第38話 傭兵と闇深き森の旅(番外篇)
炎が燃えていた。
闇の中で
身に降りかかる猛火を進めど、出口は見えぬ。
爆ぜる火の粉を振り払い、その先に浮かび上がる人影を追う。
だが無情にも往く手は崩れ去り、その道は閉ざされた。
手を伸ばせど、届くことはない。もう二度と――
ぼんやりと浮かび上がる光に焦点を合わせると、それは焚火の炎であった。
夜も暮れた森の中、焚火の周囲を取り囲み暖を取る彼らは、傭兵である。
その数は六名。毛皮を身に纏う者、
その輪から外れた場所に一人、大柄な男が倒木に座して炙った干し肉を齧っていた。金属製の部分鎧に身を包んだこの大男、
「おい、ランドルフ。こっちに来て飲まねぇか?」
「止めとけ。アイツはこっち側の人間じゃねぇ」
そう言うと、傭兵の男が歪んだ笑顔をニヤリと見せた。
「あいつの通り名……『堕獄』ってのは、自分だけじゃねぇンだ。斬った相手も道連れに地獄へと叩き落とす。だから付いた通り名さ」
「そうだ、あいつぁ死神だ。地獄へ案内されるぜぇ、クククッ!」
焚火を囲む者たちからそんな声が聞こえてきた。だがランドルフはその台詞を気にする様子もなく、黙々と干し肉を齧り続けた。唾液で軟らかく溶かしつつ、ゆっくりと咀嚼する。食事を楽しむべくもなく、ただ淡々と己の血肉にしようとしているかのようだ。
男たちの狭間に見える炎を遠目から眺めれば、くゆる間際はチロチロと舌を出す毒蛇の如く棚引く。その口腔より生み落とされた光と影が、陰影を色濃く浮かび上がらせていた。
彼らの長く伸びた影は闇深き森の木々に落ちてゆらゆらと揺れ、その姿こそが彼ら傭兵たちに憑り付いた死神のようだ。
山間の日没はとうに過ぎた。周囲は濃い闇に包まれている。光の射さぬ森の奥は、地獄の蓋が開いていようとも、そうと気付かぬ内に足を踏み入れてしまいそうだ。
そんな暗闇の中から
「よう、ランドルフ。つまんねぇ仕事だったなぁ!」
他の傭兵らの様子を余所に声を掛けてきたこの男――名をロヴネルという。
職種は
この男、わざとやっているのは明白であった。時折突拍子もないような人を食ったような行動を起こす。そんな実力を試すかのような行動に、ランドルフは腹立ちを隠さない。
「おいおい悪かったよ。機嫌を損ねんな」
そんな気分を知ってか知らずか。ロヴネルはトボけた口調でランドルフの肩を揉むと、彼が瞬間的に握り締めた
この男、他の傭兵たちとは異なり、常日頃から妙にランドルフへ絡んでくる。そんなロヴネルの態度に絆された訳ではないが、寡黙な大男がゆっくりと口を開いた。
「……稼ぎ損ねた」
「そうだな残念だ。ああ、実に残念だ」
ロヴネルは両手を広げ天を仰ぎ、わざとらしく返した。都合よく調子を合わせているだけで、口調にはまるで気持ちなど籠らぬ様子だ。
「だが、お前さんは稼ぎなど期待していない……そうだろ、んん?」
ロヴネルはニィッと歯を剥いて笑って見せたが、ランドルフは目もくれず不機嫌そうに鼻を鳴らす。だが不満や異議を唱えることはなく、白々しく話題を変えた。
「ところで例の魔法部隊……ダークエルフ共の姿が見えんな」
かのダークエルフたちは、通常武器の効かない獣人たちへ直接対応させる為、別に雇い入れた魔法戦闘に長けた傭兵たちである。先程の戦闘で傷ついてはいたものの、初見、彼らの命に別状はない。ただ満足に動けぬ状態にあった。
「捨てたよ」
「捨てた?」
「どうにも使えそうにないんでね。足手纏いだから崖の下へ向けて、ポイだ」
「殺したのか?」
「さぁ……気になるなら見に行けばいい。崖下へ、な」
ロヴネルは冗談のつもりなのか、冷酷なことを笑いながら答えてみせる。
ランドルフとしても奴らはいけ好かない連中だったので、どうなろうと知ったことではない。ただ傭兵団団長が聞けばどう思うか――その事がふと気にかかった。
だがどうせ団長の耳には届かぬ些細な話である。報告する義務もない。気に掛けるのも馬鹿馬鹿しい、と忘れることにした。
「いや……運が良ければ生き残る。悪ければ……死ぬだけだ」
「そうだぁ、ランドルフ! 段々分かって来たじゃないか!」
ロヴネルの先輩面した物言いは気に障るが、事実傭兵としての経歴は彼の方がずっと長い。お互い様だが、助けられた場面は一度や二度ではない。
「そーんなちっぽけな事より、これからの
ロヴネルは妙な事を口走った。今回の
だからその先――次の任務について何やら策を巡らせているようである。
「この任務の失敗は、俺たちにとって都合が良かった」
「どういう意味だ?」
「次の
「次の依頼人とは?」
「デラヴェ領領主、クレーマン子爵その人だ」
ロヴネルの瞳が欲望の光にぎらついて見えた。それは単に焚き木の炎が彼の瞳に反射して揺らめいただけであったが、ランドルフにはそう見えた。
