第40話 ハイエルフと挑む決戦前の旅(前篇)

 ゴールデンウィークの旅、四日目は午前中。

 川下りから始まった旅も中盤を過ぎ、旅の最終日を明日に残すのみとなった。思えば当初の予定から随分と寄り道をしたものだ。


 瑛斗らにソフィアを加えた瑛斗たち一行は、アードナーら「銀の皿騎士団」と合流すべく、定期船始発の港がある川沿いの町・ドラベナへと向っていた。

 瑛斗がいささか緊張の面持ちなのは、馬の背に跨っているせいである。これはドラベナへ早期に合流するため、昨夜の内に「銀の皿騎士団」より借り受けたものだ。

 今まで乗馬の経験がなかったわけではない。だが牧場などへ遊びに行った際に乗馬体験をしたことがある程度で、フィールド上を本格的に走るのは初めてであった。

 アーデライードは「馬なんて乗りゃ勝手に走るわよ」などといい加減なことを口走っていたが、止まれも曲がれもしないのに勝手に走られても困る。本当に困る。


 そんな初めての乗馬に対し教授レクチャーを申し出てくれたのはソフィアである。いずれ乗馬をマスターしたいと考えていた瑛斗にとって、これはまたとない機会だ。二つ返事でお願いしたが、何故かアーデライードはムッツリとしていた。

 ソフィアが馬の乗り方を教授しながら、瑛斗と並走しつつ手綱の一部を掴む。まだまだおっかなびっくりの瑛斗とって本当にありがたいことだ。これがアーデライードの教授では、馬に跨った瞬間に「それ、行ってこーい!」などと、馬の尻を引っ叩かれて無理矢理走らされる可能性が皆無とは言えない。いや、皆無とは言えないどころか、本当にありえそうなところがまた恐ろしい。


 流石、ソフィアは馬の扱いに長けた騎士だけあって教え方は上手い。また知能派だけあって理路整然と教えてくれた。身体で覚えなさいタイプのアーデライードと違って、座学タイプの現代人である瑛斗にとって非常に覚え易い優れた教師と言える。

 おかげで早くも遅くもない程よいスピードで町へ向かうことができたが、この速度は馬術における『歩法』と呼ばれ、速歩はやあしという走り方らしい。

 時折「エイト上手、とても上手よ!」とか「初めてとは思えないわ!」などとおだててくれるのも、ちょっと気恥ずかしいがやる気は出るというものだ。

 その様子に何故か膨れっ面気味のハイエルフは「なんだか意味深に聞こえて気に食わないわね」などとぶつくさ文句を言っていたようだが、どういう意味なのだろう。

 ついでに瑛斗の腹側に同乗していたレイシャまでも、何やら小難しげな顔をして「なるほど」などと呟いていたが、何を理解したのであろうか。その辺りはあとで個別に聞いてみようと思う瑛斗である。



 昼下がり。ドラベナにて無事に「銀の皿騎士団」と合流を果たした瑛斗一行は、宿を借りてそこで打ち合わせをすることとなった。

 アーデライードは「本当はね」と前置きしつつ「山岳地帯の怪物モンスター遭遇エンカウントさせて、色々と経験を積ませたかったのだけれど」と言っていた。だが今や「こっちの方が面白そう」などと、如何なる状況でも楽しむことを忘れない。

 それにしても五月の山岳地帯をのんびりと旅するはずが、次から次へと目まぐるしく急転する出来事イベントの連続で、今回の旅は今までにない大冒険になってしまった。

 休む暇なく連続する様々な出来事に、瑛斗はひとつ思うことがある。


 もしやこれらは全て、『運命の森』の悪戯ではないだろうか――と。


 あの朝『運命の森』でイリス姫に出会っていなければ、アードナー達の義憤に気付きもしなかっただろう。そこで出会ったアードナー達と同行しなければ、あの時間帯にテトラトルテの街へ辿り着くことはなく、サクラと出会うこともできなかったかも知れない。

 サクラと出会わなければ財布をられなかっただろうし、彼女の棲家まで行くことはなかったはずだ。そして彼女の棲家へ行かなければ、獣人族の少年少女たちを助けられなかったに違いない。

