第65話 喧嘩丸太とテトラトルテの灯の旅(前篇)
テトラトルテの待宵祭、白昼のメインイベント――『喧嘩丸太』。
各十五名で構成されたチームに分かれ、川に見立てた街中の道という道を巨大丸太で引きずり回し、所定の位置まで運ぶという非常に荒々しいスピード競技である。
爽やかな初夏の日差しと晴天にも恵まれ、大一番が今まさに始まろうとしている最中、瑛斗は山中のスタート地点にいた。
「今頃はきっと、観客席にいたはずなんだけどなぁ……」
見晴らしのいい山の中腹から祭りの熱気に華やぐ街を見下ろしながら、瑛斗はぽつりと独り言ちる。祭りへの参加自体は嫌いではないが、傍から観覧できなかったのは残念だ。
周囲に他チームは見当たらない。各々に割り当てられた山中のスタート地点から、号令一下で一斉に山を駆け下り、同じゴールを目指すためだという。これは元々、山中で木を切り倒すところから始めていたことに由来する。それが今ではすっかり競技化し、事前に準備して飾り立てた丸太を使う。その丸太の両側にはそれぞれ六本のロープが伸びており、これを掴んで引きずり回すのだそうだ。
参加する騎士団のメンバーと話し合いの結果、船頭役として一番身軽で軽量な瑛斗が丸太へ乗ることになった。何しろ騎士団のメンバーを見渡すに、瑛斗は誰よりも背が小さくて身が軽い。確かに小学生の頃から背の順で並べば、一番前を独占していた瑛斗である。よって運動会ともなれば毎度毎度、背中渡りやら組体操の天辺やらと、神輿の上へ担がれてしまう。だがそれが一番理に叶っていると、素直にすんなりと引き受けてしまうのもまた瑛斗であった。
「それじゃこれを持て」
「なんだこれ?」
ドラッセルから何やらえらく長い棒を渡された。
「十フィート棒か?」
「違うよ、それが
水棹とは、船頭が舟を漕ぐ時に水底に差して操舵する棒のことである。確かに十フィートの三分の一程度の長さしかない。言われてみれば手漕ぎ和船の船頭が、これを使うシーンを時代劇などで見たことがある。
「船頭役はこれを持つんだ」
「へぇ……水棹を持っていいんだ」
「そりゃあ、船頭だからな」
それはそうか。相手の攻撃役から水棹で叩き落されて「落水」する――という乱暴なルールを聞かされていたから、そればかりが頭に残っていた。
聞けば船頭役は、丸太前方から上に突き出たロープを握ってバランスを取り、もう片手でこの水棹を操って敵の攻撃を躱す。ドラッセルら十二名は丸太を運ぶ「水流役」となり、左右に結ばれたロープを握って走る。残りの二名が攻撃用の水棹を使って、相手チームの妨害する役を担う。こうして各チームがゴールを目指し競い合うらしい。
「いつもの長剣だと思ってそれをブン回せ」
「なるほど、防御用ってわけだな」
そうしてドラッセルから水竿を受け取ってみると、見た目よりもずっと軽い。もしかしたらいつもの武器と同様に、異世界人の特性が働いているのかも知れない。
瑛斗は水棹の中間部を手に持つと、試しにぐるぐると振り回す。風切音を立ててビュンビュンと振り回す内に、いい感じに調子よくなってきた。
そこで瑛斗は、爺ちゃんが練習用に考案したという剣技の型を披露してみる。これはアーデライードより直伝された剣技練習用の型のひとつだ。調子に乗って気持ちよく水棹をブン回すと、最後は「ズン」と肩へ構えて見得を切る。
一体何が始まったのか。興味深げに瑛斗の様子を見守っていた騎士団のメンバーたちだったが、型が終わった途端に彼らから思わぬ歓声が沸き上がった。
「うおおおっ、なんだそれは!」
「凄いな、その技!」
