第22話 ときめきとぽわぽわなエルフたちと歩く旅

 瑛斗は新緑輝く『運命の森』の中を、疾風の如く駆け抜ける。

 駆けに駆けたその後で、振り返って少女騎士エレオノーラが追い駆けていないことを確認すると、そこでようやく歩みに変えた。乱れた呼吸を整えて、大きく息を吐き出す。


「……ダメだな、少し気持ちを落ち着かせないと」


 握りっぱなしだったサバイバルナイフを離すと、掌にじっとりと汗を掻いていた。

 これは少女騎士との剣戟による緊張のためだけではない。本当は彼女が追い駆けていないことを分かっていた。なのに走る足を止めなかったのと同じく、理由が別にある。

 その理由など実に他愛もないことだ。口にするのも憚られるその理由。

 清流のせせらぎ響く光溢るる森の中、幻想的な泉で出会った盲目の姫君。その麗しくたおやかな裸身を、真正面から目撃してしまったから。ただそれだけだった。

 しかし純情な青少年の瑛斗である。不純な気持ちを昂らせてしまうのは、どうしようもなく仕方のないことであった。

 何しろ今まで女縁などまるでなかったのだ。年頃たわわに実った美少女の、生まれたままの麗しき肢体――その全てを初めて目にしてしまったとなれば、どこか浮き足立って、頬が熱くなって、ふわふわしてしまう。それはどうしようもなく、抑えきれるものではなかった。

 レイシャを行水させた時とはまた違う気恥ずかしさと、ちょっとした罪悪感。

 すっかり脳裏に焼き付いてしまったあの情景は、振り払おうにもなかなか振り払えそうにない。現実世界では到底起こり得ぬ。沐浴の儀式と伝説が残る、異世界だからこそのハプニングではないだろうか。

 次にイリスとあった時に、どんな顔をすればいいのだろう。冷静な顔でいられる自信が今の瑛斗にはない。少なくとも決して、ニヤついてしまわないようにせねば。

 冷静に、とにかく冷静になろう。

 そう自らに言い聞かせながら、サバイバルナイフをウエストポーチへしまっている間に、現実世界から持ち込んだあるものが無くなってことに気が付いた。


「あっ……俺のジャケット……!」


 一糸纏わぬ姫君の両肩に掛けた瑛斗のジャケット。そのまま彼女に渡したっきりになってしまった。しかしあの場では、奪い去る様に脱がせるわけにもいくまい。こうするしかなかったのだから、もう諦めざるを得ないだろう。

 ブランド物に興味がない瑛斗にしては、ちょっとお高いジャケットだった。お年玉をはたいて買ったものだから、未練がないと言えば嘘になる。

 彼女の裸体を見てしまった代償――と考えるのは不謹慎だろうか。

 ああ、そんなことばかり考えていてはダメだ。瑛斗は頭を振った。

 森の切れ目から高台を眺めると、赤い屋根の大きな屋敷が垣間見える。この森のほど近くに王弟公国の別荘地があるという。ならばあれがイリスの住む屋敷だろうか。

 次に会った時、変に緊張をしないだろうか。そしてジャケットを返してもらえるだろうか。そう未練たらたらに考えて、諦めきれない瑛斗であった。



 約束の待ち合わせ場所――飛龍ワイバーンを降り立たせた小さな草原には、二人のエルフ・アーデライードとレイシャ、六英雄のドワーフ・ドルガンが待っていた。

 出鱈目に歩いても当初の入口へ辿り着くというのは本当だった。適当に歩いた瑛斗だったが、無事にこの小さな草原へと到着することができた。

 当初降り立った時には気付かなかったが、幾つかの木柵があった。その木柵に腰掛けて、つまらなさそうに足をプラプラとさせているアーデライードである。

 アーデライードは遠目から瑛斗を見つけると木柵からぴょんと飛び降りて、気もそぞろにどこかそわそわとし始めた。

 それを見た瑛斗は、返って表情を引き締めた。時計を持ち込んでいないから今の時刻までは分からないが、例の一件で予定よりも遅れてしまった可能性が高い。彼女のご機嫌斜めは覚悟すべきであろう。

