買えばいいのよ。たぶん」


 アーデライードの言い分は、どうも雑な受け答えの様に聞こえてしまうが、そうと説明されれば一理あると頷ける部分もなくはない。


「ううん……これでわかったか? レイシャ」


 レイシャはじっと考えている様だったが、瑛斗の方を仰ぎ見てこくりと頷いた。


「ほら、レイシャは分かってるみたいじゃない。大丈夫よ。たぶん」


 最後に一言付ける「たぶん」がいちいち余計である。

 しかし彼女ら魔法使いキャスターたちが共通して持つある種の「感覚」は、瑛斗も重々承知している。剣を振り回すしかできない自分と違って、精霊使いシャーマン魔術師ソーサラーには、職種は違えど共通する「感覚」があるのかも知れない。

 ハイエルフとダークエルフ。双方の顔をちらちらと見比べてみる。

 いい加減で快活なアーデライードと、無表情でぼんやりしているレイシャ。

 ううむ……共通する点はどちらも「超絶美少女」というくらいで、共通する「感覚」があるようには段々思えなくなってきた。確証はどんどん揺らいでゆく。


「まぁ、探すだけ探しに行ってみようか、レイシャ」


 レイシャがこくりと頷いた。彼女に任せて、やるだけやってみるしかない。


「それじゃあ行ってくるよ、アデリィ」

「行ってらっしゃい」


 明るく手を振って瑛斗たちを見送ると、アーデライードはくるりと背中を向けた。

 そうして表通りを外れて幾つかの角を曲がると、待ち合わせに指定された手前の場所で、ピタリと足を止めた。振り向かずとも分かる。後ろから迫るこの気配。

 その者が次の角を曲がれば、きっと懐かしい顔を見られることだろう。


「お前さんの事じゃ。とうに気付いておるのじゃろう?」

「当然よ。これだけ精霊を騒がせながら、歩いてきているのだもの」


 彼が一歩を踏み出す度に、土や石の精霊たちが騒ぎ出す。

 それは今も昔も、変わらない風景。

 古き友がその角を曲がり、顔を合わせればただ一言。


「いくか」

「いくわ」


 お互いにそう言うと、二人は酒場通りへと消えて行った。



 瑛斗とレイシャは、まずはぶらぶらと街を散策することにした。

 アーデライードは「特に見所のない街よ」と言っていたが、なかなかどうして。

 数々の工芸品が飾られた店先に、鍛冶師たちの焼けた鋼を叩く槌の音。山間部の谷間を利用した入り組んだ古いレンガ造りの街並みは、歩くだけでも見所が多い。

 あちらこちらとつい見入ってしまいそうだが、主目的であるレイシャの魔法杖ワンド探しを忘れてはならない。


「さて、どうしようかレイシャ」


 レイシャに訊ねてみたものの、小さく小首を傾げるばかりだ。彼女が分からないとなると、瑛斗には皆目見当がつかない。

 困ったことに、土産物のような工芸品は数多く店先に並べど、魔法杖ワンドのような武器となる物品は、どこの店先にも見当たらなかった。


「困ったな……全然分からないや」


 もう一つ困ったことがある。店先の看板は、共通語コモンではない――つまり日本語で書かれていない場合が非常に多いのだ。

 それは古い街であるせいか、老舗の店が多いせいか。職人気質のこの街のことだ。半世紀程度の歴史しか持たぬ共通語コモンを看板に使用せずとも、そうおかしいことではない。だから厚い木製扉の内側で何を売り物にしているのか、皆目見当のつかない店舗が非常に多いのだ。

 瑛斗としても全く不勉強というわけではない。ポケットからメモ帳を取り出して、看板の文字を解読しようと試みる。日頃から異世界の文字を綴っては残しておいているメモだ。


「例えば、あのちょっと洒落た感じの店はどうなんだろう?」


 表通りから少し外れた路地裏にある、周囲の店とは一風変わったエキゾチックな雰囲気の漂う店を指差してみる。魔法の商品を扱っている店だと言われれば、なんとなくそんな感じがしなくもない店構えだ。

