第19話 ハイエルフと行く天空の旅(後篇)

 前方に広がるのはひたすらの雲海、そして広大な緑の大地。

 ここは異世界の空の上。瑛斗たちは今、飛龍ワイバーンの背に跨って大空を飛んでいる。

 憧れの異世界で、憧れていたドラゴンの背に乗って、異世界の空を飛ぶ――

 これほど素敵な経験があるだろうか。


 昨日は日没まで飛ばせるだけ飛ばして二時間程の行程を進み、宿場町へ逗留した。

 この短時間でも、恐らくは百キロ近い道程を踏破したであろう。

 瑛斗は初めて竜の背に跨って空を飛んだ興奮から冷めやらず、なかなか寝付くことができなかったという。そんな瑛斗の頭を撫でながらピロートークをして過ごした――とは、彼の隣にいるダークエルフ本人の弁である。

 そう聞かされたアーデライードの心中や如何に。そもそもレイシャにピロートークという言葉を教えたのは、誰だ。

 瑛斗はピロートークの詳しい意味を知らぬようで、アーデライードの様子を見て苦笑いをしている。ならばよし。

 なので『悠久の蒼森亭』に戻ったら、取り急ぎアレックスを引っ叩こうとアーデライードは心に決めた。

 無実ならばアレックスには上手いこと逃げて欲しい。瑛斗は心からそう思う。


 天空の旅は本日も続く。天候は良好。視界も良好。

 そして今日は「昭和の日」――休日である。丸一日飛行できるだろう。

 早朝、宿場町を出立して彼是三時間程が経過した。宿で調達したサンドイッチを食べながら、天空の旅を存分に楽しんでいるところだ。


「どうじゃい、エイト!」


 ワイバーンを隣に寄せてドルガンが話しかけてきた。天空に吹く強風に負けぬよう、お互い声を張り上げて会話をする。


「最初は少し怖かったけど、もう慣れました!」

「ウワッハハ、大した度胸をしておる!」


 ドラゴンを恐れることは去ることながら、高所を怖がる者も当然多いだろう。

 その中でも瑛斗はドラゴンも高所も恐れない。大したものである。

 アーデライードとレイシャも平気な顔をしている――レイシャは無表情なのでよく分からないが――ので、きっと天空の旅を楽しんでいることだろう。


「やっぱりワイバーンは楽よねぇ」


 アーデライードがぼそりと呟いた。この距離と強風の中で、彼女の呟きがこちらまで聞こえると言うことは、精霊語魔法サイレントスピリットの「ウィンドボイス」を使ったに違いない。


