第64話 テトラトルテの待宵祭の旅(後篇)

 テトラトルテ中央広場での大宴会から一夜明け、早朝の宿場街。

 瑛斗は外から聞こえてきた喧騒に、目を覚まして身を起こす。すると毛布からころんとレイシャが転げ出た。隣の部屋にいたはずが、いつの間に瑛斗のベッドへ潜りこんだのだろう。そして小さなアルティメット脱衣の名手は、やっぱり今日も全裸だった。


「むにゅ、うにゅう……」

「そんなにポイポイ脱いじゃダメだよ、レイシャ」


 困ったなぁと誰に言うでもなく呟いて、そっと毛布を掛け直す。これでもう何度だろうか。さりとて瑛斗も幼女の裸にいちいち赤面していてはいられない。だからといってもう慣れた――というわけではないけれど。


 床に落ちていたレイシャの寝巻と下着を拾い上げてベッドサイドに畳んで置くと、外の光を遮る重い雨戸を開け放つ。すると爽やかな深山の涼風と共に、早朝の光が部屋の中に差し込んだ。未だ薄靄掛かる街中の景色は、如何にも山間部らしさを感じさせる。


 二階の窓から身を乗り出して見渡せば、派手な色に装飾を施された沢山の丸太が、中央広場は元よりあちこちに散見される。テトラトルテの道すがら、祭りの説明をしてくれたドラッセルが「もちろん、街中に豊富にあるアレさ」と、うずたかく積まれていた街道沿いの丸太を指差していたを思い出す。外の喧騒はきっとこの丸太の準備だろう。


「わー、すごいねー」

「あっ、ご主人さまっ!」


 声に気付いて隣の窓を見れば、可愛いメイドたちが同様に身を乗り出していた。

 こちらに気付いた控えめなライカが瑛斗に向かって小さく手を振ると、元気のいいカルラもそれに合わせてぶんぶんと両の手を振る。


「おはようライカ、カルラ」

「おはようございますっ!」


 窓から身を乗り出したまま三人で会話を交わせば、ライカとカルラは今まであまり村を出たことがないのだという。獣人族の村では、ささやかな待宵祭しか経験がない。だから今までに見た事も無い色彩鮮やかな装飾に、二人は驚いていたようだ。


「どうだ、ちょっと散歩しないか?」

「おさんぽ!」

「おさんぽ大好きですっ!」


 瑛斗がそう持ち掛けると、ふたりとも狼の獣人族ワーウルフとしての血が騒ぐのか。それとも単なる散歩好きなのか。どちらか分からないが、彼女たちは二つ返事で賛成した。


「うにゅう」


 後ろから聞こえた寝惚け声に振り向くと、レイシャが瑛斗の裾を掴んでいた。毛布を引きずったその姿は、当然の様に全裸で、珠のように艶やかな褐色の肌を晒している。


「ああ、分かったよ。その代わりちゃんと服を着ようね」

「うにゅ」


 するとレイシャは「着せろ」と言わんばかりに万歳をした。朝に弱い寝ぼすけダークエルフは、ここぞとばかりに甘えん坊である。


「はいはい」


 しかし週に一度しか会えないからと、レイシャを気遣う瑛斗も彼女にはとことん甘い。畳んだばかりの服を頭から被せて、下着を穿かせてやる。すると無表情ながらも子猫の様に目を細めたレイシャは、微妙に頬を綻ばせて「うゆー」と微笑むのだった。



 準備を整えてレイシャと共に戸外へ出ると、ライカとカルラがすでに待っていた。

 騒がしいカルラなどはぴょんぴょんと飛び跳ねて、今にも駆け出して行ってしまいそうだ。その様子につられたか。レイシャも珍しく頬を紅潮させて、そわそわと浮き足立っている。年少組には年少組の波長があるのだろうか。


