第56話 騎士たちと過ごす休日の旅(後篇)

 ゲイラーとの視殺戦を繰り広げ、アードナーが馬場から戻ると――


「あ、やっとアードナーが帰ってきた」

「遅いぞ、アードナー」

「なにやってるのよ、もう」


 何故か仲間たちから叱られる羽目に遭った。


「いや、何って……お前らこそ何やってんだよ」


 見れば騎士たちはテーブルクロスを敷いて、その上にチーズやサラミ、果物を乗せた皿などを準備していた。見れば中には、ワイン樽やグラスまで用意してある。


「何って、宴会に決まってるでしょ? 見てわからないかしら」


 などと腕組みしてのたまうのは、言わずもがな我らが親玉ハイエルフである。

 聞けば点字の誕生と、王女の前途を祝しての祝い酒であるらしい。


「宴会は先週やったばかりじゃないか?」

「やったばかりだが、我が姫のお許しも得ているよ」


 珍しく正論を述べるアードナーに、エアハルトが苦笑いで応じる。

 一方、ハイエルフ唯一のブレーキ役はガッチリと彼女に釘を刺す。


「アデリィ……分かってるよね?」

「わ、分かってるわよ。本当にささやかな祝杯だってば!」


 聞くところによると昼間からワインなどの酒類を煽るのは、異世界ではごく自然な食事風景であるのだそうだ。その際は、水や砂糖水、フルーツジュースなどでワインを割ったサングリアを嗜むそうだが、未成年の瑛斗はその程度や匙加減が分からない。ハイエルフの自主性を信じ、任せたいところではあるが――


「エアハルト、それにソフィア……頼むよ」

「あっ、ちょっと! 私を信用しなさいよ、エイト!」


 そう言って口を尖らせるアーデライードであるが、氷の精霊を使役してロックアイスを大量に作る姿を目にしては、瑛斗とて良識派の騎士二人に頼らざるを得ない。

 そんな中でイリス姫は、とても嬉しそうな笑顔を見せている。緊張の続く日々から解放され、気の置けないこの空気を誰よりも楽しんでいるのは、彼女かも知れない。

 こういう時に決まって「不謹慎だ!」などと叫ぶ生真面目な従者騎士は、ヘソを曲げているのではないか、とアードナーがそちらへ目をやると――


「この皿はもう二、三枚あった方が良いな。ああ、それと果物をもう少し……」


 意外や意外。彼女は自ら進んでせっせと料理の皿を運んでいた。そうだった。この女騎士は我が姫のお願いに弱いのだ。姫の笑顔に至福を感じる、従者騎士の誉れである。

 こうなってはアードナーも渋々であるが、宴に参加しないわけにはいかない。


「思ってもないこと言わないの!」

「へいへい」


 ソフィアに要らぬ世話を叱られて、宴の準備の輪に加わるのだった。



 昼下がりの宴会が始まると、弾む会話であっという間に酒が進んだ。すると小一時間もしない内に、ワインのガロン樽がひとつ空になった。

 随分とフルーツ等で割っていたはずだが、それでも無くなるのが早すぎる。


「あっれぇ? おかしいなぁ……私はそんなに飲んでいないわよ?」


 などと供述しているハイエルフが、容疑者の中では一番怪しい。

 とはいえガロン樽とは呼ぶものの、異世界にはヤード・ポンド法はしっかりと成立しているわけではない。四リットル程度入る樽を、何でもかんでもそう呼んでいるだけだという。随分前に几帳面な瑛斗が幾つかの樽を計量カップで試してみたが、本当にまちまちだったので驚いた。

 ただしこの手の樽やタンクの測量は、現実世界エイトのせかいでもまちまちであるものだそうだ。例えば日本酒の製造タンクには国税局より酒税法に則って測量され、内容量が記載されているが、それぞれ容量が異なっている。現在でも大型タンクの製造では、完全に同じサイズ・同じ容量の物は製造できないためだ。


