第67話 夜風吹くベランダで(番外篇)
「……は?
父さんが突然、素っ頓狂な声を上げた。
いつものように
「あれ、やっぱり父さんも知らないんだ」
「いや、知らないことは……ないけどさ」
父さんはもごもごと口を濁らせると、コップのビールをグイッと呷った。
瑛斗は普段、異世界での冒険を父さんに語らない。何しろ両親とも瑛斗の異世界行きを反対していたし、異世界の話をしようものなら軽口を叩かれるのが日常だったから。
たまに語ってみたところで返ってくる言葉といえば「そんなこたぁ知ってる」とか「もっと凄い
その父さんが、珍しく驚いた声を上げて食い付いて来た。初めての出来事だったので、してやったような気持ちと少しの優越感が、瑛斗の中に生まれた。
「やっぱり珍しい種族なんだ」
「まぁ……そうだな。大陸の極東に少数存在する程度だ」
そう言うと、飲み干したばかりのコップに手を伸ばした。飲み干したばかりだから、当然中身は入っていない。口元まで持ってきてからやっと気が付いて、缶ビールを注ぎ直す。どうやら気持ちがどこかへ持って行かれているようだ。
こんな様子はそうそうないことなので、
「それで……」
「なに?」
「瑛斗はどこで、その妖狐と会ったんだ?」
父さんは黒縁眼鏡に手をやると、表情を手で隠すようにして位置を直す。これは少し困った時によく見せる、父さんの癖の一つだった。
「テトラトルテの街だよ」
「テトラトルテ?」
「うん、王弟公国の山の中にある街だ」
「……オーディスベルトか!」
へぇ、珍しい時に珍しいことが重なるものだな――瑛斗は夕食を口に運びながら、ふとそんなことを考えた。お互いにとても珍しいことが重なった瞬間だった。
何故ならば、父さんが瑛斗の冒険に興味を持つことはこれまでにないことだったし、異世界の話題では大抵のことで驚かない父さんが、声を上げたことだって珍しい。それになんとなく話をする気になった自分もそうだ。
テトラトルテの待宵祭――真昼の喧騒とは裏腹に、しんみりとした送り灯の夜。母への愛を語ったサクラの気持ちに同化して、感傷が移ってしまったせいかも知れない。
少し饒舌になった瑛斗は、サクラと出会いからここ最近の出来事を、簡単ではあるが父さんに話して聞かせることにした。
「そうか、爺ちゃんのリッシェル邸に……」
「うん。それで俺たちは、暫く王弟公国に留まるつもり」
瑛斗がサラダ用のドレッシングに手を伸ばすと、父さんが黙って取って渡す。
「それで、その子の名前は?」
「サクラだよ。リッシェルの桜から名付けたんだってさ」
「ふぅん。サクラか……」
何か感慨深げな顔で思案していた父さんは、少し真面目な顔になって瑛斗の顔を覗き込んだ。
「おい瑛斗。お前、サクラちゃんを大切にしてやれよ」
「えっ? なんだよ、急に……」
「急に、じゃないよ。お前の
そう言われてみて、瑛斗は自分のパーティの存在をはっきりと意識した。
パーティか……今までの冒険で、考えていないことはない。冒険者として異世界を旅する中で、いずれは自分のパーティを組んでみたいと思っていた。むしろ一番の憧れだ。
それは例えば、爺ちゃんの『六英雄』と呼ばれた仲間たちのように。もしくは父さんだって、若い頃に異世界を旅した時代には、仲間たちとパーティを組んでいたはずだ。詳しくは聞いたことがないけれど。
いつかは絶対に自分のパーティを組んで、異世界を冒険してみたいと思っている。
「うーん、パーティか……そう言われればそうなんだけど」
だが、いざ意識してみると、どうしたものかと考え込んでしまう。
異世界へ訪れたばかりの当初こそ、瑛斗は酒場やギルドで冒険者仲間を募ってみたいと考えていた。だがそれはアデリィに、一発で却下されてしまった。
「酒場の冒険者どもなんて、タダの
真っ当な職業に就けないような連中が、何でも屋稼業で日銭を稼ぐ。アデリィに言わせてみると、一般的な冒険者とはそういう者たちなのだそうだ。
無頼漢、はみ出し者、逃亡者、クセ者、旅芸人、詐欺師、傭兵――時として、盗賊、悪漢。そう言われてみれば、確かにそういう風体の者たちが冒険者の集う酒場には数多い。
ここ数ヶ月、幾つかの街を旅してみて分かったことだが、まだ異世界の右も左もわからないような瑛斗には、到底無理な場所だったと今でこそ理解できる。
もちろん一緒に旅をしている今の仲間だって、立派なパーティといえる。
けれど……アデリィは六英雄でもある。六英雄は、爺ちゃんのパーティだ。
そんな彼女を自分の仲間だと言ってしまっても、いいものだろうか。レイシャにしたってそうだ。まずは保護者としての立場を優先すべきではなかろうか。
そんなことを口にしたらエルフたちに怒鳴られてしまいそうだが、まだまだ遠慮して気が引けてしまう。それが瑛斗の偽らざる気持ちである。
他の候補といえば『銀の皿騎士団』の友人らと、テトラトルテで出会った獣人たち。