「レイシャも楽しそうだね」

「んっ」


 レイシャはこくりと頷いて、照れ隠しなのか瑛斗の腰へ抱き付いた。

 今までレイシャは同年代の子供らと行動を共にする機会がなかなかなかった。だからこの反応は瑛斗にとっても少し新鮮に感じられた。瑛斗やアーデライードと一緒にいる時とは別の反応を、この小さなダークエルフは見せている。もしかしたらこれはレイシャにとって、良い傾向なのかも知れない。

 おや、そういえば年長組は――と、気になってライカに訊ねる。


「ところでアデリィはどうしてた?」

「まだ寝てました」


 まぁ、どんちゃん騒ぎの翌朝である。サクラは意外と酒に強いようで、最後までアーデライードによく付き合っていた。よって二人の朝は、推して知るべしであろう。


 年長組を放置して、瑛斗ら四人はのんびりと散策することにした。

 これから祭りのメインを控えているせいか、人々は往来を忙しなく行き交う。早朝の街中は祭りの準備で活気に華やいで、瑛斗の気分までも否応なしに高揚させる。

 色とりどりの派手な装飾に作り込まれた飾り丸太は、街のあちこちで散見された。その周辺には必ずといって逞しい男たちが集まり、何やらこれからの打ち合わせをしている様である。その様子を窺うにそれぞれ丸太ごとで何名か付いていて、彼らはチームを組んでいるようだ。例えばそれは、日本でいうそれぞれの町会で神輿を担ぐ様なものだろうか。

 そんなことを瑛斗が考えていると、ライカとカルラが何かに気付いたようだ。


「くんくん……あれ?」

「あちらの方からいい匂いがするのです」


 鼻のよく利く獣人たちが、何かの匂いを嗅ぎつけて俄かに騒ぎ出す。それに合わせる様にレイシャも鼻をひくつかせるが、よく分からなかったようで首を傾げた。


「よし、それじゃ匂いの方へ行ってみようか」


 どこか行く目的あてがあるわけじゃない。ぶらぶらするだけの早朝散歩である。折角だ。何かを嗅ぎつけたのならば、見物しに行かない手はない。


「では道案内を宜しく頼むよ、ライカ隊員、カルラ隊員」

「はいっ、おまかせくださいっ」


 瑛斗が号令を掛けると、仰々しく敬礼した獣人メイドたちが先陣を切って走り出す。レイシャも瑛斗の方へ何度も振り向きつつ、とっとこ付いてゆく様子が愛らしい。


 瑛斗が彼女たちにゆっくりと追いつくと小さな屋台があり、そこでは小さな人だかりが何かを食べながら談笑していた。彼らが手に手に持っているのは、どうやら揚げパンのようだ。きっと祭りの準備をする人々を相手に、早朝から商売をしているのだろう。


「折角だから食べてみようか」


 そう言いつつ財布を取り出す瑛斗に、朝食を控えた腹ペコ童子たちが色めき立つ。

 人数分の飲み物と揚げパンを購入してじっくりと眺めてみるに、それは独特な形に捩じって棒状に揚げてあるパンだった。これはチュロスというべきか。それとも中国でいう油条ヨウティヤオというべきか。どうやら好きなソースや蜜を選んで、ディップして食べることができるようだ。よって気になったソースを各自自由に選ぶこととした。


「うん、美味しい。美味しいけど……」


 なんだかよく分からない味だった。瑛斗は甘辛そうな茶色いソースを選んでみたが、オイスターソースの様なそれは、異世界の香辛料が使われているようだ。ピリ辛しょっぱい以外には、食べても何が入っているのかよく分からない。

 こういう時には、食通で解説上手なアーデライードの存在がありがたいと感じる。兎にも角にも何だかよく分からないままだったが、美味しいことには変わりない。


「レイシャは……メイプルシロップで、そっちは何だい?」

「私はラクレットチーズで……」

「これはホットチョコレートよ!」


 そして白い陶器に注がれた飲み物は、ミルクティのようだった。これも独特なハーブが使われているのか、嗅いだことない香りがした。こちらに関しては、最近紅茶に凝っていると言っていたサクラが詳しいかも知れない。

