第18話 ハイエルフと行く天空の旅(前篇)
瑛斗の世界によれば、明日は「昭和の日」と呼ばれている祝日である。
昔は天皇誕生日と言われていて、瑛斗の父は未だにそう呼んでいるという。
「それで慣れちゃってんだから、そう簡単に言い直せるわけないだろ」
というのが、瑛斗の父の言い分だそうだ。
この日を皮切りに、「ごーるでんうぃーく」なるものが始まる。
そう、瑛斗との冒険の旅がまた始まるのだ。
出立予定は、この「昭和の日」の前日。
待ち遠しかったこの日を迎え、浮かれハイエルフはつい早起きしてしまった。
ただし、今日はまだ祝日の前の日なので、瑛斗はまだ学校である。
来る時はいつも、朝早く訪ねてくるから勘違いしたのだ。
それと気付いたのは、いつもより早めの朝食を摂っている時だった。
「そう気付いちゃうと、途端に食事が不味く感じるわね」
「俺を叩き起こしといて、そりゃねェだろ……アデル」
調理場のアレックスに愚痴られてしまった。別にアレックスの料理に不備があるわけではない。今の気分的な問題だ。適当に気の抜けた謝罪を入れておく。
「あら、おはようございます」
「今日はお早いのですね、アーデライード様」
そう声を掛けてきたのは、ここ『悠久の蒼森亭』のウェイトレス、ミーアとマルテであった。二人とも紺色の清楚なメイド服に身を包んでいる。
二人とも種族はハーフエルフ。一階の掃除を終え、二階へ上がってきたところのようだ。
ハーフエルフとは、
エルフほどではないが長命で、人間よりはずっと長く生きる。エルフよりも丈夫な体を持ち、人間よりも尖った耳をしている。
そんなハーフエルフをアレックスはどこからか連れてきて、ウェイトレスとして住み込みで雇っている。アレックス曰く「森と街の境界にあるこの店に相応しいだろ?」と冗談でよく言うが、その感覚はアーデライードも分からないではない。
様々な種族が入り乱れてこそ、この『古代樹の塔』は意味を成すのだから。
「今日はエイト様がいらっしゃるのですか?」
「何故そう思うのかしら」
「ご朝食がお早い日は、いらっしゃる時が多いもので」
しまった。彼女たちにも気付かれていたか。
次からは気を付けないといけない。
二人に気付いたアレックスが、厨房からひょっこりと顔を出す。
「掃除が終わったら、浄化槽の
「かしこまりました、
「アーデライード様、また御手隙の時にでも
「いいわよ」
「では失礼いたしますね」
ミーアとマルテは小さくお辞儀をすると、二階の清掃に取り掛かる。きびきびと良く働くいい子たちだ。
二人とも半分はエルフの血を引いているだけあって、
彼女たちは「お師匠のアーデライード様のお蔭です」等と殊勝なことを言ってくれる。
ここのところずっと小生意気なダークエルフを相手にしている分だけ、この子たちの良さが分かるようになったというものだ。
ところでその小生意気なのは、いったい何処へ行ったのやら。まだ朝が早いので寝ている可能性もあるにはあるが、確率としてはかなり低いと思われる。自分で言うのもなんだが、何しろこのアーデライードでさえも早起きしてしまうのだ。
「ねぇ、姿が見えないけど、うちのちびすけ知らない?」
せっせと掃除中のミーアとマルテに声をかけ訊ねてみる。
「レイシャ様なら先程、
二人が食堂を清掃中に、森の中へ出掛けるのを見かけたという。
これはまず間違いなく、
黒革の手帳と
ふむ、やる気は満々ってことね。
旅へ出発する前の高揚感がレイシャから伝播して、アーデライードにまで届いた。
「うふふっ、これよこれこれ。やっぱりこれよね!」
アーデライードは独り言ちると、急いで朝食を平らげる。
そうして、久々にレイピアを振うために部屋へ戻るのであった。
◆
夕暮れ時、瑛斗が
瑛斗が着ている見慣れぬ黒い服は、学校の制服だという。
「今回は放課後すぐだったからね。急いできたんだ」
「ふぅん、なかなかカッコいいじゃない」
「エート、かっこいい」
「そ、そうかな……」
美少女二人に褒められて、瑛斗が頬を染めて照れている。
「あら、制服の話よ?」
「わ、わかってるって!」
そう言われると予想していても、照れてしまった瑛斗が口を尖らせる。
