第14話 黒革の手帳と未来への旅

 異世界から帰る度、俺には土産話を聞かせてる人がいる。

 それは、俺の婆ちゃんだ。


 俺の異世界行きを認めてくれた、なによりの理解者。

 爺ちゃんの冒険も、ずっと見守ってきた人だ。


 俺は異世界で経験した様々な冒険を婆ちゃんに話す。


 初めての仲間、ハイエルフ・アーデライードのこと。

 半年間、彼女からじっくりと受けた稽古のこと。

 春休み中の冒険。古都エーデル街道でのゴブリン退治。

 そこで出会った赤い髪の少女戦士・チルダのこと。

 チルダと行った、初めてのオーク退治と依頼達成クエストクリア

 奴隷商人との戦いと、囚われの人々の解放。

 それをきっかけに、共に旅することになったダークエルフの幼女。


 そうだ……これはレイシャの話になった時のことだ。


 何も言わずうんうんと頷いて聞いていた婆ちゃんが、


「えーちゃん、いい子と出会ったのねぇ」


 そう言って、ふいに立ち上がった。


 それから嫁入り道具の桐箪笥を開いて、菓子箱を取り出した。


「これをその子に渡してあげて」


 菓子箱の蓋を開けると入っていたのが、この「黒革の手帳」だった。


「これはね。瑛吉さんの遺品のひとつ。えーちゃんにあげると決めてたの」


 そう手渡されたものだった。

 俺は「そんな大事なものを受け取ることはできない」と断った。

 だが婆ちゃんは「もう決めたことだから」と譲らない。

 そうして俺の手の上に、黒革の手帳をそっと乗せた。


「これはね、神様になれるし悪魔にもなれる、魔法の本なのよ」

「魔法の本? 中を開いて見てもいい?」


 婆ちゃんが頷いたのを見届けて、表紙を捲る。

 俺も幾度か目にしたことがある、古代魔法語ハイエンシェント

 婆ちゃんの言葉は、異世界でいう魔道書という意味なのだろうか。

 そして婆ちゃんは、続けてこう言ったのだ。


「こういう書物はね、人を選んで見るものよ」

「人を選ぶ……?」

「そう。でもね、えーちゃん」


 少し手を伸ばして、近くで寝ていた飼っている黒猫をそっと撫でる。


「あなたの信頼する人に渡したのなら、きっと役に立つ」


 婆ちゃんによく懐いている黒猫は、ゴロゴロと喉を鳴らせた。

 慈しむ瞳で見ていた婆ちゃんは、俺にも優しい瞳を向けた。


「そしてえーちゃん、あなたの助けにもなるはずよ」


 俺は、何も答えず黒革の手帳をじっと見つめて。

 暫し逡巡していた俺に、婆ちゃんは問いかける。


