第45話 エキドナ内乱最終決戦の旅(前篇)
エキドナ別邸は大広間一階、中央階段での大混戦は熾烈を極めていた。
その中央、陣頭指揮を執りつつ奮戦するは、巨漢の騎士・ドラッセルである。
「ここは一兵も通さんぞ! 我が姫に楯突く逆賊ども!!」
短く刈り込んだブラウン色の髪を逆立てて、鬼の形相で大喝する。
右手には
相対するは
十倍に値する敵を食い止め続けたドラッセルの疲労は、既に限界を超えていた。極限状態を過ぎてなおも立ち続けるは、最早精神力だけに等しかった。
若き騎士で構成された『銀の皿騎士団』二隊十二人の精鋭たちに、いずれも無傷の者はなし。仲間同士互いに連携を取り合いながら百を超える兵士たちを相手に回し、極力接地面を少なく減らして多対一の状況を作らぬように戦った。
知恵と死力を振り絞り、
「まだか、アードナー! そっちはどうなってやがる!!」
大声で怒鳴るドラッセルに、同じような大声でアードナーが応えた。
「くそっ、次から次へと……怪物が来やがった!」
「怪物だぁ?」
「……堕獄の騎士、ランドルフ!」
◆
エキドナ別邸は三階、イリス寝室。
堕獄の騎士と呼ばれる屈強な傭兵を前に、ひとりの少女騎士の姿があった。
イリスの従者騎士・エレオノーラ。彼女はこの時、弱冠十六歳。エキドナ別邸に集った勇猛な若き騎士たちの中でも、最も年端のいかぬ年齢といえる。
敵は巨躯を誇る歴戦の傭兵、長大な
全ての面に於いて、二人の間に広がる力の差は歴然としていた。
「イリス様は、我が命に代えても必ずや護り通す!」
「覚悟はいいな……では、いくぞ」
初撃一閃。エレオノーラはランドルフの豪の剣に軽々と吹き飛ばされた。易々と
それでもすぐさま体勢を立て直すと、何度でも立ち上がり食らいつく。人ひとり消し飛ばしそうな斬撃を受けようと、その度に左右に翻弄されようと……エレオノーラは歯を食いしばり幾度となく立ち向った。
ランドルフの豪剣から繰り出される一刀を受ける毎に、身体がバラバラになりそうな衝撃が走る。躱した筈の攻撃が、幾つもの打撃痕としてその身に刻まれてゆく。
「ああ、良い腕をしている。殺すには惜しい騎士だ」
「当然だ……私は騎士だ! イリス様を御護りする、従者騎士だ!!」
エレオノーラが己を鼓舞するように雄叫びを上げたその時、唐突に鬨の声が沸き上がった。それは一階正面に陣取っていたドラッセルに近い。方向は前面の敵からではなく、邸内の裏手。新たなる勢力による
邸内に響いた声の持ち主たちは随分と若々しく、特に主要な構成に女性が多いようだ。
「ドラッセル! しっかりなさい!!」
よく聞き知った仲間の声がドラッセルを叱咤した。
苦境のドラッセルを救うべく駆けつけたは援軍である。その先陣を切るは女騎士ソフィア。彼女らは屋敷裏手の通用口を抜け、大広間一階まで到達したのだ。
ソフィアが引き連れたこの一群は『月の雫騎士団』という。
普段はエキドナ北部を繋ぐ北方街道の護衛任務に就いている、二十四名の団員で構成された若く小さな騎士団だ。主に十七歳前後の若き騎士らを中心としているが、その年代はエレオノーラやソフィアらと同期の騎士学校卒業生だった。
そんな彼らへ早馬を飛ばしたソフィアは、真摯な態度で説得と交渉に当たり、彼らを見事説き伏せることに成功。心強い援軍として加勢に参上したのだ。
アーデライードが四体の上位精霊を駆使して裏口を確保したのはこの為である。
「同期の仲間が、応じてくれたよ! みんな!」
ソフィアは先陣を駆けつつ、ドラッセルらを鼓舞するために叫ぶ。
「おい、薙刀持って来い、薙刀!」
「よしっ、薙刀隊、前へ!」
そうしてソフィアと『月の雫騎士団』ら最前列は、薙刀を構えるとエゴン・クレーマンが指揮するエキドナ護衛騎士団の右翼へ向け横撃を開始した。
突然現れた元気の良い騎士団の出現に、敵右翼側の隊列は崩されてゆく。
