第四章:盲目の皇女と運命の旅 [後篇]

第39話 謀略のハイエルフと狼たちの別れ旅

 ゴールデンウィークの旅、四日目の朝を迎えた。

 昨晩は山間の街・テトラトルテより更に北方の山中、テルタ村という小さな村に急遽立ち寄り、宿を取ることとなった。テルタとは旧北方大陸語で「奥まった」という意味らしい。だから共通語コモンとなった日本語で言うなれば「山奥の村」というところか。

 この辺りは養蚕が盛んらしく、山の斜面のそこここに一望できる畑は全て桑畑だという。言わずと知れた蚕の餌となる樹木である。桑の木は本来、高木となる落葉樹であるが、収穫をし易くするために人の背丈程度に切り押さえているのだそうだ。


 さて、アードナーら「銀の皿シルバーディッシュ騎士団」は今、ここにはいない。昨晩の戦闘で降伏した第十四騎士団の連中を移送するため、彼らから接収した馬車四台を利用して一旦テトラトルテの街へ戻ることとなったためだ。

 現在このテルタ村へ滞在しているのは、瑛斗ら一行と村長に宿の手配を頼むため同行した女騎士・ソフィア。そして、サクラを始めとした獣人族三名のみ。

 次に「銀の皿騎士団」らとの合流を約束した場所は、川沿いの町・ドラベナ。王弟府・ヴェルヴェドへ旅立つ際に定期船始発の船着き場として利用したあの町だ。

 捕虜とした者たちは、降伏した騎士ら全員ではない。部隊長と副部隊長、他二名。主に獣人族の村襲撃を計画・実行した責任者クラスの騎士のみ。他の一般騎士たちは特に咎めなく解放したが、これは昨夜の事。全ては、アーデライードの仕組んだ策である。


「さぁて、私の出番ね!」

「彼らをどうするつもりだ?」

貴族共むこうも策は打つでしょう? だったら罠を仕掛けましょ」


 アーデライードは「任せなさいな」と瑛斗に言い残すと、テキパキとエアハルトらに指示を出す。このハイエルフ、すっかり悪戯っ子の様な表情をして声はもう心持ち弾んでいる。罠を考えたり、仕掛けたり、嵌めたりと、こういう悪巧みが大好きなのだ。

 捕虜とした騎士や馭者たちをひと所に集めると、周囲を「銀の皿騎士団」の猛者らに取り囲ませた。睨みを利かせた彼らが剣を抜身に構えているのはワザとである。そうしてその輪の前へただ一人悠然と歩み出て堂々と立って見せると、捕虜ら面々が思わず声を上げた。何しろその姿はまるで、現世に出現した戦の女神が如しであったからだ。