炎の光は人間の様々な強欲や嫉妬などを孕み、真っ赤に燃えているように見える瞬間がある。それはランドルフの脳裏に強烈に焼き付いた記憶がそうさせるのだろうか。
「手札を一つ失った可愛そうな子爵殿は、我らを利用せずにはいられん。つまり、一つの点が、一つの線になろうとしている瞬間だ……」
こちらこそが本命だと言わんばかりにニヤリと笑った。
その言葉を聞いたランドルフの冷然として据えた目付きが、より一層鷹のような鋭さを増した。
「慎重で臆病な貴族だったら動くまい」
「だから俺たちが巣を突いてやるんだよ」
ランドルフはその様子を横目でジロリと睨むが、ロヴネルは貼り付けたような笑い顔を崩さない。その表情からは焦りも動揺も見られぬ。自信と確信に満ちた目だった。
ロヴネルは貴族らの扱いに長けた男だ。欲望と自尊心、過信と保身を天秤に掛けて操れば、目先の栄光に目を眩ませた貴族がどう動くか。ランドルフは元騎士としてその辺りを痛感している。
「サイは投げられた……か」
「うん? そりゃ、遠い神代の世界に伝わるという
「なに、聞き齧っただけだ」
何気なく異世界の言葉が口を突いた。これはランドルフへ剣を授けた師が、良く口にしていた
貴族や騎士は、教養や嗜みとしてこういった言葉を学ぶことが多い。勇者・ゴトーは様々な言葉をこの世界へと持ち込んだが、そんな変化のうちの一つである。
「勇者ゴトーさまさまか……フン、余計な真似を……」
ロヴネルはそう呟くと、不意に笑みが顔から消えた。
「俺みたいなしがねぇ傭兵崩れはな、ランドルフ……魔王戦争、奴隷解放戦争の只中を生きた連中が、妬ましくも羨ましいんだよ」
「貴様は何故、戦乱の時代を望む」
「猛獣使い《ビーストテイマー》はな、戦争の中でしか生きられねぇんだ」
そうランドルフへ言い放つと、再び彼の顔に笑顔が貼りついた。
ロヴネルの心に渦巻くように巣食うモノの名は、
「戦乱の世にはな、ランドルフ。浪漫がある。華がある。出世の道も拓けている!」
「興味はない」
「我が『暁の地平団』にも輝かしい栄光が、きっと両手を開いて待っているのだ!」
「お前がその名を口にするな。白々しいにも程がある」
揚々と演説ぶったロヴネルは、興を削がれた様に掲げた両手を下ろす。
だが説得を諦めた訳ではない様で、ランドルフへ顔を寄せた。
「俺には俺の、お前にはお前の生き方があるだろう?」
「……何の話だ?」
ロヴネルの瞳が狂気を帯び、口元は没する上弦の月の如くニィッと歪んだ。
「復讐」
刹那、ランドルフの
ロヴネルは猿の様に素早い身のこなしで飛び退いて躱す。
轟音を帯びた剣風が切っ先より巻き起こり、周囲の落ち葉を派手に巻き散らした。
その突然の出来事に、他の傭兵たちは何事かと目を丸くする。だがランドルフはそんな彼らに目をくれることなくロヴネルを睨め付けた。
「目的は、なんだ?」
「ククク……俺はお前の生き方を否定する気はない。さっきも言っただろう。俺は俺の、お前にはお前の生き方があると。お互いの利益が絡むなら俺たちは仲間だ。俺はお前を、お前は俺を利用すればいい。それが――」
「それが傭兵なのだろう?」
「クッハハハッ! いいねぇ、分かってきたねぇ、ランドルフ!」
ロヴネルは気持ち良さ気に高笑いすると、焚火を囲む傭兵たちの元へ振り向いた。
「いやぁー、驚かせてすまねぇ。ランドルフをからかったら怒られちまったぁ!」
「何を勝手に命知らずなことしてやがる、ロヴネル!」
「そんなことより俺にも一杯奢ってくれ。手持ちは飲んじまった」
「仕方ねぇなぁ、貸しだぞ!」
「次の街でいい酒を奢るぜぇ」
「おう、約束だぞ!」
仲間と無駄口を叩いているが、ランドルフとしてもありがたい。ここで揉め事を起こす気など毛頭ない。こんなところで躓いて遠回りするわけにはいかなかった。
「約束ねぇ……ま、お前さんが生き残ったらな」
傭兵らには聞こえぬ声でロヴネルが独り言ちた。
振り向きざま息を吐き出し、ニヒルな表情でランドルフを指差すと、
「お前もだ、ランドルフ。生き残りたくば、次は手加減なしだぜぇ……」
そう言い残すと、ロヴネルは焚火の輪の中に加わるべく歩き去った。
手加減か――確かエイトと名乗っていたか、あの小僧。
愚直な剣だ。だが真っ直ぐな剣だった。
手加減したつもりなどないが、どこか試合めいた稽古を付けているような気分ではあった。懐古主義など疾うに捨てたが、自らの剣にどこか甘さがあるということか。
二度と出会わぬか、再び剣を交えるか。その運命は誰にもわからぬ。
我が往く道の途上で出会うならば、血塗られた戦場以外には、ない。
炎が燃えていた。
闇の中で
身に降りかかる猛火を進めど、いまだ出口は見えぬ。
深き暗闇の中を、手探りで追い求め続けるしかなかった。
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