第47話 エキドナの庭に集いし勇士たち

 突然、王女イリスの身に襲い掛かった凶賊の短刀ナイフ

 今まで受けたことのない強い衝撃に、イリスは受け身を取ることも叶わず後ろへと倒れ込む。そこへ満身創痍のエレオノーラが必死にイリスへ飛び付いた。床からの衝撃より身を呈して我が姫を庇ったのだ。


「あっ、それ『静寂の指輪サイレント・リング』?! ズルだぁ!」


 目敏いハイエルフが、ロヴネルの左手中指を見つめて叫ぶ。

 賊が嵌めている魔法指輪マジックリング静寂の指輪サイレント・リング』は、その場から動かぬ限り周囲十メートル以内の人の気配を完全に消し去る。

 獣人族の村近くの山中に於ける戦いで、感知能力に優れるアーデライードを見事に出し抜いたは、この魔法物品マジックアイテムが理由である。


 ロヴネルは鈍色に光る短刀ナイフを掌の中でくるりと持ち反すと、圧倒的なスピードで追撃を仕掛けた。いや、仕掛けようとした。その凶賊の動きを止めたのは、長大重厚なる片手半剣バスタードソードを操る少年――瑛斗である。

 両者の間を割って入るように突き込むと、流れるような剣捌きでロヴネルへ横薙ぎを斬り入れる。しかしスピードに勝るこの曲者には当たらない。軽業師の如き敏捷さで跳び躱すと、右下段構えの瑛斗を見計らったか、左側へと回り込んだ。

 両者とも軽量に勝るスピードタイプの戦士である。次の攻撃時間ラウンドを先制した者が勝つ。この勝負、双方瞬時の判断と一歩の差が、互いの勝敗を決しようとしていた。


「えん……ん、ふぁいあ……」

「ウィング・フィート」


 レイシャの唱えようとした古代語魔法ハイエンシェントよりも、窓からくるりと飛び込んだアーデライードの呪文詠唱の方が数段早かった。

 整然と唱えられた風の精霊語魔法サイレントスピリット「ウィング・フィート」は、風の力で対象者の足を軽くして、敏捷度と移動距離を飛躍的に上昇させる。


 この場合は、たったの一歩。瑛斗の一歩が、勝敗を分けた。


 ロヴネルよりも素早く突き入れられた瑛斗の片手半剣バスタードソードは、的確に凶賊の右胸を捉えた。分厚いレザーアーマーを突き抜ける程の強い衝撃により、鈍い音を立てて肋骨の折れる音が響く。