 こうなるとますます年長組の存在が大きくなって、瑛斗としては少々悔しい。もっと色々なことを勉強して、もっともっと異世界に詳しくなりたいと心から思う。


「わぁ、ひと口くださいな」

「ん」

「それじゃこっちもどーぞ」


 妙なところで悔しさを噛み締める負けず嫌いの瑛斗を余所に、年少組三人はすっかり意気投合して、仲良く揚げパンをパクついている。

 その様子を何となしに眺めて瑛斗は、ふと自分と三人を重ねていた。彼女たちはゆっくりと、けれど確実にこれから成長している。きっと様々な経験を経て、色々なことを覚えてゆくのだろう。

 ならば自分も――まだ急ぐ必要はない。ゆっくりと確実に前へ進もう――慎重な性格の瑛斗はそう思い直し、今はともあれ彼女たちと早朝散歩を楽しむことにした。



 昼過ぎ。朝寝坊の年長組とかなり遅い昼食に近い朝食――ブランチを摂った後、祭り見物に街へ繰り出すことにした。

 置いてけぼりを食らって早朝散歩を楽しみそびれたアーデライードは、固いライ麦パンを乾燥トマトのスープに浸け込んでは、ぶーたれた顔でもさもさと齧っていた。自業自得である。だが外へ出た途端、そんなことはすっかり忘れてしまったようになって、次の楽しみに気分をすっかり切り替えたようだ。


「さぁ、テトラトルテ名物の喧嘩丸太よ!」


 すると浮かれハイエルフの口から、唐突に聞き慣れない単語が飛び出した。


「喧嘩丸太……って、何だいそりゃ?」

「先祖の霊を持て成す行事に決まってるじゃない」


 待宵祭の日中は賑やかで派手な行事で先祖の霊を持て成す――と、昨日の道すがらドラッセルから説明を受けたのを、そういえばと思い出す。


「持て成す行事が喧嘩なのか?」

「そうよ」

「なんだか物騒だなぁ……」


 思わずそう呟いた瑛斗に、後ろから口を挟んできた者があった。


「喧嘩と丸太は、テトラトルテの華ってね」

「やぁ、おはよう。ドラッセル」

「おはようって、もう昼過ぎだぜ」


 瑛斗の迂闊な挨拶を、呆れ顔のドラッセルが笑い飛ばす。そのドラッセルを眺めやれば、何やら見たことのない妙な格好をしていた。


「それはさて置き、なんで上半身裸なんだよ」

「これが喧嘩丸太の正装だからさ」


 身に着けているのは、ベルトの様なワンショルダーと分厚い革の小手。厚手のズボンとブーツは穿いているものの、上半身はたったそれだけだった。


「ちゃんと私たちの観覧席は取ってあるんでしょうね?」

「もちろん。ソフィアたちが陣取ってるから大丈夫」


 アーデライードは、こういう所が抜け目ない。


「それで喧嘩丸太ってのは、一体何なんだ?」

「うおっし、それじゃそろそろ教えてやるぜ」


 喧嘩丸太とは――街中の道という道を川に見立てて、巨大丸太を引きずり回して所定の位置まで運ぶという、荒々しいスピード競技だという。ひとチーム十五名で組み、山中の様々なルートからロープで括られた丸太をゴールまで運び出す。

 これは元々、河川や水路を利用して川下の街々へ材木を運搬する姿を模して行われていた神事が、いつの間にやら競技として発展した形のものであるようだ。


「丸太の運び手が十二名で、あとの一人は船頭役だ」

「船頭役?」

「そうだ。水棹みさおを持って丸太に乗る」

「残りの二人は?」

「他のチームの船頭を、水棹で叩き落とす」


 船頭が叩き落されたチームは「落水」と呼ばれ、落ちたその場へ丸太を運び直し、そこから再スタートしなくてはならない。これは材木協会ギルド設立前の混沌とした時代に、同業者ライバルを蹴落とすため、実際に行われていた行為のようだ。よって妨害役を立てて容赦なく阻害も可能。まさに荒々しい競技である。