「アデリィが一番飲んでたと思うけどなぁ……」

「そそそ、そんなことないわ! きっと天使の仕業よ!」


 アーデライードが妙な言い訳をするのは、ちょっとした理由がある。

 彼女の言う「天使の仕業」がどういう意味かと明かせば、ガロン樽に適合した容量に対して、内容量が一定であるとは限らない――と彼女は申し立てているのである。

 それは酒類の製造工程に、樽内での熟成期間が含まれるからだ。ワインやウヰスキーなどの酒類は樽内で熟成する期間を経る。その間に木製樽は液体を通さずとも気体は通すため、気化した水分やアルコール分が樽を透過して飛んでしまう。その分量は樽の大きさとは関係なく、樽が保管されていた温度・湿度によって揮発する量が違う。よって同じようなサイズの樽であろうと、中身の大小に差異が生じてしまうのだ。

 ちなみに樽内より揮発した分を、現実世界では『天使の取り分』と呼ぶ――と、飲んだくれハイエルフに教えたところ、この呼び方をエラく気に入ったようで、次回の言語学会に於いて共通語コモンとして是非取り入れたい、と息巻いておられた。

 故に、天使の仕業――などと言い出したのは、瑛斗より仕入れた知恵の悪用である。


「まぁ、樽ひとつで終わると思ってなかったからさ……いいよ」

「わーいっ、エイト様太っ腹! ホラみんな、褒めて称えて!」


 地下倉庫へ向かおうと渋々立ち上がる瑛斗に対して、酔いどれハイエルフが図に乗った。その為によく分からないタイミングで、よく分からない拍手が巻き起こる。

 率先して楽しそうに拍手をするのは、何故かイリス姫である。当然のように騎士の皆が後に続く。中でもエアハルトが興味津々な顔をしているのが謎であった。


「エート、とりにく、やけた……」


 台所キッチンからレイシャがとととっと走って戻ってきた。瑛斗がオーブンに仕掛けて置いた塩ハーブの鶏肉が焼き上がったと、見張りのレイシャから知らせが入ったのだ。


「あ、じゃあそっちは、私がお手伝いするね」


 レイシャ好きなソフィアが率先して台所へ向け立ち上がる。


「では私は、エイト殿のお手伝いをしよう」


 そう言って立ち上がったのは、意外にもエレオノーラであった。


「ワインの樽を一つ持ってくるだけだよ」

「それにツマミのチーズ、サラミも少々あった方が良いだろう」


 確かにエレオノーラの言う通り、もう少し用意した方が良さそうだ。

 あらゆる面で優秀な彼女は、如何なる場面でも手抜きせずに段取りを打つ。この細かい性格はA型だろうか、などと要らぬ血液型占いを想像する瑛斗である。


「それじゃあ、お願いするよ」

「ああ、遠慮は無しにしてくれ」


 エレオノーラの申し出を、瑛斗はありがたく受け取った。彼女も瑛斗の手伝いを快く了承して立ち上がる。そうして二人は、地下倉庫へと肩を並べて行くことになった。

 その様子を眺めながら「へぇ……エレオノーラがあんなに穏やかな表情しているの、初めて見た……」とソフィアは、同期の友人から微妙な変化を感じ取っていた。



 瑛斗とエレオノーラが地下倉庫へ向かって暫くのこと。

 レイシャとソフィアが鶏肉の香草焼きを持って大広間へ戻った時、悪戯っ子の様な表情をしたアーデライードが手をポンと打った。


「あ、そうだ。この部屋には地下倉庫への伝声管があるのよ」

「伝声管?」


 不思議そうな顔をする騎士たちを横目に、アーデライードが立ち上がる。

 壁面にあるウォールナット製の飾り扉を開けると、幾つかの金属管が並んでいた。その金属管の突端は漏斗状になっており、同じ材質の金属蓋が付いている。

 伝声管とは、声を届ける事が出来る通信用の器具だ。音波は直径の小さい管の中を通る時、殆ど減衰せずに伝播するという原理を利用している。

 これは電力を必要としない為、現在でも船舶などに広く利用されている技術だ。


「ハーイ、エイト! 聞こえるかし……」


 ……ガン! ガシャン、ガララーン……ッ!


