第24話 定期船で行く川下りの旅(中篇)

 本調子を取り戻したアーデライードの妙な後押しを背中に受けて、瑛斗はついニヤリと口角を上げた。その表情が不敵に見えたか、若き騎士たちはますます憤る。


「生意気を言うな小僧!」

「何も知らぬ部外者が聞いた口を!」


 くすんだ赤毛のアードナーとブラウン髪の巨漢騎士が、椅子を蹴って立ち上がると、


「止めろ、二人とも!」


 緑暗髪の騎士――名をエアハルトと呼ばれていた男が二人を止めに入った。


「侮辱されたままでは、騎士の誇りが泣くというものだ!」

「莫迦な。酒席での無益な喧嘩こそ騎士の名折れだ」

「そうよ、エアハルトの言う通りだわ!」

「黙れ、意気地なし共が!」

「これは喧嘩ではない、決闘だ!」


 かの忠告を、二人の騎士はけんもほろろに突っぱねた。

 この言い争いの間に何時の間にかアーデライードが、船員と乗客にちゃっちゃと指示して椅子やテーブルを船縁へと避けさせている。時折「ちょっとした余興だから、皆さん愉しみなさいな」などと何やら気安いことを言っている様である。どうにも心なしか楽しそうに見えるのは、瑛斗の気のせいだろうか。

 四人の若き騎士の内、埒の明かない言い争いに焦れた女騎士は、アードナーの腕を掴んで制止した。


「いい加減にしなさい、アードナー!」

五月蠅うるさい、女子供は引っ込んでろ!」

「きゃあっ!」


 乱暴に身体を押し飛ばされた彼女を、エアハルトが抱き止めた。


「ふん、お前らはそこで指を咥えて眺めてるがいい!」


 これでアードナーたちの導火線に火が点いてしまったようだ。同時にこれでもう引っ込みがつかなくなったともいえる。


「女……」

「こども……」


 だが導火線に火がついたのは、こちら側のエルフたちも同じようだ。ムッとした顔で二人並んで睨みを利かせている。


「や、待て待て。君たちは出てこなくていいからね」


 瑛斗は念のため静止しておく。この二人が船上で暴れたら、収拾を収めるどころか洒落にならない状況になる。しかし瑛斗はそのおかげで冷静さを取り戻した。このエルフたちのお蔭だと、この場は思っておくことにしようか。


