第26話 定期船で行く川下りの旅(後篇)

 オーディスベルト地方エーデルシュタイン公国――通称・王弟公国。

 エーデルの名を冠すエーデルシュタイン家は、大地母神の修道士である聖人エーデルリックを祖とし派生した子孫であるとされる。

 古都・エーデルにも名を残す通り、この一族はかつてアドゥ川東域に広大な荘園を領していた。だが東方より迫りくる戦乱の脅威に、北方の強兵国家・エディンダム家と強く結びつき、姻戚を繰り返す内に併合。現エディンダム王国の礎になったと言われている。

 異世界を混沌へと陥れた『魔王戦争』の最中、時の『賢弟王』と呼ばれたエドガー・エーデルシュタインが、アドゥ川流域南東部に城を築き、この地を死守したという。

 その後、論功行賞の第一等を賜り、この地を直轄統治領として王国から譲り受けたのが始まりとなる。


「あれ、でも権力闘争に敗れて転封させられたって話じゃなかったっけ?」

「それは真実であり、嘘でもあるわね」

「どういうこと?」

「ん、虚実入り混じっているってこと」


 爽やかな朝の光を浴びながら、爽やかさのカケラもない会話を交わす。

 話相手の美少女ハイエルフはといえば、川面を走る涼風に金色の髪をふわりとたなびかせ、「んふー」と妙な笑顔を浮かべている。陰謀論やら奸計策を語る表情ですら、可愛らしく輝いて見えるのだから、ちょっとずるい。


 ここは大河を往く川下りは定期船の甲板上。航行は水量豊かな川の流れに任せ、船は実にのんびりと目的地へ向けて進む。

 昨晩と同様にテーブルを並ばせた甲板上で、乗客たちは朝食を摂りながら優雅なひと時を過している、といったところだ。

 瑛斗一行も他の乗客らと同じように朝食を摂りながら、目的地である王弟公国首都へ望むにあたり、まずはアーデライードよりこの国の成り立ちからレクチャーを受けているところである。

 彼女は饒舌に語りつつ蜂蜜のポットへと手を伸ばすと、舌をぺろりと出してドライフルーツのヨーグルト掛けの上へ金色の蜜をたっぷりと落とし込む。

 とろっとろの蜂蜜がヨーグルトと共に混ざり蕩け合ってゆく。朝日を受けてキラキラと輝くそれは、自らの髪色によく似ている。


「つまり、正しくはないけれど、あながち間違ってもいない?」

「そういうこと。何故ならばエドガー王は、自ら望んで僻地へと赴いたのだから」


 イリス姫の祖父にあたる前王、エドガー・エーデルシュタインは、エディンダム前王の異母兄弟であり弟に当たる人物だ。『賢弟王』の呼び声高い名君と言われている。

 権力闘争に敗れ、王都に最も遠い地へ流転させられた――とも伝えられるそ理由を鑑みるに、一概に論功行賞の第一等とは言えない事情があるのだという。


「当時は魔王戦争が終結したばかりの混乱期でしょ。そこへ並び立つ兄と弟の両英雄。どちらが王位に相応しいかを問われた時、賢弟王・エドガーは、疲弊した庶民を政争の愚に巻き込んで、政治的空白を生むことを嫌ったわけ」


 そこでエドガー王は自ら僻地である現王弟公国の地へ転封することにより、明白に王位より遠ざかることを選んだのだ。連れ立つはエドガーに忠実な王弟派の部下たち。その他に反王兄派、はたまた一癖も二癖もありそうな獅子身中の虫と思しき貴族たちを『栄転』という名の元に、全て我が身の内に引き入れて王弟公国へ移動させたのだという。


「要するに、エドガー王が自ら身を引き、更迭の道を選んだってことか」

「そーゆーこと。ただでさえ不安定な内政を、後継者争いの政乱に巻き込むわけにはいかないからね」

「それ、根拠はあるのか?」

「もちろん。だってエドガーとオスカーは仲良かったもん」


 アーデライードのあまりに呑気な口調に、瑛斗はつい閉口した。

 彼女が『オスカー』と呼ぶその者は、なんだかご近所の知り合いみたいであるが、エディンダム王国前王のオスカー・ヴィクトル・エディンダム王、その人のことである。

 まるでアーデライードは自分が見て来たかのような口ぶりだが、彼女の場合は腐っても六英雄。魔王討伐で全世界を大きく揺るがしてきた実力者だ。長命な彼女は、実際に時の王族らと出会い、語らい、まつりごとを動かしてきている可能性すらあるのだ。

 甘ぁいラズベリージャムをたっぷりと塗りたくったパンケーキを、幸せそうにパクついてる姿からすれば、とてもそうは見えないが。

 彼女は口いっぱいにパンケーキを頬張ったまま、フォークをくるくると振りつつ解説を続ける。


「ほーふふひぃー」

「飲み込んでからでいいよ」


 瑛斗はオレンジジュースをコップに注いでアーデライードへ手渡した。

 受け取ったコップを手にしたまま、もぐもぐと咀嚼するハイエルフの姿は、どうしても年下の女の子にしか見えない。

 瑛斗は彼女が口の中身を「うっくん」と飲み込んだのを見届けてから質問する。


「でもエドガー王がごたごた全部ひっくるめて王弟公国へ持ってったってことはさ」

「ええ、その代わり自国である王弟公国内には、火種が燻る結果となるわね」


 だがエドガー王の英断による成果は大きかった。そのおかげでエディンダム王国はオスカー王の巧みな政治手腕の下、急成長と急発展を遂げ、今や大陸の盟主と呼ばれるまでに至る。