 それでもロヴネルは、鋭いバックステップで瑛斗から大きな間合いを奪った。


「ちっくしょ……ガフッ!」


 悪態を吐き捨てようとしたロヴネルが吐血する。折れた肋骨の一部が肺に刺さったのやも知れぬ。そんなロヴネルへ、荒れ狂う黒い暴風のように走り寄った男がいる。


 堕獄の騎士・ランドルフである。


 彼もまた左脇腹と右肩に大怪我を負っているにも関わらず、そうと思わせぬ動きをみせた。呆気に取られる一同を尻目に、ランドルフはロヴネルに問う。


「おい、自慢の怪物軍団はどうした」

「こねぇンだよ……いくら呼んでも何故かこねぇ……」

「……歯を食いしばれ」


 息も絶え絶えに答えるロヴネルを肩へ担ぎ上げたランドルフは、猛然と窓へと走り込んで突き破ると、外へと飛び出した。


「ちょ、ここは三階……!?」


 瑛斗とアーデライードが窓へと飛びつくと、ロヴネルが庭にあるケヤキの巨木へ鉤爪を投げているのが見えた。鉤爪に結び付けられていたロープを掴むはランドルフ。

 そうしてあっという間に敷地の柵を飛び越えると、二人は急斜面の茂みへと消えて行った。


「やられたわね……追撃する?」

「いや……それよりも、イリスだ」


 イリスの元では、混乱したエレオノーラが叫び声を上げていた。


「いやぁぁっ! 誰か……誰か治療師ヒーラーを早く!」


 アードナーを始めとした騎士らと瑛斗らが、イリスの元へと駆け寄る。

 傭兵といった手合いの内には、暗殺者アサシンの様に短刀ナイフへ猛毒を塗り込んでいる場合もある。決して油断はならない。

 アーデライードが自然治癒ヒーリング系の魔法を唱えようとした、その時だ。


「あいたた……あらら?」

「イッ、イリス姫!?」


 何事もない様子で半身を起こしたイリスを見て、全員が一斉に驚きの声を揃えた。そんな一同の声を受け、イリスはふんわりとしたいつもの調子で不思議そうに質問をする。


「あの……今、いったい何があったのでしょう?」

「あ、あっ、ひ、姫っ! お、お怪我は?!」


 驚き過ぎてどもるエレオノーラの問い掛けに、イリスは身体のあちこちを触ってみて確かめる。


「ええと……大丈夫のようよ? お胸の辺りが少し痛むくらいで……」

「み、見せてください!」


 羽織っていたジャケットの前を開いて、たわわな胸元を一同に見せたが、イリスのドレスには傷一つ見当たらなかった。姫の言う胸の痛みは、恐らく打撲によるものであろう。

 その言葉と様子を見聞きして、瑛斗はようやく安堵の息を洩らす。


「良かった……君がそのジャケットを着ていてくれて」

「あっ、エイト! さてはアンタなんか知ってるわね!?」


 凄い剣幕で迫るハイエルフに、瑛斗は苦笑しつつ説明をした。

 ドレスの上に着こんでいた瑛斗のジャケット――あの『運命の森』でイリスと出会った時に貸したままになっていたそれは、ポリアミド系樹脂の繊維で編まれた防刃ジャケットだ。

 登録商標名では『ケブラー』として有名な高強度の繊維は、同じ重量の鋼鉄と比べ五倍の強度を誇る。飛行機や自動車部品の他、防弾チョッキや防刃ベストにも使用される。

 このジャケットは瑛斗が異世界での冒険を想定して、中三の冬にサバイバルナイフと共に父に頼み込んでお年玉で購入したものだ。ブランド物にまるで興味がない瑛斗が買った服で、最も高価だっただけのことはある。値段相応の価値と効果はあったのだ。


「これを身に着けていたから、多少は安心してたよ」

「はい、こちらは勇者様がお授けくださったものですから」


 イリスと瑛斗は互いに微笑みあいながら、呑気に会話を交わす。

 しかしその効果に最も驚いていたのは、何と言っても周囲の騎士たちである。


「まさか、まさか……!」

「なんだこれは、魔法の布か?! エイト!」

「この布の上着に傷一つないとは……まさに奇跡!」

「我が姫が、奇跡の……ああ……!」


 叫ぶアードナーらに続いて驚愕するエレオノーラなどは、疲労と心労が過ぎて気絶してしまった。エアハルトが慌ててエレオノーラを抱え、天蓋付きのベッドへ戻す。

 騎士たちを心より驚かせたこの出来事は、後の世に伝わる『エキドナの奇跡』がひとつとなる事を、この時はまだ誰も知る由もない。


「すまない……俺がイリスを護ると言っていたのに」

「ふふ、いいえ。勇者様は約束通り、私を御護りくださいました」


 そう首を振ったイリスは、瑛斗のジャケットを愛おしそうに細い指でなぞると、


「勇者様を肌身に感じていれば、私に怖いものなど何もなかったのです」


 そう言って、心の底から満面の笑みで微笑んだ。

 いつも儚げに微笑むばかりであったイリスの、心よりの笑顔であった。


 そんな笑顔を此処に居る誰よりも待ち望んでいたのは、従者騎士であるエレオノーラであろう。だが目を回して倒れ込んだ彼女は、今や夢の中であった。

 とはいえイリスの傍にずっと仕えるエレオノーラのこと。その笑顔をこれからはきっと、もっと数多く目にできる筈だ。

 そんなイリスの表情かおを見て、つい瑛斗の相好も緩む。

 此度の出来事を総括して思うに、まさに『運命の森』の悪戯なのではないか。

 沐浴する純粋無垢なるイリスの願いを聞き届けた『運命の森』が、気紛れに回した運命の歯車は、その運命さだめに従って瑛斗とイリスに味方をしたのではないか――瑛斗にはそう思えて仕方がなかった。