 イリスと出会ったあの瞬間に、この地に於ける様々な出会いと運命の歯車が廻り始めたのではないか――などと考えるのは、少々ロマンティストだろうか。



 まずは昨晩捕虜とした第十四騎士団部隊長らへの尋問について聞くこととなった。

 エアハルトの説明によると、アーデライードの手によって精神的に滅多打ちにされた部隊長は、あれから他の犯罪行為に関しても洗いざらい自白した様だ。

 例えば、横行する奴隷売買の商人たちが捕まらない理由――それは街道を警備する騎士団自身が奴隷売買を仲介する立場にいたからである。

 南方部族や貧困に喘ぐ過疎地にて奴隷狩りを行った傭兵団から、街道の往来を見逃す世話料リベートを受け取る。売り渡した後の奴隷商人からもそれは同様であった。また、奴隷商人らと貴族や商人間の売買を繋ぐパイプライン役も一役買っていたのだ。

 奴隷売買の流通ラインがザル状態では、奴隷売買が撲滅するはずもない。しかもその犯罪の片棒を担いでいたのが公国の騎士団そのものであるのだから、アードナーは自らのくすんだ赤髪よりも顔を真っ赤にして憤慨する。


「それにしても気になるのは、傭兵団と騎士団の関係ねぇ……」


 今まで両者の関係は常に奴隷商人を間に挟んでおり、今まで傭兵団と騎士団の間に直接的な関わりを持とうとしていなかったはずだ。奴隷狩りを行う傭兵団とそれを取り締まる騎士団で、結びつきが目に見えては本末転倒であるからだ。

 もちろん傭兵団と騎士団の繋がりは、元より深いものがある。怪物モンスター狩りでは共同戦線を張ることもあるし、戦争時には騎士団が傭兵団を雇い入れることもある。だから関係性はあって然るべし、が実情だ。

 当初、隠密行動に兵を割けない事情から傭兵団を雇い入れたのではないか、とエアハルトらは目していた。だが今回の獣人族狩りは、部隊長の供述から彼らよりももっとずっと上からの命令であることが発覚した。

 直接犯罪に手を染めた騎士団よりも上位の命令系統――上級貴族の関与である。


「まずはデラヴェ領領主クレーマン子爵とその一派。他にも公国直轄のエキドナ地方にかけて勢力を持つ貴族の存在。その辺りが浮き彫りになってきたな」

「その貴族たちとは?」

「公国六盟界――その一角である、ギレンセン伯爵……とかね」

「ギレンセン伯爵?」

「ああ、かつて反オスカー派の急先鋒だった貴族さ」


 ギレンセン伯爵は『公国六盟界』と呼ばれる上級貴族らの盟主である。

 獣人族の村襲撃事件の黒幕と目されるクレーマン子爵の所有するデラヴェ領。そのデラヴェ領周辺の八州を含み、包括して所領するのがギレンセン伯爵家であるという。

 公国府・ヴェルヴェドからエディンダム王国の玄関口・リッシェルを南北に結ぶ主要交易路の北端である、ここは公国直轄領・エキドナ地方。

 交易の玄関口として税収率の高いこの地方は、現在瑛斗たちの滞在しているドラベナの町を含む公国の要所だ。だからこその直轄領であり、公王家の別邸をも備えている。

 そのエキドナ地方は南東に隣接して位置するのが、デラヴェ領である。

 山間の盆地状の土地に街がひとつ。あとは農村が点在する程度で、規模としてもさして重要な地ではない。ただし公国の目が最も届きにくい地であると言える場所だ。


「ギレンセン伯爵は、あからさまにエキドナ地方までも手中にしたがっている貴族でね。公国の経済状態に比してバランスの悪い、手厚い政策をドラベナの町に実施している」

「それも全て自らの人気稼ぎの為に、だ」

「例えばドラベナから公国府までの貴族向け定期船の運行や、その港を利用する商船へ様々な利権を与えたりとね。まさにやりたい放題なのです」


 エアハルトたちがそこまで説明をし終えたところで、それまでずっと黙っていたアーデライードが口を挟む。


「へぇ、もしかしてあの定期船もそうなの?」

「そうです」

「でもあんたたちだって利用してたじゃない?」

「公国府へ戻るには、あれが一番早いのです」

「だからこそ、ますます腹が立つんだよ、クッソ!」


 淡々と答えるエアハルトに対し、怒りのぶり返したアードナーが悪態をつく。

 実務を重視し定期船を利用せざるを得なかったエアハルトに、最も関わりたくない船に乗船せざるを得なかったアードナー。エキドナ別邸でされた粗雑な扱いも去ることながら、彼らが深酒をカッ喰らう原因となった様々な構図が目に浮かぶようだ。


