第17話 ドワーフの長と鉱山街の旅

 ここは鉱山街・ラフタ。街の裏通りを、瑛斗とレイシャはぶらぶらと歩く。

 アーデライードと二手に分かれて、丁度用事を済ませたところだ。

 その用事とは、瑛斗とレイシャは魔法杖ワンドを買い求めるため商店へ。その間にアーデライードは古き友人に逢いに行く。そういう段取りである。


「エート、さっき、むずかしいこといってた」

「さっきって、あの店主との会話か?」


 レイシャがこくりと頷いた。店主の値引きを断った時のことを言っているのだ。

 自分でもよくあんなにすらすらと言葉が出たものだと思う。思い返すにどうも生意気なことで気恥ずかしい。あの場の雰囲気がそう答えさせたに違いなかった。


「あれ、なに?」

「つまり、こういうことさ」


 店の看板に書かれていた古代語魔法ハイエンシェント「迷える者よ、導かん」――その昔、大賢者が若き魔術師にどうして自らの魔法杖ワンドを託したのか。

 その答えは、若者がその杖を託すに値する大魔導師となり、大いなる魔導書を残すであろうと見込んだからである。

 同様に、値引きをしない良い道具屋が信念を曲げてまで良い魔法杖ワンドを託そうとしてくれたのは、良いお客であるレイシャが良い使い方をしてくれると信じたからだ。


「ん」

「だからこそ、さ」


 自分たちはその杖と値段に見合った使い方をするから値引きの必要はない。看板に記されていた故事を引き合いに出して断ったのだ。


「自分たちは大賢者と若き魔導師ではないけどね。良い道具屋と良いお客。それで昔の故事を演じてみてもいいじゃないかと思ったんだ」

「おもしろい」


 期せずして、レイシャからお褒めの言葉を頂けたようだ。


 さて、瑛斗は目的を果たした。無事に魔法杖ワンドを入手できたのだ。

 真白銀ミスリル製のそれは、きっとレイシャの役に立ってくれるはずである。

 この杖には銘が付けられていなかった。強いて名付けるならば「ミスリルワンド」というところか。何の捻りもないが、瑛斗に良い名前を付ける才能など皆無だから仕方がない。

 持ち手から上の先端部分がミスリル、それ以外は黒檀でできているとのことだ。ミスリルは銀よりも鮮やかな光沢を放っており、つい見る目を奪われてしまう。

 そこには傍目には分からぬ程度の、精密な彫金がなされていたようだ。レイシャは時折熱心にそればかり覗き込んでいた。


「何か描かれているの?」


 レイシャは小さく首をかしげた。どうやら知らない文字が刻まれているらしい。

 ともあれこの杖にはえらくご執心の様で、ミスリルに顔を映しこんでみたり、胸に抱えるようにしてみたり、持ち方を変えてみたり。興味深く扱ってくれているようだ。

 ミスリルそのものは希少金属なので、見るのも物珍しいのだろうか。


「俺はミスリルを初めて見たよ。レイシャも初めてか?」


 何故かレイシャはその言葉に首を傾げた。よく分からず瑛斗も首を傾げると、


「これ」


 と、レイシャは首に巻いた『腕輪』を指差した。黒と銀を基調とした装飾。アーデライードが護身のためにと渡した『黒き精霊の腕輪』である。


「アリャ?! もしかしてこれが……」

「みすりる」


 知らなかった。高価そうな装飾だとは思っていたが、特別気にかけて見たことがなかった。改めて見てみれば、銀とは違う滑らかな輝きを放っている。もう少し汚れを落とせば、杖と同じ輝きを放つだのろうか。

