第23話 定期船で行く川下りの旅(前篇)

 瑛斗たち一行を乗せた定期船の旅は、ドルガンの心配を余所に快適な船旅となった。

 王弟府へ向かうこの定期便は、目的地まで丸一日で辿り着くという。

 航行距離の割に短時間なのは、異世界では珍しく夜間も航行しているからだ。そうして公国首都である王弟府まで速やかに積み荷と人々を運ぶ。

 左手に見える平野部は麦畑であろうか。青々とした田園風景が広がっていた。吹く風にそよぐ若葉が、まるで海原の様に揺れている。

 その向こう側の地平には、険しい山岳部が連なりを望む。帰りは徒歩を予定しているため、あの山岳部を通過することになるのだろう。


「間道が通っているから、そこを進むことになるわ」


 山岳部の峻険な稜線を指差しながら、アーデライードが教えてくれた。

 王弟府から遠く、人里離れたその辺りは、まだ未開の地なのだということだ。

 怪物モンスターたちとの遭遇エンカウントも十分に予想されるが、乗り越えるべき試練といえる。もしかしたらそれもアーデライードの計算の内かも知れない。


 何事もなく時は緩やかに過ぎ去り、船上で夕暮れを迎える時刻となった。

 瑛斗たちは甲板上の欄干に三人で並んで、西の地平線へゆっくりと沈んでゆく夕陽を眺めていた。いや、正しくは川面に映り込む二つ目の夕陽である。

 日の入りなど毎日必ず起こっている自然現象であるが、シチュエーションが違うだけでこうも見栄えが違うものか。思わず感嘆の溜息が漏れる。

 日没後には、船縁ふなべりに並んだランタンが定期船の周囲を煌々と照らす。川面にゆらゆらと浮かぶ橙色の光は、リッシェルの料亭で見た幻想的な光を思い出させた。

 忙しそうに働きまわる船員が、どこからともなくテーブルと椅子を用意し始めた。聞けば夜間も航行するこの定期船では、夕食もこの船上で摂ることができるという。しかも温かい料理が提供されるというのだ。