「なぁ、あとでオレに教えてくれないか?」
「オレもやってみてぇ!」
口々にそう言って、屈強な騎士たちが瑛斗の周囲に雪崩を打って集まった。
どうやら爺ちゃんから受け継いだ剣技の型は、奴隷商人たちを怯え上がらせたのみならず、騎士らの心をも掴んだようだ。興奮気味に詰め寄って、矢継ぎ早に質問を被せてくる。
「頭上で回した後、どう切り替えたんだ?」
「ここでこう、肘を畳んで手首を返すんだ」
「では右袈裟から胴抜きへの切り替えは?」
「こう、自分の胴に巻くように、腕を……」
そこへドラッセルが鷹揚に寄ってきて、瑛斗の肩をドッカと組んでニヤリと笑う。
「まぁ落ち着けオマエら。これでもエイトはな、身の丈ほどの
「お、おい、ドラッセル……」
「それにオレの事もな、軽々とブン投げやがったんだ!」
唐突にヨイショされて焦る瑛斗の声を、敢えて無視する形でドラッセルが続けると、今度は「ほぉ!」という感嘆の声が瑛斗の周囲をじわりと包み込む。どうやら彼の言葉は、ますます騎士たちを感心させる結果となったようだ。
何しろドラッセルは『エキドナの庭』で勇名を馳せたばかり。そして呼ばれた二つ名は『
「それは本当か、エイト殿!」
「小さい身体で凄いな……!」
周囲の騎士たちの瑛斗を見る目が一気に変わった。その様子を満足げな表情で見計らっていたドラッセルが、声を張って騎士たちを鼓舞した。
「だからな……いいかオマエら!」
「おう!」
「そんな男を担ぐ以上、騎士の誇りに掛けて負けられねぇぞ!」
「おおう!」
こうして騎士たちの士気が一気に上がった。相変わらずドラッセルは仲間たちを調子に乗せるのが上手い。そういう面では、リーダーとしての素質があるようだ。
「今日の一戦で、いっちょ優勝を掻っ攫うぞ!」
「うおおおおおおおーッ!!」
これで団員たちの士気は大いに上がり、準備は一気に整った。
苦笑いの瑛斗を差し置いて、あとは開始の号令を待つばかりである。
◆
轟く爆音、湧き上がる大歓声。
街の中央広場から打ち上がった爆裂魔法を合図に、喧嘩丸太は始まった。
「ぐぬぎぎ……っ」
「おらおらエイト! 気張れよッ!!」
先陣を突っ走るドラッセルから発破が飛んできた。声がちょっと意地悪く笑っている様に聞こえるのは気のせいだろうか。いや、彼は確実に楽しんでいる。
「これは思ったよりもハードだぞ」
瑛斗がそう思ったのは、スタート直後からだった。何しろ初っ端からジェットコースターさながら、崖の上から丸太ごと突き落とされたのだ。メンバーの騎士たちが必死になってブレーキを掛けねばならぬほどのスピードに、大怪我どころか死ぬかと思った。
そうして直線的に山を滑り下りると、あっという間に山中からテトラトルテの街中へと突入した。街へと移動してからも、瑛斗の乗った丸太は全く速度を緩めることはない。観客がいようが、遮蔽物があろうがお構いなし。暴走気味に躊躇なく突っ走る。
「この暴れ馬を押さえつけてやれ!」
「だが慎重に、強引に、スピードは決して緩めるな!」
山間部の街らしく迫る山々から街中に掛けて、ゴールまでは下り坂が数多い。ドラッセルらが選択したルートは、当然の如くスピードがつき易い急坂ばかりのようだ。
おまけに観客たちは、路上から二階の窓からと至る所から、次から次に木桶の水をぶっかけてくる。これは石畳の路上を濡らし、丸太を滑りやすくするためだろうか。こうなると瑛斗はもうずっと嫌な予感しかしていない。
「ちょっと待て、ドラッセル……ッ! か、階段んんっ?!」