「そうだね。でも徒歩の旅も楽しかったよ」

「まぁ、ね。うん、そうね。私もエイトとの旅は楽しかっ」

「エート、たのしい?」


 アーデライードの独占状態と思われた天空の通信に、意外にも割り込む別の声。


「えっ、わっ、うん、楽しいよ」


 瑛斗の耳元で囁くような声の主は――まさかのレイシャの乱入だった。

 レイシャをよく見ると、背中に手を回して魔法杖ワンドの先に触れている。

 あとで聞いたところによると「クリエイト・サウンド」という古代語魔法ハイエンシェントだそうだ。指定範囲内の任意の場所に、自分の知る音を作り出すことができる。

 それだけではなく、得意の複合魔法で「ウィザーズ・イヤー」を掛け合わせている。これは遠くの音も指定範囲内の任意の場所であれば聞くことができる。

 音だけでなく自分の声を作り出し、且つ複合魔法での会話を試みるとは。

 アーデライードに対抗心を燃やしているおかげか、レイシャの魔法の腕はめきめきと上達している様である。

 二人のエルフがドルガンを挟んで、チリチリと火花を飛ばす様が目に見えるようだ。挟まれたドルガンは、今にも笑い出しそうになるのを必死に堪えているように見える。


「くっくく、エイトもゴトーと同じじゃの。血は争えんもんじゃ」

「あん? 何か言ったかしら、ドルガン!」

「なーんでもないわい、ウワッハハハ!」


 ドルガンは豪快に笑い飛ばすと、ワイバーンをわざと急旋回させて瑛斗らとの距離を離した。


「うっぅ、ぅうきゃあぁぁーっ!」


 急激な重力加速度がアーデライードの身体を襲う。ハイエルフの甲高い叫び声が天空高くこだました。



 飛龍を使った空の旅は、時折地上へ降り立って休憩を取りながらの旅になる。

 騎手の集中力を切らさないこと、十分な体力を維持すること。休憩場所の確保、ワイバーンの健康管理、行く先の気象状況の確認。

 これら全てが空の旅を安全に行う為に重要であるからだ。


「サービスエリアがあればいいんだけどね」

「うん、なんじゃそれは?」


 瑛斗はつい口にした現実世界の名称に、ドルガンが疑問を持ったようだ。

 サービスエリアは高速道路などに概ね五十キロおきに設置された休憩施設のことだ。春休みの旅で街道を歩いている間、もっと手軽な施設があればと思っていた。

 しかし車のない異世界である。旅人は全ての荷物を持って歩くのが一般的だ。必要なのは休憩施設ではなく宿泊施設。そうなると結局は、今の宿場町とそう変わりがない。

 だが、車と同じく長距離走行が必要なワイバーンではどうだろうか。


「そりゃ面白い。確実に休憩できる地点を設けておくのは重要なことじゃ」


 無用な混乱を避けるため、通常の宿場町に降り立つことのできないワイバーンである。空路の整備と休憩施設の確保は、今後の役に立つのではないだろうか。


「ほう、空路か。なるほどな」

「例えば、ドルガンさんの住む集落からこう、放射状に五十キロ地点ごとに……」

「ふむ、主要都市の間に休憩地点となる場所を設けて、点と点を結ぶのか」

「後は気象状況に応じて空路を、例えばこう」

「ほほう、ふぅむ……」


 瑛斗の話に、ドルガンとボルバルが熱心に耳を傾ける。


「なるほど、こりゃ良い知恵じゃわい」

「その辺りは俺ももっと詳しく調べておきます」

「うむ、そのサーモスケニアのこと、今度じっくりと聞かせてくれい」

「サービスエリアです、族長」

「そうか。共通語コモンの横文字は、ちと難しいぞ」



 昼食をとった後、更に休憩を二回挟みつつ、数時間飛んだところだろうか。目の前に広大な湖が見えてきた。


「ボルバルさん、あの湖はもしかして」

「おう、リッシェルですぞ、エイト殿」


 湖上には多くの船が行き交うのが見える。漁をしているのか、さもなくば荷を輸送しているのか。ほんのひと月ほど前に見た景色なのに、どこか懐かしく感じる。

 川辺を探すと銀黒の瓦屋根が印象的な建物が見える。料理酒場『水面の桜亭』だろうか。すぐ傍に緑生い茂る木々が、爺ちゃんの植えた桜の木かも知れない。

 アーデライード騎乗の飛龍へと目をやると、こちらをみてニヤニヤしているのがよく分かる。瑛斗が興味深く見下ろしているであろう姿を見て、楽しんでるのだろう。それを察して笑顔で親指を立てて見せる。

 前回の旅で十二日間かけて歩いた道程を、たった十時間程度で飛んでしまった。

 今までの最長距離を実にあっさりと越えてしまったが、春の旅の経験が無駄になるわけではない。飛龍に乗ること自体が特別な経験だ。それとこれとはまるで別の話だろう。

 目指す先はリッシェルの南東に位置する王弟公国内にある『運命の森』と呼ばれる地。つまり目的地までかなり近づいているということだ。聞く話によれば、あと小一時間もかかるまい。


「ほれ、あの台地に見える森がそうですぞ」


 ボルバルが目の前の丘陵を指さした。そこにはグラスベル大森林とはまた趣の異なる広大な森が広がっている。

 『運命の森』――アーデライードは何故この森に瑛斗を連れてきたがったのか。この秘密はこれから明かされることになるだろう。悪戯好きなハイエルフのことだ。きっとビックリするような理由があるに違いない。