 異世界では非常に珍しいサービスに瑛斗が驚くと、アーデライードはそれはもう嬉しそうな顔でにんまりとした。してやったりというところか。

 この定期船、実はそれ相応の料金がかかる豪華客船なのだと、そこで初めて明かされた。そう言われて周囲を見回せば、貴族や富豪と思しき風体の者たちが数多い。

 当然、現実世界エイトのせかいの豪華客船とは比べるべくもない。しかし異世界の帆船としては、かなり大規模で装飾の凝った船であると言えるだろう。


「確かにリッシェルの船旅とは、船や客層が違うなぁと思ったけど」

「後出しじゃんけんよ、それ」


 笑われながらアーデライードにそう言われては、もう立つ瀬がない。

 瑛斗とて川を往く帆船にしては大きい船だと気付いていた。客層が違うのも公国府、所謂いわゆる王弟公国の首都へ向かうため。そう推測していたのだ。

 と、訴えたところで言い訳には違いないので、諦めて口を閉ざす。

 船上ディナーが可能なのは、航行距離の割に目的地到着が短時間であること。そして夜間航行できる能力を伴った船と船員。それらが上手く噛み合ったおかげである。

 当初は実験的に始めた取り組みであったそうだ。だが過酷な船旅が多い異世界である。貴族の間で好評を得て、現在では定期船として運航するに至ったらしい。


「それじゃ、私たちもテーブルに着きましょう」

「そうだね」


 黙って傍に立っていたレイシャが、両手でそっと瑛斗の左手を握った。

 レイシャとは決まって手を繋いで歩くので、それが当たり前の習慣だった。ただいつもと違うのは、瑛斗の右手ではなく左手を握ったこと。

 三人が偶然、そういう並びで欄干にいたから。ただそれだけのことだ。

 だが瑛斗は不意に空いた右の手で、うっかりアーデライードの手を取ってしまった。


「……えっ?」

「あっ、ごめん……」


 慌てて謝りながらも放さなかった右手を、アーデライードは拒否しなかった。


「べっ、別にいいわよ……たまには」


 伏し目がちに口籠りながら、彼女は両手で瑛斗の右手を握り返した。

 薄暮の藍と橙色のランタンは彼女の横顔を柔らかに照らし、幻想的ともいえる不思議な艶めかしさを帯びて、少し上気した頬を浮かび上がらせていた。


「ほ、ほら、今日は客船だし……エスコート、して、くれても……」

「あ、ああ。そうか。そうだね」


 彼女から感じられる仄かな緊張が、瑛斗にまで伝播して同様に口籠ってしまった。

 エスコートと言われても、瑛斗とて映画かドラマで見た程度に知識しかない。手を繋いだまま瑛斗が肘を突き出すと、アーデライードはそこに細い腕を絡ませた。

 アーデライードと腕を組み、レイシャとは手を繋ぐ。両手に花とはまさにこのことだ。

 そうして甲板上に用意されたテーブル席へ向かって、三人並んでしゃなりしゃなりと歩を進め始める。


「……おおっ!」

「なんという……」


 期せずして甲板上から、どよめきと溜息が入り混じる声が上がってしまった。

 豪華客船とはいえドレスコードなどはない。乗客は皆、普通の旅装のままだ。だがどんなドレスにも勝る美しさが、瑛斗の両手に掛かるエルフ達にはあった。

 右手には、白銀プラチナに蜂蜜を溶かしたような甘い色の金髪に、絹糸シルクに似た艶やかな白き肌。蒼玉サファイアの如き神秘的な蒼い瞳を持つ、至高なる美貌のハイエルフ。

 左手には、チガヤの穂のように真白き髪に、黒曜石に似た滑らかな黒き肌。紅榴石ガーネットの如き情熱的な赤い瞳を持つ、魔性なる美貌のダークエルフ。

 二人とも未成熟な幼さは残すものの、それを補って余りある美に一点の曇りなし。乗客の目を惹くに十分な、気品とオーラ漂う堂々たる容姿である。

 普段この二人が周囲からあまり注目されないのは、ちょこまかと小賢しい動きをする鬱陶しいハイエルフと、無表情な脱力系ぼんやり動物のダークエルフだからである。普段からちゃんとさえすれば、こうなるのが自明の理なのだ。

 その真ん中に挟まれた平凡な瑛斗は、もう気恥ずかしさで目一杯であった。

 瑛斗が二人の為に椅子を引くと、アーデライードは優美に、レイシャは愛らしく腰を掛けた。類稀な美貌を持ち合わせた二人が気取った仕草を見せれば、その一挙手一投足に注目を浴びるのは、仕方のないところなのだ。

 エルフたちにしてみれば、瑛斗に恥をかかさぬようにとの配慮があった。


「私のエイトは」

「レイシャのエートは」


 いい男だからこれくらい注目を浴びて当然との思いである。勘違いである。



 各テーブルに給仕が始まると、二人に対する注目も次第に和らいできた。

 次々に運ばれてくる温かい料理の数々に、各人それぞれ舌鼓を打つ。しかし猛烈な違和感に襲われた瑛斗は、食事どころではない心持ちになった。


「あのさ、アデリィ」

「なに?」

「お酒飲まないの?」


 料理が運ばれてくる前に、必ず注文しているアルコール類がテーブル上にない。これは異世界へ足を踏み入れて以来、いまだ目にしたことのない由々しき事態である。


「もしかして、体調が良くないとか?」

「や、やだ、エイトったら大袈裟よ……?」


 困ったような笑顔を見せたアーデライードとしては、むしろその逆。体調どころか肌艶も気分も、この上なく良いといえる。

 アーデライードは思わぬ形で瑛斗から「ぎゅっ」とされてしまって以降、お酒を一滴も飲んでいなかった。何故かと問われても、特別な理由なんてない。強いて言うならば、あの時のあの「ぎゅっ」の感覚が、消えてなくなってしまいそうだから。