「私の言ったことは、ちゃんと覚えている?」

「思ったことを思った通りに、真っ直ぐにやりなさい……だよね」


 それを聞いた婆ちゃんは、優しい笑顔でうんうんと頷いた。



「また私を悪者にしたわね?」


 三人で食事を終えた後――暫く自室に戻ってレイシャを寝かしつけた瑛斗は、指定の時刻に二階のバーカウンターへ足を運ぶと、膨れっ面のアーデライードに迎えられた。


「それはごめん。でもレイシャにもちゃんと聞かせたかったんだ」

「何をよ?」

「俺たちの迷いと、どう思っていたかを……さ」


 瑛斗はカウンター上に落ちてたピスタチオの殻を摘むと、じっと見つめてから殻入れの皿へ放り込む。そうしてから「結果は悪手だったかも知れないけれど」と頭を掻いた。

 自重を込めた反省の弁を受けても、ツンと顔を背けたままのアーデライードは、


「悪手とは思わないけれど、もっと私を信頼して欲しいわ」


 と瑛斗に言わない。自分にも感情に走り過ぎた嫌いがあったからだ。それは反省すべき落ち度である。異世界の先達として、もっと瑛斗の話を聞いてから意見すべきだった。

 瑛斗は物事を決める時に、熟考してから発言する慎重居士な面がある。だから今回の件も自分の中で十分に検討してから口を開いたに決まっているのだ。

 この辺りはゴトーによく似ていて、アーデライードとしてはやや悩ましい。

 瑛斗の性格は良く分かっているつもりでも、先走りして自分の意見を押し通そうとする自我の強さからか、つい結論を急いでしまう。


「これでも我慢できるようになった方なのよ、ゴトー……」


 ウヰスキーグラスを傾けながら、瑛斗に聞こえぬ声で呟く。


「あれ、まだ飲むんだ?」

「あっちは夕食。これは……夜食よ」


 普通に食前酒・食中酒・食後酒とか寝酒とでも言えばいいのに。そう言わない辺りは呑兵衛の矜持というか気概というか。いずれにせよ余計な嗜好である。


「レイシャはね、アデリィ……」


 気を取り直して、瑛斗が本題を切り出した。

 無表情で何の感情も表さない様なレイシャ。だが核心の部分で彼女は、物事の観察眼が鋭く、非常に繊細な感性の持ち主であると瑛斗は考えている。


「なんでそう思うのよ?」

「とてもよく見ているし、よく察してくれるからさ」


 例えば今日だって、稽古が終わってちょうど喉が渇いたと思った時に、飲み物を用意してくれた。汗で濡れたシャツを着替えたいと思った時に、洗い立てのシャツを持ってきてくれた。他にも瑛斗は、そういう場面に出会うことが非常に多い。