「エイト」


 相好を崩しかけた瑛斗を、一瞬にして凍らせる声が背後から響いた。

 言わずもがな、絶世の美貌を持つハイエルフ、笑顔のアーデライードである。


「後でじっくりと、とっくりと、どういうことか聞かせて貰うわよ?」

「ええ、あ、ああ、うん……」


 ああ……アーデライードの声は、怒ってはいないが笑ってもいなかった。

 瑛斗はイリスの全裸を目撃してしまった後ろめたさから、アーデライードには説明を一切していない。あまつさえ、ささやかだが嘘までついているのだ。

 さてどう説明すべきか。この後の事を考えるに、瑛斗は気が重くなるのであった。


 そんな瑛斗の傍で、口をへの字に曲げた小さな影がひとつ――レイシャである。不機嫌そうであったが、瑛斗とイリスの関係を疑ってのことではなさそうだ。

 横目で様子を窺っていたアーデライードが、気紛れにレイシャへ声を掛けてみた。


「で、なんでアンタまでぶーたれているのよ?」

「まほう……」


 ははぁ……さてはレイシャは、瑛斗とロヴネルとの戦闘の際、咄嗟の判断と魔法の詠唱でアーデライードに出遅れたことを気にしているようだ。

 ご機嫌斜めなハイエルフは、ちびすけのだーえるに大人げなく突っかかった。


「ふんだ、これが経験の差ってものよ」

「まけない」

「そう簡単に追い付かれちゃ堪るもんですか!」

「まけない」

「無理よ。一生追いつけない」

「まけない」


 そう三度繰り返したレイシャは、とととっと瑛斗の背後へ走り寄って腰に抱き付いた。


「ああ、レイシャ。どうしたの?」

「レイシャ……まけない」

「うん、そうだね。お疲れ様。今回もありがとう」


 いつもの様に礼を述べた瑛斗は、レイシャの頭を優しく撫でた。

 そんなレイシャを見る度に、どう足掻いてもキリキリと歯噛みするしかないアーデライードである。どうやらこちらの勝負では、今のところレイシャに分がある……のかも知れない。

 しかしそれよりも、レイシャの頭を撫でながら遠く窓の外を見つめる瑛斗の方が、アーデライードは数倍気にかかった。そんな彼の傍へ歩み寄ったハイエルフは、瑛斗に気付かれぬようダークエルフの長い耳を摘んでグイグイ引っ張りつつ話し掛けた。


「どしたのよ、エイト?」

「いや……ランドルフは、俺を待っていたような気がしてさ」


 瑛斗が寝室のドアを打ち破って中へ侵入した際、ランドルフは大上段から大両手剣グレードソードを振りかぶっていた。そんなことをせずとも、彼のずば抜けた剣技を以てすれば、エレオノーラにとどめを刺すことは容易かったはずである。

 エレオノーラを徹底的に痛めつけたその手段は、決して騎士として赦される行為ではない。だがそれでも「刺せるとどめを刺さなかった」と瑛斗の目には映る。

 いつか再び、彼と対戦する機会があれば聞いてみたい。


「堕獄――堕ちた騎士とは本当なのか?」


 直接答えを聞くことは適わなかったが、いつの日かまた問い質す。

 そう心に決めた瑛斗であった。


 瑛斗が目をやっていた窓の外に、少しだけ懐かしい巨大な姿が目に飛び込んできた。それを見て瑛斗らは、三階テラスへと走り出た。


「うわぁっ?!」

「ワッ、飛龍ワイバーンだっ!?」


 邸内より追い出され、エキドナの庭に残存する敵騎士らが悲鳴に似た声を上げた。

 蜘蛛の子を散らして逃げ惑う彼らが庭のど真ん中。暴風を撒き散らしながらエキドナの庭に舞い降りるは、巨大な二頭の飛龍ワイバーン。それぞれの背には、短小だが屈強な骨格を持つ戦士の姿。云わずと知れたドワーフの戦士らが跨っていた。