「王族が弱体化したせいで、ああいう貴族共を野放しにする責任は……」

「止めろよ、アードナー。それは今言うべきことじゃない」

「そうだぜ、俺たちはやるべきことをやろうぜ」


 制止する瑛斗とそれに同調したドラッセルに、アードナーは「ムムム」と呻いて押し黙った。ここのところ妙に意気投合している瑛斗とドラッセルである。

 気を改めて作戦を煮詰める為、綿密な打ち合わせを開始する矢先のことである。


「さってと、あとは若いもんでやんなさいな」


 静観していたアーデライードは、唐突にすっくと立ち上がると「内容は後で聞くわね」と言い残し、別室へ向かって出て行ってしまった。

 瑛斗の冒険には極力関わらないと宣言しているハイエルフである。きっと手助けはしてくれるに違いないが、作戦は瑛斗と若い騎士たちに任せるということだろうか。

 とそこへ、アーデライードと入れ替わる様に、別働の騎士たちが戻ってくる。先行してイリス姫の過ごしているエキドナ別邸へと再度赴いていたのだ。


「返答は予想通り『ノゥエいいえ』だ、姫との面会許可は下りなかった」


 そう騎士たちに冷たく対応したのは、エキドナ別邸の警護を担当するエゴン・クレーマン上級騎士である。わざわざ北部大陸語で返答を返した辺り、厭らしいプライドがあるようだ。


「予想通りだったわけだが……どうする、エイト?」

「ならば、計を以て押し通るだけだ」


 という瑛斗の言葉に、一同はざわめきを立てて驚いた。

 いつだって実直に、真っ直ぐに立ち向かうと思われていた瑛斗の口から「計」という言葉が発せられるとは、誰も思いも寄らぬことであったからだ。


「計って……何か策があるの?」

「あると言えばある。ないと言えばない。けれどきっと大丈夫だ」


 訊ねるソフィアに対し、瑛斗は存外に呑気な様子で答えた。

 瑛斗には度々こういうシーンが見受けられる。アードナー達はここ数日瑛斗と一緒に旅をしただけであるが、とある傾向を実感していた。


 現状を把握して、未来を見通すような、常に落ち着いた雰囲気。

 全体を俯瞰して、駒の一つ一つを動かす、司令塔のような魅力。


 この若者が何故そうまで余裕を持って物事に接することができるのか。彼らには不思議でならない。危機感の薄い現代人特有の性格がなせる業――そう述べることは簡単であろう。だが瑛斗にはそれだけではない、異世界人たちとの決定的な差があった。

 それは全世界を旅した祖父・勇者ゴトーより、詳細に伝授された異世界の情報量そのものである。また読み漁った現実世界の歴史書などと併せて導き出される推測は、異世界人たちの考えうる策謀の域を、現状でも大きく超えているのだ。

 そればかりではない。その祖父と常に行動を共にした頭脳的存在、アーデライードも傍らに居る。何事に於いても、古き良き知恵と最新の知識で挑むことができる。

 実際の経験こそ少ない瑛斗であるが、情報の伝達速度と範囲は緩やかで限りある異世界に於いて、祖父や彼女から受け継いだ類稀な情報量に下支えされていた。

 そうして瑛斗は着実に、勇者としての研鑚を積んでいるのである。



「おわった?」

「まだ打ち合わせ中」


 読んでいた黒革の手帳から目を離し、問い掛けたレイシャの共通語コモンに、アーデライードは『エルフ語』で答える。

 すると、レイシャは無表情ながら、あからさまに不機嫌そうな顔を見せた。


「で?」

「……そう問われても、困る」


 アーデライードに合わせる様に、レイシャは『エルフ語』で返す。

 確かに――レイシャは獣人族の救出時にダークエルフと交戦した際、彼らと流暢な『エルフ語』で会話を交わしていた。

 瑛斗がレイシャの素性を探ろうとしないので、アーデライードも過去を詮索する気は毛頭なかった。だがレイシャが何故か古式ゆかしい『エルフ語』で会話できることを知れば、俄然興味が湧いてくるというものだ。