 それを見てふと思い出したことがあった。杖と一緒に備品として渡された布の袋。開けると中には革製のベルトが入っている。魔法杖ワンドを収めるホルダーだった。

 普通の大人であればベルトを腰に巻き、杖をホルダーに収納できよう。しかし幼く細いレイシャの腰には、まだ長過ぎる――そう思っていたものだ。


「それなら、やっぱりこうだね」


 試しにベルトをレイシャの背中へ斜め掛けにしてみる。


「ぴったり」


 魔法杖ワンドをホルダーに収めてみると、何の違和感もなく収まった。腕を背に回しての取り出しも自在で、特に問題は見られそうもない。

 首輪――ではなく腕輪と同じく、ホルダーも工夫次第で何とかなるものだ。


「エートといっしょ」


 背中に片手半剣バスタードソードを背負う瑛斗を指差した。


「そうだね、お揃いだね」


 瑛斗がレイシャへ笑いかけると、彼女は道端に落ちていた小石をころころと爪先で弄り始めた。この仕草はどこかで見たことがあるな、と思ったが、瑛斗は思い出せない。

 この仕草――川の漁港街・リッシェルの料亭で見せた、アーデライード曰く『照れて恥ずかしがっている』時の、あの挙動である。

 そうと知らない瑛斗は、おかしな癖だなぁくらいにしか思わなかった。


「さてと、アデリィとはどうやって合流しようかな」


 アーデライードとは、特に待ち合わせの予定などを決めてはいない。

 彼女は古くからの友に会うと言っていたからだ。気の置けない友との歓談に水を差すこともあるまい。そう考えた瑛斗は「ゆっくりしていくといいさ」と言うだけで、予定に組み込まなかったのだ。

 宿は既にキープしている。もう戻ってしまうのもいいかも知れない。

 そうレイシャに告げると、彼女は無表情な顔のパーツの中で小さな口を少しだけへの字に曲げた。

 些細な変化を感じ取った瑛斗が「それじゃあ」と再びレイシャに問うてみる。


「何かしたいことはあるか、レイシャ」

「エートといっしょ」

「うん? そうだね、一緒だ」

「でーと?」

「デート?」


 不思議な気持ちで訊ねると、レイシャがこくりと頷いた。


「うーん、デートか……まぁ、そうかな?」


 レイシャが意味を知っていて言っているのか瑛斗には計りかねる。だが瑛斗とて正確な意味は知らない。二人で歩いたらデートと呼ぶだろう、多分――と、曖昧な見識を露呈した答弁に終始してしまった。これは瑛斗の薄すぎる経験値が招いた結果である。

 レイシャは小さな手で瑛斗の手をきゅっと握った。瑛斗も違和感なく握り返す。

 このまま宿に帰ってしまうのは、確かに勿体ないことだ。折角ラフタの街へと来たのだ。陽が沈む頃までこの街を散策するのも良いだろう。


「それじゃまずは、中央通りを探して歩くことにしようか」


 レイシャがこくりと頷いた。心なしか嬉しそうに見える。足の運びが少し軽やかなせいだろうか。エルフ族の身体はどこかふわふわと軽く、羽根が生えているのかと錯覚する時がある。今のレイシャがそれと言える。


「おやつとか食べたいね」

「おやつ、すき」

「そうか。それじゃまずは、何かおやつを探そうか」


 そうして二人は、街中を歩き回ることとなった。



「なによ、古き友のお願いが聞けないっていうの?」

「バッカモン、当たり前じゃわい!」


 ここは中央広場から一つ路地に入った酒場『お山の酒神バッカス亭』。

 瑛斗の良く知るハイエルフは、ここで髭面の大男と酒を酌み交わしていた。

 大男と言えど背は低い。背は低くとも身体の厚みは普通の人間の倍以上はあるだろう。がっしりとした頑丈そうな体格に、たっぷりと蓄えた髭面はこの種族の特徴。

 彼はドワーフ族。アーデライードらが『古き友』と呼ぶ、六英雄の一人である。


「一緒に『古代樹の塔』を共に作り上げた仲じゃない」

「それとこれとは話が別じゃわい」


 むっつりと顔をしかめると、満々と満ちた杯をグイッとあおった。


「おぬし、ドワーフ族の宝をなんじゃと思っとるんじゃ」

「ねぇ、そんなことを言わずに。お願いよ」


 アーデライードも負けじと、グイグイッと杯を呷る。


「だがな、今やワシも北部ドワーフ族のおさじゃぞ」

「だからこうして頼んでいるんじゃない」


 アーデライードは珍しく食い下がる。さっさと興味を失って、諦めたら不貞腐れることの多いハイエルフのこの娘にしては、意外な根性を見せている。


「いいや、ワシは認められん」

「誰だって最初から勇者なんかじゃない。それはゴトーだって同じだわ」

「いいから待たんか、アデル」


 ドワーフはひとつ息を吐き出すと、大きな身体を揺すって宥める様に言い諭す。

 昔からこのハイエルフがせっかちなのは良く知っている。しかしこれでも幾分よくなった方だ。相手の話に聞く耳を持ってじっくりと交渉できるようになっただけ、だいぶ成長はしていると言えよう。