 メモと照らし合わせながら、店の看板を一生懸命解読してみる。


「魔力……いや、幻覚の……紫……水晶……?」


 なんだか魔法道具マジックアイテムを扱っていそうな店名である。


「試しにここへ入ってみるかい?」


 レイシャに訊ねてみると、こくりと素直に頷いた。


「まずは様子を見てくるから、ちょっと待ってて」


 そう告げて、瑛斗は店の扉に手をかけると、そっと開いて中を覗き込む。


「あのー、すみません……」


 途端に店の中から溢れ出す強烈なこうの匂いが、瑛斗の鼻孔に襲いかかった。

 これが魔法の物品を扱う店の特徴なのだろうか。そういえば聞いたことがある。様々な香草類ハーブや薬品を扱っているために、店舗内は独特の香りに満ちていると。

 もしやそういうことかと考えていると、予想外の展開が瑛斗を待ち受けていた。


「いらっしゃーい!」

「あら、可愛い男の子ねぇ」

「こういうお店、初めてかしら?」


 瑛斗は店の奥から次々と現れた店員の姿を見て、ぎょっとして身を固まらせた。何故ならばそれは、色香漂う薄着しか身に着けていないお姉さま方だったのだ。


「ひっ、や、あっ、あの……!」

「うふふ、怖がらなくてもいいわよ」

「大丈夫、ここに来る人はみんな初めてなんだから」

「お姉さんが、手取り足取り、教えてあ・げ・る」


 胸元を大きく肌蹴はだけたうら若いお姉さまに、指先で頬をそうっと撫でられて、耳元に吐息を吹き掛けられた瑛斗は、身を硬直させて大きく跳ね上がった。


「しっ、しっ、失礼いたしましたッ!!」


 礼儀正しく頭を九十度直角に下げて謝罪をすると、物凄い勢いで店から走り出た。遠目でその様子を目撃したレイシャも、同じように身を跳ね上げて瑛斗の後を追いかける。

 そんな瑛斗の背中へ向けて、高く明るい女たちの笑い声がケラケラとこだました。


「あはははっ! 覚悟が決まったら、また来て頂戴ねぇ!」


 どこでどう読み間違えてしまったのだろう。瑛斗は大粒の冷や汗を背中に掻きながら考える。しかし瑛斗の翻訳は、そう大きく間違えてはいなかった。

 店名は『魅惑の紫水晶亭』であり、魅惑の商品とは推して知るべし、である。


「エート、きけん? きけん?」


 不思議がるレイシャの声を受けて、瑛斗はゆっくりと立ち止まる。

 瑛斗が猛烈な勢いで逃げ去ったのと、運動量の割に大粒の汗を流して青褪めているのを見て、相当な危機が迫っていると察したようだ。


「う、うん、そうだね……ある意味危険なところだった」

「レイシャ、たたかう?」

「いや、いい。戦わなくて、いいから」


 レイシャに参戦されても困る。そもそも何の勝負で戦えというのか。

 それにしても、魔法杖ワンド探しをしなくてはならないのに、寄りに寄ってどうして未知の不思議ワンダーを見つけ出してしまったのやら。当初の目的を逸脱し過ぎていて、もう笑うしかない。

 どうやら瑛斗は魔法使いが持つ「感覚」とやらは持ち合わせていないらしい。それだけはもう、確実に間違いのないことだろう。

 あまりのショッキングな出来事に、路地裏を滅茶苦茶に走り抜けてしまった。大通りからは随分と離れてしまったに違いない。戻ることを考えると気が重い。

 瑛斗が大きく溜息を吐いて「ごめん、レイシャ」と顔を向けた時だった。

 レイシャが目の前にある店の看板を、身動きせずにじっと見上げていた。同じように見上げてみても、やはり瑛斗にはそこに何事が書かれているのか分からない。だが看板の端に書かれている文字には見覚えがある。