 その仕掛けを楽しみに、瑛斗たちは『運命の森』へと降り立つのだった。



 王弟公国。正式名称はオーディスベルト地方エーデルシュタイン公国領というそうだ。これでは長過ぎて不便なので、庶民は皆、勝手に省略して王弟公国と呼んでいるという。

 公国騎士団内ですらそう呼んでいるので、ほぼ公認と言っていい名称なのだろう。

 その公国内は北方に位置する森が『運命の森』と呼ばれている。

 そう呼ばれる理由は諸説ある。だがそのどれもが定かではない。

 ただひとつだけ分かっていることは、古代の何者かの手によって、この森全体に強力な結界魔法がかけられているということだ。

 この森に掛けられた魔法について解明されていることは何一つない。膨大な魔力により広大な森全域に仕掛けられた謎の古代魔法。何時、誰が、何の目的で――その意図を知る者、語り継ぐ者は誰一人としていない。

 人を惑わすこともあれば、導くこともある。災いをもたらすこともあれば、幸いをもたらすこともあるという。

 近年、この森のすぐ傍には王弟公国の別荘地があることもあり、衛兵から不要な詰問を避けるために、近づく平民は皆無となっている。


「そこがまぁ、いい狙い目なのよね」


 と、ニヤリと笑うハイエルフがアーデライードである。

 森の上を巡回すると『運命の森』の中に小さな草原を見つけることができた。周囲を警戒しつつゆっくりとその場へと降りたつ。

 巨大なワイバーンを見て小鳥たちが一斉に逃げ出してゆく。森の中がちょっとした騒ぎとなってしまうのは、飛龍乗りにはどうしようもないことなのだろう。

 ワイバーンから飛び降りると、瑛斗は膝から崩れ落ちてしまった。足の筋肉が思いの外疲労しているらしい。それを見たドルガンが声を立てて笑う。


「飛龍に乗って最初の頃はな、どうしてもそうなるモンじゃい」


 安定した空の旅といえどもワイバーンの背の上である。飛行機に乗るのと比べて緊張感はその比ではない。最後のフライトはやや長く、三時間近くに及んだせいもあるだろう。

 今まで使ったことのない筋肉を使っているだろうから、明日の筋肉痛は覚悟しなくてはなるまい。


「しかしエイト殿は良い飛龍乗りになれますぞ」


 ボルバルがワイバーンに巨大鼠ラットの干し肉を投げながら言った。


「そう……なんですかね?」

「左右への転回時や上昇時の体重移動が細やかでね。助かりましたぞ」


 それを聞いたドルガンが「ほぅ」と声を上げる。


「そりゃようやったのぅ。そう簡単にはやれんもんじゃ」

「ええ、初めてとは思えんです」


 そう言われて思い出すのは、父のバイクに二人乗りタンデムする時のこと。その昔やんちゃだった父は、いまだに大型二輪を趣味としている。後ろに乗せてもらった時と同様の感覚で、何とはなしに体重移動を試みていたのは確かだ。


「他にもワシの水分補給や、雲の動きを気にかけておってですな」

「そりゃ、お前さんが羨ましいぞ。こっちの背中はただの荷物じゃからな!」


 豪快に笑うドルガンの向こう側で、その背中の荷物が口に水を含みながらこっちを睨んでいるのが見える。

 ワイバーンが巨大鼠ラットを咀嚼するのを、目をまんまるにして見ていたレイシャがとととっと駆け寄ってきて、珍しく声を上げる。


「エート、きがきく」

「おう、そうじゃな」

「エート、いいおよめになる?」


 これには堪らずドワーフ達が大声で笑いだす。


「ワーッハッハッハッハ!」

「ぶわっは! そうじゃな、エイト殿は大した器量良しじゃよ」

「ワッハハ! こりゃまずいぞアデル、どうしよう?」

「しっ、知らないわよっ! ドルガン、私に聞くなっ! 指差すなっ!」


 からかうドルガンにアーデライードが端正な顔を真っ赤にして怒る。気心知れた二人を見ながら、瑛斗は「仲が良いなぁ」と思うのだ。


 台地上にある『運命の森』からは、リッシェル近辺の湖群を一望できる。空気の澄んだ天気の良き日には、遥かリッシェルの街並みも目にできるそうだ。

 非常に良い眺望に恵まれた地であり、王弟公国の別荘地とした理由がよく分かる。

 今回の旅では、足下にある街から出ている定期船で、公国府のある街まで川下りを楽しむ予定となっている。蒸気機関のない異世界では帆装が主な動力源だ。水量豊富なこの時期の川下りであれば、半日もかからず公国府へと辿り着く。