 気遣いは相手をよく見て思いを汲み取らないと、なかなかできないことだ。


「あ、そう。私にはしてくれたことのない行動の数々ね」

「うーん。それは何故だろうね?」


 瑛斗はそう言って首を捻るが、答えは簡単。何故ならばレイシャは、瑛斗のことを慕っているからだ。翻ってレイシャはアーデライードに全く興味がない。だから何もしない。

 そのことについてアーデライードはすっかり気付いているが、わざわざ瑛斗に伝える必要もないので黙っている。なんとなく悔しいし。


「前にアデリィが言ってたよね、魔術に必要なのは観察眼と感性だって」

「そうね」


 魔術とは、ただ単に呪文を唱えれば使えるという単純なものではない。

 繊細かつ緻密に各言語を読み解く観察眼と、全ての魔法の源である魔力オド精気マナを読み取る感性。このどちらが欠けても魔術は成り立たない。


「あれほどの魔術を扱えるレイシャに、それが欠けているはずはないんだ」

「魔術の素質はそればかりではないけれど、同意できる点はあるわ」


 レイシャの感性――特に心の機微に関しては、アーデライードとて幾つか目にしている。

 髪を整えてお洒落になった時がそうだし、ぬいぐるみを抱いていた時もそうだ。表情に現さないだけで、レイシャの感性は子供のそれと大きく変わらない。

 垣間見える様々な行動に加えて、瑛斗には他にもう一つ心当たりがあった。

 それは森の中で聞いた、あのレイシャの歌声――旧大陸語かエルフ語か。言語が分からぬ瑛斗には歌詞の意味が分からなかったが、それでもグッと心に迫る何かがあった。

 歌声の美しさも去ることながら、彼女は感情の機微を切々と歌い上げていた。意味を理解できぬ瑛斗にも、悲哀や内に秘める情熱を感じずにはいられない。

 歌については、ついアーデライードに明かしていないが、いずれ披露することもあるのではないだろうか。などと瑛斗はのんびりと考えている。


「その感性が、ロウと出るかカオスと出るか。俺たち次第だと思ってる」

「レイシャはもう、独りじゃない……か」


 アーデライードは、自らを懐かしく回想しながら呟いた。

 冒険の世界へ――初めての第一歩を踏み出した時のことを、アーデライードはいつだって思い出せる。きっと瑛斗も同じはずだ。期待と不安が入り混じった、あの気持ち。

 瑛斗にはアーデライードがいるように、アーデライードにはゴトーがいた。ならばレイシャにも。導きとなり助けとなる仲間の存在がいかに大きいか。


「そうした状況を作ってあげて、あとはレイシャの意志に任せてみたい」

「レイシャの意志?」


 じっと黙して、耐えてばかりいるレイシャだが、最近は少しずつ自分の意志を見せ始めている。ごく稀に垣間見せる感情の起伏。好き嫌い。瑛斗以外に見せることはまだないが、数少ない日常生活の中から段々分かるようになってきた、と思う。

 夕食に何を食べたいかだって、問えば答えるようになってきた。


「三人で過ごしてて思い出もできた。さっきの『鯉の味』だってそうだろ」


 アーデライードは瑛斗から発せられた『こいのあじ』という台詞にびくっと身を震わせた。いや、分かっているつもり。分かっているつもりでも、身体は素直に反応してしまう。思春期の心の動きってそういうものなのね、などとこっそり独り言ちる。


「才能を伸ばしてあげたい他に、彼女の意志を尊重したいんだ」

「それが魔法杖ワンドと、例の魔術書を渡す結論に至った理由わけ?」

「可能性を取り上げたくないんだ」


 レイシャの中に広がっている無限の可能性。そのひとつは、膨大な魔力オドを自在に操る優秀な魔術師となる未来だ。だがそれを彼女の意志によって決定させるべき、と瑛斗は考えている。