 古代語魔法ハイエンシェント――恐らくレイシャはこれを見つめている。


「なんて書いてあるか分かるのか?」

「ん、わかる」


 そう言うと、レイシャは瑛斗の袖口をくいくいと引っ張った。


「もしかしてこの店に入ってみたいの?」


 レイシャがこくりと頷いた。相変わらず店構えでは何の店か全く分からないが、店名を読んだところですっかり間違えていた瑛斗がアドバイスすることなど何一つない。

 ここはレイシャの魔法使いとしての「感覚」を信じるべきだろう。

 意を決して瑛斗が店の重い木製扉を開く。扉は油切れのギィィという音を立てた。


「あの、すみません」


 店内を見渡すと、ガランとしていて商品らしいものは何一つない。

 中央のカウンターに年老いた店主らしき人物が一人、ロッキングチェアで本を読みながら座っているだけだった。


「いらっしゃい。観光客かね?」


 瑛斗をチラリと見てそう言ったきり、読みかけの本に目を落としてしまった。


「あの、魔法杖ワンドを探しているんですが」

「ないよ。うちはそういう店じゃない」


 何もない店内に、愛想のない店主。どこにも取りつく島はなさそうだ。

 レイシャの「感覚」でも駄目だったのかと、瑛斗は肩を落とす。


「この店に魔法杖ワンドは無いようだ。行こうかレイシャ」


 そう促すと、店主をじっと見つめたレイシャが一言ぽつりと、


「うそつき」


 と言ったきり、背中を向けて店を出て行ってしまった。

 レイシャの発した言葉がどういう意味なのか、瑛斗には理解できない。ただ年老いた店主に「すみません」と頭をひとつ下げると、レイシャに続いて店を出た。


「お待ちなさい」


 すると立ち去ろうとした二人の背中に声が掛った。いつの間にか外へ出ていた店主が、店先から瑛斗たちを呼び止めたのだ。


「今のは、どういう意味かね」


 そう問われても瑛斗にはさっぱり分からない。レイシャを呼び戻して意味を問う。するとレイシャは店の看板を指差して、


「まよえるものよ、みちびかん」


 『迷える者よ、導かん』――普段はたどたどしい共通語コモンを話すレイシャから、するすると紡ぎ出された言葉に意外な新鮮さを感じる。

 その言葉を聞いた年老いた店主は「ほぅ」と声を上げ、相好を崩すと、


「最近は、古代語魔法ハイエンシェントの意味も分からず訪ねる者が多くてね」


 そう言って指を鳴らすと、店の扉を大きく開け放つ。

 するとガランとしていた店内には、いつの間にか数多くの魔法杖ワンドが陳列する、店舗の様相に打って変わっていた。

 壁一面の棚に整然と陳列する魔法杖ワンドは大小様々、色とりどり、多種多様。所狭しと並んだ豊富な品揃えと、見事にディスプレーされた店内の美しさ。

 これには瑛斗も、目を白黒させて驚きの声を上げざるを得ない。相変わらずぼんやりとした表情で隣に佇むレイシャに、瑛斗は慌てて訊ねる。


「ねぇ、レイシャ。嘘つきってどういう意味なの?」


 レイシャは小首を傾げ、どうしてそう聞かれたのか分からない顔をした。


「レイシャとエート、まよってる。けど、みちびかない。だから」


 一瞬、意味が分からなかった瑛斗がキョトンとしていると、


「ハッハハ、確かにその通りだ」


 と言って、不愛想に見えた店主が、ますます相好を崩して声を上げて大笑いした。その様子を見て、瑛斗もようやく気が付いた。

 そうか、レイシャが言いたいのは「看板に偽りあり」ということか。

 店主はにこやかに笑いながら、看板に書かれた言葉の意味を説明してくれた。それは或る魔導書に書かれた叙文で、このような一節があるのだそうだ。


 或る学院で魔術を修めた若者が、長い旅の果てに愛用の魔法杖ワンドを折ってしまった。その時に大賢者が現れて、「迷える者よ、導かん」――そう言って、自らの魔法杖ワンドを託すのだ。その若者は後に大魔導師となり、大いなる魔導書を執筆することとなる――要約するとそういう話があるのだという。