 そうして大陸平定の一端を担うこととなったが、その見返りとして王弟公国に残された遺産は少なかったのである。


「王弟公国の大きな収入源であった奴隷制度が廃止されたしねぇ」

「ああ、『奴隷解放戦争』があったんだっけ」

「そうね。でも奴隷制度もあながち悪制ってわけではないのよ?」


 突然、アーデライードが思いも寄らぬ事を口にした。


「どういうこと?」

「だって、戦争が起きて捕虜が出た時、どうするのよ?」

「そうだな、まずは捕虜収容所へ入れて……」

「戦勝国がわざわざ莫大な経費をかけるの?」

「ううん、それは……」

「それなら全員処刑してしまった方が、後腐れがなくない?」


 アーデライードはさらりと恐ろしいことをのたまったが、確かに現実世界の制度は、この異世界の実情や背景に現行そぐわない。

 奴隷制度が廃止される以前、南方部族とエディンダム王国の間では小規模な諍いが絶えない状態にあった。そこで戦闘行為が行われると、囚われた兵士が奴隷となる。

 奴隷売買はまず相手国との交渉から始まる。莫大な金品や土地を見返りに、奴隷と交換するのである。この時、敗戦国は自国民を何が何でも買い戻すことになる。そうしなければ人心は離反し、兵士の士気も失われ、国家として立ち行かなくなるからだ。だから時には街単位でも寄付金を募り、国家の威信と国民の意地にかけて買い戻すのである。

 国や街の財政状況が貧困している場合、買い戻せない奴隷が出てくる。その場合は、奴隷自らが自らを、労働という形に変えて買い戻すことになる。

 その際、奴隷は各騎士団などから奴隷商人へと売却される。売却された奴隷は更に、貴族や商家らの荘園などへと売られてゆく。これが人身売買だ。

 人身売買を介して国内各地へと散ってゆく奴隷へは賃金が支払われる。押し並べて安いものの決してゼロではない。そうして平均凡そ十年ほどの使役で解放され、稼いだ賃金を手にして国元へ帰ることとなるのである。

 中には主従間に信頼関係を得たり、使役された地に適合したりして、そのまま国に留まり家庭を築く者もいるという。

 故に奴隷は各騎士団や各部族間で大事な商品となり、大切に扱われることになるのだ。


「そのバランスが崩れたのは、エディンダム王国の富国強兵策」

「そうか、王国が南方諸国を圧倒する兵力を身に着けてしまったから……」

「時のエドガーの英断が次世代で様々な綻びを生むとは。皮肉よねぇ」


 何故かしたり顔のアーデライードは、指に付いたラズベリージャムを小さな舌でぺろりと舐めとった。


「でもさ、未だ奴隷取引が行われているってのは?」

「地下へ潜ってしまったってこと。重要な収入源だし」


 アメリカの禁酒法のようなものかな、と瑛斗は思った。

 かつてアメリカに於いて酒の製造販売、運搬が禁止されたせいで裏取引が横行し、酒税による収入が激減する一方、マフィアの財源と化してしまったように。

 奴隷取引も、巧妙に隠蔽されつつ裏の財源として、利用されているのかも知れない。

 その全容がすっかり水面下へ潜ってしまい、制御不能に陥りつつあるのではないか。もしそうだとして、制度化されて表に出ていた方がマシとなれば本末転倒なことだ。

 当時に思いを馳せてみるに『傭兵王』の憤激と行動は理解できる。

 理想高く革新的な出来事であっただろうし、提示した条約も最善策であろう。だが未成熟な世界の現状に則さぬ故に、災いの元を残す結果になってはいないだろうか。

 今は相互の不可侵条約が機能して拮抗した勢力図を描いているが、このパワーバランスが破れてしまった時、どうなるのだろうか。

 もし王国を担う次世代の権力者が奴隷制度の意味を正しく理解し、武力を過差に横暴な侵略行為を繰り返していなければ、歴史は異なっていたのだろうか。

 瑛斗は異世界を揺るがしかねぬ様々なIFもしを考えずにはいられなかった。


「ま、簡単に説明するとこんなところよね」

「ありがとう、アデリィ。概ね理解できたよ」


 奴隷制度に関してはこの限りじゃないが、まずは流れを理解できた。

 そして、かつてエドガー王が中央政治と分離すべく王弟公国へと連れてきたという獅子身中の虫たる貴族たちの子孫――公国の中央権力を握った者たちが、世代を経て現在いま蟄虫ちっちゅうの如く蠢きだしているのではないだろうか。

