第55話 騎士たちと過ごす休日の旅(中篇)

 四人の騎士らがリッシェル邸を訪れて、かれこれ小一時間ほど。

 瑛斗が現実世界から持ち込んで用意しておいた冷たい緑茶を、四人の騎士たちは珍しそうに啜りながら、皆で長椅子に腰掛けて雑談に勤しんでいた時のことだ。

 ひとり上等そうなロイヤルチェアに腰掛けて澄まし顔をしていたハイエルフが、不意に長い耳を動かしつつ突拍子もないことを口にした。


「ああ、あんたたちが来るっていうから、特別な来賓を呼んでおいたわ」

「特別な来賓?」


 不思議そうな顔をする騎士らに、瑛斗は首を横に振った。そんな話はまるで聞かされていない。寝耳に水の話だった。

 アーデライードがそう言いだしたのは、きっと察知能力に優れる彼女のことだ。リッシェルの屋敷周辺に張り巡らせた精霊による結界に、何らかの反応を見たのだろう。

 そう考えて暫し待つと、果たして玄関の鉄輪ドアノッカーを叩く音が響いた。

 眠った様に寛いでいたレイシャが、身を沈めていた「エルフもダメにするクッション」から猫のようにぴょんと飛び起きて、とととっと玄関の方へと走り去ってゆく。

 そうして手を引くレイシャに付き添われ、大広間へと姿を現したのは――


「イッ……!?」

「イリス姫ぇぇぇっ?!」


 彼女こそ公国王姫・イリス=エーデルシュタイン。その後に続くは、イリスの忠実なる従者騎士・エレオノーラであった。

 突然の王姫登場を前にして、騎士たちは一斉に椅子から跳ね上がると、腕を胸に当て片膝を突いて忠義を示す。だがイリスはその音に反応して、眼前に控えるであろう騎士たちへ向け手を広げ、楽にするよう促した。


「皆様、本日はお構いなく。わたくしも招かれし客人に過ぎません」

「し、しかし……」

「ここでは私も皆様と同じ。エイト様の友人の一人、なのですよ」


 イリスが優しく笑みを返すと、一瞬にして場の雰囲気が和らいだ。

 あの一連の騒動を経て、彼女の持つ気品や神聖性カリスマは元より、魅力溢れる人間性、人心を掌握する懐の深さが格段に増したように感じられた。

 安寧による心の平穏と余裕は、王女としての自信をも取り戻したようだ。


「ああ、あっちにロイヤルチェアがもう一脚あるから……長椅子も」


 テーブル周りを整理するため瑛斗がてきぱきと指示を出し、騎士らと共にイリスとエレオノーラの席を準備する。二人が席に着くとレイシャがとととっと走り寄り、彼女たちのために冷たい緑茶を用意した。


「ありがとう、勇者様の可愛い魔術師様……」


 イリスが華奢な手のひらをレイシャへ向けると、それに応えて自らの頬を差し出した。そうしてその頬を優しく撫でると、レイシャは心地良さ気に目を細めた。

 なかなか人に懐かないレイシャが、心開いて大人しくされるがままになるとは……瑛斗以外の者では初めての出来事に、アーデライードは目を見開いた。

 レイシャはよく人を見る。直感と感性の鋭いちびすけだ。では長らく自分に懐かなかったのは何故かしら。何を感じ取っていたのかしら……と、アーデライードはひとり首を捻る。

 余談だが、その時のソフィアは「何て素敵で麗しい空間なのかしら!」と、美しい姫と愛らしいエルフによる交流を、目を輝かせて眺めていた。どうもソフィアはこういう耽美な絵面がとても好きらしい。


