第52話 エルフたちと始める新生活の旅(中篇)

「森が騒がしいわね」


 アーデライードがそう呟いたのは、瑛斗らが荷物をすっかり運び終えた午後のこと。

 エレオノーラの助力――を得たかはさて置き、無事に――かどうかもさて置き『悠久の蒼森亭』からの荷物を棚に並べ終え、昼食を摂って一休みしていた時だ。


「それはどういう意味だい、アデリィ」

「この辺鄙な森の中に侵入者があるらしい、ってこと」


 と物騒なことを言いながら、呑気な表情でお茶を啜るアーデライードである。


「侵入者って、穏やかじゃないなぁ」

「けれどこの森には、私の結界にエレノアとエルルカの多重結界が張られているのよ? そんじょそこらのコソ泥や魔術師如きじゃ、手に負える代物じゃないもの」

「それ以外の可能性は?」

「そうね、山菜取りの地元民やマタギが来るような場所でもないし」


 形のいい顎に指を当て、容姿端麗なハイエルフは「んー」と暫し考え込むと、思い当たる節があったのか「あっ」という顔をした。


「もしかしたら、あの子たちかも」

「あの子たち?」

「ホラ、一緒に旅した騎士団の子たち」


 曰く、そんな気配になんとなく似ている、とのことだった。


「もしもこのまま放って置いたらどうなるのさ?」

「出ていく意思がない限り、永遠に森の中を彷徨い続けることになるわね」

「それは大変なことじゃないか!」

「大丈夫よ。だって普通はそうなる前に、出て行くものじゃない?」

「そうかも知れないけど、もしもアードナー達が迷っていたら可哀想だよ」


 言うが早いか、瑛斗は慌てて自分のジャケットを掴んだ。

 初夏とはいえ、高原の森の中は午後でもひんやりと肌寒い。侵入者だった時のことを考えて防御の意味もある。万が一の備えに手近な木刀も持っていくことにした。


「あら、行くの?」

「そりゃ行くさ。異世界で初めての友達だし」

「初めての友達?」


 その言葉を聞いたハイエルフが柳眉な眉を吊り上げて、悪戯っ子のような、ちょっと拗ねたような、なんだか急に複雑な表情になった。


「聞き捨てならないわね……それじゃ私のことはどうなるのよ?」

「えっ、アデリィの事? そりゃあ……師匠であり、大事な仲間さ」


 真面目な瑛斗は、臆面もなくキッパリとそう言い切った。

 師匠であり、大事な仲間――友達と違うそれは、もっとずっと上の関係性に違いない。瑛斗の気持ちを聞いたアーデライードの心は、嬉しさでぴょこんと跳ね上がる。


「ん、レイシャは?」


 ソファーの上でゴロゴロと寝転がっていたはずのレイシャが、いつの間にか身を起こして自分を指差し、アーデライードと同様のことを訊ねてきた。


「ええっ……そりゃレイシャだって大事な仲間であり、妹みたいな……ああ、もういいじゃないか。俺は彼らを迎えに行かなきゃならないんだからさ!」


 瑛斗は素直な気持ちを何度も口にさせられて、流石に気恥ずかしくなったのだろう。そう言い残すと、まるで逃げる様に小走りで外へと出て行った。

 慌てて立ち去る愛弟子の後姿を見送りながら、浮かれハイエルフは上機嫌で鼻歌を口ずさみつつ、人差し指をタクトの様にくるくると回した。


「んふふっ、大事な仲間かぁ! でも、もうちょっと……ねぇ?」

「ん」


 いつの間にか隣に来ていたレイシャが、まるで同意を示すかの様に頷いた。何故か神妙な面持で腕組みをしている。なんでこのちびすけだーえるが同意するのか。

 やや腑に落ちないが、なぁレイシャよ。妹と称されたキミはな、兄である瑛斗と結婚が出来ぬのだぞ――と、妙なところで優越感に浸る、実に大人げないハイエルフである。



「妙だな……もう到着しておかしくないハズだが」

「ねぇ、私たちさっきから、同じ所をぐるぐると廻っている様な気がしない?」


 ドラッセルのぼやきに、ソフィアが首を傾げながら同調する。

 案の定、ドラッセルとソフィアが玄関口の森の中で、迷いに迷いまくっていた。

 午前中に馬車でリッシェル邸を訪問したエレオノーラの話では、森に入ってからそう時間が掛からずに到着するとの事だった。

 その時のエレオノーラの説明を、ソフィアは事細かに思い出してみる。しかし今朝の彼女といったら、どこかぼんやりとうわの空で、湯当たりしたかの様に顔を赤く上気させていたっけ――