 ただし川を遡上する便は、風向きにより出航が見込めない可能性もある為、徒歩で『運命の森』へと戻るコースを戻ることになる。

 と、ここまでがゴールデンウィーク五連休を旅する行程表だ。


「でも今日はどうするのさ、アデリィ」


 今日「昭和の日」は連休ではない。瑛斗は明日学校があるのだ。無断欠席となれば両親との約束を破ることとなる。それは極めて由々しき問題であった。


「それは大丈夫。だけど……」


 アーデライードが深刻そうな表情で、どこか含みを持たせた言い方をし始めた。


「もしかしたら、今日が瑛斗の大転換点になるかも知れないわ」

「そんなにか? 初めての冒険と比べてどのくらい?」

「その比じゃないかも知れないくらい。正直、私にも分からないの」


 楽観的なアーデライードが真面目な顔で瑛斗にそう告げるのは珍しいことだ。


「ま、百聞は一見にしかず、よね。まずは行ってみましょうか」


 取り敢えず飛龍の番をボルバルに任せ、瑛斗、アーデライード、レイシャ、ドルガンの四人で森の奥へと進むこととなった。


「ワシも詳しい場所までは知らんな。まず辿り着くことができなんだ」

「この場所は、森の中を歩かなくては辿り着かないようになっているようよ」


 アーデライードがそうドルガンへと説明する。


「森の専門家スペシャリストとしては悔しいけれど、これは魔術師ソーサラーの範疇なのよ」


 そう言ってチラリとレイシャを横目で見ると、思った通りの無表情でボンヤリ歩いているように見える。

 だがアーデライードは知っている。レイシャがしっかりと聞いていることを。だから今はこの森を、きっと凄まじい集中力で歩いているに違いない。

 そう信じている自分自身にアーデライードは驚いているが、それに足るだけのことをレイシャは今までしてきているだけのことだ。

 瑛斗は瑛斗でドルガンの全身から溢れ出す、油断のない緊張感にも似た感覚を学び取りながら歩いている。

 瑛斗とレイシャ、この二人の成長しようとする貪欲さに舌を巻かざるを得ない。

 高みを極めて随分と久しいけれど、もう少し先へ瑛斗と一緒に行ってみたくなる。

 口には出さないけれど、アーデライードは最近そう思うことが多くなった。

 日の暮れ始めた森の闇は深く、グラスベルともレイシャと出会った森とも違う、鮮やかな緑の中に鈍色の鉄を沈ませたような、無機質の空気を感じさせた。

 一歩一歩、手付かずの森の奥へと進む度に、日本の山野とは違う異質さを覚えずにはいられない。

 先頭を行くアーデライードが、不意に歩みのスピードを緩める。

 それに時を合わせたように、じっと正面を見据えていたレイシャが、呟くような小さな声で呪文詠唱を始めた。


「せんす・えねみー」


 レイシャの唱えた古代語魔法ハイエンシェント「センス・エネミー」は、術者の周囲に存在する敵意を探る魔法である。


「あら、この、ホントに勘がいいわね」


 アーデライードはレイシャを横目で眺めながら思った。

 だがレイシャの勘の良さは単純なものではなさそうだ。アーデライードの精霊による感知とは明らかに違い、何かを目で見て捉えている。ここのところ彼女をよく観察するに、どうも魔力オドの流れを見ているのではないか、と思われる。