「ワシかて鬼じゃない。お前さんの気持ちは分からんでもない」


 鉄器の杯をグイーッと飲み干して、カンッと音を立ててテーブルに置いた。

 それを見たアーデライードも同様に飲み干すと、小気味よい音を立てて杯を置く。


「だったらどうして?」

「さりとてじゃ。自らの目で確かめずに、即決などできんわい」


 今回のお願いを聞けば、北部ドワーフ族族長としての判断にもなる。

 軽々に物事を決められない立場なのは、アーデライードとてよく分かる。でもそこは切り離して「古き友」として接してくれてもいいじゃない、というのが彼女の主張である。

 翻ってドワーフの長の言い分はこうだ。現在いまは六英雄であり北部ドワーフ族の族長である。その立場を尊重せねば下の者に示しがつかぬ。それが鉄の掟を重視するドワーフ族の性質である。何故それをこのハイエルフは理解せんものか。

 風の様に自由で軽率なハイエルフと、大地の如く頑固・鉄則重視のドワーフ。

 種族的に最悪な組み合わせであるこの二人。だが決して仲は悪くない。それを引き合わせるものは、勇者・ゴトーを筆頭とし、共に生死を賭けて旅をした「古き友」であると同時に――


ご主人マスター! おかわりを大至急ね!」

「もう面倒じゃ、樽で持ってこんかい、樽で!」


 共に無類の酒好きという面であった。

 この二つの種族の不思議な組み合わせ、知らぬ者は目をパチクリさせて驚くであろう。エルフ族とドワーフ族、双方が険悪なまでに仲が悪いというのは、実に有名な話である。

 しかしゴトーとの旅を終えた後も、二人はいい酒飲み友達として、何故か上手くやっていた。共に長命な種族であり、山と森の違いはあれど、お互い意外と近隣に住んでいるせいもあろうか。二人が暮らすちょうど真ん中、ここラフタの街の酒場『お山の酒神バッカス亭』で、大いに飲み交わすのが定番となっている。

 二人の足元に大いに転がる樽と杯の数。相反する種族同士の組み合わせ。

 悪目立ちしてもおかしくない話であるが、この街の住民にとってはもう定番の光景。最早、風物詩とも言えよう。

 昼過ぎに落ち合って、もう彼是三時間は経過しているであろうか。春の陽は落ちるのが早く、そろそろ薄暮の様相を呈し始めている。

 お互い譲らず。埒が明かず。膠着状態に陥りかけている頃のこと。


「うん……?」


 ドワーフの長が不審な声を上げると、外へ目を向けじっと一点を見つめた。


「どうしたのよ」

「何やら、ダークエルフを連れた男が彷徨うろついておる」


 ドワーフの長は、彫りの深い目で、用心深くじっと観察をし始めた。


「よく気付いたわね」

「そんなもん、感覚で分かるわい」


 長らく冒険者をやっていれば、ダークエルフに煮え湯を飲まされぬ者はいない。何かしらの形で冒険者と敵対することが多い種族であるからだ。彼が警戒するのは仕方のないことであった。