「余所見をするな、小僧!」


 ブラウン髪の騎士が巨漢を揺るがせて瑛斗へ掴みかかる。だが腕のみを伸ばした緩慢な動き。それは不用意だったと言わざるを得ない。

 酔っ払い相手でも瑛斗は一切油断をしない。何よりも自らが弱いと知っているから。

 瑛斗はその男の懐に素早く潜り込むと、腕を掴み板金鎧プレートメイルの胸部に指をかけ、相手の身体を自らの腰の上に乗せるようにして跳ね上げた。

 完全に決まった。一本背負いでブン投げたのだ。

 巨漢騎士を打ち付けた分厚いテーブルが、真っ二つにへし割れる。


「ごふっ……!」

「グダグダ飲んだくれてるお前らに、とやかく言う資格はない」


 息の詰まったブラウン髪の騎士は、そのまま悶絶して動けなくなった。

 その場、船上にいた誰も彼もが「おおっ」と唸って息を呑む。何しろ小兵の瑛斗がほぼ全身板金鎧フルプレートアーマーの巨漢騎士をブン投げたのだ。

 相手が酔っぱらって緩慢な動きであること。また相手の鎧の重さは、異世界人の特性でほぼ無効化されていることも幸いした。


「飲んだくれるのは、できること全てやり尽くしてからにしろ!」

「いいわよ、エイトー! もっと言ってやんなさいな!」


 自分のテーブルだけちゃっかり確保したアーデライードが、完全に観客モードで麦酒マイボック片手にやんややんやの喝采を入れる。

 こうも余裕たっぷりに莫迦にされては、相手の騎士も堪るまい。瑛斗には赤毛の騎士アードナーの苛立ちが手に取るように理解できた。

 翻って瑛斗は、アーデライードの余裕ある明るい声のおかげで普段の稽古を思い出し、ますます肩の力が抜けて身体にかかる無駄な力が解れてゆく。


「くそっ、生意気な餓鬼が!」


 怒りに我を忘れたアードナーが遂に剣を抜いた。剣と呼ぶにはやや細身の――これはサーベルと呼ぶべきか。


「貴様は戦士だろう、剣を抜け!」

「いい加減にしないか、アードナー!」


 エルハルトが止めに近寄るも、アードナーは剣を振り回して彼を遠ざけた。


「これは一対一の騎士の勝負だ、勝手に割り込むな!」

「貴様……!」


 自らも剣を抜こうとしたエルハルトを、瑛斗が制止する。


「いや、いいよ。俺がお灸を据えるよ」


 そう言うとテーブル横に立て掛けてあった愛用の片手半剣バスタードソードを手に取った。その異様な巨大さに、甲板上の野次馬たちが総じて声を上げる。


「おい、何だ貴様! ふざけているのか!?」

「それは……剣なのか?」


 瑛斗の背丈程もある片手半剣バスタードソードなど、早々お目に掛るサイズではない。馬上で振う程の長さ。それとて槍のように突いて使うことが一般的だ。


「やれー! エイトー! 見せてやれー!」

「みせてやれー」


 呑気なエルフたちの掛け声を受けて、ならばと瑛斗は片手半剣バスタードソードを振りまわす。以前、奴隷商人たちにも見せた稽古用の型である。

 重量のある剛剣をものともせずに片手でブンブンと振り回すこの型は、最後にズンと肩にかけて構えて終る。剣を手足のように自在に操ることに主眼を置いた型稽古だという。

 だがこれは稽古の他に、如何なる場面シーンでも有効であると、この日も瑛斗は実感した。

 甲板上の観衆たちは元より、目の前の騎士たちですら目を丸くしているからだ。


「な、なんだそりゃあ……ふっ、フザケやがって!」


 そう叫んだくすんだ赤毛のアードナーは、一足飛びに踏み込んで瑛斗へ突きを入れた。だが酔ったその足では踏み込みが甘い。十分に瑛斗の間合いである。


 キンッ!