 要は、必要な時に必要な物が必要な人に適切に渡る、重要性を問う教えのようだ。


「最近の若者は、必要な呪文の音韻ばかり覚えて、文意をまるで読もうとせん」


 意味も分からず、魔法の効果のみを求めて利用するために、古代語魔法ハイエンシェントを唱える者ばかりだと、年老いた店主は嘆く。

 それに加えて装飾の美しい魔法杖ワンドの場合は工芸品としての価値も高く、最近は壁掛けの美術品として貴族らに買われていってしまうことが多いのだそうだ。


「道具は、使ってこそ道具だろう?」


 言われてみれば、アーデライードも同じような事を言っていた。宝の持ち腐れになるよりも、それを扱える専門家の手に渡る方が良い。高価な魔法道具マジックアイテムでも、仲間の英雄たちにさっさと渡してしまう。この辺り、瑛斗も共有できる感覚である。


「さぁ、久々の客だ。好きなだけ見て選んでゆくがいいさ」

「だってさ。今日はレイシャのお手柄なんだ。好きに選んでごらん」


 色々と試してみて気に入ったものでいいじゃない、とアデリィは言っていたっけ。よく分からない瑛斗は、レイシャに全てを任せることにした。

 レイシャは店内をぽてぽてと歩き始めた。相変わらずの無表情で首を傾げながら眺めているのを目にすると、どうしてもぼんやりとしているように見えて仕方がない。

 それでも瑛斗はレイシャを信じて、じっくりと選択するのを待った。

 店内に居並ぶ魔法杖ワンドの数は、数百本は下るまい。これだけの種類の中から一本を選び出すとなると、とても一日では終わりそうもない。

 或る所でピタリと足を止めたレイシャは、多種多様な魔法杖ワンドが並ぶ中から、一番短くて装飾の少ない、比較的地味なものを一本取り出した。

 それを手に持って構え、ぽつりと小さな声で古代魔法語ハイエンシェントを唱える。


「れびてーしょん」


 レイシャの身体がふわりと宙に浮いた。それを見た瑛斗が声を上げる。


「うわ、凄いなレイシャ!」


 レイシャの魔術師ソーサラーとしての力は、旅の途中で火球ファイアボールを目にして知ってはいたが、他の魔法を操るのは初めて見た。

 続けて、別の呪文を唱え始める。


「えんちゃんとうえぽん、あんど、ぷろてくしょん」


 瑛斗の身体が青白く輝き出し、背中の大剣が鈍色の光を放つ。


「こりゃ、面白い。複合魔法とは驚いた」


 年老いた店主がほうほうと唸った。どうやら二つの魔法を同時に発現させたらしい。

 それがどれだけ面白くて驚くことなのか、瑛斗には分からない。ただ魔力を暴走させることなく、順調に扱えているであろうことは推測できた。


「どう? レイシャ」

「これでいい」


 レイシャはあっさりと魔法杖ワンドを決めてしまった。


「えっ、それでいいの?」


 再び問い直すと、レイシャはこくりと頷いた。

 レイシャの選んだ杖は、細くて短くてとても地味なものだ。見渡せば魔法杖ワンドは他にも色々とある。魔力の効果が高そうな杖や、カッコいい杖、美しい杖等々が数多く並んでいる。

 しかしレイシャがこれでいいというならば、門外漢の瑛斗に口出しなどできない。するべきではない。


「それじゃあ、これをください」


 すぐさま決断した瑛斗に、店主は「これはまいったな」と少し驚いた顔を見せた。


「嬢ちゃんはお目が高いね」

「というと?」

「その杖は、真白銀ミスリルでできているのだ」

「ミスリル!」


 異世界でも入手できるのは稀であると言われる、希少金属・ミスリル。

 鋼よりも軽く高い硬度を持ち、その輝きは銀を凌ぐとも言われている。魔法との親和性も高く、相乗させた場合はより強力な効果を発揮するとされる。よってエルフ族はこの金属をよく好み、様々な加工品として愛用する者が多い。