 伝声管から唐突に何か物を落としたような衝撃音が、大広間に響いた。

 そのすぐ後に、慌てて謝罪する少女騎士の声が続く。


「す、済まない、エイト殿!」

「ああ、大丈夫だよ。これは割れ物じゃないし」


 瑛斗の声に続く物音は、棚にブリキ箱を戻す音だろうか。

 察するに、エレオノーラが棚の箱を落下させてしまったのだろう。


「ここは狭いから、エレの肩鎧はぶつかり易いね」

「か、重ね重ね、済まない……」

「いや、いいっていいって。頭を上げてよ」


 堅物のエレオノーラが、生真面目に頭を下げる様が目に浮かぶようだ。

 しかし普段はミスをしない彼女であるし、プライドの高い彼女が頭を下げることも珍しい。エレオノーラの意外な一面に、一同は思わず「ほぅ」と息を漏らす。


「先日もとり乱して……本当に済まなかった、エイト殿」

「ああ、気にしてないよ。それに俺のことは呼び捨てでいいぜ?」


 先週、荷運びを手伝ってもらった時のことだ。自分のことは呼び捨てでいいと言った瑛斗に対して、エレオノーラは交換条件として自分のあだ名である「エレ」でいいと、互いに呼び方を交換している。

 実直に約束を守る瑛斗に対し、エレオノーラは未だ「殿」を外すことができずにいた。


「いや、そうは言っても、その……済まない」

「ははっ、エレはなんだか謝ってばっかりだな」

「ああ、本当だ……ふふっ」


 苦笑する瑛斗に、生真面目なエレオノーラも相好を崩して――いるようだ。

 これもまた珍しい。目の前でその様子を実際に見てみたいくらいに。


「ああ、それだ。エレのその後ろの、うん、それを……」

「う……ま、待て。あまり近寄らないでくれ、エイト殿……」

「えっ? ああ、ごめん」

「いや、そうではない。そうではないのだ……」


 大広間で聞き耳を立てる者たちには、何があったのか声だけで皆目見当が付かない。だがその時のエレオノーラは、瑛斗が少しでも近寄ると顔を真っ赤にしてしまっていた。


「お前が、近くに居ると……そ、その……感触を思い出す」

「……俺の感触?」


 そう聞き返したのは、瑛斗だけではない。


「か、感触ぅッ!?」


 大広間の全員が、聞こえぬはずの相手に向かって聞き返していた。そしてその後すぐに、より一層聞き耳を立てていた全員が仰天するような台詞が伝わった。


「私は……殿方の胸に抱かれたのは、エイト殿だけだ……」


 大広間の中が、一瞬にしてさざなみの如く騒めいた。

 そんなことを露知らぬエレオノーラは、消え入りそうな声で続けて呟く。


「それも一度ではない……気にするなという方が、無理だ」


 エレオノーラが何を言い出しているのか。当然のことながら瑛斗には心当たりがある。恐らく彼女は、内乱終結後の泣き崩れた時に瑛斗が胸を貸したこと。そしてイリス姫と共に一緒に温泉へ浸かった時のことを言っているのだ。あの時のエレオノーラは、酸欠と湯あたりで気絶してしまい、瑛斗に抱きかかえられる結果となってしまった。