 ここ数日間は完全に自分を見失って、ずっとお花畑の真ん中にいたような気分だった。おかげでお酒を嗜まずとも、ふわふわと酩酊状態の只中にあったと言って過言ではない。

 しかしお酒を飲んだ途端、この気持ちがどこか別の場所へふわっと飛んで行ってしまうんじゃないか。そんな危惧から口にする気が起きなかったのだ。

 そんな揺れに揺れまくった乙女心に振り回されて、多大なる迷惑をこうむったドワーフとダークエルフが各一名ずついたわけだが、それはまた別の物語である。


「たまには、お酒抜きでもいいじゃない……不満?」

「いや、不満じゃないよ。不満じゃないけど」


 そんな気持ちを露知らぬ瑛斗は、どこか体調が悪いんじゃないかと余計な心配をしてしまう。もちろん休肝日を設けるのは大事なことだから、瑛斗としても不満はない。ただいつもと比べてどこか調子が狂うというだけだ。

 何とはなしに瑛斗が釈然としない顔をしていると、川魚のフライを黙々と口へ運んでいたレイシャが、静かに口を開いた。


「せいしゅん」

「えっ、何だいレイシャ?」

「おとしごろ」

「えっと……何のことかな」

「エート、にぶい……」


 またもや以前と同様に、幼い少女から自らの鈍感を指摘されてしまった。レイシャも共通語コモンでは上手く伝えられないようで、どうにももどかしそうである。さりとて瑛斗には、何の話か見当もつかない。


「あはっ、あはははっ! 何を言っているのかしらね、この子は!」


 アーデライードはテーブルの下で指をタクトのように揮い、静寂サイレントの精霊語魔法を仕掛ける。レイシャは声が出なくなったことにすぐさま気付いた。

 じっと無表情でアーデライードを睨んだものの、特に不自由は感じないので黙々と食事を続けることにした。この辺りの反応は、魔術慣れしていないチルダとの大きな違いと言えよう。

 さておき瑛斗は、レイシャの発した「青春」「お年頃」という言葉を聞き、別のことを思い出したようで「ああ、そういえば」と切り出した。


「今朝、異世界こっちへ来る前に婆ちゃんからさ……」

「ええ、お婆様がどうかしたの?」


 瑛斗はいつも婆ちゃんに、異世界で起こった旅の土産話を詳細に語っている。

 婆ちゃんはどんな時だって瑛斗の心強い味方であり、爺ちゃんの活躍をも知る、現実世界では数少ない理解者であるからだ。時折アドバイスを貰うことだってある。それについては、アーデライードも瑛斗からしっかりと伝え聞いている話だ。

 そんな婆ちゃんから一言、忠告めいたことを言われてしまったのだという。


「急に『思春期の女の子を苛めちゃ駄目よ』って言われたんだ」

「ふっぷぉッ!」


 アーデライードは噴き出しそうになった鼻水をぐっと堪えた。瑛斗の前で淑女にあるまじき粗相だけは、なんとしても避けねばなるまい。


「うーん、なんでだろうなぁ?」

「なっなん、ななね、なー……!」


 重大インシデントの発生に、隠しきれない動揺はどうしようもない。

 だが瑛斗は全く気付いていないのが不幸中の幸いか。いまだじっと心当たりを探る思案顔のままだ。忠告がアーデライードの事を指しているとは、思い当たらぬようである。

 この天真爛漫なハイエルフと瑛斗は、彼是半年以上の付き合いとなった。幼さの残る容姿と同様の子供っぽい中身については、当たり前のように見知っている。

 しかしながら膨大な知識量と経験からくる的確な判断などから、大人の女性であるという認識も、実のところ瑛斗の中には少なからず存在しているのだ。

 六英雄や大賢者として。または師匠として――弱冠十六歳の瑛斗にとって、彼女が自分よりもずっと上の成熟した女性と映ってしまうシーンは数多い。

 経験値の差や実年齢差の他に、いずれ追いつきたいという意識が自然とそうさせるのか。アーデライードが思春期真っ只中であることを、ひた隠しにしているせいなのか。

 いずれにせよ瑛斗の中で、思春期とアーデライードは結びついていなかった。


「うーん……これって、どういう意味かな?」


 いやぁ、やめてぇッ! やめたげてよぅ!