 ミスリルの語源そのものは、J・R・R・トールキンの小説「指輪物語」に出典を持つ架空の金属の名称である。現在はゲームなどで割とポピュラーとなった名前だが、異世界でこの金属をミスリルと名付けのは、他ならぬアーデライードである。

 彼女から頻繁に語られる「ミスリルという単語を見つけた時、この金属にはこれしかないって思ったのよ!」は、酒を飲む度に聞かされる常套句の一つである。余談である。

 そんな希少金属であるミスリルが、まさか普通の店舗で手に入るとは。そうと思わなかった瑛斗は、驚きを隠せない。

 しかしながらここ鉱山街・ラフタで産出される主要な希少金属こそがミスリルである。だからこそ可能であったことだ、ともいえるのだろうか?


「しかもこれはドワーフの手によるものでね、値段が高いのだよ」

「いくらですか?」

「金貨、二十五枚」


 金貨は一枚で、普通の冒険者が一か月生活できるだけの価値を持つ。それが二十五枚となると、日本円に直した時に一体どれだけの価値を持つのか見当もつかない。


「レイシャより、にじゅうよんまい、たかい」

「いやいやいや、それはもう忘れていいからさ……」


 レイシャは自分が金貨一枚で買われたことを言っているようだ。しかしそれは人聞きが悪いので、できれば止めて欲しい。


「さて、君たちは良い道具屋の条件を知っているかね?」


 瑛斗が驚いているのを見て、店主がまるで教師のような口調で二人に訊ねた。

 そう問われても、買い物と言えばずっとアーデライードと回っていたわけで、二人では初めての買い物に等しい。経験が浅く何も答えられなかった。


「良い道具屋はね、まず値引きをしない。道具には道具ごとにその値段をつける理由と、適正な価格があるのだよ。それを必要とした者が目利きすれば、一目見てその道具の価値がすぐに分かる。良い品ばかりを揃えている証拠だからね」


 その時に買われなかったとしても、本当の価値を知る者が必ず買うのだという。


「ただし、良客を逃すのもバカバカしい話だ。私は君たちが気に入ったのでね。また来てくれるというのなら、安く譲ることも考えたいと思っている。どうかね」


 店主の提案は、目を掛けた教え子に最後のレクチャーをする教師のそれに似ていた。

 ならばと持ちかけられた瑛斗は考える。よくアーデライードがやっている癖の様に、顎に指を当てて静かに頭を巡らせてゆく。

 資金はアーデライードから潤沢に渡されているので事足りる。店主との駆け引きは、実に誠実なものであると感じている。ではどう応えるのが最適解か。

 そこで瑛斗は気が付いた。答えは、今までの会話の中にあった。


「いえ、それには及びません」

「何故かね?」

「良い道具屋の条件がある様に、良い客の条件があると思うからです」

「ほう、それは?」

「良い道具屋が良い道具に適正な価格を付けているのです。自分が良い客となる為には、その値段に見合う使い方をして、等価交換でその真心に答えねばならない」

「なるほど、ますます気に入った」


 店主は実に晴れやかな表情で大笑いした。


「その杖は必ずや、金貨二十五枚分の働きをすると約束しよう」


 瑛斗は、迷いなくレイシャの選んだ杖を購入した。

 レイシャはきっと、その価値以上の使い方をするに違いない。そう思うのは、自分の仲間に対する贔屓目であるだろうか。

 店主は値引きの代わりにと、杖が不調をきたした場合は、無料で再調整すると約束してくれた。


「再びこの街へ来た時は、必ず立ち寄ってくれ給えよ」


 店主に見送られながら、レイシャと二人で店を出た。

 レイシャは新たな杖を得て、瑛斗は満足を得るのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る