 月光に映える瀟洒な金髪をふぅわりと掻き上げてしなやかな腰に手を当てると、落胆していた敵の捕虜たちまでもが、彼女の美貌に見とれて感嘆の溜息を洩らす。

 紅く実った桜桃の様な口唇から、管弦楽団オーケストラの旋律が如き声で告げた。


「敗軍の兵に告ぐ――あなたたちの処罰に関してよ」

「オ、オレたちをどうする気だ?」

「そうね、それぞれの故郷へさっさと戻るがいいわ」

「えっ?」

「残念だけれど、私たちが裁きを下すまでもないの」


 そこで絶世の美少女は、憐憫と憂いを帯びた声でワザとらしく溜息を突いた。


「ああ、可哀想に! 何故ならばあなたたちはもう、死んだも同然なのだから!」

「えっ?! ど、どういうことだ?」

「だって、任務は失敗し、御主人様である貴族たちの栄誉を踏み躙り、その名を地へと貶めたのよ? このまま放って置かれるわけがないじゃない」

「なっ、なぁ、オレたちはどうなっちまうんだ……?」

「うーん、そうねぇ……口封じの為に隠密の内に殺してトカゲの尻尾切りとする――それならば後腐れなく確実だし、まず間違いんじゃないかしら?」

「そ、そんな……」

「もしかしてプライドのお高い貴族たちが、わざわざ生かしておくと思っていて? うふっふ、あなたたちったら本当に、随分とお目出度めでたいのね」


 アーデライードはそう言って捕虜たちを脅かし始めた。これはもう意地悪を通り越して、脅迫に等しい。だが彼女は内心で嬉々としていたに違いない。

 お喋りハイエルフは弁舌も軽やかに、滔々と語り掛け、切々と問い掛ける。時に大仰に、時に真実味を帯びて。実に見事な話術と言ってよかった。

 月光に照らされたハイエルフの白皙の肌は青白く浮かび上がり、端正な顔立ちは冷酷な碧眼ブルーアイズと相まって、増々そら恐ろしさを醸造していく。人の世ならざる彼女の美しさが際立てば際立つ程、抜群の相乗効果を発揮するのだ。

 おかげで捕虜となった騎士たちは、すっかり青褪めて震え上がってしまった。


「どれほど残酷な拷問によって処刑されてしまうのかしら……ああ、恐ろしい!」

「ぐっ……なんてことだ……」

「でも、あなたたちは悪くないわ……悪いのはいったい誰かしら?」

「き、貴族たちだ……貴族たちのせいで……」

「貴族はいつもそうだ。俺たちをリンゴの芯みたいに切り捨てる気なんだ!」


 言葉巧みに誘導するアーデライードの話術は、やがて集団心理も手伝って、捕虜たちの誰も彼もが恐慌状態に陥り始めた。こうしてじっくりと恐怖を刷り込んでおいてから、満を持して救いの手を差し伸べた。


「だからね――あなたたちが助かる方法は、ただ一つ」

「そ、それはなんだ?」

「今日のことは、黙っといてあげる」

「へっ?」

「でね、街に戻ったら酒場で皆にこう話すの。『俺たちは誇り或る公国の騎士として、子爵の悪逆非道たる密命には乗らず拒絶したのだ!』ってね」


 公国の無辜むこの民である村を襲った首謀者は、部隊長含む数人の騎士。公国より拝領した銀製武器を横領・横流しした上で、傭兵団を雇い入れて犯行に及んだ。その指示を直接下した黒幕こそは、デラヴェ領領主・クレーマン子爵。

 そういう噂を街中にバラ撒け――そうアーデライードは言っているのである。

 ゴクリと唾を飲み込んで押し黙る捕虜たちを尻目に、アーデライードが何やら目配せをする。するとドラッセルが、瑛斗のバックパックから取り出した麻布の包みを、彼女へ差し出した。


「まぁまぁ、まずは一本。景気付けにおやんなさいな」


 麻布の包みを開くと、それは一升瓶に入った葡萄酒ワインであった。几帳面に荷物整理する瑛斗ですら知らぬ間に、いつの間にか荷物に紛れ込まされていた逸品である。

 葡萄酒を手渡された当初は、末期の酒を味わうかのように口へ運んでいた捕虜たちだったが、酒が廻るに連れて段々と威勢が良くなってきた。


「あなたたちはちっとも悪くない。悪いのは、いったい誰だったかしら?」

「し、子爵のヤツだ。アイツがオレらに命令したクセに!」

「そうだそうだ、オレたちは仕方なく命に従っただけだ!」

「このまま切り捨てられてたまるか!」

「そうそう。その調子、その調子! 家族、親族、友人、知人、知ってる人から赤の他人まで、隈なくみんなに伝えてやんなさいな。そうしないと、罪を擦り付けられちゃうあなたたちの、命が助かる方法はこの世のどこにもないわよ!」


 アーデライードに良い様に煽られて、捕虜となっていた騎士たちはすっかりその気になった。彼らと馬車の馭者らを解放すると、這う這うの体で余っていた馬に相乗りに跨って、デラヴェ領の街々へと散って行った。