 あの時にレイシャはこうも答えていたのを、アーデライードは聞いていた。


「くそっ、貴様は我らの同胞ではないか!」

「同胞など要らぬ。我……レイシャはエートの所有物である」


 レイシャが頑なにダークエルフに戦いを挑んだ理由。

 同族をも厭わず敵に回し、瑛斗に対して信頼を得たい一心ではないか。


「……やはり聞いていたか」

「そんな理由で無茶なことをして欲しくないわね」

「よく理解した。決して無茶はせぬことを我は約束しよう」

「ならばよし。読み・書きリード・ライトは何ができるの?」

「古代語魔法とエルフ語の、読み・書き、しか教えられていない」

「何故、エルフ語で話そうとしなかったの?」

「それではエートが理解できぬ」


 なるほど。レイシャはアーデライードを警戒していたのだ。

 正確に通訳をなされなければ、誤解や錯誤を生む。不意に口にしたエルフ語を、瑛斗に不審がられることすらも、レイシャは嫌ったのだろう。

 瑛斗がそんなことを思う筈もないのに……この子ったらホント莫迦ね、とアーデライードは思う。だがそれと同時に、どういう環境で育ったらそこまで警戒心の強い子供が生まれるのかしら、という別の好奇心が湧いてきた。


「オーケー。それじゃ、取り引きをしましょう?」


 レイシャは、アーデライードに自らの情報を与える。その代わり瑛斗へレイシャの言葉を正確に伝える『通訳』を確約する。それなりにお互い信頼関係を築いた今では、この提案にレイシャも是非はない。ダークエルフの少女は頷いて快諾した。


「そうね……まずあなたは、突然の業火に見舞われて独りになった?」


 レイシャはこくりと頷いた。だがそれ以上の事情は分からぬ。

 その時に覚えているのは、深夜に起きた敵の襲来、そしてその敵とは同族のダークエルフである――そう周囲の者が口にしていたことだけだ。

 地下室へ匿われたレイシャは、数日そこを動かなかったことが幸いした。

 人の気配がなくなった村の中、地下室より這い出てみるとそこは、無残に焼き払われて廃墟と化していた自らの村であったという。

 それから一年近く。わずかに残った食料や山野の木の実などを当てにしつつ村の周辺で生き残り、偶然通りかかった傭兵団に拾われて奴隷商人の手へと渡ったようだ。

 話を聞いたアーデライードはレイシャの状況をこう推測した――同族間紛争。

 何らかの理由でダークエルフは同族のダークエルフを倒さなくてはならなかった。例えば跡目争い。例えば肥沃な土地、聖地など神聖な場所の収奪。例えば、秘宝――秘法でも禁呪でもいい――とにかく一族の命運を握る、何かを奪いに来たのではないか。

 そこまで考えたところで、ふと重要と思い当たる妙な言葉を思い出した。


「そういえばさ、アイツらが言ってた『暗黒神の寵児』って、なに?」

「意味は分からぬが、我はそう呼ばれていた」

「レイシャが? なんで?」


 レイシャはいつものジト目で深い溜息をつく。つい今しがた「意味は分からぬ」といったばかりなのに。何故このハイエルフはこんな無邪気に聞き返すのだろう。人の話はちゃんと聞いて欲しい。レイシャの瑛斗だったら、こんなこと絶対にしないのに。


「ああ、そうか。意味は分からないんだっけ。じゃあいいわ」

「…………」

「じゃ、教えてもらってないのに、なんで共通語コモンを話せるのかしら?」

「旅をする、歌を歌う者……」

「なによそれ?」

「時折村に訪れたその者から共通語コモンを教えられた」


 旅人。歌を歌う者。

 そう言われて心当たりのある職種はただひとつ。


吟遊詩人バードのことね」


 吟遊詩人は村や街に伝わる伝承を拾い上げ、歌を作り、竪琴ハープなどの旋律に乗せ歌うことによって、日銭を稼ぐ職業である。

 レイシャが片言でも共通語コモンを話せるのは、村を訪れた吟遊詩人より夜な夜な内緒で共通語コモンを教わったことに因るようだ。

 だが共通語コモンも歌も、村の仲間にはずっと隠し続けていたのだという。


「うん? 歌って何よ?」

「……ないしょ」


 レイシャは急にエルフ語から共通語コモンに切り替えた。アーデライードに話せる事はここまでだ、というところか。目の前のハイエルフもそれ以上聞きたいことはないようで、口先で「ふぅん」と呟いたきり、考え込んで深く追求されることはなかった。


 この小さなダークエルフが「歌を歌える」ことをアーデライードに隠すのは、特別な理由なんて、ない。


 ただ――レイシャにとって歌は、瑛斗と結び付ける不思議な力を秘めた、魔法よりも不思議な魔法だった。そして瑛斗は「とても綺麗な歌声だった」と褒めてくれた人だ。

 何より瑛斗はこうも言っていた。「いつかまた聞かせて欲しい」――と。

 これは、瑛斗と交わした初めての約束。レイシャはそれを守りたかった。だからその約束は、歌は、誰よりも一番に、瑛斗にだけ聞かせたいのだ。

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