 心当たりのあるアーデライードが振り向いて窓外を見る。そこには予想通りの姿があった。

 どうしても旅の詳細を秘密にしたくて、相談内容は内緒にしていたのだが……こうなれば予定変更もやむなしだ。

 風の精霊を呼び出して、彼らへ向けてふっと息を吹きかけた。するとすぐさまこちらを振り向いて、早くもアーデライードの姿を見つけ出したようだ。

 ふふん、さすが。もう私たちは阿吽の呼吸よね、と一人ほくそ笑む。


「彼よ」

「うん?」

「彼がゴトーの孫……エイトだわ」



 すぐに気付いた瑛斗とレイシャは、手を繋いだままこちらへ歩いてくる。

 レイシャの右手には食べかけのガレット。頭には妙な帽子をかぶっていた。


「よくここにいるのが分かったわね」

「なんとなく、ね。アデリィがこの辺りにいるような気がしたんだ」


 そう言い交わしながら、瑛斗とレイシャが酒場の中を歩いてくる。


「まぁ、酒場を探せば大抵は見つかるんだけどね」


 レイシャがこくりと頷いた。無表情ながら瞳には真剣さすら漂う。


「それ……私が呑兵衛みたいだから止めてくれない?」

「昼間から飲まないと誓ってくれたら考え直す、よ……?」


 そこで瑛斗は歩みをぴたりと止めた。きっとアーデライードと同席の男がいることに気が付いたのだろう。


「で、いい魔法杖ワンドは見つかったのかしら?」

「それは、なんとかなったんだけど……アデリィ、そちらの方は?」


 瑛斗に問われた鬚面の大男は、ずんぐりとした大きな身体を揺すりながら、瑛斗の方へと正対した。強面の髭面を見たレイシャが、スススッと瑛斗の後ろへ隠れる。


「うふふ、エイトは初めて逢うわけじゃない?」


 アーデライードは、込み上げる笑いを堪え切れぬように紹介し始めた。


「あなたが逢いたがってた、ホラ……六英雄よ」

「六英雄でドワーフと言えば……もしかして『闘将・ドルガン』!?」


 いつも大人びた態度の瑛斗としては珍しく、飛び上がりそうな勢いだ。まさに喜色満面といった顔で声を上げた。

 闘将・ドルガン――彼の本名は、ドン・ドルガン。

 勇者ゴトーと共に魔王を退治した六英雄の一人だ。現在は北部ドワーフ族の族長として、一族の纏め役を担っている。


「あっ、すみません。失礼いたしました」


 口を押えながら、大声を上げたことに対して瑛斗はすぐさま頭を下げた。そうして挨拶と自己紹介を済ませると、瑛斗は興奮を抑えつけながらドルガンに話しかけた。


「でも、その……ずっとお会いたかったんです。爺ちゃん、いや、祖父の同胞に」

「な、なんじゃと?! どどど、同胞じゃと?」


 それまでむっつりした顔で黙っていたドルガンが、表情を崩して驚き声を上げる。


「はい、祖父はよく言っていました。共に戦場を駆け抜けた同胞。常に先陣へと斬り込む勇猛果敢さで、戦場に於いて最も頼りにしていた男だと」

「最も頼りに……な、なんじゃ、ゴトーの奴は、そんなことを言っておったのか」


 あら、珍しい。頑固頑迷、無骨無愛想な男の相好が崩れまくっている。

 思えば人間嫌いの強面ドワーフが、唯一心を赦して信頼したのがゴトーだった。ゴトーも口数少ない男だから、彼ら男同士の会話はお互い黙って酒を飲むくらいだ。

 そんなゴトーが口にしていたエピソードを、その孫の口から聞く。ということが、どれほど鮮烈なものか。アーデライードはその身を持って体感しているからよく分かる。

 アーデライードは「やっぱりこうなるわよね」と興味津々でその様子を眺めた。当事者となると精神的に大火傷おおやけどであるが、対岸の火事となれば非常に面白い。


「もちろんです。だから異世界へ来たら一番逢ってみたい英雄だった」

「おーおおーおー、そうか……そうか!」


 そこでふと疑問に思ったアーデライードがつい口を挟む。


「私も詳しく聞いてないんだけれど、ゴトーは六英雄についてなんて言ってたの?」

「そうだな……」


 瑛斗は喉の調子を整えると、ゴトーの口調を真似るように朗々と語りだす。


「我が前方には常に勇猛果敢な闘将ドワーフありて、我が背中には防御鉄壁を誇る聖なる少女あらん。我が右手には美貌絢爛たる精霊使いシャーマンのハイエルフありて、我が左手には聡明叡智たる冥界の魔女あらん。遊軍と控えるは、技巧卓越たる知恵者の義賊を以て、敵を蹴散らし惑わさん」