 それ以上、もう考えちゃダメぇっ!


「もしかして、アデリィなら分かるんじゃないかと思って」


 分かりません! 分かりませんってば!

 私に聞かないで! 聞かないで差し上げて!

 無邪気にそんなことを聞いちゃダメよ、ダメよ、エイト!


「心当たり、ないんだけどなぁ……」


 それよ、それっ! そういうところよ!

 もう苛めてるじゃない! そのまんまなのよ、エイト!


 ええぇぇええっ、なになに、なんでなんで?

 瑛斗のお婆様は、一体何を知っていらっしゃるの!?

 これが年の功なの?! あれ、でも年齢は私とそう変わらない筈よね?

 あ、人間の成長するスピードを考えたら、そういうものなのかしら?

 そもそもあの堅物のゴトーを籠絡ろうらくし……じゃなかった、心を捉えて離さなかった人なのだから、恋愛に関しては素敵な直感と感性をお持ちなのかも知れない!


 ――などとアーデライードは考えた。

 だが本人と瑛斗以外にはバレバレで、まるで隠しおおせていないのが実情である。


「あのね、えっとね、エイト」

「うん? 何、アデリィ?」

「その通りだと、思うわ……」

「えっ?」

「苛めちゃ、絶対に、ダメ」

「どういうこと?」

「そういうこと!」


 アーデライードにはきっぱりと言われたが、瑛斗にはさっぱりとわからない。


「……ばあちゃん、するどい」


 不意に口を利いたレイシャに、アーデライードはビクッとする。

 何時の間にかレイシャに仕掛けた静寂サイレントの魔法が切れていたのだ。魔法に対する耐性レジストが高そうなレイシャだ。効果持続時間エフェクトタイムの短縮も十分にあり得る。

 再び下手な無駄口を叩かれぬよう、アーデライードは指をタクトのように揮った。


「でぃすぺる・まじっく」

「あっ!」


 レイシャの唱えた「ディスペル・マジック」とは、持続性魔法を解除する古代語魔法ハイエンシェントである。一定範囲内に掛けられた魔法を解除、または事前に仕掛けておくことで未然に防御することができる。

 おかげでアーデライードの魔法は、跡形もなく無効化ディスペルされてしまった。


 くっ、小癪な! だーえるの小娘め、味な真似を。

 ならばこちらも……って、あっ、あっ、瑛斗がじーっとこっちを睨んでる。


「アデリィ、レイシャに何か仕掛けたの?」

「えっ、えっ、やっ、あのね、エイト……」

「悪戯しちゃダメだよ」

「あっ、はい……」


 ふぐぐ、怒られた……瑛斗に怒られた……

 これを狙ってわざと無駄口を叩いたか、おヌシ……さては策士か。


 悔しさを紛らわそうとテーブル上のお酒を探すが、注文していなければ当然あるはずもない。仕方なしにコップの水に手を伸ばし、ちびちびと口に含む。

 レイシャは相変わらず無表情でアーデライードを見ていたが、小皿に分けて貰ったリッシェル名物の煮魚をむぐむぐと咀嚼すると、


「エート、これって、こい?」

「うん、そうだね。鯉だよ」

「エートで、しった、こいのあじ」

「ぶっふぉん! ……けふっ、へふっ」


 ちょっとだけ、お水吹いた。

 おっ、おのれー、性懲りもなくまたしても。この小娘ときたら! きたら!