「ワハハッ! これは『滝』だと思って覚悟を決めろ、エイト!」
予感的中。こんな凶悪な『滝』など見た事が無い――そう言いたくなるほどに急勾配の石段が、瑛斗らの目の前に現れた。船頭役にわざわざ瑛斗を据えた理由とこのルート選択はもう、ドラッセルによるいつぞやの報復ではなかろうか。そう思えるほどにコースは過酷を極めている。そうこうしているうちに、瑛斗の目の前にあれよと石段が迫りくる。
「くっそぉ、やってやる!!」
「てめぇら、歯ぁ食いしばれぇーッ!!」
瑛斗の悲鳴と共に、丸太が飛んだ――
石段の天辺から容赦なく。綺麗な空中姿勢で、宙を飛んだ。
「うぉあっ!?」
瑛斗は水棹を小脇に抱えて両足に力を込めると、スケートボードの要領でバランスを取りつつ必死に空中姿勢を保つ。ロープを握る腕に自然と力がこもる。
ドラッセルら騎士たちの巌の如き上腕も盛り上がり、暴力的な丸太の挙動を必死になって制御した。彼等とてただ悪戯に飛ばしている訳ではない。喧嘩丸太という競技に全力を示した結果なのだ。
「どわっはぁ!?」
見事な着地を示した瑛斗のチームとは対照的に、バランスを崩した
破砕された煉瓦が宙を舞う。それでも丸太は疾走を止めない。弾け飛んだ煉瓦の破片を片腕で払い除けながら、振り返って見届けた瑛斗が丸太の上で叫ぶ。
「おい、あのチーム、家をぶっ壊しちゃったぞ?!」
「それでいいんだ!」
「いいんだ?!」
「ああ、あとで街の連中全員で直すから!」
どうやらクラッシュは毎年の事であるらしい。これはなかなか大変だ。騎士団の連中が「これは訓練ではない、戦争だ!」と叫んでいた理由を、瑛斗はすっかり理解した。
喧嘩丸太がどういうものか、その恐ろしさの片鱗をしっかりと身体で理解しつつある。
「おら、次のチームのお出ましだ!」
瑛斗が目を向けると、前方を突っ走る喧嘩丸太を護るべく、敵方の攻撃役が水棹を構えて立ち塞がっていた。追撃を凌ぐため、船頭役の瑛斗を突き落とし「落水」させ、リスタートさせる腹積もりなのだろう。
「よし突っ込むぞ、エイト!」
「くそっ、次から次へと……!」
こうなればとことんやってやる。
瑛斗は覚悟を決めて、心の中で褌を締め直す。
「いっけぇーっ! エイト、負けるんじゃないわよ!!」
さて、打って変わってここは、高台にある特等観覧席。
山の斜面を削り出したここには、木製のベンチがずらりと備え付けてある。好景気を取り戻しつつあるせいか、どこもかしこも観客に溢れ返り、満席状態であった。
その特等観覧席のど真ん中。レースの熱狂そのままに沸きかえる観客席は、街の様子を見渡せる最良の場所に陣取る、我らがハイエルフたちの姿があった。
「ドラッセル! デカい図体してだらしないわよ!!」
「根性見せなさいよ、ホラァ!!」
先程までの「ああもう、莫迦ねぇ」などと呆れ返っていた態度は何処へやら。アーデライードは興奮気味に、我を忘れて声を張り上げていた。もちろんその隣で絶叫する女騎士は「ホント、呆れちゃう」などと言っていたソフィアである。
二人ともレースの熱狂に呑みこまれたか。前言をすっかり忘れて大いに叫ぶ。
近年稀に見る白熱した展開に心を奪われているのは、周囲の観客たちも同様のようで、二人を中心としてあたりは興奮の
「食い破るのです、ごしゅじんーっ!!」
「おもいっきり噛みついちゃうのよーっ!!」
更にその隣では、ライカとカルラまで興奮気味に声援を飛ばす。獣人族の血が騒ぐのか。応援に力が入り過ぎて、カルラは手にしたパンケーキを握り潰す。
「ぼかんと一発やっちゃいなさいな!!」