 瑛斗が片手半剣バスタードソードの鞘の紐をそっと解きつつレイシャへ訊ねる。


「何かいるのか?」

「てき」


 実に端的に、実に明快にその存在を言い当てて瑛斗へ伝えた。


「……悔しいな」


 瑛斗は呟く。周囲の雰囲気で警戒はしていても、敵の気配を察知することは出来なかった。


「なぁに、才能がないなら経験じゃて」


 ドルガンが腕組みをしたまま笑う。泰然自若。じっと動くことはない。


 かさり……かさり……


 森の中に微かに響く、落ち葉を踏みしめる音。

 徐々に周囲に増えてゆく。

 瑛斗たちの周囲を囲んだのは、ゴブリンたちであった。

 街道沿いで目にしたゴブリンたちとは、どことなく出で立ちが違う者がいる。


「そうか、武器を持っていないゴブリンがいるんだ」


 瑛斗はその違いに気付いた。


「あら、厄介そうなのがいるわね」

「なに、レイシャがいるんじゃ。問題ないじゃろ」

「全く人の手の入らない森だから、居心地がいいのかしらね」


 六英雄組は余裕である。しかも瑛斗たちに任せる気構えのようだ。

 しかしそうでなくては瑛斗も困る。これは瑛斗の冒険だ。

 瑛斗はアーデライードら三人を後ろへ置いて、一人で前へと歩み出る。


「エイト、油断は?」

「ない」

「教えたことは?」

「覚えている」

「ならいいわ。それじゃ行ってらっしゃい!」


 アーデライードがいつもの調子で瑛斗を送り出す。後は結果を残すのみだ。

 彼らは間違いなく敵意を持っている。出来れば先制攻撃を仕掛けたい。

 何よりも真っ先に詠唱に入っていたレイシャの複合魔法が完成した。


「えんちゃんとうえぽん、あんど、ぷろてくしょん」


 瑛斗の身体が青白く輝き出し、構えた片手半剣バスタードソードが鈍色の光を放つ。

 それを合図としたか、ゴブリンの足が前へ踏み出したのを瑛斗は見逃さなかった。


 瞬断。


 間合いが広く重い背丈ほどの大剣を、瑛斗は軽々と振り回す。

 異世界人の特色。その能力を如何なく発揮して、最初の一匹を屠ってみせた。

 続けて追撃を見舞いたかったが、長時間のワイバーン騎乗で気怠くなった足が言う事を聞かない。遅れた二撃目を躱されるも、流れるような三撃目を打ち込んでみせた。


「ほう、これは見事じゃな」


 十分な踏み込みを経ていた三撃目では、二匹目も一撃必殺。

 だがこの時、敵の反撃ターンへ移行していた。


「ファイア・ボルト」


 迫りくる火の玉を、瑛斗は大剣を盾にして辛くも避けることができた。

 火の精霊語魔法「ファイア・ボルト」は、火の精霊を攻撃対象へ直接ぶつけてダメージを与える攻撃魔法である。

 ゴブリンから放たれた精霊語魔法サイレントスピリット。敵は単純なゴブリンだけではない。その中には精霊使いシャーマンのゴブリンも含まれているようだ。

 レイシャによるプロテクションの効果も手伝って、ダメージを負わずに済んだ。

 しかしその隙に、前方に三匹、後方に二匹のゴブリンに囲まれてしまった。

 前方の奥、武器を持たぬ二匹のゴブリンが、精霊使いシャーマンである。

 瑛斗はまず、手前一匹のゴブリンに狙いを定めて踏み込んだ。


「シャドウ・シェイプ」


 奥にいたもう一匹の精霊使いシャーマンが精霊語魔法を唱えた。

 十分に狙いを定めて振り抜いたはずの片手半剣バスタードソードが標的をすり抜ける。

 闇の精霊語魔法「シャドウ・シェイプ」は、闇の精霊を身に纏わせて回避力を上げる補助魔法である。

 アーデライードから見せて貰ったことはあるが、実戦で目にするのは初めてだ。

 味方が使えば頼りになる魔法も、敵に使われるとなんと厄介な事か。


「私のありがたみがよく分かるでしょ」


 と、遠くの方から声が聞こえた気がするが、今は目の前に集中させてもらう。


「すりーぷ・くらうど」


 次のレイシャの魔法が完成したようだ。古代語魔法ハイエンシェント「スリープ・クラウド」は、眠りの雲を発生させ、それに触れた敵を眠らせることができる魔法だ。

 耐久レジストに失敗した背後二匹のゴブリンの躰が、ゆらりと揺れた。