「レイシャは、エートのこと」
「ははっ。ありがとう、レイシャ」
「…………」
アーデライードは小さく「ちぇ」と舌打ちを打つ。こういう時に素直な方が勝ちであることはよく分かっているつもりだ。でもどうしても上手くできないものである。
頭を撫でられて気持ち良さげにしているレイシャを見て、いつもそう思う。
「それじゃ、準備をしてくるよ」
「バックパックに荷物は詰めておいたから、服はそのままでいいわよ」
「服はこのままで?」
「そう。あとは剣を背負ってきなさいな」
異世界にいる時は、異世界の服で。それが鉄則だったはずだ。
だがアーデライードがそう言うからには、何か理由があるに違いない。
「ずっと秘密にされているけど、どうやって移動するんだ?」
「それはもうじきに分かるから、とっとと準備しなさいな」
そう瑛斗を急かして準備させる。
旅を共にする二人のエルフの準備はすっかり整っていた。
アーデライードはいつもの
そして瑛斗はこの後すぐに、準備を急かされた理由を知ることになるのである。
瑛斗が準備を終えて外へ出ると、にんまりと妙な笑顔を浮かべたアーデライードに出迎えられた。
「ほら! ご覧なさい、エイト!」
アーデライードはそう言って、夕闇迫る北東の空を指差した。
レイシャもぼんやりと群青色の空を眺めている
そこにはこちらへ迫る、見慣れぬ二つの影が見て取れた。
二頭の大型の鳥――いや、違う。
蝙蝠のような羽根を持つ、蜥蜴のような姿。
迫りくるそれは飛龍。別名・ワイバーンである。
「
瑛斗が如何にも好奇心に満ち溢れた少年らしい声で叫ぶ。
ワイバーンの背中には人影が見える。そうと気付くに時間はかからなかった。
「ああっ! ドルガンさん、ドルガンさんだ!」
ワイバーンに跨るは、六英雄の一人で通り名は『闘将・ドルガン』。
北部ドワーフ族の族長、ドン・ドルガンであった。
ぶんぶんと両手を振って挨拶をする瑛斗。それに片手で答えるドルガン。
ドルガンは革の帽子に革のジャケット。目元には風除けの風防グラスを付けている。
現実世界で言うなれば、一昔前のフライト装備によく似ている。
「うわぁ! かっこいい! かっこいいよ、ドルガンさん!」
興奮を抑え切れない様子で、瑛斗が珍しくはしゃいでいた。
憧れの英雄と、異世界の飛龍という最高の組み合わせだ。瑛斗からしてみれば、はしゃがない方がどうかしている。
それを察してか、ドルガンらが騎乗する二匹の飛龍は「古代樹の塔」周辺の空を何度か旋回した。まるでその雄姿を見せつけるかの様である。
主に高山に住む飛龍を平地で目にするのは、非常に珍しい。
その姿に『古代樹の塔』へ訪れた旅人たちも、目を丸くして空を仰ぐ。
アレックスも咥え煙草で皿を磨きながら、ワイバーンの飛ぶ空を眺めた。
「
調理準備の手を止めて、ミーアとマルテも物珍しげに仰ぎ見る。
「ありゃあ、
「
「そうだ。ありゃあ、アデルがドルガンに頼んだな」
「まぁ、流石はアーデライード様です」
北部ドワーフ族の宝、とはこの
飛龍は一日に百里は飛ぶと言われる翼竜型の怪物だ。
しかし「そこまで飛んだことはないけどね」とはアーデライード談である。
乗りこなすに扱いが非常に難しく、騎手の方が疲れて果ててしまうためだ。
だがドワーフ族の強靭な体力と忍耐力をもってすれば、一日に七十里、すなわち三百キロ程度は余裕で進むことができるという。それでも単独生物としては、凄まじい移動距離と言えるだろう。
「次はもっと遠くへ足を運ぶつもりよ」
これでアーデライードが言っていた、謎のひとつが解けた。
今回はこの飛龍に騎乗して旅をするつもりなのだろう。
ドルガンの言っていた「旅を手伝う」とはこの事だったのだ。
「あーあ、そっかぁ。ドラゴンかぁ……」
羽目を外して喜ぶ瑛斗を横目にしながら、アーデライードが形のいい顎に指を当てて独り言ちる。
普段は何事にも落ち着き払っている冷静沈着な瑛斗が、あれほどまで目を輝かせてはしゃぐなんて。
私なんかは
「あんな大トカゲの、何が面白いのかしらねぇ?」
思い返せば瑛斗は異世界での大冒険に憧れてた男の子なのだ。何故か
ゴトーも顔には出さなかったけれど、喜んでたのかしら?