 もうこうなるとアーデライードは、きりきりと歯噛みするしか他にない。


「ねぇ、アデリィ」

「なによぅ……」

「我慢しないで飲んでもいいんだよ?」


 アーデライードの憤懣ふんまんやる方ないその顔を見て、瑛斗は何を勘違いしたか「本当は飲みたいお酒を我慢している」と捉えたらしい。

 確かにお水もちびちびと飲んでいたし、実際にちょっと飲みたい気分だし。

 こういう時に限って、瑛斗の表情がとても優しい。


「ほら、ね?」


 と、メニューまで渡してくれるとは、何ということでしょう。

 ひとつ「ううー」と唸ったアーデライードは、震える手でメニューを受け取った。こうしてアーデライードの禁酒宣言は、本日で幕を閉じることとなったのだった。

 とはいえ、アーデライードは瑛斗が傍に居ることで「ぎゅっ」の時の感覚が消えてしまうんじゃないかという不安は消え去っていたし、瑛斗は瑛斗でいつも目にする普段のこの光景は、決して嫌いではないのである。


 アーデライードがチョイスした本日のお酒は「マイボック」というスタイルの麦酒ビールである。

 この「マイボック」という言葉自体は、ドイツ語で「五月のボック」という意味だ。ドイツの地名「アインベック」の「ベック」の名が転じて「ボック」となったという説ともう一つ、力強いその味から「牡山羊ボック」という名がついた、と諸説あるようだ。

 だが異世界ではそんな由来など関係ないので、春に醸造されて五月に味わわれるこのスタイルの麦酒ビールは、みな「マイボック」である。

 その名の通り、春に醸造されるため「五月マイ」と冠しているが、瑛斗には「季節麦酒セゾンビール」と「マイボック」の違いが分からない。

 この辺りを、文系の端くれであるアーデライードに言わせてみれば、


季節麦酒セゾンビールは春の香り満開で、マイボックは初夏の力強い芽吹き」


 とのことだが、酒類を嗜まない瑛斗にとってやっぱりどうでもいい感想である。また彼女には製造過程の違いなど、理系の表現を求めてはいけない。

 ホップを潤沢に使っている点、アルコール度数が高い点から腐敗防止に優れており、長期航海向きのため、船上で味わう麦酒ビールとして最適なのだそうだ。


「折角の船旅だから、丁度良かったんじゃないか?」

「まぁ、結果としてはそうね」


 口の周りに泡をつけて「んふー」と満足げにニヤけるアーデライードを見る限り、楽しんで貰えているのなら、瑛斗としても嬉しい限りだ。



 そうしてテーブル上の料理もすっかり片付いて小一時間もすれば、甲板上はアーデライードのような酔客の数が多くなってくる。

 高額な料金に加えて貴族たちが多いせいか、前に見た宿場町のような荒くれ者は流石に居ない。だが大声で会話を交わす客も徐々に増えてきた。

 そんな中、若者数人で囲んだテーブルが悪目立ちをし始めた。


「嫌だわ、優雅な船旅で騒ぐなんて無粋ね」


 と、アーデライードは気取ってうそぶく。如何なる場所でもマイペースを崩さない旅慣れた彼女は、彼らを歯牙にもかけていない。

 その証拠に、追加の注文をとるため「こっちこっち」とウェイターに手をひらひらとさせている。


 バンッ!


 ひときわ激しくテーブルを叩く音が、甲板上に響いた。

 悪目立ちしていた若者の内、くすんだ赤毛をした青年の仕業だった。


「我が姫は、一体何をお考えなのだ!」


 赤毛の青年はそう叫ぶと、椅子引く音を高らかに響かせ立ち上がる。


「おい、飲み過ぎだぞ、アードナー」

「なんだと! 我が公国の未来を憂いて何が悪いか!」

「そうだ! その通りだ!」

「お前が憂いるのは構わん。だが姫への侮辱は赦せん」

「エアハルトの言う通りだわ。ちょっと落ち着きなさいな」

「これが落ち着いていられるか!」


 再びテーブルを叩こうとしたアードナーと呼ばれた青年の腕を、暗緑色の髪の青年が掴んで止めた。


「離せ、エアハルト!」

「酒で騎士の名を汚す気か、アードナー。周囲を見ろ」

「……くそっ!」


 衆目を集めていることに気付いたアードナーは、ドスンと音を立てて椅子に着いた。


「ふぅん……」


 アーデライードはそんな若者たちに目もくれず、マイボックに口を付けつつ、じっと瑛斗を見つめていた。何しろ彼はその時、物凄い集中力で若者たちの話を聞いていたからだ。


 瑛斗特有の嗅覚が、また厄介事を嗅ぎ付けたかしら?