「どうしたの、エレオノーラ。風邪でも引いた?」

「風邪ではない……が、まるで何かのやまいの様だ」

「そう、少し休むと良いわよ」

「そうだな。我が姫に許可を頂くとしよう……」


 ――などと言っていた。勤務に一途で真面目な彼女が珍しく休むというのだから、余程の激務か、緊張で神経をすり減らす任務でもあったのかも知れない。

 ふらふらと覚束ない足取りで、自室へ戻って行った後姿が妙に印象的だった。


「おーい!」


 そんなことを思い出していると、後ろからよく聞き知った声が掛かった。

 リッシェル邸より心配して迎えに参上した、瑛斗である。


「ありゃ? なんでエイトが後ろからくるんだ?」

「本当だ……何故かしら」


 ドラッセルらは屋敷のある西の方角へまっすぐに向かっていたはずである。

 二人は思わず空を見上げて太陽の位置を確認したが、立ち位置が悪いのせいなのか、光の方角を上手く捕えられなかった。

 そうこうしていると、腰に木刀を差した瑛斗が小走りに駆け寄ってきた。


「どうしたんだ、二人とも」

「いや、礼を兼ねてな。一度訪ねておこうと思ったんだ」

「場所はエレオノーラから聞いたの」


 内乱終結後の宴会時――瑛斗はそっと場を抜けてひとり現実世界へと帰った。義理堅い四人の騎士たちは、きちんと挨拶が出来ていなかったことを気にしたようだ。


「そんなに気にしなくてもいいのに」

「いやぁなに、ただ単に仕事をサボって遊びに来ただけだ」


 ドラッセルは、瑛斗にそう告げて豪快に笑う。

 言われてみれば、アードナーとエアハルトがこの場にはいない。聞けば二人ともエキドナの内乱終結後、様々な事後処理に駆り出されているらしい。

 それに加え、山間の街・テトラトルテで行われる祭りの準備は、他の騎士らに任務を交代することになったとのことで、引継ぎに忙しいのだそうだ。


「大変そうだなぁ」

「大変といえば、エイトだってこっちでの新生活は大変だろう?」

「ううん、まぁ……確かにね」


 今朝方も簡易な荷物の引っ越しで、大変な目に遭ったばかりである。

 そこで騎士たち四人は、来週にでも馬車を借り出して、瑛斗らの生活に必要そうなものを持ち寄ろう、ということになったのだそうだ。


「……ってことでな。来週にでもまた来ようと思うんだ」

「あれ、今日も寄って行けばいいのに」

「急に行ってもな。そっちだって今日は忙しいだろ?」

「そうそう。それに場所を確認したかっただけだから」


 丁重に断るドラッセルに、ソフィアも同調した。

 本当に屋敷の位置を確認するためだけに、彼らはわざわざ仕事を抜け出して来てくれたのだろう。ドラッセルは「旗本に比べて外様騎士は気楽なもんさ」などとうそぶくが、エキドナ内乱で活躍した彼のことだ。きっと仕事は山積しているに違いない。