「それが害悪や危険に変わるという可能性は?」

「冒険者は己の判断が状況を左右する、でしょ?」


 瑛斗は冒険者の判断として、レイシャの未来ある可能性を選択したということか。自分の台詞をそのまま使われると、アーデライードとしては反論のしようがない。


「もちろん、この二つの扱いは、レイシャに一任するつもり」


 もしレイシャが魔術を使いたくないと言うならば、無理強いさせるつもりはない。

 魔法杖ワンドと黒革の手帳を渡すのは、あくまでも可能性を取り上げないというだけのことだ。


「だって、これから一緒に旅をする仲間として仲間外れは嫌だろ?」

「それはそうね。私だったらそう思うわ」

「まずはレイシャに対して、様々な制約を除かないとダメだって感じたんだ」


 レイシャから魔術を取り上げないこと。仲間として接すること。

 そして一番大事なことは――


「レイシャを信頼すること」

「危険じゃないか、という疑心に対して?」


 瑛斗が静かに頷くと、ときを察したようにグラスの氷が音を立てた。


「どうすればいいかと考えた時にさ。俺らが環境を整えて、レイシャが「へーき」と言える世界を作ればいいんだ、と気付いたんだ」


 必要なことは、ずっと隣にいて支えてあげること。間違えそうになった時にそっと手助けをしてあげること。それだけでよいのではないだろうか。

 そこまで話したところで、アーデライードは得心の行った表情を見せた。それでも一言くらいは苦情を申し上げないと気は済まない。


「あなた……なんというか、老成し過ぎててちょっと怖いわ」

「いやぁ、俺よりも五倍は年上のアデリィに言われると、謙遜しちゃうな」


 瑛斗は素のままでそう言った。多分、悪気のない本心である。

 多少はその覚悟があるアーデライードでも、今の台詞は想像以上に傷が深い。無様に血を吐いて倒れそうな気分だった。

 蒼褪めたハイエルフの表情を、皿を磨きながらカウンター越しで見ていたアレックスが、遂に耐え切れず噴出して茶々を入れる。


「ふっは! エイト君はもう父親の貫録か……足して二で割れよ、アデル」

五月蠅うるさい! お黙りなさい! アナタも見習いなさい!」


 アーデライードが喝を入れるとアレックスは顔を引っ込めた。触らぬお転婆我儘ハイエルフに祟り無し、である。


「未来なんて誰にも分からないわ。その中で最善を尽くしなさいな」


 このままでは格好つかないアーデライードは、多少強引でも瑛斗の信じた道を全面的に奨励して、まずは収まりを付けることとしたようだ。


「そうだね。思ったことを思った通りに、真っ直ぐにやるだけさ」


 瑛斗は婆ちゃんの受け売りを、自分の決意としてそのまま伝えた。


「で?」


 一応の決着を見たところで、アーデライード得意の枕詞が飛び出した。

 だが心当たりのある瑛斗は、きちんと先回りする。


「これのことだろう、アデリィ」


 そう応じて瑛斗は、ショルダーバッグの中から『黒革の手帳』を取り出した。


「アデリィの感想を、もう少し詳細に聞かせて欲しい」


 アーデライードは「さっきも言ったけれどね」と前置きをしながら、


「序盤は入門書でも、最後の方は私でも理解できないほど難しい魔術書。でもじっくりと読み解いて身に付ければ、きっと解読できるよう設計された教導書、よ」


 と答えて、ウヰスキーグラスに口を付けると、更に詳細を饒舌に語りだした。


「序盤から一糸の乱れなく、初等魔術の祖を紐解いて分かり易く解説してある。そして驚くべきは、後半に進むにつれ高度で難解な術式になる癖に、読み易さに一切の変化と無駄がない。これは超高高度な魔術知識を持ちながら、文章力に優れた魔術師が書いたものだわ!」


 アーデライード曰く、高度な魔術書ほど読みにくく、無駄に難解な文章になりやすいのだという。


「とかく学者の論文なんていうものは読みにくい物なのよ。豊富な知識を持つ優秀な学者が、小説家のように文章表現が上手とは限らないのと同じよね」


 と、学術書を読み漁っているであろう、学者ならではの余計な愚痴を披露する。


「というか、アデリィも学者じゃない」

「……だから身に染みて分かっているって言ってるの!」


 どうやらアーデライードの言い分は、実体験からくるものであるようだ。

 後に分かったことだが、なんとアーデライードもロマンス溢れる恋愛小説の執筆に挑戦したことがあるらしい。結果は惨憺たるもので世に出してはいない。と言うか出してはいけない。知っちゃいけない。知られちゃ生きていけない。