 よって瑛斗に疚しいところなど、ない。だが邸内の酔っ払いどもは、そのことを知らない。唯一、湯殿の一件を知っているイリスだけは、ニコニコと嬉しそうに微笑んでいる。


「私には、その、あまり経験がない……」

「お、俺だってないよそんなの」


 戸惑った瑛斗の声が後に続く。


「私の身体は、美しくなかっただろう?」

「そ、そんなことはない」

「筋肉ばかりのこの身体には、姫の様な柔らかさがない……よな」


 エレオノーラは少し拗ねた消え入りそうな声で、つい必死になって否定する。だが瑛斗は、至って生真面目な少年である。


「いや、とても素敵な身体だと思うよ」


 自分が思ったまま、鍛え上げたエレオノーラの肉体美を褒めた。

 毎日のように剣の稽古に励み、修練を怠らぬ心身は一目見れば分かる。

 瑛斗はそのことを、実に素直な目で評価していた。


「そうだろうか」

「うん、そうだよ」

「そうか……ならば、良かった」


 そこでエレオノーラは、やっと安堵の表情を見せた。

 今まで誰も見たことのない、愛らしい柔らかな笑顔であった。


 パコン。


 硬直したアーデライードに代わり、ソフィアがそっと伝声管の蓋を閉じた。

 ちらりと横目で見ると、ハイエルフの長い耳の先までカチコチに固まって動かない。立ったまま気絶しているんじゃないかと心配になるくらいだ。


「あっ、何で蓋を閉めちゃったんだ?」

「こんなの聞いてちゃ二人に悪いでしょ!!」


 無粋なドラッセルを、ソフィアが怒鳴り返す。


 さて――ここまでが伝送管を介して大広間に伝わった全ての会話である。

 当然、当の本人・瑛斗に疚しい行為などはない。しかしそれを聞いた他の者たちにとってはどうか。その結果を、この時の瑛斗は知る由もない。


「え、えーっと……」


 ソフィアはどうしても気になって、背を向けたまま突っ立っているハイエルフの様子をそーっと窺った。彼女はアーデライードと『恋話コイバナ』に花を咲かせる仲なのだ。この状況、恋する乙女のハイエルフにはどう映ったのであろうか。恐る恐る彼女の方を横目でチラ見してみる。


 うわぁっ、なんだかよく分からない表情をしている!

 にっこり微笑んだ笑顔のまま、表情がカチカチに固まってる!

 ふるふると小刻みに震えてるし、額にはくっきりと青筋が浮かんでる!?

 なんだか足元の空気が逆巻いてるし、炎のようなオーラも見える!?


 ……見なかったことに、しよう。


 ソフィアはそっとハイエルフの傍を離れると、自分の席へ戻って何食わぬ顔をした。

 触らぬハイエルフに祟りなし、である。



「え、えーっと……何故かな……?」


 数分後――瑛斗は何故か大広間の真ん中で正座をさせられていた。

 戻るや否やみんなから一斉に質問攻めにされてしまったエレオノーラは、ソフィアからこっそり概要を伝え聞くと、膝からガックリと崩れ落ち、目を回して気絶してしまった。

 今は柔らかく温かなイリスの太腿を枕にして、夢の世界の住人である。


「ふふっ、エレを膝枕だなんて……子供の頃以来です」


 そういうイリスは、嬉しそうに笑顔を浮かべてエレオノーラのおでこを「よしよしいいこいいこ」と優しく撫でた。こちらはこちらで念願叶ったり。とても幸せそうだ。


「ええっと、俺は何で正座させられてるんだ?」

「教育的指導に決まってるでしょ!!」

「教育的指導?」

「そ、そうよ! これはエイトの保護者としての指導よっ!!」


 教育的指導を受けることをしたっけ、と高校生の瑛斗は首を傾げる。

 それにしても、ハイエルフは牙や角のない種族のはずなのに、何か生えている気がするなぁ――などと口にしたらますます怒鳴られそうなことを、瑛斗はぼんやりと考えていた。

 その時のソフィアといえば、怒鳴るアーデライードを眺めながら「保護者とか言っちゃって……素直になればいいのに」と苦笑しつつ「でもまぁ、二人の関係はもう暫くその方がいいのかなぁ?」などと妙な納得もしていた。


「ねぇ、アデリィ……何か勘違いしてない?」

「何がよっ!!」

「勘違いしてるような気がするんだよなぁ……」

「してないわよっ! 全ッ然してない!!」


 今のところ、瑛斗には一切の抗弁の機会は与えられていない。

 しかし瑛斗がいくら地下倉庫での会話を思い出しても、皆を疑惑と不審に陥れるような会話をした覚えがない。心当たりがないので言い訳のしようもなかった。

 ただ愚直に武辺一辺倒で弱味を見せたがらないエレオノーラには、色々と秘密にしておきたい内容だっただろうから、その点ではただ可哀想だと思うばかりだ。


「ええっと、疚しいことなんてしてないよ?」

「わ、分かってるわよ!」

「えっ、じゃあなんでさ?」

「~~~~~~!!」


 瑛斗ったらきょとんとした顔をして何なのよ、いったい!

 彼はきっと疚しいことをしていない。それは分かってるし信じてる。

 けれど天然で女の子をたらし込むっていうのは、頂けないじゃない!?

 もしかしてゴトーとおんなじで、純粋な女ったらしの家系か何か?!


 そんなことを考えながら、またこんなことが続くのかしら……とぶっきら棒で鈍感なクセに良くモテた彼の祖父との旅を思い出し、ハイエルフは深い溜息を突くのであった。

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