 アーデライードは、この一族に共有する触覚を思い出して、ニヤリと笑う。

 ゴトーはいつだって厄介事を嗅ぎ付けては、六英雄たちに休む暇を与えなかった。

 きっとこの若き勇者候補も、同じ嗅覚を持っている。


 ひとつのテーブルを囲むこの四人の若き騎士たちの話を盗み聞くに、街で溢れかえる陳情を直訴するために王姫の別荘地を尋ねるも、なしのつぶてで門前払いされたばかりのようだった。

 手ぶらで王弟府へ帰る義憤とやるせなさを、酒にぶつけているといったところか。

 特にくすんだ赤毛のアードナーという青年は、だいぶ悪酔いしているようだ。


「この悪政の陳情、如何に王家へ届かぬか。分からぬお前じゃないだろう?」

「騎士の忠義は我が主のものだ。如何なる時も公国の為に全力を尽くす」

「ふん、まるで模範解答だな、エアハルト」


 くすんだ赤毛のアードナーは、不満げに鼻を鳴らす。


「だが、綺麗事だけで、まつりごとは動かんぞ」

「公国の民の為に剣を振るうも、騎士の務めじゃないか」

「なら、腰にぶら下げた貴方の剣は、誰のものよ?」

「少なくともこの剣、今の王家のためには振るえん」

「そうだ。獅子は決して羊に率いられはせん!」

「はっ、誰が獅子ですって? 猫みたいな顔して!」

「なんだと! 我ら武門の騎士団を獅子と言って何が可笑しい!」

「おい、それよりも今、誰を羊と言ったつもりだ」


 暗緑色の髪・エアハルトと呼ばれる青年が、怒気を帯びて凄む。


「ふん、どこぞの避暑地でふんぞり返って油を売ってる羊姫さ」

「……なんだと?」

「あんな無能なお飾りより、羊の方がまだ役に立つ」

「そうだ、言ってやれアードナー!」

「民草の見えぬ為政者など、盲目の羊みたいなもんだろうがッ!!」


 瑛斗はゆらりと立ち上がると、若き騎士の集団へとゆっくりと歩いて行った。

 アーデライードはその歩みを引き止めることはない。どんな時だって彼女は放任主義である。ただし、同じ調子でゆらりと立ち上がって瑛斗の後に続こうとしたレイシャの首根っこは引っ掴む。


「ややこしくなるから、アンタはここに座って見てなさいな」


 そうしてレイシャを、元居た椅子へすとんと戻す。

 アーデライード自身は足を汲んで座ったまま。テーブルに肘を立てて頬杖を突く。

 何処へ居ようと彼から目を離さない。何処に居たって必ず見つめてる。


「せいぜい綺麗なべべを着て、別荘でメェメェ鳴いていればいい」

「もう、いい加減にしなさいよ、アードナー!」

「……あん、なんだお前は?」


 ドゴォォォン!!


 先ほどのその倍はあろうかという大音響が、甲板上に鳴り渡る。

 瑛斗が青年たちのテーブルを、叩き割らんばかりに殴りつけたのだ。


「何も知らんで、ええ加減な事を言うな……!」


 あら、温厚な瑛斗が怒ったとこなんて、初めて見た。

 こんな時の口調ったら、まるでゴトーっぽいわね。

 などと、アーデライードは呑気に呟く。


 若き騎士の一行は、一気に色めき立った。

 憤懣やる方ない者、力を持て余している者、緊張を隠せぬ者。

 そして、唇を噛み締めて不徳を恥じる者――


「ごめんアデリィ……折角の船旅なのに迷惑をかける」

「いいわよエイト、やっておしまい!」


 アーデライードが悪の女幹部みたいなことを言い出した。

 さっきまでのぽややんとしていた雰囲気がウソのように、生命力でキラリと輝くその瞳は、冒険者の持つ鋭利なナイフような眩さだった。

 だが、そうだ。これでこそ彼女の本調子と言える。そんな気がする。

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