 そう意を決すると、小走りに皆の元へ駆け寄った。


「ごめん、待たせちゃったか?」

「ううん、ちっとも!」

「…………?」


 予想外の反応だった。凄く柔らかい表情で、アーデライードが「うふっ」と笑う。

 いつもだったら烈火の如く怒りだしそうな場面シーンだと思ったのだが。どうも調子が狂う。


「でも、エイトが遅れるなんて珍しいわね」


 そう問う声が妙に浮ついているように聞こえるが、気のせいだろうか。


「ううん……そうだな。新緑が綺麗でさ、つい散策してしまったんだ」

「そう、そうよね! なら仕方がないわ!」


 自分でも中途半端な言い訳だと思ったが、アーデライードは否応なしに同意してきた。なんだかどうにも調子が狂う。


「ねぇ、エイト。喉は乾いてない?」

「えっ? ああ、そういえば乾いてるね」


 唐突な提案に少し驚いたが、瑛斗はちょうど初夏の朝日射す森の中を、駆けに駆けたところだ。喉はすっかり乾いている。

 アーデライードが「はい」と差し出してきた竹の水筒を、瑛斗は素直に受け取った。


「この森の湧き水は名水でね。とっても有名なの」

「へぇ、やっぱりそうなんだ」


 この待ち合わせ場所へ辿り着くまで、清水溢れる湧水地をあちこち目にしたっけ。そう思い出しつつ、よく冷えた湧き水を喉を鳴らして飲み干した。


「うん、確かに美味しい」

「でしょう?」


 アーデライードが満面の笑顔で喜んだ。彼女の持つ地上のものと思えぬ美貌も相まって、眩いばかりの素敵な笑顔だった。


「じゃあ私、また汲んでくるわね!」

「えっ、もう十分だよ」

「遠慮しないで。私が行きたいの」

「ああ、それじゃあ、俺も一緒に行くよ」

「ううん、いいの。すぐそこだから、エイトはそこで待ってて!」


 言うが早いが身軽な彼女は、飛び跳ねる様に森の奥へと走り去ってしまった。

 いつもだったら瑛斗に汲みに行かせるところではないだろうか。普段と比べてどうも調子がおかしいようだ。

 アーデライードが走り去ったのを見届けて、ドルガンが重たそうに口を開いた。


「エイト、すまんのぅ……」


 如何にも申し訳なさ気にドルガンが謝った。眉間に指を当てたその顔は、どこか疲弊しているようだ。その隣にはちょっとくたびれた様子のレイシャがいた。珍しい。


「どうしたんですか、ドルガンさん?」


 歴戦のドワーフは、ほとほと参ったという様子だが瑛斗に心当たりはない。


「ずっと、あの調子なんじゃ」

「はぁ……?」

「ワシらじゃ駄目だったんじゃ。数日程度じゃ回復せんかったんじゃよ」


 いつもなら生気漲る闘将の表情が、百歳くらい年老いてしまった様に見える。


「あの、もしかしてこないだのことを怒っているんじゃ……」


 こないだのこととは、興奮したテンションそのままに、アーデライードをくちゃくちゃに抱きしめてしまったことを指している。もしもそうならば謝らなくてはならない。

 瑛斗がアーデライードの走り去った森の方へと身体を向けると、ドルガンは瑛斗の腕をガッと掴んで止めた。


「ええい、待たんかエイト。いかんいかん!」


 そう言って小さく首を振る。ドルガンは思いの外、必死の形相であった。


「その逆じゃエイト、その逆なんじゃよ」

「……逆?」


 ドルガンに「逆」と言われても、瑛斗には何のことやらとんと分からぬ。首を捻っていると、レイシャがくいくいと瑛斗のシャツの裾を引っ張った。


「あーでり、じゅうしょう」

「重傷?」

「かいふくふのうの、ふかでをおっている」

「回復不能の深手??」


 ますます意味が分からない。

 ドルガンの受け売りとは思うが、なんのことだろうか。


「だからエイト、後はお前さんに任せるぞ」

「エート、がんばれ」


 よく分からぬまま託されてしまった。しかし真面目な瑛斗は素直に頷いた。

 水を汲み終ったのか、森の奥から歩いてくるアーデライードの姿が見えた。瑛斗が軽く手を振ると、浮かれハイエルフは飛び上がらんばかりに駆け戻ってくる。

 それを見たドルガンは、改めて深い溜息をつくのであった。



 定期船での川下りを利用した旅の出発は、昼過ぎからとなる。

 晴れ渡ったこの天候は、瑛斗が訪れる今日からのこと。昨日まで降りしきっていた雨の影響で、出航は川の様子を見てからとなるそうだ。街へ向かう道すがら、ドルガンがそう教えてくれた。