 勝負は一瞬で着いた。

 瑛斗の一振りで、アードナーは剣を床へ取り落したのだ。


「バッ……バカな……」


 動揺したアードナーの懐へと滑り込むと、柄で鳩尾みぞおちへ一撃。続けざまに顎へとカチ上げて追撃すると、赤毛の騎士はゆっくりと仰向けに倒れた。

 一瞬の静寂。そしてそれは、すぐさま大喝采へと変わった。

 全身板金鎧フルプレートアーマーの屈強そうな青年騎士たちを、あっという間に蹴散らしてしまったのだ。しかもそれは、如何にも平凡そうな少年が、である。

 観衆たちは信じられないものを見たと言わんばかりの大喝采であった。


「なんてこった!」

「凄いぞ、少年!」

「これは勇者様の再来か!?」

「ワシゃあ、凄いモンを見てしまった!」


 或る者は両手を上げて拍手喝采を、或る者はワイングラスを高々と掲げ、中には興奮のあまりに脱いだ上着を振り回す者までいる。


「ああ、またやってしまった……」


 怒りも収まり冷静になり、標的を倒した瑛斗に残るは、ただ気恥ずかしさであった。

 だが恥ずかしそうにしているのは、何も瑛斗ばかりではない。

 エルハルトは緑暗色の頭を抱えて深い溜息をつき、亜麻色の髪を三つ編みひとつ結びにした女騎士も、顔を真っ赤にして手で顔を覆っている。

 それを見た瑛斗は居た堪れなくなって、恐縮して詫びを入れた。


「ああその、すまない。ここまで大事にする気はなかったんだ……」

「いや、元はと言えばこちらに非がある。仲間の非礼を赦して欲しい」


 片やアーデライードとレイシャは、どうだと言わんばかりのドヤ顔である。


「うっ……くそっ……」


 息を吹き返したブラウン髪の巨漢が、のっそりと身体を上げる。


「まだだ、まだ……」

「止めろドラッセル。既に決着はついた」

「お願い……お願いだから、もうこれ以上、恥の上塗りは止めて」

「うるせぇ!」


 気の収まらないドラッセルと呼ばれた男は、ひと声叫ぶとドスドスと千鳥足気味に瑛斗へ向かって突進する。しかし十歩も歩まぬうちに、それは起こった。


「ぬっ……ぬわっ?!」


 瑛斗が身構えるよりも早くレイシャが何やら唱えると、ドラッセルの巨体がふわりと浮きあがったのだ。続けざまにアーデライードが鼻歌交じりに腕を揮うと、突風が吹き荒れて、大男を船の舳先まで吹っ飛ばす。