 瑛斗はバックステップで直前のゴブリンの錆びたナイフを躱すと、背後へ向け振り向きざまに凄まじい回転を加えて横殴りの攻撃を仕掛けた。


「敵が二匹並んでいる場合はーっ?」

「もう一匹その先を斬るんだろ、アデリィ!」


 三匹目を切り裂く気持ちで振り抜いた片手半剣バスタードソードは、眠りに落ちかけたゴブリン二匹を丸ごと真っ二つに両断した。

 その勢いを落とさぬまま背後へ牽制のつもりで剣を振り抜くと、襲い掛かりかけていたゴブリンに直撃した。

 弾け飛んだゴブリンをそのまま追撃し、上段から一刀両断に振り下ろす。

 これで五匹のゴブリンを仕留めた。残るは精霊使いシャーマンのゴブリン二匹。だがその二匹とはだいぶ距離が開いてしまった。

 瑛斗は逃がすまいと駆け出したが、疲れ切った両足が上手く運べない。

 すぐ目の前でゴブリン・シャーマンの「ファイア・ボルト」が炸裂した。直接瑛斗を攻撃したと言うよりは、逃げる距離を稼ぐための牽制のようだ。


「くそっ、逃がすか!」


 一瞬足を止めさせられたが、瑛斗は怯まず再度駆け出した。


「ああいうのを逃がすのはちょっと厄介ね……」


 アーデライードは少しだけ手を貸すことにする。いつものように指をタクトのように揮うと、二匹のゴブリン・シャーマンが蹴躓いた。土の精霊を使役して転ばせたのである。


「えねるぎー・ぼると」


 レイシャ三回目の魔法。古代語魔法ハイエンシェント「エネルギー・ボルト」は、体内の魔力オドを高熱のエネルギーに凝縮させ、魔法の矢として解き放つ攻撃魔法である。

 最も遠くにいた逃げるゴブリンシャーマンの背中へ、見事に直撃させ貫いた。

 最後の一匹に瑛斗が追いすがると、その身へ向けて片手半剣バスタードソードを突き入れる。

 邪悪な魔力オドで形作られたゴブリンは、その身を腐った土塊へと還らせて逝く。瑛斗の切っ先に突き刺さっていたその躰も同様に、ボロボロと崩れ去った。


「うむ、お見事」


 瑛斗とレイシャ。二人の初心者で見事七匹のゴブリンを仕留めて見せた。

 これにはさすがのドルガンも驚かざるを得ない。


「よう半年程度でここまで仕上げたのぅ」

「そりゃそうよ! だって、わ……エイトだもん!」


 アーデライードは「私のエイト」と言いかけて止めた。それを言ってしまえば、いつも「レイシャのエート」とかほざいている、どこかのダークエルフを責められまい。


「レイシャのエート、すごい」


 ほらね、言ったでしょ! このちびすけはすぐにそう言うのよ!


「ありがとう、レイシャ。君の魔法も凄かったよ」


 瑛斗はそう言ってレイシャの頭を撫でた。レイシャも瑛斗に頭を撫でられることをよく分かっているようで、何時の間にか猫耳帽子を脱いでいる。

 白髪しらかみを目を細めて気持ちよさそうに撫でられているその姿は、よく懐いている子猫の仕草のようである。

 え、あれ? なによこれ? これってもしかして、私が言っても言わなくても、どっちに転んでもどうでもいい話ってこと?

 アーデライードは「ぐぬぬ」と歯噛みしながら、もっと自分に正直になれる薬とかないものかと考える。しかし彼女はかなり自由で正直なのだ。恋愛以外に関しては、だが。


「なにしとんじゃ、アデル。お前さんが前に進まんと辿り着かんぞ」


 ドルガンにせっつかれ、アーデライードは渋々歩き出す。

 物凄いスピードで成長してゆこうとする若者二人を前にして、置いて行かれまいと必死に追いすがらなくてはならないのは、自分の方かも知れない。

 二人のように貪欲に、諦めず一歩踏み出すこと――それは、勇気。

 もう少し先へ瑛斗と一緒に行ってみたいなら、踏み出す勇気が必要なのだろう。


「ホント……むずかしい……」


 ぽつりと呟いて、己の力不足を感じつつあるアーデライードであった。


 これより一行は、更なる森の奥。最深部へと足を踏み入れてゆく。

 ここは『運命の森』――人を惑わすこともあれば、導くこともある。災いをもたらすこともあれば、幸いをもたらすこともあるという。

 如何なる運命が彼らを待ち構えているか、知る者は、誰もいない。

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