ともあれ、瑛斗があれほどまでに喜んでいるのだから、今回のサプライズ、まずは大成功と言えるだろう。次回の旅でもこういう
などと考えて、
しかしながら、あそこまで興味を惹かれているのを見ると、少し妬けてしまう。その十分の一でいいから、こちらにも興味を持って頂きたいものだ。
「ふむん」
その声に隣を見ると、レイシャも同じように顎に指を立てて考え事をしていた。
「なによ?」
「どらごん」
「それがなによ?」
「どらごん、たおす」
「いや、倒しちゃダメでしょ、倒しちゃ」
レイシャはレイシャで、別の方向から攻略方法を検討していた様である。
ドルガンの騎乗するワイバーンが、塔の前に広がる芝生へゆっくりと着地した。
駆け寄る瑛斗の後を、レイシャが必死に追いすがる。その後をゆっくりとアーデライードがついてゆく。
キラキラした瞳で飛龍を眺め見る瑛斗。それを満足げに眺め見るアーデライード。傍から見れば、それぞれの興味の対象がよく分かる構図である。
さておき、ワイバーンは夜目が効かない。これから完全な日没までの二時間。この間の移動がひとつの勝負である。
今日は南東にある途中の宿場町で宿泊、翌日は今回の目的地である『運命の森』へと飛ぶ
「おう、こちらがエイト殿だ」
「初めまして、エイト殿」
ドルガンと、もう一匹の飛龍に乗っていたドワーフが挨拶をする。
「瑛斗です。こちらこそ初めまして、えっと……」
「こ奴は、我が戦士長のひとり、ギル・ボルバルじゃ」
「ギル・ボルバルです。宜しくお願いいたす」
「いえ、こちらこそ宜しくです、ボルバルさん。ご協力に感謝します」
瑛斗は礼儀正しく挨拶をし、ガッチリと握手をした。
北部ドワーフ族の戦士長、ギル・ボルバルは体力自慢の男でドルガンの右腕である。
通り名は『丸太のボルバル』という。なんでも洪水で流れてきた巨大な丸太を、その身で受け止めて防いだことがあるそうだ。
本人としては、ドルガンの『闘将』のような通り名が欲しいが、今は『丸太』で我慢している、というところらしい。
「今回はこの二人でフライトをスパークするぞ」
「サポートよ、ドルガン」
「そうか。
まずは二騎の飛龍で旅をするに、チーム分けをすることになった。
騎乗のチーム分けは重量制限の関係上、基本的に体重別となる。
体重の軽い二人のエルフ組と、瑛斗と荷物組に分かれるのが自然だろう。
ドルガン組が、アーデライードとレイシャ。
ボルバル組が、瑛斗と荷物。こういう組み合わせになった。
そうなると、瑛斗とレイシャが別チームになるが……
「あれれ、レイシャ?」
とととっとレイシャがドルガンへ駆け寄って、背中を遠慮なくぽんぽんと叩く。
「エート、ドンドル、そんけい」
「おう?」
「だから、いいひと」
「おう、そうかそうか! ウワッハハ!」
レイシャが瑛斗以外に懐くとは珍しい。
しかもこの上なく珍しい、ドワーフとダークエルフの組み合わせだ。
ドルガンがまずはレイシャを飛龍へ乗せようと、力強く抱き上げる。
「おひげ」
「おーおーおー、ウワッハハハ! ウワッハハハ!」
レイシャがドルガンの髭を撫でている。強面のドルガンも叱らず喜んでいるように見える。何故かよく馴染んでる。なんなの、これ。いったいどういうことなのかしら。
そもそも懐く理由が「瑛斗が尊敬している人だから」という点が問題じゃない?
私、瑛斗に尊敬されていないと思われてない?
というか、もしかして尊敬されてない? んんん?
アーデライードは「解せぬ」という顔で首を捻る。
「あっははは、レイシャ、凄く似合うよ、可愛い可愛い!」
瑛斗の大笑いにアーデライードがレイシャを見ると、つい先日ラフタの街で買った白い革製の猫耳帽子に、ドルガンの防風グラスを身に着けていた。
まさに準備万端と言った風体だが、妙なアンバランス感を醸し出している。確かにこれにはつい吹き出してしまうが、とにもかくにも可愛らしいことこの上ない。
しかし最近レイシャが人気者で贔屓されているようだ。どうにも気に食わない。子供と動物には人気で敵わないというけれど、今回の件で身に染みた。
自分ももう少し愛嬌を身に着けてみようかしら、と考えるアーデライードであった。
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