「おおッ! オレたちも負けていられるか!!」
「行くぞ、野郎ども! 銀盾、構え!!」
ドラッセルが指示を下すと
誰しもが最後の死力を振り絞って、全軍突撃の
「ウオオオッ、
「総員、歯ァ食いしばれ! 『
騎士の
血と汗にまみれたドラッセルは、左右の敵を自慢の膂力に任せて蹴散らすと、挑戦的な瞳を光らせて敵将へと迫る。
「さぁ、決着を付けようぜ……エゴン・クレーマン!」
「貴様ァ……『様』を付けないかッ! この下級騎士がァァッ!!」
気力を振り絞る『銀の皿騎士団』全員の絶叫に呼応するように、『月の雫騎士団』の面々も一斉に鬨の声を上げた。そうして皆が一様に上階のエレオノーラへ向けて叫ぶ。
「エレオノーラ、聞こえるか!」
「あなたは私たちの誇りよ!」
「俺だって敵わなかった、そんなお前が負けるはずがねぇ!」
「私たちの同期主席でしょう! 負けるな、頑張れ!」
「頑張って、エレオノーラァッ!!」
誰しもが声を揃えるは、エレオノーラへの声援であった。
如何なる時代に於いても同期の結束は何よりも厚い。いつでも仲間の為に命を投げ出すことの出来る鋼の意志を持つ。だがそれにも増してエレオノーラが騎士学校で積み上げてきた功績と人徳が、仲間たちの心を突き動かしていた。
そんな仲間たちの声が、叫びが、エレオノーラの耳に届いた。
絶対的な強者であるランドルフを前にして、勇気と気力を再び奮い立たせる。
「何としても、親愛なる我が姫を護り通す……!」
エレオノーラの胸に、再び熱き魂が宿った瞬間であった。
◆
ちょうどその頃、アードナーとエアハルトは三階ロビーに於いて、六人の傭兵たちを相手に回し、苦戦を強いられていた。
またしても数的な絶対不利の中で、連戦による疲れはどうしても否めない。しかしこんなところで挫けるわけには、絶対にいかない。公国の騎士としての意地が二人の魂を燃やし、気力で身体を動かし続けていた。
だがそれも限界に近い。にも拘らず、突破口は見えてこない。
イリス姫の御身とエレオノーラの安否を心配し、気ばかりが焦る――その時である。
「ぎゃああぁっ!!」
傭兵たちの背後で突然湧き起った絶叫――その光景に二人の騎士は我が目を疑った。何故ならば、最も遠い位置にいた後衛の傭兵が、まるで木っ端の如く吹っ飛んだからだ。例えるならば、暴れ牛に撥ね上げられた程度の威力はありそうだった。
壁に叩きつけられて悶絶する仲間を見て警戒した傭兵たちは、波が引くように二手に分かれて間合いを取る。するとアードナーらの目の前に、一本の道が開けた。
「よう、アードナー、エアハルト……待たせたな」
開けたそこに立っていたのは、小柄な身体に巨大な
「エイト!!」
二人の騎士は、声を併せて少年の名を呼んだ。
瑛斗はひとり、二階階段踊り場から三階に於いて、計四人の敵を相手に戦っていた。
往く手を阻んだ二人の
「遅かったじゃねぇか、この野郎!!」
仏頂面のアードナーが、珍しく喜色満面で明るい声を上げた。
常に冷静沈着で生真面目なエアハルトまでも、戦いを忘れて感心の声を洩らす。
「たった一人でよくここまで抜けてこられたな」
「いや……まだ未熟だったよ。ドラッセルと、それにアデリィにも助けられた」
二階踊り場で敵に前後を挟まれる形となった時、不意を突いて斬りかかってきた背後の敵騎士の目元に、突如出現した光の精霊「ウィル・オー・ウィスプ」がぶつけられたのを、瑛斗は見逃していなかった。
きっとそれだけではなく、瑛斗の身体には幾つかの精霊による加護が付与されていることだろう。まだまだ実践経験の浅い瑛斗に対し、アーデライードは過保護に手を掛けているに違いない。そんな手間が要らぬ程、もっと強くなりたいと瑛斗は心に刻む。
それでも乱戦の只中をほぼ無傷で突破できたのは、ランドルフと剣を合わせていた対人戦の経験が相応に生きていた。
「お、おい、エイト?」