「どうじゃ、エイトォ! 勝ったか!」

「はい、勝ちました!」

「おおぅ、そうじゃ! それでこそ『あ奴』の孫じゃわい! ウワッハハハ!」


 そう豪快に笑うのは、『闘将』の二つ名を持つ六英雄・ドルガン。そしてもう一人は、戦士長『丸太のボルバル』だ。そんなドルガンの顔を見たアーデライードが、逆巻く風に負けぬよう甲高い声を上げた。


「あーっ! アンタ今まで何やってたのよ!」

「おおう、スマンなアデル! いやぁ『運命の森』の外れでな、三十頭ほどの怪物モンスターが居ったんで、ぜぇんぶ平らげとったら遅くなってしまったわい!」


 これで猛獣使いビーストテイマーのロヴネルが用意した、切り札である怪物モンスター軍団が、この場に現れなかった謎が解けた。この屈強な二人のドワーフと、二頭の飛龍ワイバーンらに、すっかり討ち滅ぼされてしまったのだ。

 また、王女暗殺を目論見んだ猛獣使いビーストテイマーが、『運命の森』に放っていたであろう中級以上の怪物モンスターどもが相次いで狩られていたのは、きっとこの二人の仕事なのだろう。


「おう、それに土産もあるぞ!」


 よくよく飛龍の前足を見るに、ぐったりとした小太りの男が掴まれている。飛龍がつまらぬ物でも投げ捨てるかのように、その男をぽいと手放すと、


「ふぎぃ!」


 結構な高さから放り投げられてしまった小太りの男が、屠殺される寸前の憐れな豚が哭くような声を上げて地面に転がって気絶した。

 その男こそは、戦場より逃げ出した此度の首謀者・クレーマン子爵である。


「何やら穴から這い出てきた芋虫が居ったんでなぁ、捕まえておいたわい!」

「あっはは! 相変わらずいい仕事するわねぇ!」

「当たり前じゃわい、仕事に手抜きをしないのがドワーフ族の誇りよ!」


 アーデライードとドルガンは、互いに軽口を叩いて豪快に笑い合う。

 こうして巨大な二頭の飛龍を前にして、敵兵らに残っていた僅かな気力は折れ、士気は完全に失われた。敵兵らは『銀の皿・月の雫』連合騎士団の追撃を散々受けつつ、崩壊するようにして命辛々エキドナ別邸より逃げ出していった。


 寡兵を以てして絶対的不利な状況を跳ね返し、完全勝利を成し遂げたのである。


 そうしてエキドナの庭には、戦いを終えた忠義の騎士たちが徐々に集まり始めていた。庭に出でて巨大な飛龍を茫然と見上げるは、以下の騎士たちである。


 ドラッセル含む『銀の皿騎士団』十二名。

 ソフィア含む『月の雫騎士団』二十五名。

 そして正面入口からエキドナの庭へ出た、アードナーとエアハルト。


「ああ、あとその子たちも頑張ってたから、仲間に入れておやんなさいな!」


 そう告げるアーデライードが指差す先に立っていたのは、エキドナ護衛騎士団の内、三班三名全九名の若き騎士たちであった。

 クレーマン子爵の息が掛からぬ彼らは、別邸より最も遠い西門に配置されていた。

 邸内が大混乱し命令系統が寸断されて状況が把握できぬ中、イリス姫を警護するという使命のみに従って、別邸西側入口を死守し続けた忠義の士らである。彼らの働きにより、ドラッセル隊は右翼から挟撃を受けずに済んだといって過言ではない。

 この全四十八名の騎士たちの働きにより、後に『エキドナ内乱』と名付けられた小反乱は鎮圧され、公国側の勝利として世に謳われることになった。


 エキドナの庭に集いし若き騎士たちは、初めて目にする突然飛来した巨大な飛龍の姿に騒めきは収まらず。ここに集いし騎士の誰もが、屋敷の正面立ちてイリス姫の言葉を待っている。