平騎士のドラッセルやソフィアらとは、最近はよく気が合って行動を共にしている。けれど彼らも王弟公国の騎士だ。アードナーやエアハルトのように、これから騎士団の要職に就くことだってあり得る話だ。
獣人たちとは、まず瑛斗の財布を掏った盗賊としてサクラと出会い、次に奴隷として捕まった人狼の少女たちを解放した縁から、とんとん拍子で行動を共にするようになった。だが旅の仲間として何かを始めた訳ではないし、何かが決まったわけでもない。
「なんだよ、ハッキリしねぇなぁ」
そこで父さんからツッコミが入った。瑛斗が中途半端に口籠って考え込んだせいだ。
ついでに父さんから、いつもの小言のようなものが始まってしまった。せっかくの優越感で良い気持ちに浸ってたのに、痛い所を突かれた気分だ。
「まぁ、じっくりと決めるよ」
「男ならそういうのは、ガッと決めるもんだ。そう慎重なのは、誰に似たのかねぇ」
「……うるさいなぁ。少なくとも父さんじゃないよ」
いつもの調子へ戻ったところで、瑛斗は茶碗のご飯を掻き込んだ。
父さんはと言えばそれ以上何も聞くことなく、いつものようにツマミをやりながら、ちびちびとビールを飲むのだった。
◆
「トーマーっ? あなた、何処にいるの?」
俺を呼ぶ声が聞こえる。
瑛斗の名は、爺さんから瑛吉の瑛、俺から斗真の斗。そんでもって八日生まれで瑛斗。我ながらよく出来た命名だと思うのだが、チビの頃の瑛斗は気に入ってなかったようだ。小学生の頃、あいつに作文で「たんじゅん」と書かれた日には、ちょっとショックだった。
「あら、何やってるのよ」
ベランダにいた俺にそう声を掛けたのは、近所のママ友との夕食会を終えて帰ってきた、瑛斗の母――すなわち、俺の妻である。
六月の少々蒸し暑い夜。ベランダで夜風に当たりながら、ウヰスキーグラスを傾けていたところを妻に見つかった。そんな次第であった。
「夕食はちゃんと食べたの?」
「食べました。ご馳走様でした」
懇切丁寧に御礼申し上げる。忙しい時でも食事管理を忘れぬ良き妻である。
普段は酒を嗜まない妻も、今日は付き合いで少々飲んでいるようだ。ほんのりと頬を染め、火照った身体を冷ますつもりか胸元を少し開いている。やや童顔ではあるが、我が奥さんながら色っぽいいい女っぷりである。
「もう……ベランダでお酒なんて。程々になさいよ」
普段は放任主義であれこれ口出しすることの少ない彼女が、瑛斗を叱るように俺に言った。たぶん普段よりも俺の酒量が多いことに、気が付いたせいだろう。
そこで少し間、小言を聞いた俺は――その理由を口にすることにした。
「ツバキの、行方が分かった」
「えっ」
妻の小言が、ピタリと止んだ。
絶句した妻の気を落ち着かせ、瑛斗から聞いた話をする。
「ツバキの娘がな、瑛斗の傍にいるらしいんだ」
「瑛斗の? それはどういう
「いや、そりゃ……まだ詳しくは、聞けねぇよ……」
瑛斗にはまだ気取られることも、突っ込んだ話もできない。それはそうだ。俺が口を濁したのを見て、妻はすぐに理解してくれたようだ。
「それで、ツバキは……」
「爺さん……いや、親父がツバキの最期を看取ってくれたそうだ」
「そう……ですか……」
これはもう分かっていたことだ。彼女が俺たちの前から姿を消した時点で、決して長くはないだろうと。だが、もしかしたら――そんな一縷の望みに賭けて、今も生きていて欲しいと願う気持ちがあったことも確かだ。
「親父は、俺に何も言わなかったけどね……」
元々寡黙な親父だ。最後まで口にせず、墓場まで持って行っちまった。
それに俺が知ったら、きっと取り乱して無茶なことをしたかも知れない。親父の真相はもう分からないが、そういう配慮があったに違いなかった。
「婆ちゃんも、知ってたそうだよ」
そう付け加えると、妻は「そうでしょうね」と静かに頷いた。
「親父には最後まで、迷惑を掛けちまったんだなぁ」
俺は溜息を突きながら背を向けると、ウヰスキーグラスを口元へ運ぶ。
今度は妻も、小言をいうことはなかった。
「俺は勇者になれなかった」
ベランダの欄干に肘を立て。誰にいうでもなく、聞かせるでもなく。
何処を見るでもなく遠くを見つめ、ぽつりと背中でそう呟いた。
妻はどんな顔をしているのだろうか。
きっと妻も、夫の表情を想像しているに違いない。
たぶん――その推測は、当たりだ。
俺は、黒縁眼鏡の奥に瞳を隠す。
そのレンズは手元を映し、琥珀色に揺れているはずだった。
「だからこそ、瑛斗は……」
「ええ、そうね」
妻は頷くとそれ以上何も言わず、そっとカーテンを閉めてその場を立ち去った。
開いた掌をじっと見つめて俺は、ゆっくりと握りしめる。
何処からか聞こえてきた虫の音が、遠くで夏の来訪を告げている。
初夏の夜気に晒されて、ウヰスキーグラスまでもが哀しげな音を立てた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます