第六章:新章

第68話 六英雄

 全ての人類にとって『絶望』がそこにあった。

 オーディス火山が聳える山麓の、人知れぬ洞窟の奥底で。

 闇深き漆黒に染まるその先に、深淵に潜む禍々しき怪物が。


 赫々と邪悪に燃える目玉。鉄塊とも云える黒々とした皮膚。

 そして巨大津波の如く我らを呑みこまんとす、城壁の様な巨体。


「邪竜……オルニディクス……」


 蒼白な顔色をしたハイエルフが呟いたその名前――

 それは口蓋の端より、濛々と黒煙を噴き続ける最凶の魔物。

 暴風の様な鼻息を吹き出すと、真っ赤な火の粉が舞い散った。


 異世界史上最強の怪物――古代エンシェント竜種・ドラゴンである。


 此の凶悪にして巨大なる竜を、人々は『邪竜』と呼んで畏れた。

 難攻不落の城塞と例えられし巨体を前に、ハイエルフが悲鳴交じりに叫ぶ。


「ゴトー! いくら何でもこんなの無茶だわ!」

「なぁに、大したこたぁない」


 平時の如く大らかに。湖面の如く平らかに。

 勇者と呼ばれし男は、飄々と答えて宙を指差した。


「おう、アデリィ。あの音を訊けよ」


 遥けき外より響く剣戟と鬨の声が、洞窟の奥の奥まで木霊する。

 それは数え切れぬ闇の眷属、空と大地を覆わんとする魔王の大軍団。

 対するは、エディンダム王国選りすぐりの精鋭兵、その数三万。

 様々な思惑を孕み、雌雄を決するべく今ここに激突していた。


「あっちじゃエドガーとオスカーも頑張ってんだ。ここは俺らの領分だ。託された俺らがやらないで、誰がやるってんだ……なぁ?」

「でも……!」

「なに、恐れる事なんぞあるか」


 身の丈程もある大剣を肩へ掛け、何時もの調子で云い放つ。


「周りをよく見渡して、互いの顔を見てみろや」


 ゴトーの長い前髪の、隙間から凛と輝くは鋭い瞳――

 鮮烈なる生気に満ちた、自由と信念に生きる男の光である。


 アーデライードが見渡せば、そこには友の顔がある。

 如何なる苦難をも、一緒に潜り抜けた。

 如何なる危機にも、恐れ慄く事は無い。

 如何なる逆境にも、膝を屈する事は無し。

 常にニヤリと相好を崩して挑む、命知らずな友の顔が。


 百戦錬磨の仲間たち。その顔をゆっくりと見渡した。

 居並ぶ盟友たちを前にして、奮い立たぬ者は此処にいない。

 アーデライードは、全てを忘れて覚悟が決まった。

 改めて邪竜へ向き直ると、威風堂々と胸を張る。


「いいわよ、やってやろうじゃない!」


 ゴトーはニヤリと微笑むと、その威勢を合図に朗々と友の名を呼ぶ。


「我が前方に、ドン・ドルガン」


 地響く如く「応ッ」と呻ると、歴戦のドワーフは巨大な戦斧を担ぐ。


「我が後方に、エルルカ・ヴァルガ」


 稲妻の如く「ハッ」と応えて、気鋭の聖闘士は血塗れの戦槌を掲げる。


「我が右手に、アーデライード」


 孤高の鷹の如くマントを翻し、美貌のハイエルフはレイピアを抜き放つ。


「我が左手に、エリノア」


 魔性の微笑みを浮かべると、冥界の魔女は魔法杖ワンドを天高く打ち鳴らす。


「我が遊撃に、ブリュッケン」


 黒々とした大岩に独り立ち、伊達男は双短剣ダブルナイフを携えて身構える。


「俺が護ってやる……誰一人死なさん」


 そう告げて約束を破ったことは、ただの一度もない。

 ゴトーは仲間の為に、命を賭して必ずや護り抜く。

 幾多の大戦を潜り抜け、ずっとそうやって生きてきた。

 そうして我々も、ゴトーの為と命知らずに戦えるのだ。

 一度たりとも敗北を知らず、一度たりとも背を見せる事は無く。

 絶体絶命の戦場であろうが、共に駆け抜けてきたのだ。


「全員で生きて戻るぞ」


 ゴトーの言葉には、微塵の嘘など含まれぬ。

 そう信じるに足る言霊が、彼の声には宿っている。


 全員の、戦闘態勢が此処に整った。

 邪竜が、絶叫するが如く、吠えた。


 我々は――いや、誰しもが。

 全ての人類が祈りを捧げ、ゴトーを待っていた。


「それじゃ……行くぞ!」


 勇者の号令に呼応して、雄叫びを上げたドルガンが戦端を開く。

 襲い来る邪竜の前足を無双の剛力で弾けば、ゴトーの豪剣が鉤爪を掻っ剥いだ。


「時間をくださいな……あの邪竜を屠る詠唱の時間ときを」

「任せておけ」


 エリノアが多重詠唱を始めると、百を下らぬ数多の魔方陣が光り輝く。

 応えたエルルカ・ヴァルガが、戦神の加護を得た防護結界を展開す。


「オレっちに三分寄越せよ……派手な罠に嵌めてやるぜぇ……!」


 ブリュケンがハイエルフへ囁くと、気配を落として漆黒の闇へ消える。

 応えたアーデライードの高速詠唱は、未知なる古代精霊語を紡ぎ出す。


 猛毒伴う煉獄のドラゴンブレスに包まれど、防護結界と爆風が皆を護る。


 熱き血潮と固い絆で結ばれし、六名の傑物――六英雄。

 大地が生まれ出でて史上、双並び無しと謳われる英雄たち。


 その英雄たちが遺す数々の伝説の中で、類稀なる激戦があった。

 これが後の世に語られる「オーディス火山の決戦」である。

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