 要は、言語学に優れているからといって文章上手であるかどうかは、また別の話だということだろう。余談である。

 ともあれ、ほんのり赤い頬をして感想を総括すると、再び黒革の手帳を閉じた。


「それよりも何でこんなもの、ゴトーが持っていたのかしら?」


 当然それは疑問に思う所だ。瑛斗もアーデライードと同様の質問を口にした。つまり当然その回答について、瑛斗は婆ちゃんから聞いているということだ。


「異世界と現実世界、それを隔てる境界の研究とやらに使ってたそうだよ」


 現実世界の物は異世界へ持ち込めるが、異世界の物は現実世界へ持ち込めない。

 では、現実世界のインクと異世界のインク。混ぜ合わせた場合はどうなるのか。

 どの比率なら、どの物質ならば有効か。様々な組み合わせを試したという。


「そんな実験ノートの内の一冊、だとか」

「要するに、その実験に成功した一冊だ、ということね……」


 そう言われて瑛斗もようやく気が付いた。なるほど、異世界のインクで書いたというならば、そういうことになるのだろう。


「実験に成功したインクでしたためた、自身最高の魔道の教導書、か」


 アーデライードがなんとも複雑な表情で黒革の手帳をじっと眺めた。この顔を敢えて表現するならば「ホロ苦虫を噛み潰したよう」といったところだろうか。


「こんなの、異界障壁研究の第一人者『冥界の魔女』にしかできない芸当じゃない」

「あっ、『冥界の魔女』ってもしかして」

「ええ、そうだわ」


 この名を声に出して呼ぶのは、アーデライードにとって久方振りのことである。


「六英雄の一人、大魔道師アーク・ウィザードのエリノアよ」


 そう告げると、アーデライードは黒革の手帳をじーっと凝視して、


「エリノアのヤツ、私に黙ってゴトーとこんなことやってたなんて……」


 などとブツブツと言っている。手帳を凝視する目線があまりにも鋭すぎて、このままでは表紙に穴が開いてしまいそうだ。


 大魔導師・エリノア――その名前には、瑛斗も聞き覚えがある。


『男性だったらエリアス、女性だったらエリノア……』


 瑛斗が奴隷商人に偽名を使った時に名乗った名前、エリアス。どこかで教えられていたから、エリアスは男性名だと知っていたのだ。

 そんな瑛斗の呟きを、長い耳で耳聡く聞いていたアーデライードが反応する。


「なによそれ、初耳なんだけど」

「俺もどこで聞いたのか、幼すぎて覚えていないんだよ」

「どういう意味かしら?」

「エリノアさんが生まれた時のエピソードじゃないの?」


 両親が生まれた子供に名付ける時、よくあるパターンの話ではないだろうか。


「そんなの知らないわよ。ゴトーだって知らないんじゃないかしら」

「アデリィが知らないからって、爺ちゃんが知らないことにならないだろ?」


 瑛斗は稀に胸にグサリと刺さるようなことを、サラリと言ってのける時がある。

 この時もアーデライードは、胸に刺さった言葉のナイフを抜くのに、一分ちょっとの時間を要した。


「なぁ、エイト君。そのテクニック、後で俺に伝授してくれねぇか?」

「お黙りなさい、アレックス! その減らず口叩けなくするわよ!」


 アレックスがカウンターの陰から、こそっと現れて、しゅばっと消えてゆく。瑛斗としては、その素早い身のこなしこそ伝授して欲しい。


「ともかくよ!」


 アーデライードがカウンターを両手でパァンと叩いた。


「分からないことは、考えない! おかわりをストレートで!」


 何故かむしゃくしゃした様子で、何処かむちゃくちゃに議題を放り投げても、酒だけは追加注文を忘れない廃エルフであった。



 もう一つの提案、瑛斗目下の悩みはレイシャの魔法杖ワンドについてだ。

 何せ魔法に関して瑛斗は門外漢である。魔法杖ワンド探しをしたいのは山々だが、魔法使いの道具となると手掛かりどころか心当たりが何一つない。


「爺ちゃんの武器庫に何かないかと思ったけど、それっぽいのは何もないよね?」


 実は『悠久の蒼森亭』地下には食料品等の貯蔵庫の他に、秘密の隠し部屋がある。

 通称「爺ちゃんの武器庫」と呼んでいる秘密の部屋は、爺ちゃんたちが見つけ出した様々な古代の武器や魔法道具マジックアイテム、宝飾品や金貨が数多く収納されている。

 瑛斗愛用の片手半剣バスタードソードも、ここから借り受けたものだ。


「ううん、魔法杖ワンドはないわね。見つけたらエリノアにあげちゃうし」


 他にも聖宝や法具といった神具は、修道士である六英雄、エルルカ・ヴァルガにあげてしまう、といった具合で、その筋の専門家である英雄たちに惜しげもなく全て渡してしまうのだという。