 瑛斗は寝室へ戻りイリスの元へ駆け寄ると、手を取って見目麗しき姫に告げた。


「さぁイリス……皆が待っている。ここからは君の戦いだ」

わたくしの……?」

「ああそうだ。イリスと、たちの、さ」


 瑛斗はそう例えて、イリスの手を引きながら三階テラスへと導いた。


「おう、エイト。だったらこの子らを使いがいい。絵になるぞい」


 テラスに降り立ったドルガンが、そこで顔を覗かせる飛龍ワイバーンの頭を指差した。

 どうやらこの飛龍の頭の上へ、イリスを乗せろと言っているらしい。


「行けるかい、イリス?」

「はい、行きます」


 瑛斗の言葉に従って、イリスは一も二もなく返事を返した。そんなイリスをエスコートして飛龍の頭へと乗せた瑛斗は、繋いでいた手をそっと放す。


「それじゃドルガンさん。あとを頼みます」

「おう、任せとけぃ!」

「勇者様……?」

「姫さんや、角をしっかりと掴んでその場から動かなきゃ大丈夫じゃわい!」


 ドルガンはそう言い残し、飛龍ワイバーンの背へと飛び乗った。

 イリスは言われた通り飛龍の角を掴むと、飛龍の頭上へひとり立ち瑛斗へ訊ねた。


「勇者様は、私の傍へ来て下さらないのですか?」

「俺は何もしてないからさ……頑張ったのは騎士たちなんだ」


 瑛斗はそう答えて、にやりと微笑んだ。


「だが、俺は騎士じゃない……君なら分かるだろ?」

「はい、勇者様!」


 イリスは、満面の笑みを瑛斗に預けた。

 言葉で伝えずとも、頭の回転が早い彼女は瞬時に理解したのだ。


「私は王女で、貴方は勇者――その関係は主従ではない」


 姫をエスコートするは、従者である騎士の役割だ。

 勇者はただひたすらに悪を討ち、平和へと続く道を斬り拓くに過ぎない。


「だからここから先は、私の戦いなのですね」

「そうだ」


 今、騎士たちが待つは、主である王女の言葉。

 彼らへ伝える言葉こそ、イリスが騎士らの心へと打ち立てし一本のつるぎ

 ここから先は、イリスの戦いなのである。


「頑張れよ、イリス」

「ええ、もう大丈夫……」


 瑛斗に背を向けたイリスは、しっかりと騎士たちの待つ前を向く。


「諦めなければ、道は拓く――勇者様のお言葉がありますから」


 イリスは――小さな拳を握りしめた。

 彼女が握り締めている拳は、剣を握っている真似である。もちろんイリスは一度たりとも剣を握り締めたことはない。目の見えぬイリスの、想像の中の剣である。

 だがその拳には、心には、人の目には映らぬ一本の剣が、しっかりと握られていた。



 こうして四十八人の騎士たちを前にして、イリスの戦いが始まった。

 アーデライードとレイシャはテラスの壁に寄りかかり、イリスの演説を聞くこととしたようである。内乱鎮圧直後の演説とあって、この珍しい出来事に天性の好奇心と知識欲が刺激され、二人のエルフをそうさせたのやも知れぬ。

 瑛斗はそんな二人からそっと外れてイリス姫の寝室まで戻ると、窓辺近くにあった椅子へ倒れ込むように、どっと腰掛けた。

 寝室の中の灯りは落とされ、今は月明かりのみが破られた窓から差し込む。

 船旅に馬車の旅に、様々な激闘に――と、明け暮れたゴールデンウィークの五日間。まだ成長途上にある高校生の身体では、流石に疲れを隠すことはできない。自分の身体に集中すると、筋肉から骨の髄まで悲鳴を上げて限界に近いのが分かる。