「おう、おおう……」


 ドルガンは懐かしそうに顔を緩ませて、満足そうに顎鬚を撫でつける。

 アーデライードは「本当に声が似てるわね」と別のところで唖然としていた。


「昔話の冒頭に必ず現れる威風堂々のドワーフ戦士。それがドルガンさんなんです」

「なんじゃ、なんじゃ、そうか……全くゴトーの奴め……!」


 ドルガンは「ウワッハハハ!」と豪快に声を立てて高笑う。

 あ、ドルガンの瑛斗を見る目が、完ッ全に自分の孫を見るような柔らかさに変わった。ここは黙って見ておこう、とアーデライードは思った。


「それにしてもアデリィも人が悪いな。俺を驚かそうとしたんでしょ?」


 予定は少し変わってしまったが、その通りである。


「本当はもっと驚かせてあげようと思ったんだけど……本当に残念ね」


 アーデライードが、やや大げさに溜息をつく。


「いや、もう十分に驚いてるんだけど、何の話?」


 そう会話を交わしていると、唐突にドルガンが身を乗り出した。


「ようし、そうかそうか。いいぞ、お前さんの旅をこのワシも手伝ってやろう」

「えっ……ええっ?!」


 突然の申し出に瑛斗が驚きの声を上げた。それを見たドルガンが、ますます顔を皺くちゃにして笑う。それを見たアーデライードは陰でニヤリとほくそ笑むと、ドルガンに聞こえぬような小さい声で「うっし、かかった!」とガッツポーズをとった。