「だって、持っててもしょうがないじゃない」


 とは、アーデライードの弁である。それもその通りで、ただの飾りや蒐集品や宝の持ち腐れとなるよりは、正しい道具の使い方と言えた。

 それと同様に、勇者であった爺ちゃんの莫大な遺産は、全てアーデライードが預かっている。基本的に異世界の物質は、現実世界へ持ち帰れないためである。

 魔王の手から世界を救った勇者である爺ちゃんへは、大陸全土の王侯貴族から集まった莫大な寄付、賞金、謝金、果てはお布施まで、毎日のように寄せられていた。


「そんなもん、いらん」


 の、一言で全て断っていたが、それがまた聖者としての箔をつけてしまった。

 ますます拍車をかけて、どうしようもなく集まってしまった使いきれぬ資産は、長命なアーデライードの預かるところとなったのだ。


「ま、千年かかっても使いきれないし、全部エイトの遺産だと思っていいわよ」


 だから自由自在にアーデライードと異世界の旅ができるのも、この遺産のおかげなのだ。あらゆる面で爺ちゃんには、本当に感謝しかない。


「来週、鉱山街・ラフタへ行くでしょう?」


 魔法杖ワンドの入手方法について悩む瑛斗に、アーデライードから予想外の情報と助け船が寄せられた。


「だから、その時に買えばいいわよ」

魔法杖ワンドって、そんな近所で売ってる物なのか?」

「そんなわけないでしょ」


 門外漢の的外れな質問に、アーデライードは笑って答える。


「鉱山街・ラフタだからこそだわ」

「そうなの?」

「そりゃそうよ。鉱山街であり、腕のいい加工職人の集う街なんだから」


 希少金属の採れる鉱脈がグレイステール山脈にあるのだという。それを利用した加工職人が集まれば、加工品を更に加工する魔法技工士が集まるのは、自明の理だ。

 よって鉱山街・ラフタは小さな街ながらも、良質な魔法道具マジックアイテムの産業地としても有名との事だ。


「そこでならきっと、いい魔法杖ワンドを調達できるはずよ」


 助け船と同時に、渡りに船とはこのことだった。


「ありがとう、アデリィ」

「……ま、乗りかかった船だからね」


 船のことわざが、思わぬ形でまた増えた。瑛斗は心の中でそう思った。

 それにしても今回は、レイシャへの理解といい、様々な助力といい、瑛斗にはアーデライードへ感謝の言葉もない。


「やっぱりアデリィは頼りになるな」

「なっ、なによ、藪から棒に……」


 最近聞きなれてない瑛斗からの感謝とお褒めの言葉に、軽く戸惑ってしまう。


「そんなことない。旅の間のことだって、毎日のように思い出すんだ」


 瑛斗の冒険を邪魔しないように、それでも肝心要の部分は外さぬように。

 放任主義のようで決して目を離さず、大胆なようで慎重に。このあたりのバランス感覚は、歴戦の英雄たるアーデライードの為せる業であることを、瑛斗は気付いている。

 反面、まだまだ頼りない自分であることを、瑛斗は身に染みてよく分かっていた。

 だからこそ、頼るばかりではなくもっと強く逞しくなって、いずれは自らがアーデライードから頼られる存在になりたい。瑛斗はいつだってそう思っている。


「前にも言ったと思うけれどさ、アデリィ」


 瑛斗は改めて、アーデライードの目を見て真っ直ぐな言葉にする。


「この世界で君と出会えて、本当に良かった」


 感謝の言葉は、いつだって声にして伝えたい。

 瑛斗の真摯な性格からくる、誠実な気持ちである。


 ただし、アーデライードにとって、この言葉は劇薬に近い。

 瞬時に脳は沸騰し、身体の芯は痺れ、動悸と眩暈、微熱、発熱。

 見目麗しき端正な顔立ちは、だらしなくトロけているに違いない。


「あの、あの、あのね……」

「よし! 当面の目標も定まったし、そろそろ寝るよ、アデリィ」


 そう言ってスッキリした表情で、両膝を叩いて瑛斗は席を立つ。

 時計がないから今の時刻は分からないが、随分と長く話し込んでしまった筈だ。

 ところが、アーデライードの気持ちの方はスッキリとしていない。

 どうして気付かなかったのか。久々にずっと二人きりだったじゃない!