「本日は、お招き頂きありがとうございました……アーデライード様」


 アーデライード――伝説の六英雄と同じ名前に、その場にいた騎士たち全員が息を呑む。それはイリスの隣に居たエレオノーラも同様の様で、目を丸く見開いていた。

 もしかしたら……と思う所があったにせよ、こうして改めて彼女の正体を目の前に突きつけられると、騎士たちの誰もが緊張で身体を強張らせざるを得ない。


「ああ、貴女は声で人を見抜くんだっけ……いいわよアデルで。皆もそうして」


 と、お気楽ハイエルフは手をプラプラとさせるが、公国王姫と六英雄の一人を前にした公国の騎士たちは、どうしても緊張が解れそうになかった。


「すぐに慣れるよ」


 瑛斗が隣に居たドラッセルに、ぼそりと呟く。

 ドラッセルは困った顔をして「そうかぁ?」と返すのが精一杯だった。


「では、アデル様。彼是十年振りでしょうか。エディンダムのお城で……」

「そうねぇ……でもね。今日お呼び立てしたのは、堅苦しい話じゃないの」


 アーデライードは立ち上がると、近くの書類棚デスクチェストから一つの箱を取り出した。


「これね、エイトから貴女にプレゼントだって」

「勇者様から私に……?」

「ああでも建前は、私からってことにしておいてね」


 目の見えぬイリスに代わりエレオノーラが箱の蓋を開けると、中には一冊の本と見慣れぬ穴の開いた板などが入っていた。


「あの、アーデ……いえ、アデル様……こ、これは……?」


 見慣れぬ器具と六英雄を前に、エレオノーラが緊張に震える声で訊ねた。


「点字の本と、点字器っていう点字を打つための器具よ」

「てんじ……?」


 不思議そうな顔をするイリスに、アーデライードが簡単に点字の説明をする。

 だが聡明なイリスにも、それが如何なるものか想像がつき難かったらしい。


「ま、話すより経験した方が早そうね。その中にある二枚の紙をとってみて」


 アーデライードに言われるがまま、エレオノーラが二枚の紙を取り出して、イリスの膝の上に乗せた。右の紙はある書物の一文、左の紙は五十音の見本であるという。


「急ごしらえで悪いけれど、見本として用意してみたわ」

「あっ、これは……配置された六つの点の位置で読み分けるのですね?」

「へぇ……噂には聞いていたけど、流石飲み込みが早いわね」

「だから、点字……」


 イリスは点で構成された文字を、ゆっくりと左の指でなぞって形を覚えてゆく。右の指では同じ形を探るように、ゆっくりと何度も点字の上をなぞる。


「これが、あ……か……さ……」


 幾度か繰り返す内に、記憶力の良いイリスは右の紙の文字を解読し始めた。


「と、こ……と、こ、し、え……あっ、永久とこしえの世に語り継ぎし英雄伝?!」


 イリスにしては珍しく、大きな声を上げた。


「これはもしや『勇者伝』の序章! ああ、読める……読めます……!」


 イリスは大好きな『勇者伝』を暗記する程に聞き込んでいる。

 この『英雄伝~序章~』は、ゴトーの冒険をまとめた叙事詩である。垂乳根の乳母より何度も願いて聞いた、あの一節を自らの手で読める喜びにイリスは打ち震えた。


「これを……アデル様が?」

「今回ばかりは私よりもエイトの発案よ。私はただ教導書に起こしただけ」

「嗚呼……嗚呼! ありがとうございます、勇者様!」