「そんな、申し訳ないです!」


 心から申し訳なさげな瑛斗の背中を、ドルガンはバンバンと豪快に叩く。


「なぁに、遠慮するな。こんなに愉快なこと、ハイエルフの小娘だけに任せておくのは、実に惜しい」


 などと余計なことを口走っているが、アーデライードは淑女として、ここはニッコリ笑ってじっと堪えてやることにする。


「あっ、ありがとうございます、ドルガンさん!」


 瑛斗は感激した表情で、ドルガンへ頭を下げた。


「いいかアデル。お前さんは、こういう謙虚さに欠けとるんじゃ」

「……はいはい。よーく覚えておきますわ」


 アーデライードの「よく覚えておきます」は「いずれ復讐してやる」に近い。


「ところでアデルよ」


 瑛斗が背中の大剣を降ろす間に、ドルガンがアーデライードへ耳打ちをする。


「なによ?」

「お前さん、エイト殿に『アデリィ』と呼ばせとるのか?」


 古き友とは厄介なものである。気付いてはいけない所にすぐさま気が付く。

 身体の下から昇ってきた血の気に、頬どころか長い耳の先っぽまで、すっかり赤く染まってしまったであろうことは容易に想像がついた。


「あっ、あっ、あっ……」


 どう答えていいか分からなくなって、ついどもってしまった。もう駄目だ。


「まぁ、ええわい。目を瞑っておいてやる」

「……恩に、着るわね」


 アーデライードの復讐は、無期限延期を余儀なくされた。

 この辺りも含めて、古い友たる所以である。


「さ、さて、エイト! 今日は出会いの記念よ! じゃんじゃん食べなさい!」

「そうじゃぞ、酒もじゃんじゃん頼むといいぞ」

「あら、瑛斗は異世界じゃ未成年なんだから、まだ呑んじゃダメなのよ?」

「そうかそうか。それじゃあ、沢山食ってデカくならんとな!」

「あ、でも太っちゃったらダメよ、それはダメ!」


 憧れの六英雄二人からそう言われては、瑛斗としても断れないし断るつもりもない。気合を入れて食い倒すつもりだ。


「よし、食べよう。レイシャもしっかり食べろよ」

「ん」


 頷いたレイシャは、アーデライードをじっと見つめた後、


「レイシャ、デカくなる」


 改めて瑛斗に向き直って、そう宣告した。

 ……相変わらずこのダークエルフはどこを見て言っているのかしら。

 胸元を見て言ったなら、宣戦布告と見做すわよ。



 テーブル上に並んだ料理が、大皿から小皿まであらかた片付いた頃。


「ところで、目的の魔法杖ワンドはどうだったの?」

「レイシャが背中に背負ってるのがそうだよ」


 瑛斗が指差す先を見ると、確かにレイシャの背中に魔法杖ワンドが刺さっていた。


「なんだか、ちっこい鴨がネギ背負ってるみたいね、それ」

「アデリィ」

「なによ」

「異世界ではそういうことわざがあったりするの?」

「ないわよ。ないけど、なんとなくよ」


 的確ではない諺の使い方に、瑛斗が疑問を持ったようだ。異世界の諺くらい当然知っているが、感覚だけでつい言ってしまっただけだ。

 わざわざツッコまれるのであれば「矢の刺さった雀の様だ」とでも言えば良かった、とアーデライードは後悔した。これは確か『日本書紀』だったか。


「ところで。私にはよく分からないけれど、これミスリルよね?」


 ドルガンが「どれ」と腰を上げる。瑛斗がレイシャの魔法杖ワンドをドルガンへ渡すと、じっくりと鑑定をし始めた。


「これは確かなミスリルじゃな。純度も非常に高かろう。これだけの杖ならば、このサイズでも金貨二十五から三十枚は下るまいて」


 あの店主は、思った通り誠実に商売をしてくれたようだ。間違いなく良い道具屋だったのだ。瑛斗は、ほっと胸を撫で下ろした。


「そうなの? エイト」

「そうだね。金貨二十五枚だったよ」

「レイシャより、にじゅうよんまい、たかい」

「んん、なんじゃそれは?」


 だからレイシャ……それは人聞きが悪いので止めて欲しい。


「ついでに、そのレイシャが被ってるへんてこな帽子はなんなの?」

「街をぶらついている時に、露店で見つけたんだよ」


 防風の耳当てがついた帽子には、頭頂部に二つほど三角の突起がついている。全体的に白い革張りで出来ており、内側には可愛らしいファーが備わっていた。

 この街と工芸品に詳しいドルガンが、苦笑しながら説明してくれた。


「お主ら、へんなもん買うのぅ。こりゃ獣人族用の帽子じゃぞ」

「獣人族?」


 獣人族とは別名、ライカン・スロープと呼ばれている種族である。人間から獣身に変身できる能力を持つ全ての種族を指す言葉だ。

 例えば狼に変身するのであれば、異世界こちらでは「ウェアウルフ」などと呼ばれている。日本では「狼男」と呼んだ方が分かり易いだろうか。

 瑛斗はこっそりと「それで異世界にねこみみ帽子が売ってたんだなぁ」と思った。レイシャによく似合って可愛かったから買ったのだが、実は理由がもう一つある。


「獣人族に帽子なんて、不便じゃないの?」


 アーデライードが疑問に思うのは尤もだった。獣人族の重要な視聴覚の一つ、耳を封じているようなものではないか、といっているのだ。


「ところがラフタ特製の帽子は別じゃ。その耳の部分はミスリルが編み込まれていてのぅ。魔力オドに応じて動くようになっとる」


 またミスリルか。それで普通の帽子よりも高かったんだと瑛斗は心の中で呟く。

 レイシャが神経を集中し始めた。ドルガンの説明を聞いて、早速動かしてみようと試みているようだ。暫くすると、きゅきゅきゅきゅきゅーっと、様々な角度に帽子の耳が動き出した。まるで獣のそれと同様である。