 その様子を見届けた後、瑛斗はアーデライードに話しかけた。


「なぁ、アイツらを逃がしてしまって良かったのか?」

「だって、あんな雑兵たちをわんさか捕虜にしたところで意味はないでしょ」


 捕虜は主犯の責任者だけで十分である。それよりも次の一手を動かすために、利用してしまった方が良い。アーデライードはそう言っているのである。

 村を襲われた獣人たちの気持ちを考えれば、これが最良手なのかどうか。瑛斗にはまだその判断をつけられない。ただアーデライードの言うように、貴族たちにトカゲの尻尾切りをされて、闇から闇へと葬り去られてしまうよりも、此度の蛮行を白日の下に晒してしまった方がずっとマシだろう。


「さて、これで子爵がどう出るか――小者だったら動かずにはいられないハズよ」

「動かなかったら?」

「肝の据わった嫌な奴。でも裏ではごにょごにょと蠢くんでしょうけど」


 そうムッツリとのたまったアーデライードが、突如「んふー」とほくそ笑み始めた。


「ねぇ、どう? エイト、この作戦、どう?」

「どうって言われてもなぁ……」


 正直、策略としてどの程度の効果があるものなのかよく分からなかった。

 古来から捕虜とした兵士に偽の情報を握らせたまま解放して、情報戦に役立てているのは知っているけれど。そういった計略の存在を既に知っている現代人の瑛斗としては、こんな手管で人は簡単に踊ってしまうものなのか。どうにも疑問である。

 しかしそれは、そういった計略の存在を知り、異世界の未成熟さを知らぬが故かも知れない。ここはアーデライードの手腕を信じてみてもいいだろう。


「それよりもさ、アデリィ」

「んっ、ん? なぁになぁにーぃ?」

「いつの間に俺のバックパックに葡萄酒なんか仕込んでたの?」


 ご機嫌だった美貌のハイエルフは、凍った笑顔のまま一瞬にして青褪めた。


「テ、テトラトルテの街で……ちょ、長期熟成保存の……」

「うん。森の中を走っている間、なんだか重たいなぁと思ってたんだよね」

「おっお、ああ、そ、あ、あのね……?」


 彼女曰く、テトラトルテの街でソフィアと行った甘味処パティスリーにて、赤ワインを使ったシフォンケーキに大好きなジャムをたっぷりと乗せて頂いたところ、それはそれは大変美味だったそうで。とても気に入って、赤ワインをご購入なされたらしい。それも一升瓶で。だがそこはシフォンケーキを買う所ではないか、と瑛斗は問いたい。問い質したい。


「それにしても、いつ俺のバッグに入れたのかなぁ?」

「ん、レイシャ、しってる」


 知らぬ間に背後に立っていたレイシャが説明するに、アーデライードは旅装のマントの下に忍ばせながら持ち歩き、瑛斗がサクラをベッドへ運んでいる間にバックパックの中へとネジ込んだのだそうだ。