「そうか……じゃあ、この森の『正しい訪ね方』を教えるよ」

「えっ、正しい訪ね方?」

「そう、ここは『運命の森』と同じような迷いの森でね……作法があるんだ」


 敵意のない者がこの森を訪れたとしても、間違って屋敷までそう簡単に入ってこれない様な工夫が、幾重にも張り巡らされているのだ。


「まず、森の入り口にポストがあって、木槌がぶら下がっていただろう?」

「ああ、あった。あれは何だろうとソフィアと不思議に思ってたんだ」

「ただ訪ねただけならば、その木槌でポストの屋根板をキッチリ三回叩いてくれ」

「キッチリ三回?」

「そうだ。この森にはそういう作法が何箇所かあるんだ」

「へぇぇ、また妙なことをしなきゃならないんだなぁ!」


 ドラッセルが驚いたような呆れたような、それでも感心したような表情をした。

 これらはアーデライードら六英雄たちの、おちゃめな遊び心に違いなかった。しかし訪問者は、この森の中への入り方を覚えねば、永遠に森の中を迷い続けることになる。

 瑛斗が懇切丁寧に教えていると、ドラッセルが思い出したようにぽつりと呟いた。


「そういやぁ、この辺にはゴトーの屋敷もあるらしいなぁ」

「えっ、ゴトーってあの……勇者・ゴトー?」


 ドラッセルの思わぬ言葉に、ソフィアが聞き返す。


「ああ、そうだ。確かその彼の屋敷も、不思議な森の中に建っていたそうだが……いや、そうは言っても、オレも伝説の中でしか知らないけどな!」


 ドラッセルは頭に手をやると、またも豪快に笑い飛ばす。するとその話を聞いてつい思い出してしまったという顔をしたソフィアから、瑛斗へ質問が寄せられた。


「ところで……アデルさんってアデルさん?」

「えっ、なんだそれ?」

「ううん、もしかして略称かなぁって思って」


 アーデライードは騎士たちに自分の事を『アデル』と呼ばせるだけで、正体を明かしてはいない。どうやらドラッセルも、このソフィアの質問の意図に気が付いたようだ。

 鼻の頭を掻きながら互いに顔を見合わせると、二人はおずおずと瑛斗に訊ねた。


「いや……まさか、その……」

「アデル……アーデライード様ってことは、ない……わよね?」


 旅の合間に彼らが見聞きした精霊語魔法サイレントスピリットの数々に、彼女がかなり高位の術者であることは、薄々感じ取っている。なんでも噂によると、エキドナ内戦の際には、一挙に四体もの風の魔人ジンが目撃された、なんていう話もある。

 これ程の高位魔法に、自らをハイエルフと名乗る絶世の美少女。しかもアデルという名前を聞けば、誰しもが『聖なる森グラスベルの大賢者』ことアーデライードを思い出すであろうことは想像に難くない。しかし彼らに真相を知る術はない。

 瑛斗としても、生死を賭けて共に戦った四人の騎士たちに、嘘を付く気など毛頭なかった。もしも彼らが確信を持って問うのならば、そんな隠し事など必要のないことだ。

 そこで瑛斗は逆に、彼らへ質問をぶつけてみた。


「ええと、ソフィアたちはどう思ってるのさ?」


 そう問われてソフィアとドラッセルは、改めて考えてみる。

 正直なところ――彼らの正体を無理して聞き出そうとは思っていない。確信などは全くなく、聞いてみたのはちょっとした好奇心の発露でしかなかった。

 あの道中の日々を思い起こせば、小さなハイエルフの美しくて賢くて、そしてとても愛らしい、そんな彼女の気高くも子供っぽい一面を嫌というほど見ている。

 我儘一杯に瑛斗を振り回したり、口元に付いたソースを拭いてもらったり、ダークエルフの幼女を相手に口を尖らせたり、大酒をかっ喰らっては陽気にはしゃいでみたり。

 特にソフィアの目には、初めての恋にフワフワする女の子にしか見えなかった。


「ぷっ……ふふっ、うふふっ!」


 そうなるとソフィアはもう可笑しくなって、耐え切れずに吹き出してしまった。


「ふふっ、ちょっと分かんないなぁ」

「まぁな……そう聞かれちまうと、どうでもいいかな」


 笑い出したソフィアにドラッセルも同調すると、彼もまた何かを思い出したかのように噴き出して、大笑いし始めた。

 豪快に笑うドラッセルにつられて、ソフィアもますます口元をほころばせた。


「あははっ! 旅の仲間で、美味しいものが大好きで、お喋り友達!」

「そんでもって大酒呑み仲間だ……それには違いねぇなぁ! ワッハハハ!」


 アーデライードの正体よりも、まずは旅の仲間として。そして何よりも、大事な友人として。彼らは等身大の瑛斗たちを選んでくれた――そういうことだ。

 朗らかに、または豪快に顔を綻ばせる彼らを見て、改めていい仲間に出会えたのだ、と心からそう思う瑛斗であった。

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