「おお、すごい!」

「なにこれ、可愛い!」

「どうじゃ、凄いじゃろ」


 ドルガンが自慢げにニヤリと笑った。


「ラフタの魔法技工士が開発した帽子だ。獣人族は雪深い山奥に居を構えることが多くてな。自前の毛皮はあろうとも、人型の時はそれが必需品なんじゃよ」

「ということは、このグレイステール山脈にも……」

「おるぞ。この街にもよく来ておる。まぁ人型になれば見分けがつかんがな」


 やはり人の街へ降りてくるならば、人型は必須と言うことか。

 レイシャに帽子をかぶせた理由の一つ――それは、ダークエルフの耳を隠すこと。人間の街にダークエルフの長い耳は、どうにも目立ってしまうためだ。

 魔王戦争の頃、魔王軍に組して手足の様に働いた彼ら種族に対する偏見は根強い。大きい街ではそう目立つことがなくても、小さい村々では悪目立ちしてしまうのだ。

 これからの冒険を考えれば、余計な面倒事はできる限り避けた方が良い。そのことはアーデライードも気付いているから、帽子を買ったことについて何も言うことはなかった。


「それにしても可愛いね、レイシャ」


 瑛斗の声に反応して、レイシャがぴこぴこと猫耳を動かした。段々操作に慣れてきているようだ。

 アーデライードがその様子を眺めていたら、レイシャと目が合った。


「あーでれ」

「なによ?」

「うらやましい?」


 なんだというのだ。このだーえるの小娘は。

 無表情のまま猫耳付けて首を傾げたら可愛いと思うなよ。可愛いけどさ。

 水面下でハイエルフとダークエルフの冷戦勃発の最中、瑛斗とドルガンは楽しそうに会話を弾ませている。


「それでおやつを食べながらこの街を観光中に、この帽子を買ったんです」

「そうか。しかしこの街には、見所なんぞなんもなかろう」

「いえ、街の歴史そのものが素晴らしいので。色々と見入ってしまいました」

「ウワッハハ、なるほど話の分かる男だ! 流石はヤツの、いいや、同胞の孫じゃて!」


 酔っぱらったドルガンは、瑛斗のことをすっかり気に入ってしまったようだ。瑛斗はゴトーによく似ているから、こうなるであろうことは予測できたことだった。

 最初からこうしておけば良かったかしら、と思わないでもない。だが最初から一緒では「旅の仕掛け」ができなかったであろうことを思い直して良しとす。

 つまらなさそうな顔で頬杖をついていたアーデライードの袖口を、くいっくいっと引っ張る者――レイシャだった。自分からモーションを起こすとは珍しい。


「なによ」

「エートといっしょ」

「はぁ」

「あるいた」

「それがなによ?」

「エートとでーと」

「ん、んなっ!?」


 思わぬ単語を耳にして、つい音を立てて椅子を引く。組んでいた足を解いた時に、重厚で頑丈なテーブルに思いっ切り膝をぶつけた。凄く痛い。


「あうっ、くっ……」

「エートがいってた」

「エイトが言ってた?!」


 既に言質を奪取済みだというのだろうか。何と用意周到な。


「そんなの、ただのおつかいでしょ? デートとかノーカンだわ!」

「てをつないで、あるいた」

「なんですって!?」


 くうぅ、いちいちなんなのだ、この肉食系幼女は!

 デート? デート?! 私だってそんなの、したことないのに!

 でも待って。旅の間はずっとデートだって言えなくはないわけじゃない?

 あ、だめだ。手を繋いだことがなかった。

 あーん、なんだか、悔しい、悔しい、羨ましい、羨ましい!

 って、ダメよ。落ちつけ。落ち着きなさい、アデリィ!

 またこんなところで気を乱して、精霊たちに逃げられてはひとたまりもない。

 あの時の大失態ふつかよいだけは、何としても避けねばなるまい。

 複雑な心境に手が震え、握り締めた酒杯がカタカタと音を立てる。


「なんじゃ、鈴を懸けたら良く鳴りそうじゃな」


 こんなところでドルガンに『日本書紀』的な表現で莫迦にされてしまった。これだから日本フリークな六英雄は本当に困る。


「あれ、アデリィ。どうしたの?」

「エイト! あなた後で覚えてなさいよッ!」

「えっ、何の話?」


 身に覚えなさげなきょとんとした顔が、ますます癪に障る。


「あー、もう! ご主人マスター! おかわりを大至急!」

「おういいぞ! もう面倒じゃ、樽で持ってこんかい、樽で!」


 こうして酒場の風物詩と共に、ラフタの夜は更けてゆくのであった。

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