 異世界の物品は瑛斗にとって軽く感じられるとはいえ、さすがに一升瓶を持たせる時は一言お声掛けがあってもいいものじゃなかろうか。


「あい、うえう、おお、かかか……」


 などとアーデライードは口走っているが、それがエルフ語ではないことくらい瑛斗にもわかる。ハイエルフの長く尖った耳が、見る間にへこたれてゆくのも見て取れる。

 だがちょうどその時、思わぬ助け舟がアーデライードにもたらされた。


「あの、エルフ殿。この部隊長どもは如何なさいましょうや」

「あっあっ、そ、そうね。今そっちへ行くからお待ちなさいな!」


 声の方を見やると、銀の皿騎士団の面々が部隊長らを尋問しているところであった。


「しゅ、主命でやったことだ……命だけは助けてくれ……」

「そう言うオマエは、懇願する無辜むこの民を何人傷付けた?」

「オレのせいじゃ……オレのせいじゃ、ない……」


 呻くように言い逃れを繰り返す部隊長に対し、アードナーが怒気を秘めた口調で返す。だがこれ以上返す言葉がないようで、部隊長はがっくりと項垂うなだれた。

 どうにも騎士然とせず潔くない態度に、アードナーは激昂し「貴様、それでも騎士の端くれか!」と腕を振り上げて殴らんとせんばかりである。

 そこへ抜群の敏捷度アジリティをフル活用して脱兎の如く逃げ去ったアーデライードが、あっという間にアードナーの傍へ駆け付けて、背中をぽんぽんと叩いて制止する。


「お待ちなさいな。まず最低限の情報は必要だわ、アードナー」

「ムッ……」


 アードナーは振り上げた拳を、やり場無く引込めた。

 言われた通り、聞き出さねばならぬ情報は、まだまだあるはずである。


「でもま、部隊長アンタはタダじゃ置かないから覚悟なさいな……さて、レイシャ?」

「ん」


 アーデライードへとことこと走り寄ったレイシャは、なにやら呪文を唱えると魔法杖ワンドで部隊長の頭をコンと叩いた。


「でぃぐりーず・うぇいと」


 古代語魔法ハイエンシェント「ディグリーズ・ウェイト」は、接触させた物の重量を魔力に比例して何割か軽減させる魔法である。もちろん人体に仕掛けることも有効だ。


「さってと……しっかり責任取んなさいな」

「えっ、ちょっと待っ……な、何を……?!」

「あら? 私は今、とっても虫の居所が悪くてよ?」

「うっ、うぁぁ、うぁあぁぁぁーっ!!」


 そう言うと、アーデライードは怯える部隊長の首根っこを引っ掴んで、鼻歌交じりに森の奥へと引き摺って行った。彼女の虫の居所――とは、葡萄酒の件だろうか。

 それにしても非力なはずの美少女ハイエルフが、重装備の騎士を軽々と引き摺って去る姿はどこか爽快である。その後をレイシャがてててっと追いかけて行った。

 そうして、暫くしてのことである。


「ちょ、やめ、あっ、止め、止めてぇ……あぎゃあぁあぁぁあぁぁーッ!!」


 森の奥から響き渡ったのは、部隊長の絶叫であった。引き摺られていった後、二人のエルフに何かされたようだ。この絶叫を受けた副部隊長以下捕虜全員が、容易く口を割ったことは想像に難くないだろう。

 のちに聞くところによると「狂気と恐怖の精霊を周囲に侍らせた後、ちょっとした上位精霊を宛がってあげただけ」とのことだが、その言葉を聞くだけで何か怖い。


「オレ、エイトが『彼女たちは物理的に強い』と言った意味、分かるぜ……」


 船の舳先へ吹っ飛ばされた経験を持つドラッセルが、瑛斗の隣でぼそりと呟いた。

 何にせよ、あちらの方は二人の凄腕エルフに任せておけばよさそうである。



 瑛斗が森の奥へ目を転じると、その先にはサクラたち獣人族たちの姿があった。先ほどからずっと彼女たちだけで、今後の事を話し合っていたらしい。

 助け出された少年少女の数は、少年七名、少女十五名の合わせて二十二名。平均年齢は十歳程度で、下は七歳から上は十五歳のカイまで。殆どの子供たちが戦争や災害で親を失った孤児たちである。だがこの人数は、村人の半数にも満たないという。