「おらーっ! 全て叩き潰せぇーっ!!」
ハイエルフが叫んだその瞬間、持っていたポップコーンがダイナミックに飛び散った。
「ううっ、な、なんだぁ?」
不意に悪寒を感じた瑛斗がつい身震いをする。なんだかとんでもなく物騒な声援を受けた気がしたのだ。そこでなんとなく先頭へ目をやると、チラリとこちらを見るドラッセルと目があった。彼はげんなりと苦笑いを浮かべて呟いた。
「コリャ、負けたら屯所に帰れねぇなぁ……」
ああ、空耳ではなかったか。今や瑛斗とてドラッセルと同じような表情をしているに違いない。これはもう「絶対に負けられないぞ」と根性を入れ直す。
ところがその時、観客席の熱狂とは裏腹に怯える者あり――レイシャである。
「ふぇ……エート、エート……」
どうやら競技の様子をハラハラして見ていられないのか。瑛斗の名前を呪文のように繰り返しながら、固く目を瞑ってサクラにしがみ付いていた。
いつもは無表情で淡々と表情一つ崩さずに、大人のダークエルフ顔負けの大魔法を操って敵を倒す。だが小さく縮こまって震える幼女の姿は、いつもの彼女姿とは思えない。
サクラはつい母性本能を刺激されてしまったか。胸の中で震える小さな魔法使いの、茅の様な真白の髪を撫でながら、優しく宥めるように励ました。
「ああ、大丈夫だよ。ほら、見てごらんよ」
「ひぅ……ひうぅ……」
それでもレイシャはどうしても見ていられないらしい。サクラの大きな胸の中で、涙目になって震えている。何時も強気な態度のダークエルフが珍しい。もしかしたらハイエルフ姐さんの前だけでは、ツンと気持ちを張っているのかな、とサクラは思う。
「うおおおおおおおおおおおおーッッ!!」
そう気を逸らした瞬間、バシーンと響き渡った衝撃音と共に、この祭りで一際大きな歓声が轟いた。襲い掛かった攻撃役の水棹を、瑛斗が二本同時に捌いて弾き飛ばしたのだ。
慣れぬ足場でこれほど鮮やかな剣技を見せるのは、ここ数年ではなかなか見られぬ光景だった。普段の巨大剣使いが幸いしたか。普段からあらゆる事態を想定してアーデライードと訓練をしていたが、こうも上手くいくとは。当の瑛斗とて思いも寄らなかった。
いつもの長剣とは勝手が違うものの、慣れれば水棹も同様に扱えそうだ。
「ご覧なさいな、あれがエイトよ!!」
そう叫ぶアーデライードとは揺れる吊り橋の上で訓練は積んだものの、今はまるでスケートボードの上に乗って闘っているようだ。揺れる足場を常時慎重に確認しつつ、基本はスウェーで身を躱し、時には水棹を使って弾き返す戦法が良さそうだ。慣れぬ環境でも即座に順応するのは、冒険者としての心得の一つ――瑛斗はそう心に刻んでいた。
「す、凄い! 凄いヤツがいるぞ!!」
「あのちびっこいの、何者だ!?」
「やはり台風の目は、騎士団の連中か!」
「エキドナの勇名は、名ばかりじゃないってことだな!!」
観客の声援に煽られて、士気が上昇したタイミングをドラッセルは見逃さなかった。この可能性こそ、瑛斗を船頭役に決めた狙いの一つだ。
「へへ、やっぱり持ってやがるな……今だ『
ドラッセルから指示が飛び、メンバーらは一糸乱れぬ統率を見せる。
騎士技能『
「ありゃ優勝候補の一角、
彼らを追い抜けば、優勝も見えてくるはずだとドラッセルが叫んだ。
瑛斗の活躍で士気の上がった騎士団チームは、意気軒昂に追い縋る。ゴールまであとわずか。レースは終盤戦。息詰まるデッドヒートの開幕である。
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