 天井を仰ぐようにしてじっと見詰めると、溜め込んだ肺の中の空気を吐き出した。

 こうして自らを振り返れば、随分と頑張って努力を重ねて鍛えているつもりでも、まだまだ未熟であると思い知らされる。強く、もっと強くならねば……

 そんな瑛斗の背後から、弱々しい少女の声が掛かった。


「エイト殿、少々宜しいか……」


 瑛斗を呼ぶこの声は、従者騎士エレオノーラ。

 天蓋付きのイリスのベッドで横たわっていた彼女が、ようやく目を覚ましたのだ。

 いまだ痣や傷は残るものの、アーデライードの精霊語魔法「自然治癒ヒーリング」を受けたお蔭か、顔の腫れは引いて元のエレオノーラの可愛らしさが戻りつつあった。


「すまない、起こしてしまったか」

「いや、そんなことはない。それよりも……ぐっ」


 痛む身体に鞭打つように、エレオノーラは半身を起こす。


「おい、まだ動かない方がいい」

「それでは駄目なのだ……」


 そう瑛斗を制してベッドよりその身を必死に起こすと、瑛斗の前に立った。騎士らしく背筋を伸ばそうとするも、無理をしているのは明白である。

 無理をするな、と声を掛けようとした瑛斗に、エレオノーラは首を振る。


「私は、貴方に剣を向けた」

「それが君の仕事さ。気にすることはない」

「私は貴方を信じきれなかった。様々な深慮遠謀に気付かなかった」

「そんなもの……」


 瑛斗としては、深慮遠謀などとと言えるものなど何もない。

 あの時、姫の両肩にジャケットを掛けたのは必然でも、姫を護れたのは偶然に導かれた結果でしかない。様々な戦いも、目の前の障壁を必死に超えてきただけに過ぎなかった。

 それでも――瑛斗が台風の目となって巻き起こした奇跡の数々は、彼の持つ超人的な力が働いているのではないか――エレオノーラの目にはそうとしか映らなかった。


「そして私は、我が姫を危険に晒してしまった……」


 月明かりに照らし出された彼女の良く整った顔立ちと、蒼を基調とした銀甲冑、凛とした立ち姿――どれもが傷ついていない場所が無い程にボロボロなれど、瑛斗は何故かそれを美しいと感じずにはいられなかった。


「私の、私の罪は……」

「罪なんて何も無いさ。よく頑張っていたよ」


 凛とした彼女の表情が、まるで幼子のように見る間に曇ってゆく。


「申し訳ございません!!」


 エレオノーラはそう叫ぶと、ガクリと膝から崩れ落ち、床に両手と両膝を突いた。


「お、おい……」

「我が主を……イリス姫を……」


 そうして、額を床へ擦り付けんばかりに頭を下げた。


「お救い下さいまして、ありがとうございました……ッ!!」


 エレオノーラの両目から、止め処なく涙がポロポロと零れ落ちる。

 いくら立ち上がろうと試みようが、極度の緊張と重圧から解き放たれた満身創痍の身体から力がすっかり抜け落ちて、最早顔を上げることすら叶わなくなっていた。

 彼女にとってイリスは、最も尊敬する我が主であり、敬愛する我が姫であり、そして何よりも大切な幼馴染である。そのイリスの命が目の前で失われるやも知れぬ絶望。その絶望の淵より救ってくれた恩人に、我が素直な気持ちを伝えずにはいられなかった。

 異世界には土下座の風習がない。だが瑛斗に対して背負い切れぬ感謝の意と自戒の念に苛まされて、これ以上どうして良いかエレオノーラには分からなかったのだ。

 しかし瑛斗とて、何時だって凛とした彼女が涙を流しながら跪いて土下座をするような姿など、僅かでも望んではいない。

 瑛斗はエレオノーラの傍にしゃがみ込み、ハンカチを貸そうとポケットを探るが、船旅を終えた昼食時、パニーニをパクついていたアーデライードの口を拭いてしまったことを思い出した。バジルソースの付いたハンカチを、彼女に貸すわけにはいかない。

 柄ではない、決して柄ではないと途惑った瑛斗だったが――意を決してエレオノーラの肩を抱き寄せると、自らの胸を貸した。

 エレオノーラは瑛斗の胸にしがみ付くと、慟哭を洩らし子供のように咽び泣いた。



 エキドナ内乱を鎮圧したその日の晩――

 勇猛に戦った騎士たちは、エキドナ別邸一階ロビーに全員が居残って、一夜を明かすことになった。各居室、別室全てが解放されていたが、騎士たちは雑魚寝をして過ごすことを選択したのだ。男女厭わず、四十八人全員がそこに揃っていた。