「五十数名が住む村でね……殆どが老人か、孤児ら子供たちだった」


 子供たちの輪から少し外れていたサクラが、そう説明してくれた。

 サクラはじっと、少年少女らの話し合いを聞いていた。彼女曰く「自分は村から出て行った身だから、みんなの決断に口を挟む権利はない」というのがサクラの言である。

 獣人族には獣人族の掟があるのだろう。瑛斗は何も口出しをせずに見守ることとした。そうしてから暫くすると、ひとつの決断がなされたようだ。


「私は……この子たちを連れて、北へ向かおうと思う」


 そう口にしたのは、ライカの親友であるという最年長の狼少女・カイだった。このまま更に北の山岳地帯へ、この子供だけの集団で移住することを決断したのだ。


「オーディスベルトの獣人族首領、クロフォード様の聖域まで足を延ばす」

「クロフォード様の聖域……」

「その周辺域には、獣人族が十分に生活できる狩場が残されているというし」


 公国北方の山岳地帯には、更に広大で手付かずの山野が広がっており、獣人族らが住むに適した風土と環境が整っているのだという。


「私たちを受け入れて貰えるかどうかは、分からないけれど……」


 不安そうに言うカイの顔は、暗く伏し目がちである。


「きっと大丈夫。カイだったら上手にみんなを引っ張っていけるわ」


 そう言って、ライカはカイを慰めた。


「ところでライカ。あなたはどうするつもりなの?」

「私はサクラ姉さまと一緒に、この地に残ろうと思うの」

「でも、もうここは……私たちの村は……」


 涙をぐっと堪える表情で、口唇を噛み締めてカイは声を絞り出す。


「それでも私の故郷だし、誰かが……誰かが村のみんなを弔わなくちゃ……」


 ライカも同様に年下の子たちを不安にするまいと、必死に涙を堪えて返した。


「そっか……ライカが残るなら、あたしも残るよ」


 そう言って口を挟んだのは、二人の様子をじっと見ていた同じ孤児みなしごのカルラである。同様に孤児である彼女はライカと同じ家に引き取られ、ずっと姉妹同然の暮らしをしてきたのだという。


「姉妹同然に育った仲じゃない。二人ならきっと大丈夫よ!」

「カルラ……」


 元来明るい性格のカルラは、気の弱いライカを。しっかり者のライカは、ちょっとおっちょこちょいのカルラを。ずっとお互いに支え合って生きてきたのだ。


 それぞれの決断により獣人族の少年少女は、二つに別れることになった。皆が思い思いに別れの挨拶を交わし、抱き合い、別離を惜しむ。

 赤貧の村の中で、皆が皆を助け合って、身を寄せ合うように支えながら暮らしてきたのだ。村の仲間たちは皆、血よりも濃い絆で結ばれていると言ってよかった。

 獣人族の少年少女たちは全員が一通りライカらと別れを惜しむと、瑛斗に向かってもひとりひとりが丁寧に礼を告げてゆく。だが瑛斗は掛ける言葉が見つからない。礼をする少年少女たちに頷きつつ「頑張って」と伝えることしかできなかった。

 そうしてカイを先頭とした集団は、次々と狼の姿へ獣人化メイクオーバーし始めた。


「サクラ姉さま……服を、ありがとうございました」


 彼らの行動は迅速で、決断も早かった。その場に獣人族用の簡易服だけを残すと、一切振り返ることなく走り去って行った。

 やがて、森深き夕闇を疾うに過ぎた山中に、狼たちの遠吠えが響き渡る。

 その遠吠えに合わせる様に、夜天へ向かってライカとカルラが続いて吠えた。抱き合う二人は顔をくしゃくしゃにして、両目からは大粒の涙をぽろぽろと流していた。

 それでも、姿の見えぬ仲間たちへ向かって吠えることを、止めようとはしなかった。


 サクラは、満天の夜空へ吠える二人の姿をじっと見つめていた。

 じっと耐える様に見つめていたサクラはやがて、絞り出すように言葉を紡いだ。


「エイト……あのね……」

「うん」

「あたし、莫迦だけど、ホントに莫迦だけど……」


 サクラも、遂に耐え切れなくなった。


「あだじは、どうじでも、どうじでも村を守りだがっだのに……ッ!!」


 サクラは声を上げ、大泣きに泣いた。泣きながら瑛斗にしがみ付いた。

 ひとりではもう、立っていられなかったのだ。

 瑛斗は存外にか細いサクラの肩を、ただ抱いてやることしかできなかった。



 以上が、獣人族ライカンスロープの少年少女らが別離の旅立ちである。

 心根優しい狼少女ワーウルフ・ライカは、姉妹同然に育った活発な狼少女・カルラと共に、姉と慕う女盗賊の妖狐・サクラの下、三人でこの地に残ることとなった。

 ちなみに――それなりに怪我の回復していたサクラの処遇であるが、エアハルトの判断により三十日以内に例の棲家から出て行って他の街へ移る様に、との沙汰となった。



 時は戻り、テルタ村の早朝。

 周囲は薄明るいといえど、まだ陽が上がる前の時間帯である。

 瑛斗ら一行とソフィア、そして獣人族のサクラ、ライカ、カルラは、早々にこの村を後にすることとなった。瑛斗らはこの後「銀の皿騎士団」と合流するため川沿いの町・ドラベナへ。獣人族の三人は、仲間たちを弔いに獣人族の村へ戻るためである。