「なんだそれ、滅茶苦茶じゃないか!」

「そのメッチャクチャがいいんだよ、エイト」


 今回は三年振りに『銀の皿騎士団』も参戦するのだと、ドラッセルは腕を撫す。

 何かと暗い話題の多かった公国内である。少しでも祭りが盛り上がれば、との思いが若き騎士団たちの思いにあってのことという。


「けどよ、あの出来事があっただろ?」

「あの出来事……ああ『エキドナ内乱』だな」

「だからよ、今年の祭りは盛り上がるぜぇっ!」


 しかし最近ようやく明るい話題が公国内に降って湧いた。それはかの『エキドナ内乱』である。近年稀に見る胸の透く英雄譚となったこの事件は、暗い話題が続いていた反動もあり、このひと月の間で瞬く間に人口に膾炙かいしゃした。


「そこで相談なんだが、エイト」

「なんだ?」

「この喧嘩丸太に、お前も参戦しないか?」

「えっ、俺が?」


 しかも今回のテトラトルテの待宵祭では、その話題の中心であるドラッセルと始めとした『エキドナの四十八士』に数えられる騎士たちも数多く参戦する。そんな英雄らと対戦できるとあって、林業で鍛えに鍛え上げた肉体を持つ腕自慢の街人たちも俄然燃えている。


「俺なんかが飛び入りで参戦して大丈夫かな」

「ほれ、アレを見ろよ」


 ドラッセルが指差す先には、同様に上半身裸で腕を撫す男たちの姿があった。昨日の大宴会で一緒に飯を食った『銀の皿騎士団』の団員達だ。よくよく見れば確かに、見知った顔が幾つもあった。彼らとはエキドナ別邸の雑魚寝で夜を明かした仲である。

 瑛斗の視線に気付いた連中の何人かは、笑顔で手を振ってきた。


「この辺の街じゃ、この祭りに参加してこそ『男』として認められるんだぜ」


 そうと聞いては引き下がる気にはなれなかった。瑛斗は「そうか」とだけ呟くと、上着を脱ぎ捨て上半身裸になった。


「行ってくる」

「ちょ……エイト?!」


 ぶんぶんと腕を回し始めた瑛斗に、不意を突かれて慌てたのはアーデライードだ。だがその様子を尻目に、ドラッセルがわざとらしく叫ぶ。


「うおぉい、みんな! エキドナの『小さな勇者候補』が参戦するぞ!!」


 それを聞いた『銀の皿騎士団』団員たちが、各々が歓喜の雄叫びを上げる。


「おおっ! それでこそ男だ、エイト殿!」

「よっしゃあ、これは負けられんぞ、諸君!!」

「気合入れ直せ! これは訓練じゃない、戦争だぞ!!」

「ウオオオオオオオーッ!!」


 騎士団員らの鬨の声を受け、何故か対陣のチームもそれに負けじと気勢を上げた。それを合図としてか、街中のあちこちで雄叫びが響き渡る。なるほど、不景気で落ち込みを見せていたというが、ここ数年で一番の活気が湧きかえっているというのも、この様子からして知れようというものだ。


「ああもう、莫迦ねぇ……」

「ばかばっか」


 それに比べて呆れて見送るは、女性陣である。

 レイシャですら無表情な瞳を、更なるジト目に変化させている。


「あれ、なんか妙なことになってない?」


 一足遅れで様子を見に来たソフィアが、妙な様子に首を傾げる。うっへりとした表情のアーデライードから事情を聞くと、頭痛よろしく蟀谷こめかみを押さえた。


「うちのバカの相方が、ホントにスミマセン」

「男って、こういう時ばっかり子供みたいよね」

「ホント、呆れちゃう……」


 瀟洒な金髪と亜麻色の髪を傾げて、互いに溜息を突くしかなかった。

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