 何故ならば、全ての騎士たちはすっかり疲れ切っていて動けなかったから――いや、それにも増して、各員が勝利の余韻に浸っていたかったのだ。

 もちろんその中に、瑛斗の姿が混じっていたことは、言うまでもない。


「それで、どうだったんだ?」

「そらぁもう、言葉にならない感動さ!」


 それから一晩が明け、今はゴールデンウィークの旅、五日目の早朝。

 エキドナ別邸の食糧庫は全て開放され、メイドたちは朝食の準備に忙しく追われている。

 ロビーの階段へ腰かけて瑛斗の質問に興奮気味に答えるは、アードナーである。言葉にならないという割に、ぶっきらぼうなアードナーの口は軽い。


 あれから――イリスは立派に自分の戦いを果たしたようだ。


 その戦いとは、騎士たちに自らの不明を侘び、真実を明らかにすることである。彼女の演説は「勇士たちよ」から始まる声明として、世に伝わる事となった。

 以下がアードナーから聞き受けた、その日の演説の一部始終である。



 その日、エキドナの庭に集いしは、勇敢なる騎士四十八名。

 彼らの手により、陽の落ちたエキドナの庭に篝火が焚かれ明かりが灯された。

 煌々と明かりの燈った邸宅を背に、飛龍の頭上に立つは、王女イリス。

 蒼色基調のドレスに身を包み、顔には同系色のベールを纏う。

 それはイリス姫が人前へ現れる僅かな刻に、必ず身に纏う正装。

 伸びた背筋は凛として、気品溢るる見事な立ち姿である。


「勇士たちよ!」


 庭に響き渡る声は実に朗々と、穏やかにして高貴なる威厳を放つ。

 騎士たちの耳は、一瞬にしてその声に囚われた。


「エキドナの庭に集いし勇士たちよ! 此度の貴君らが勇猛にして果敢なる戦いは、このイリスの胸深く、心深くに突き刺さり、大いなる感謝の念に堪えません。そんな貴君らの誠心に、余も王女として応えずに能わず。今から余が伝えることを、貴君らは心してお聞きなさい!」


 そう言い放ったイリスは、ゆっくりとヴェールを外し、脱ぎ捨てた。

 露わになった見目麗しい美貌に、一堂に会した騎士たちから溜息が漏れた。だがそれも去ることながら、イリスの両目は塞がったまま一瞬たりとも開かれることはない。


「このイリス・エーデルシュタイン――生来、両の目が見えません」


 王家の最高機密とされていた、秘中の秘をイリスはいとも容易く明かした。

 一瞬にして騒ついた騎士たちを前にして、最早イリスは一歩も怯まない。


「忠義の士らを前にして、どうして我が身の真実を包み隠すことができましょう。暗闇に生き、不忠を蔓延らせ、世の悪政を正せぬ我が不明を、此処にお詫びいたします」


 そうしてイリスが耳をじっと凝らせば、不平不満の声が上がることはなく。ただ騎士たちは、ひたすらにイリスの次の言葉を待っていた。


「されど余の瞳は心の瞳。この身は闇の中に生きれども、心の瞳を闇へ閉ざす事は決して非ず」


 イリスはこの悪政蔓延る公国の闇に、瞳を背けることを拒絶し、戦うことを改めて宣言したのだ。社会情勢に対する不安に経済不況、閉塞感に満ちた世の中に不平不満を募らせつつあった若き騎士らは、この王女の宣言に胸の空く思いが去来した。


「勇士たちよ。光溢るる世界に生きる勇士たちよ。闇にまど彷徨さまよう勇士たちよ。なんじらは恐れることなかれ。汝らは光の中にあり。この世に明けぬ夜はなし。汝らの栄誉、功績、誠心、忠義――全ては、余の心の瞳でしかと見届けました」