 その最中にアーデライードがひょいと割り込んで口を挟む。


「本当、エイトが来る日は晴れるわね」

「そう言われればそうだね」

「お天道様も、よく分かっているわ」

「なにを?」

「んふー、秘密よ!」


 二人を祝福するような旅路の演出を、とは口に出せるはずもない。だがアーデライードはご機嫌な様子で、今にもスキップを踏みそうだ。

 ジトッとした横目で人睨みしたドルガンが「ま、昨日までよりゃ幾分マシじゃな」と呟いた。傍に瑛斗がいることで、多少ブレーキがかかっているようだ。

 それまでの数日間が、如何に過酷なものであったか想像に難くない。しかしそれを瑛斗は知る由もなかった。


「エートのせかい、あめ?」

「いや、現実世界あっちは降っていなかったよ」


 レイシャに問われて思い出すに、この数日間は晴れ時々曇りというところか。

 当然ながら異世界と現実世界では自転や公転周期や季節が同じでも、地形や緯度経度など様々な相違点がある。だから天候まで同じということは無い。


「雨だと外で遊べなかったんじゃないか?」

「ん」

「この数日間、レイシャは何をしていたんだ?」

「……やどで」


 宿で――レイシャはそこまで言うと口籠ってしまった。

 そこへドルガンがぬっと顔を出す。先頭を行くアーデライードを放置して、いつの間にか後ろへ回っていたようだ。


「レイシャはな、宿でずっと勉強をしておったぞ」


 レイシャに「そうなのか?」と訊ねると、恥ずかしそうにこくりと頷いた。

 婆ちゃんから預かった『黒革の手帳』――六英雄の一人である『冥界の魔女』エリノアが残したという古代魔法語ハイエンシェントの教導書を、大切に学び取っているようだ。

 普段あまり語らぬ平日の、レイシャの様子を耳にして、瑛斗は少し嬉しくなった。


「婆ちゃんが言ってたよ。魔法の習得は基礎の反復練習なんだって」

「ん」

「焦らずにゆっくりと習得していけばいいさ」

「わかった」

「もしかしたらレイシャは、大魔法使いになっちゃうかもね」


 瑛斗がそう言うと、レイシャはぽわぽわと浮ついた雰囲気になって、猫耳帽子を外して上目使いでこちらをじっと見つめた。これは「撫でろ」ということだろう。そう察知した瑛斗が優しくレイシャの頭を撫でる。


「渡したキャンパスノートはまだ残ってる?」

「あとちょっと」

「それならまた異世界から持ってきてあげるよ」


 いつも無表情な鉄面皮のレイシャが、ふわりと笑顔を見せた。笑顔と呼ぶにはあまりに儚い。だがレイシャを知る者にとって、この笑顔は貴重過ぎる宝石のようなものだ。

 それほど喜ぶのであれば、五冊セットのノートを買ってこようと決めた。

 瑛斗はまだ知らないが、渡されたキャンパスノートを大切に使うあまり、びっしりと記述されたそれは、全てのページが真っ黒に見えるほど文字で埋め尽くされている。

 それほどまでにレイシャが頑張る理由。それは最近まで部外者だったドルガンでも、すぐに理解できる簡単なことだ。

 ダークエルフの少女の頭を優しく撫でる、この少年が関わっていることは、まず間違いあるまい。


「こりゃ、天然ではなく才能かも知れんわい」

「えっ? なんですか、ドルガンさん」

「ふふん、なんでもないわい。それよりもこれ以上、被害者を増やすな」

「はい?」


 気が付くと瑛斗の腰のあたりに張り付いたダークエルフは、とろんとした目付きでふにゃふにゃになっていた。今にも腰砕けてしまいそうなほどに。

 これはいけない。優しく撫で回し過ぎた。もう長い耳の垂れ具合で察しが付く。

 夜、寝つきの悪い日によくこれをやって寝かしつけていたのだが、やり過ぎるとレイシャは猫にマタタビを与えたようになってしまうことを、瑛斗は知っていた。

 トロけてしまった様になった彼女は、もう歩けそうにない。

 華奢なレイシャならば片手で十分持ち上がる。流れるヨダレを拭いてから抱きかかえてやると、もごもごと呂律の回らぬ様子で「エート……」と口走った。

 これ以上、撫で回してはいけないと分かっていたが、余りの可愛らしさについ「よしよし」と頭を撫でた。するとレイシャは、か細い身体をぴくんと跳ね上げて、くったりと寝込んでしまった。