「これからすぐに村へ向かうのか?」

「そのつもりですエイト様……この御恩は一生忘れません」


 しっかり者のライカが、瑛斗に向かってぺこりと頭を下げた。

 ガサツそうなサクラや、隣のハイエルフとはエライ違いである。


「君たちならきっと、大丈夫」

「ありがとうございます」

「任せてよ! それにサクラ姉を一人にして置くのも心配だしね!」


 快活なカルラが口を挟む。

 すっかり元気を取り戻したように見えるが、瞼はまだ赤く腫れぼったかった。


「え、ちょっと待って二人とも。もしかしてそんなこと考えて残ったの?」

「ええと……」


 戸惑うサクラと言い難そうなライカとは対照的に、カルラがずばりと本音を口にした。


「だってサクラ姉、生活力ないし。無理ばっかりするでしょ?」

「あの……もう、ドロボウさんはしなくていいですから……」

「そうそう! あたしたちがついてるから、大丈夫よ!」

「えっと……これからは私たちが、サクラ姉さまを支えますから」


 昨夜の一件で、二人はサクラが盗んだ金を村へ入れていたことを知った。

 村の為にやっていることで知らぬことだったとはいえ、罪は自分たちにもある。

 これから街を出て行かねばならぬ、手負いのサクラを一人にしては置けなかった。


「弔いもそうだけどさ。恩返しもさせてよ、サクラ姉!」

「いつの間にか、サクラ姉さま一人に苦労を押しつけてた」

「私たちも働いて、お金溜めるからさ。いつか村の子たちに逢いに行こう!」

「きっと……ね?」


 瑛斗はこの一日に満たない間でしか、サクラの事を知らない。

 だがこの妖狐の女盗賊は、見た目に比して情に厚く、涙脆い性格であることを知った。

 瑛斗の横で肩を震わせるサクラの背中を、優しくポンポンと叩いてやる。


「ねぇ、サクラ……泣いてもいいよ?」

「な、泣いて、泣いてなどない、ないからぁ……!」


 そう言いつつ手で必死に涙を拭って泣いていたので、瑛斗はタオルを一枚渡してやった。サクラはタオルで顔を包んで、声を上げぬ様にして泣いた。

 現実世界の粗品用タオルだったが、異世界では随分と柔らかい布だ。泣きながらその柔らかさに感動していたようだったので、タオルはそのままサクラにあげることにした。



 そうして獣人族の少女らと村の入り口で別れた後だ。

 去り行く三人の背中を眺めながら、神妙な顔をしたアーデライードが呟いた。


「本当は村へ戻らない方が、良かったかも知れないわね」

「……どういうこと?」

「昨日の夜――ちょっと精霊を飛ばしてみたの」


 その結果、そこにはもう村の痕跡すらなかったという。

 証拠隠滅の為、怪物たちを使い建物を壊し、火をつけて何もかもを消したのだ。

 故に狙った「地図にない村」――その現実である。


「それでもさ、アデリィ」

「うん?」

「それでもきっと、サクラたちは弔うと言って、村へ戻ったと思う」


 道の向こう側で小さくなりゆく彼女たち足取りは、見て取れて重い。

 項垂うなだれる彼女たちの後姿を、瑛斗は見守るしかなかった。

 その背中を見つめるうちに、瑛斗の胸にやり場のない怒りが沸々と沸き出した。


「これが、この公国の現実か……!」


 瑛斗は行き場のない握った右拳を、音が立つ程の力で左の掌へ叩きつけた。

 民を想う姫・イリスが嘆き、アードナーたちが歯噛みする現実。

 瑛斗は運命の森で姫と出逢ったあの時に、真実を見極めると約束を交わした。

 その約束を、必ず守る。公国の真実を、見極める。

 必ずやこの眼に焼き付けねばならぬと、決意を新たにするのであった。


 アーデライードはそんな瑛斗の横顔を、静かな表情でじっと見つめていた。

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