 そう告げると、イリスは神へ宣誓するように片手を掲げる。


「勇士たちよ! 四十八人の勇士たちよ! 盲いた余に代わり九十六の瞳となりて、余を善くたすけ給え。なれば余は、天地神明に誓わん。勇士たちを勇気と慈愛で包み、この両腕は汝らを決して離さじ。そして必ずや、大地と、天空と、海原と、臣民を、王道楽土へと導かんことを――勇士たちよ! 未来永劫の光と、栄誉ある生を求める勇士たちよ! 余は汝らに誓わん。公国が臣民の期待にく応えることを……!」


 静まり返って聞き入る騎士たちを前にイリスは宣誓を終えると、降ろしたその手を自らの胸に当てた。


「勇士たちよ――願わくば、余をたすさきんじ給え」


 息を呑み、声を立てずに姫の演説を聞いていた若き騎士たちは、一斉に自らの剣を抜刀すると、胸の前に掲げて構える。


「おお、我が主よ! 我が命、我が主の為に捧げん!」


 四十八名全員が異を唱えることなく、イリス姫に対し誠心を捧げる誓いを立てたのである。そうして騎士らは手にした剣を天高く掲げ、幾度となく雄叫びを上げた。

 この『エキドナの庭』に於けるイリス姫の演説の聴衆は、たった四十八人の騎士と使用人たち――そして二人のエルフとドワーフたちである。

 だがこの演説をきっかけとして、後の公国の命運を大きく動かすことになった。



 ここまで一気に捲し上げて語ると、アードナーはようやく一息ついた。

 アードナーは普段ぶっきらぼうなクセに、こういう時に限って話すのが上手い。とことん英雄譚やら必殺技やら、カッコいいことが大好きなようである。


「だからな、我が姫は身の内でたったひとり戦って居られたのだ」

「うん」

「盲目の身にして可憐なお姿で戦って……オレはな、オレは感服した!」


 アードナーは興奮してそう言いつつ、自らの膝をパンパンと叩く。

 そんな彼の姿を見れば、瑛斗にもよく伝わった。

 イリスは王女として、人心を掌握するという戦いに勝利を収めたのだと。


「それで、そんな姫に対してアードナーは何て言ってたっけ?」

「猛省した! 心の底から猛省した!!」


 そう叫ぶと今度は頭を柱へゴンゴンと叩きつけた。今日に限って忙しい男である。

 ちょっと遠くを眺めると、大怪我で身動きの取れない巨漢な包帯男も、同様なことをやっているのが見えた。当然、ドラッセルである。莫迦なことをやっているせいで、親身になって介護していたソフィアに怒られている。バカコンビである。


「ま、即興の割になかなかの演説だったんじゃないかしら」


 そう言って割り込んできたのは、言わずもがなのハイエルフ・アーデライードだ。何処から貰ってきたのか、ブロックチーズの乗ったパンを齧っていた。

 ちなみに昨夜は、彼女ひとり屋敷で一番いい客室を借りて寝ていたらしい。


「演説はしっかりと速記できたし、この内乱を後世の歴史として残す準備はできたわ」


 なるほど、アーデライードが残って演説を聞いていたのはその所為か。彼女の学者としての一面を、久しぶりに垣間見ることができた。

 このハイエルフ、酒をかっ喰らってばかりいる飲んだくれでは、決してないのである。


「な、エルフさんよ」

「なによ?」

「今日は宴会でいいんだよな?」


 そうだった。アードナーたちは名誉挽回するまで禁酒していたのである。

 幾度となく危機を潜り抜け、倒した敵の数は最も多い。今回のアードナーの働きは、まさに獅子奮迅と言って過言ではなかろう。瑛斗はそう考えて――


「んっ、許可する!」


 何事かを口にする前に、ハイエルフが何の躊躇いもなく判断を下した。

 これはもしや、久々に自分が飲みたいだけではなかろうか……どうやら前言は撤回した方が良いかも知れない。そう思う瑛斗であった。



 この日より、王弟公国改革のともしびが燈ったと、後世の歴史は伝えている。

 また、エーデルシュタイン別邸『エキドナの庭』につどいし、イリスの盾となりて戦った四十八名の騎士たちを、民衆は『エキドナの騎士』として永久とわに讃えた。

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