 イリスがそう告げると、騎士たちの瞳が一斉に瑛斗へ向いた。


「えっと……勇者様って、エイトが勇者様?」

「オマエ、我が姫から勇者様って呼ばれてるの?」

「ち、違うよ、勇者見習いだって名乗っちゃったんだよ」


 慌てて否定しつつ、あの時どうだったかな。言ったかな……いやでも、確かそんな感じだったよな、と瑛斗は首を傾げる。自分はまだ勇者にはとても程遠いのだから。


「それにしたってだぜ。よくこんなの思いついたな、エイト」


 隣のドラッセルが肘でツンツンと突いてくる。そう言われても瑛斗は、自分の世界で確立した技術を持ち込んだに過ぎない。だから自分の実績とするのは気が引ける。


「俺は何もしてないよ……」

「それ、勇者・ゴトーの口癖と一緒だぞ」


 否定の言葉すらドラッセルに揶揄われてしまった。

 しかし「俺は何もしとらん」が爺ちゃんの口癖だという理由が、ちょっと分かってしまった気がする。だとしたら将来それは、瑛斗の口癖にもなってしまいそうだ。

 そうこうしている間にアーデライードが、イリスとエレオノーラに点字の今後についてざっくりとした教導レクチャーをしていた。


「例えば、エキドナ城内の秘書室に、点字技術部を設けるとかね」

「なるほど、それならば陳情書など各重要書類に我が姫も目を通せる……」

「いずれ各街単位に点字所を設置して、書類や書籍の翻訳をしてもいいわね」

「そうなれば盲目の者でも読み書きができ、彼らの仕事にもなります」

「ふむ……では道具の工夫や制作は、ドルガンに頼んでおくわね」


 そう会話するイリスの声と表情は、生き生きとしてまさに喜色満面。見えぬイリスの瞳は閉じられたままだが、その瞼の下の瞳はきっときらきらと輝いているに違いない。

 イリスは胸一杯に張り裂けんばかりの気持ちを、両の手で抑える仕草をした。


「嗚呼、エイト様……本当に、イリスは感謝の念に堪えません。貴方が私のすぐ傍に居らっしゃったら、ぎゅーって抱きしめてしまいたいくらい!」

「わわわ、我が姫! いくら何でもそれは、堪えてくださいませ!」


 我が姫イリスの自重を忘れた突然の申し出に、エレオノーラが慌てて抑止する。しかしイリス姫の大変な喜びようとその気持ちは、騎士たちにも痛い程よく分かった。

 何故ならば一つの技術革新が、目の見えぬ少女の希望を大きく花開かせたのだから。


「お、俺は何もしてないよ……」


 しかし瑛斗は、どうしてもこの言葉が口を突く。今なら爺ちゃんの気持ちもよく分かる。このままでは本格的に瑛斗の口癖にもなってしまいそうだ。

 そうこうして点字についてひと段落ついたところで、エアハルトが訊ねた。


「ところで、エレオノーラ殿」

「なんでしょう」

「気になっていたのですが、この道中の護衛は御一人で?」

「いえ、従者騎士は何名かつけております」


 エキドナ別邸から此処までの道中には、危険な怪物モンスターが皆無ではない。それに情勢不安な内乱直後という事情もある。刺客に襲われる可能性が捨てきれない状況下、多数の曲者たちに襲われては如何に有能なエレオノーラとて防ぎきれまい。

 それに従者騎士らは再編が行われたばかりだ。此度の件で身元調査は十分に行われているはずだが、万が一に敵の間諜が紛れ込んでいる可能性も否定しきれぬ。エアハルトはそれを心配して、つい訊ねたのであろう。