 憐れ、巨漢の騎士ドラッセルは甲板上を嫌というほど転がって、すっかり目を回してしまった。


「あーっはっはっはー! 女子供を舐めんじゃないわよ!」

「そーだ、なめんな」


 やっぱりアーデライードとレイシャは、さっきの発言を根に持っていたのだ。

 瑛斗は頭を抱えながら「あーあ……」と大きな溜息を突き、エルハルトは「なんと……」と呟いたきり、絶句してしまった。

 甲板上の野次馬たちは大いに盛り上がり、やんややんやの大喝采が止むことはない。どうやらそのまま大宴会へと雪崩れ込もうと決め込んだようだ。

 数々入る注文に、ウェイターたちが木樽ジョッキを手に手に忙しく走り回り始めた。


「うっふふ、ホラね。みーんな愉しんでるじゃない! これならテーブルの一つくらい安いもんでしょ!」


 などと傍に居たウェイターの一人にうそぶいて、したり顔である。

 そんな様子を呆れ顔で苦笑しつつ見守った瑛斗は、エアハルトたちへ歩み寄る。

 緑暗色の髪と亜麻色の髪を揺らして、二人の騎士は瑛斗に頭を下げた。


「俺の名前は、エルハルト。そしてこっちは……」

「ソフィアです。仲間の非礼をお詫びします」


 亜麻色髪の女騎士が、恥ずかしさで真っ赤な顔を再び下げた。


「俺の名は瑛斗。修行中の冒険者だ」

「そんな。修行中だなんて、ご謙遜を……」

「彼は……アードナーは我が騎士団でも一、二を争う腕の者なのだが」

「きっと酔っていたからさ。素面シラフだったら勝てなかった」


 だが実力差など誰の目にも明らか。それが分からぬエアハルトではない。強者と過信した仲間が喧嘩を売って負けた上、情けまで掛けられるとは。


「……心遣い、痛み入る」


 エアハルトは瑛斗の心遣いに感謝すると同時に、眉間に皺を寄せて目を閉ると、己が不徳を改めて恥じ入った。


「うっ……ぐうっ……」


 くすんだ赤毛の騎士――アードナーが唸り声を上げながらゆっくりと身を起こす。透かさずソフィアが駆け寄って、アードナーに肩を貸した。

 エアハルトは、改めて謝罪したいと瑛斗に告げた。


「俺も今は少々酔っている。侘びは翌日、酔いを醒ましてから正式に」

「侘びなんていいさ。それより彼らが怪我を負っていないか看てやってくれ」

「すまん……ではまた、翌日に」


 エアハルトは一礼して背を向けると、舳先で目を回している巨漢の騎士ドラッセルの元へと歩み寄って行った。


「何も変わらん……何も変わりゃしないんだ……」


 瑛斗の後ろから、唸るような赤毛の騎士アードナーの声が聞こえた。

 声と呼ぶには、あまりに切なく深い。それは慟哭と呼ぶべき声。

 アードナーは苦しい胸の内を吐き出していた。余程腹に据えかねる思いが去来しているのか、その両目の端からは、ほろほろと涙が零れ落ちている。


「手を伸ばしても届かないほど高い壁が、醜くて汚い壁が、俺たちを阻む……」

「もう、止めて……」


 彼の顔を見たソフィアの瞳も、貰い涙でゆるゆると滲み始めた。

 瑛斗はもう、おいそれと口出しをする気にはなれなかった。

 だが我慢しきれず、一つだけ問い質す。


「何故、そう思う?」

「……俺たちで風穴を開けてやる。そう思っていた時期もあった」


 アードナーは瑛斗に顎を殴打された時、噛み切った口唇の血を拭う。

 ぬるりと生暖かい感触を掌に受け、じっとそれを見つめた。


「絶望的な……血塗られた見えない壁が、俺たちを阻むんだ」

「もう、止めて……アードナー……」

「公国の専横を止めるどころか、手掛かりさえ見えてこねぇ……大事な仲間一人探し出せねぇなんて……不甲斐ねぇ……!」


 アードナーとソフィアはよろめきながら二人、暗闇の中を彷徨うように、お互いの肩にもたれ合わせて瑛斗の前を過ぎ去ろうとしていた。

 門外漢の瑛斗に掛ける言葉など見つからぬ。かといって熱血漢の瑛斗は見過ごせぬ。


「なんだ、もう諦めるのか?」

「……何をッ?!」

「諦めるなら、そこでしゃがんで泣いていろ」


 そう言って、瑛斗はわざと悪態をついた。

 運命の森で、盲目の身ながら諦めないと誓った人がいる。

 諦めた者にそれを告げてやる気など、瑛斗にはさらさらない。


「風穴なら俺がけてやる。お前らは俺の後ろから着いてくるがいい」

巫山戯ふざけるな、誰が、誰が……絶対に諦めるかッ!」


 その言葉を受けて、瑛斗はニヤリと意地悪に笑った。

 だが一番驚いていたのは、言ったアードナー本人だったかも知れない。

 ソフィアは瑛斗にぺこりと頭を下げて、二人船室へと下がっていった。


 背後の気配を察した瑛斗が振り向くと、ニヤニヤと顔を綻ばせるアーデライードと相変わらず無表情のレイシャが立っていた。

 酔いどれハイエルフの片手には麦酒木樽ビアだるジョッキが、いまだしっかりと握られていた。ぼんやりダークエルフはといえば、小皿を片手にもごもごと口が動いている。


「ヒューゥ! さっすがエイト、優しいわね!」

「からかうなよ、アデリィ……」

「レイシャのエート、やさしい」

「…………」


 何かしら、このだーえるの小娘は。

 いちいちレイシャのエートと言わないと死んじゃう病気か何かかしら?


 小癪に障ったアーデライードが横目でじろっと睨めやると、レイシャと何故か目が合った。暫しお互いに牽制し合うようにじーっと見つめ合う。

 瑛斗の目には何故か、二人の間に飛び交う火花のようなものが見えた気がしたが、その理由までは分からなかった。

 不思議そうにしている瑛斗の視線を感じたか、アーデライードが話を戻した。


「酔いどれて暴れるなんて若いわね、あの騎士たち」

「そうだね」


 と、そこで瑛斗にしては珍しく、何かを思いついたような顔をした。


「酔いどれていいのは、やり尽くした人だけさ。ねぇ、アデリィ?」

「ま、そうね」


 とは答えてみたものの、あら? 何故その話を私に振ったのかしら?

 ん、ちょっと待って。もしかしてそれ、私のことを言ってるの?

 酔いどれだと思われてる? それとも、やり尽くした人だと思われてる?

 これって何? 褒められたの? 貶されたの? どっち??


 でも瑛斗の表情は限りなく大らかだったので、すぐにどちらでも良くなった。


 鈍感で正直、大胆で無邪気な勇者候補の少年は、ずっと勘違いをしたままだ。

 世界を滅する魔王を倒し、六英雄と崇められ、古今東西の言語学を極め、高位精霊使いシャーマンロードへ到達し、大賢者と讃えられ――アーデライードはやるべきことをやり尽くした人生の先達だと思っている瑛斗だが、それは見当違いも甚だしいことなのだ。

 何故ならば、彼女は長命なエルフ族。そして思春期真っ只中。

 蕾が花開き、春を知ろうとしているのは、今まさにこれからなのだから。

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