「おおおい、エイトよ。レイシャは大丈夫か?」


 ドルガンが困惑した表情を見せている。瑛斗がエルフ特有の長い耳をそっと摘むと、ほんのりと熱を帯びていた。


「大丈夫です。眠いとこうなるみたいです」


 瑛斗は笑って答えたが、本当にそうなのか。なぁ、本当にそうなのか?

 ドルガンには甚だ疑問である。何しろ先頭をきって歩くハイエルフでは、そういう姿を見たことがない。

 様々な謎を孕みつつも、たゆまず歩みを進めると目の前に小さな町が見えてきた。

 あれが王弟公国内で最初の船着き場の街、ドラベナである。



 ここはリッシェル南東、定期船は船着き場のある川沿いの町・ドラベナ。

 豊かな漁場であるリッシェルで獲れた川魚を、王弟府のある街へと運ぶために用意された、売買や検疫、税関など流通上で必要な町である。

 冷凍により食物の腐敗を防げる――勇者・ゴトーより伝わった知識により、王弟府の検疫所には中位クラスの宮廷魔術師や精霊使いが常駐し、氷系の魔術等によって新鮮な魚介類を王弟府まで流通できるようになったのだという。

 瑛斗が聞けばさも当然の流通方法だが、ゴトー出現前の異世界には存在し得なかった発想だそうだ。魔術と流通、それを結び付けるには相応の知識が必要なのだろう。


 本日は見事快晴に恵まれ、無事出航日和となった。

 雨による増水はむしろ好材料と言える程で、問題なく出航できるようだ。

 ドラベナの町で待っていたドワーフの戦士長・ボルバルからそう聞きながら、瑛斗は預けていた荷物一式を受け取った。

 飛龍ワイバーンによる天空の旅を手助けしてくれたドルガンとボルバルは、この町に残って瑛斗たちの帰還をこの町で待つという。

 飛龍ワイバーンたちの世話もある。それに元々は瑛斗たちの旅なのだ。自分たちはあくまでその手助けをしたに過ぎない、というのがその理由だった。

 ドルガンたちと別れるのは寂しいが、瑛斗は瑛斗の旅をしなくてはなるまい。それは十分に理解していることである。


 軽い昼食を済ませた後に、一行は定期船の停泊する港へ出た。

 港の周辺は、活気に満ち溢れている。これから定期船に乗り込むであろう旅人と見送る人は談笑し、荷卸しや荷揚げをする運搬人ポーターや船員らは忙しく働き回る。

 これから乗り込む定期船は見上げるほどの高さがあった。大海嘯の波に乗り川を遡上した時の帆船に比べると、一回り以上は大きいようだ。異世界では早々見かけぬこのサイズは、大型船と呼べるのではないだろうか。


「では存分に旅を楽しんでくるがいいぞ、エイト」

「はい!」

「ワシらはこの町で飲んだくれて、暫しロマンスを満喫するわい」

「ロマンスではなくバカンスですぞ、族長」

「そうか。共通語コモンの横文字は、ちと難しいぞ」


 そうして船へ乗り込んだ瑛斗らを、二人のドワーフが桟橋から見送った。ドルガンが手を振ると、瑛斗も船上から負けじと手を振り返す。

 快活な瞳の瑛斗に比べ、隣にいるハイエルフはふわふわと浮ついて、ダークエルフは相変わらずの無表情でぼんやりとしていた。ドルガンの胸に一抹の不安が過る。


「いやはや大丈夫かの、あのエルフどもは……」


 歴戦の勇士でさえぐんにょりとさせる、破壊力抜群な二人のエルフである。そんな彼女らを伴って旅立つ若者の、前途を憂慮せずにはいられぬドルガンであった。

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