 ただし、リッシェル邸周辺の森へ敵意・害意を持つ者が、立ち入る事すらできぬと分かっているアーデライードは、どこ吹く風、と言わんばかりの表情かおをしている。

 エアハルトの質問を察したイリスが、穏やかな表情で明快に答えた。


「ここまでの道中は、何ら心配をしておりません」

「そう申しますのは?」

「特に頼もしい従者騎士を一名、付けておりますので」

「頼もしい従者騎士……?」


 イリスのその言葉で真っ先に反応したのは、アードナーである。

 武勇について特別な関心を持つ彼は、姫がそこまで信頼を寄せる従者騎士が何者であるのか、強い興味を惹かれたのだ。


「ふぅむ……どんな騎士だ?」


 興味本位のアードナーはひとり卓を離れると、窓辺より馬場を見下ろした。その途端、何事かを憎々しげに一つ叫ぶと血相を変えて飛び出した。


「ちょ、ちょっと、アードナー!」

「おい、どうしたんだ?」


 それを見て席を立ちかけたソフィアとドラッセルを、イリスが優しい声で制す。


「大丈夫……彼らならきっと、大丈夫です」



 大広間を出たアードナーは、長い足を利して階段を大股で駆け降りる。

 玄関を出て馬場へ走ると、馬車の業者台で腕組みをしていた男に声を掛けた。


「貴様! そこで何をしている!!」


 駆け寄りながら、アードナーが叫ぶ。

 その男、鋭い眼光に浅黒い肌。猫科の大型肉食獣を思わせる引き締まった身体。その肉体に纏うは、黒を基調にした全身板金鎧フルプレートアーマー


「俺に何か用か……アードナー」

「それはこっちの台詞だ、黒豹・ゲイラー!」


 彼の名はクレーマン子爵の近衛隊長・ゲイラー。子爵の護衛として、エキドナ別邸でアードナーとエアハルトの二人と剣を交えた、上級騎士アーク・ナイトである。


「裏切り者の貴様が何故ここに居る!」

「当然、姫の従者騎士としてだ……それとな」


 今にも剣を抜こうとせんばかりのアードナーに、対するゲイラーはじっと目を閉じて腕組みをし、身動ぎひとつしない。


「俺はもう黒豹などではない」

「なにぃ!?」

「どうしても呼びたければ、黒猫とでも何とでも呼ぶがいい」


 誇り高いはずの男の台詞に、驚いたアードナーは思わず訊ねた。


「貴様に何があった?」

「何もない……俺はただエレオノーラ殿配下の一騎士に過ぎん」


 そう告げるゲイラーだが、アードナーは釈然としない。

 奴が心変わりを起こすような『何か』があったに違いない。だがその『何か』が理解できぬ。しかしゲイラーはぶっきら棒なまま、頑として理由を話そうとはしなかった。


「我が姫に刃を向けた貴様が、何故今更忠義を装う」

「俺自身の『覚悟』故だ……それにな」


 ゲイラーが目を開き、目線だけをアードナーへ寄越した。


「お前も俺のようになっていた――かも知れんぞ」

「なにぃっ?」

「知っているぞ。お前も我が姫へ不平不満の数々を口にしていたことを」


 ゲイラーの痛いところを突いた指摘に、アードナーは思わず口籠る。

 事実、船上では大虎となって、姫への罵詈雑言を口にしていたのだから。


「俺もお前と同じだ。あわよくば公国の命運を変える革命を――イリス姫は殺さぬまでも、せいぜい裸に引ん剥いて恥を掻かせてやろうと思っていた」


 公国に対し不平不満が堪っていた日々。そんな折に訪れたまたとない機会。

 多勢に傲り、好奇に駆られ、物見遊山で愉快な気になっていたのは間違いない。


「だが俺はあの日……我が姫の真心に触れたのだ」


 あの日とは当然、エキドナ内乱の夜の事である。



 全身に走る痛み、歪む視界。朦朧とする頭――

 気が付けば我が身は呼吸すら困難なほど。かつてない瀕死の状態に陥っていた。

 そこでようやくゲイラーは、自分の置かれている状況を知った。


「俺は……負けたのか……」


 若輩の騎士二人を相手に、無残な敗北を知ったのだ。

 惨めだった。実力も身分も、申し分なく自分が上だった。だが何かが劣っていた。では何が、自分と彼らを分けたのか。目を瞑り、荒い呼吸で考える。

 そうだ……自分と彼らとは、決定的に『覚悟』が違っていた。

 いや、自分にも煮えたぎる鉄の様な『覚悟』があったはずだ。どんな汚い手を使ってでも勝利し、這い上がり、のし上がる。

 騎士学校では同期の仲間たちに嫌われようと、勝つことにのみ執念を燃やして生きてきた。勝利こそ絶対的な価値観であり、自らの『覚悟』だった。

 それなのにこの結果はどうだ――屈辱的な敗北を以てして、この命を閉じようとしているではないか。


「ぐっ……カフッ……」


 なんとか身を起こし、壁にもたれる。

 だがそこまでだ――これ以上はもう、指一本動かせそうにない。

 肺から溢れ出た鮮血を受け、汚れた手をじっと見る。

 零れ落ちた真っ赤な血の色は、自分の命の燃えた色に見えた。


 オオオ、オオオオー……ッ!