口をへの字に結んだままの瑛斗は、呆気に取られたままの傭兵たちを気にも留めず、ど真ん中を歩き抜けながら、額から滲んだ血を手の甲でぐいっと拭い去る。
「待てエイト、この先にランドルフが……」
「道は自分で斬り
背丈ほどある重厚な片手半剣を構えたかと思うと、最速最短の動きで豪剣を振り抜き、ドア前へと廻り込もうとした傭兵たちを牽制する。
「我が剣の錆となりたくなくば、道を開けろ!!」
瑛斗は凛として声で怒鳴りつけ、傭兵たちを『一喝』で制圧した。
巧みに
傭兵たちは先程、木の葉の様に吹き飛ばされた仲間をその目で見ている。背後から隙を突かれたとはいえ、この豪剣に当てられてはひとたまりもあるまい。彼らが警戒心を持って瑛斗に当たるのは、当然のことといえるだろう。
そうして先程と同様、ウォールナット製のドアの前へ立つと、気合の声と共にノブ付近を拳でブチ抜いた。ちょっと
「おいおいエイト……!! オマエは
そう言って驚くアードナーを尻目に、鍵を壊して強引に扉をこじ開けた。
「こいつらは任せたよアードナー……ああ、そうだ」
ふと気づいたように、瑛斗は相好を崩しニヤリと笑う。
あの時、船上で意地悪く彼に告げた言葉を思い出したのだ。
「アードナーは、俺の後ろから着いてくるがいいよ」
「うっせぇ、エイトのクソ野郎! とっとと行っちまえ!」
アードナーは憎まれ口を叩きながらも、ニヤリと口角を上げた。
ドアの向こうへ走り去る瑛斗の小柄な背中を見送ると、晴らさねばならぬ屈辱を思い出す。そうだった――コイツの前で諦め顔なんざ、もう絶対に見せられねぇ。
アードナーの闘志が、炎の様に燃え盛った。
「見せてやるぜ……オレのとっておきを喰らうがいいさ!」
そう叫ぶと、全身から青白い闘気が立ち上る。
これは騎士の
但しこの
「すまねぇが、後は頼むぜ……エアハルト」
「……尻拭いはお手のものさ」
苦笑いするエアハルトを横目にすると、アードナーはもう振り返らなかった。
青白い闘気を身に纏い、アードナーは雄叫びと共に傭兵たちの間へと飛び込んだ。
◆
アードナーのいる
バギィンッ!
それは激しい剣戟音と共に
そのすぐ傍には従者騎士エレオノーラ――その姿は見るも無残なものであった。
ボロボロになった彼女の青を基調とした
そんな彼女を前にして、堕獄の騎士ランドルフは冷徹な表情を崩すことなかった。
その切っ先の軌道上へ、瑛斗は恐れを知らぬリスの如き素早さで猛然と走り込んだ。
ガキィィィイィィーン――……ッ!!
鳴り響く轟音は、鋼と鋼。
出会った『あの森』に、響き渡ったと同じ無機質な金属音だった。
…………
両膝を突き、俯いたままのエレオノーラは、死を覚悟していた。
眼前はまるで、深くて白い霧がかかるかのように
ボロボロに傷ついた身体は、一滴も力を余すことなく使い果たした。
最早、指一本動かすことも、叶わない。
ぽたり……ぽたり……
血の混じった汗と共に、絨毯の上には彼女の涙が落ちた。
護れなかった――イリス姫との約束を、果たせなかった。
そう後悔しながら死んでゆくのだと、覚悟していた。
無念が、悔しさが、エレオノーラの胸の内を満たす。
だが失われたはずの命が、まだ
どこか幻想の世界へと迷い込んだような、不思議な気持ちであった。
薄れゆく視界の中に、ぼんやりと見えた者。
そこには、イリス姫が『勇者様』と呼ぶ少年の背中があった。
エレオノーラは朦朧とする意識の中で。薄れゆく記憶の中で。
その少年の名を、こう呟いた。
「ゆ……ゆう、しゃ、さま……?」
「よく頑張ったな、エレオノーラ……イリスは、俺が必ず護ってやる」
その言葉を耳にしたエレオノーラは、どこか安心したような表情を浮かべ、ゆっくりと崩れ落ち、力なく目を閉じて、気を……失った。
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