 この際、アレックスのことは、喋る置物か何かだと思ってしまうことにする。

 なのに何故、こんな堅苦しいつまらない話ばかりしてしまったのやら。

 自分の直情型な浅慮さに、呆れ返ってしまう。


「あ、あ、あ、きょ、今日は、異世界こっちに泊まっていくんでしょ?」

「うん、そのつもりだよ」


 ああ、ああ、呼び止めて、どうするつもりなの、アデリィ!

 自らに問いかけるも、勢いだけだ。答えなんかある筈もない。

 つい、引き留めてしまいたくて、声を掛けてしまっただけだ。

 泊まっていくから、何? それを聞いて、どうしようっていうの?

 そそそ、そうだ、明日の予定を簡単にでも纏めてしまおう。

 泊まりなら、朝早くからできることもある。

 その話なら、自然な理由に違いない。


 と、必死に考えを纏めた時の事である。


「エート……」

「あれ、レイシャ。目を覚ましちゃったのか」

「おしっこ」

「そうか。お腹いっぱい食べてすぐ寝ちゃったからね」


 トイレに起きて、瑛斗がいないことに気が付いたのだろう。

 それでレイシャは、二階の酒場まで降りてきたのだ。


「……ん、ん、んんん??」


 眉間に皺をよせ、今の状況を整理する。

 ただでさえ落ち着かないアーデライードの気持ちは、更に落ち着かないものになった。


「それじゃ、おやすみアデリィ」

「ちょ、ちょ、ちょっと待ちなさい!」


 手を繋いで部屋へ戻ろうとする二人を、慌てて引き止める。


「ふっ、二人して何処へ行くつもりよ?」

「え? 何処へって……」

「おへや」


 そうだった。今はレイシャが瑛斗の部屋にいるのだ。

 瑛斗もごく自然に二人で部屋に戻ろうとしていたが、今までは一体どうしていたのか。アーデライードはこめかみに指を立てて思い出す。

 一番最初の宿では、アーデライードも意地を張っていたので、瑛斗とレイシャは同じ部屋で過ごしていた。それ以降はリッシェルの街まで夜はテントで野宿。その時はかわりばんこで見張りに立っていたから、一緒に寝ている時間はそう長くなかったはずだ。リッシェルからの船旅は、船上の大部屋に泊まったから色んな旅人と雑魚寝。先週の瑛斗は学校行事で、こちらには来たけど泊まらなかったから、セーフ。

 そんなに焦る必要はないはず。レイシャはまだ子供。そんなに意識する必要はな――しかし、このダークエルフの子供が時折発する発言は、気に障る不穏な単語が目白押しだ。

 屋根の下で二人、ちゃんと過すのは今日が初夜じゃないのって、初夜って、初夜ぁ?! ちょ、ちょ、ちょっと待って、いやいやいや、流石にそれはない。絶対にそれはない。


「だったら、私の……」


 部屋で寝なさい、とは、傲岸不遜なアーデライードでも声にすることができない。自分の方がよっぽど不穏当じゃないって、頭の中で揉みくちゃにしてかき消した。

 瑛斗がのんびりとした声で「安心してよ」とアーデライードに声をかける。


「部屋は小さいけど、ベッドは大きいから大丈夫だよ」


 何が安心で大丈夫なのよ! と喉まで出かかったが、邪推はよくない。

 そもそも邪推とは何か。瑛斗に限ってそんなことは、まさか、はずは……


「レイシャ、それでいいよな?」


 間髪入れずレイシャがこくりと頷いた。アーデライードがまごまごしている内に、あれよとあれよと言う間に話はまとまってしまった。


「えっ、えっ、ちょっと、あれ? あれ? ねぇ?」


 瑛斗とレイシャの背中を見送りながら、アーデライードは立ち尽くすしかない。

 これからも暫くは、二人一緒のベッドで寝ることになるのだろうか。


 やっぱりレイシャは、危険なだった。

 ダークエルフだとか膨大な魔力だとか、もうそんなのどうでも良くて。

 瑛斗と私にとって、何より最も危険ななのじゃないかしら!

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