 階下より歓声が轟いた。

 姫を護衛する若き騎士たちの声だった。


「終わった……」


 一言だけ、呟く。それは自分の経歴キャリアだろうか。もしくは騎士としての尊厳プライドか、燻るように燃えていた野心か。それとも別の何かだろうか。

 混濁する意識では判然とせぬが、ただただ終わったことだけが分かっていた。


「勇士たちよ!」


 やがて凛と良く響くイリスの声が、耳朶を叩いた。

 意識は朦朧としていたが、何故か耳だけは澄み通る。

 若き騎士らを前に、彼女による演説が始まろうとしていた。

 きっと高らかに勝利を宣言し、自らの威勢を誇るのだ。

 ゲイラーは、苦々しげに吐き捨てる気持ちでそう考えていた。

 だが――彼女の演説は、ただの勝利宣言とは違っていた。

 不利となる秘中の秘を明かし、自らの不明を謝罪したのだ。

 後の世に語り継がれる「勇士たちよ」で始まるこの演説は、数分間と非常に短い。短いが明朗な、天命の誓いともとれる言葉の数々は、忠義の士らの胸に沁み入った。


「どうして泣いているのですか」


 死に損ないの自分にわざわざ声を掛ける者がいた。それは演説を終えた直後のイリスであった。

 息絶え絶えの憐れな敵騎士が立てた物音に気付いたイリスが、直々に声を掛けたのだ。

 泣いている――ゲイラーはその言葉を不思議に思った。熱と感覚を失いつつあった自分の事であると、その時は思いも寄らなかったからだ。


「泣いて……いる……」

「ええ、貴方は泣いています」


 イリスの見えぬ瞳は、その呼吸音だけで状況を見抜いていた。

 ゲイラーは泣いていた。確かに泣いていた。だが最早身体に力なく、自らの頬に触れることすらできぬ。では何故、自分は泣いているのだろうか。

 そうか――自分はイリスの宣誓に胸打たれ、泣いているのだ。

 騎士として貪欲に勝利を追い求めたことが、間違っていたとは思わない。だが騎士としての『覚悟』は――あのひりつくような灼熱の『覚悟』は――長い歳月をクレーマン子爵の元で燻り続ける間に、すっかり錆びついてしまっていた。


「俺は……」


 この年端もゆかぬ少女より感じた『覚悟』に、自分は泣いていたのだ。

 イリスの心の瞳。闇へ閉ざす事は決して非ずと宣する言葉は、嘘ではなかった。

 終わったと思った感覚。それは自らの死――悟る時が死ぬ時であるとは。

 決して先には立たぬ後悔の念が、ゲイラーの胸に去来していた。


「俺は……道を、過った……」

「ごめんなさい……全ては私の不徳」


 その時、イリスより発せられたは、耳を疑う謝罪の言葉。

 そして彼女は凛とした声で、屋敷に残るメイドたちへ命じた。


「この者に手当を」

「な……何を……?」

「この屋敷の中で傷つき倒れた者は、敵味方問わず全員治療し解放なさい」


 何故だ……?

 刃を向けた敵である自分に、姫は何故こんなにも寛容でいられるのか。

 消え失せそうな意識を必死に堪え、ゲイラーはイリスに問うた。


「姫よ……何故……?」

「この国に生きる臣民全てが、私の宝ですから」


 その返答を聞くとすぐに、ゲイラーは意識を失った。

 今までの自らの狭量を、浅はかさを、心より恥じ入りながら。


 再び目を覚ました時――新たな『覚悟』が芽生えていた。

 激痛の走る我が身に構わず、必死に姫への面会を求めた。

 地に頭を擦り着けんばかりに非礼を侘び、懇願して従者騎士となった。

 イリスの耳は声で偽りを見抜く。エレオノーラも姫の赦しを信じた――



「どんなに汚いと罵られようが、俺は生き、姫を護る。この『覚悟』は一生消えることはない。その為には、上級騎士アーク・ナイトの称号など惜しむものか」


 見ればゲイラーの胸鎧にあるはずの、上級騎士アーク・ナイトの称号が削り取られている。彼はベッドで目を覚ましてすぐ、胸鎧よりプレートを剥ぎ取ったのだ。

 それにゲイラーは瀕死の重傷を負っていたはず。例え公国選任の治療ヒーラー団の神聖語魔法ホーリープレイを受けていたとしても、根治まではそう容易くない。その状態を感じさせることなく平然と護衛の任に着くは、生半可な『覚悟』ではなかろう。

 それでもアードナーの胸の内には、釈然としないわだかまりが凝り固まっていた。


「それでもオレは……オマエを赦さねぇ」

「別に構わん……だがな」


 ゲイラーが黒豹の如き鋭い眼光で、アードナーを睨んだ。


「もしもお前が我が姫の命を狙う時、俺は喜んでお前を殺す」

「………………」

「どんな汚ねぇ手を使っても、次は絶対にだ」


 アードナーはかつての黒豹より『覚悟』を感じ取っていた。

 二人は、アードナーが背を向けるまでじっと睨み合った。

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