 イリスが自らの非力を嘆き、くすんだ赤毛のアードナーが『醜くて汚い壁』と呼ぶ、見えざる陰謀が蔓延はびこる要因となっているのかも知れない。


 黙々とチェリーパイを齧っていたレイシャが、そこでふと口を開く。


「あーでれ」

「なによ?」

「あーでれはえどがー、レイシャはおすかー」

「はぁ?」


 ……何かしら、このだくえるの小娘は。

 もしかして、この私に瑛斗から手を引けと言っているのかしら。


 いや、もしやこれは昨夜の事? 確かに昨夜は手を引いたと言えなくもない。

 何故なら瑛斗とエルフたちは同部屋の、二段ベッドで夜を明かしたから。

 大型客船とはいえ異世界の船。瑛斗の世界の豪華客船と比べればたかが知れている。だから狭い船内では、そうそう個々で個室など取れる筈もなく。そうなれば一区切りの区画の二段ベッドが精々だ。

 アーデライードとしてはもちろん、レイシャと一緒のベッドなんて御免蒙ごめんこうむる。当然、二段ベッドの上段にはアーデライード、下段には瑛斗とレイシャ。そういう振り分けにならざるを得ない。

 かといって……瑛斗と一緒のベッドで、寝る?


 そ、そんなことできるわけないでしょ!


 消灯後、思春期ハイエルフは下段の様子が気になり過ぎて、長い耳が働きっぱなしになってしまった。おかげで顔の側面は、軽く筋肉痛である。

 しかもダークエルフの小娘めは、いつも通りなのか、知っててやってるのか。どうやらくすぐったがりの様で、時折鼻にかかった小さな声で「……んふっ」とか「あ……んっ」とか、まるで喘ぐように言うもんだから、とにもかくにも気に障る。

 別に気になるわけじゃないけれど、うっかり、ええ、ついうっかり早起きして明け方に下段をチラ見してみると、小娘は予想通りのアルティメット脱衣をかましていた。なので瑛斗が目覚めぬ内に、がっつりと衣服を着こませておいた。主に要所要所を固結びで。

 暑いなら瑛斗に抱き着くなと言いたい。或いは、抱き着くから暑いのだ、と。

 朝、レイシャが目覚めてトイレへ行こうとした時に、なかなか服を脱ぐことができずにお漏らししそうになって、瑛斗に泣きついていたのを見て溜飲を下げる。大人げないハイエルフである。


 エルフたちが見えぬ火花を散らす間、腕組みしてじっと考え事をしていた知らぬ存ぜぬの色男エイトが、ゆっくりと口を開きアーデライードに訊ねた。


「ところで、前王弟公国の状況はよく分かったけどさ」

「そうね、現王弟公国の話もしないといけないわね」

「現在この公国を治める姫君は?」

「んんっ……姫君? いいえ、男性よ。何故?」

「あ、あっと、えっと、なんとかイ、エ……シュト……ン公王、だったよね?」

「…………?」


 あからさまに誤魔化しているのは、バレているだろうか。

 だがアーデライードは、あまり追求せずに引き下がってくれた。


「エルマー・エーデルシュタイン公王。そうね、今は病気療養中らしいけど」

「病気療養、か……」

「あ、確か一人娘がいたわね、イリス・エーデルシュタイン公姫」


 伝説の泉で出会った美少女――純粋無垢な彼女の名前。


「あら? もしかしてもう執政を譲ってたかしら?」


 そこまでは詳しくないらしく、アーデライードが首を捻る。


「あまり表舞台に姿を見せない人だから、詳しく知らないけれど」


 やはり彼女イリスの云う通り、存在を秘匿されているのだろうか

 瑛斗はいよいよ知りたかった核心部へと踏み込もうとしている。勘のいいアーデライードの網の目を、無事に掻い潜ることができるだろうか?


「運命の森には伝説の泉がある……んだよね?」

「それ、誰に聞いたの?」

「え、いや、ここへ来る前にちょっとだけ調べたんだ」


 訝しがるアーデライードを、素知らぬ顔で躱すのは骨が折れる。


「あっ、分かった」

「え……えっ?」


 心臓がスーパーボールのように飛び跳ねた。


「さては、ゴトーの伝説に興味があったんでしょう?」

「んん? ま、まぁね」


 正直この話に関しては、爺ちゃんから聞いていない話だ。だがここはある程度知っている顔をした方が得策だろう、と判断した。ボロが出た時に誤魔化し易い。


「ゴトーはね、エディンダム王妃になった人と、その泉で出会ってるのよ」

「やっぱり当世一の勇者ってのは、爺ちゃんのことか……」


 とは口に出さず、瑛斗は心の中でそう思った。

 アーデライードは「私がその場にいたわけじゃないから詳しく知らないけれどね。ゴトーもあまり詳しく話さなかったし」と言うが、それは容易く想像がつく。

 爺ちゃんの英雄譚は専ら冒険話が中心で、女性関係についてあまり語らない人だった。何しろアーデライードについてすら、詳細までは語らぬくらいだ。

 それはその筈だ、と瑛斗は思う。小学生の孫に自分のロマンスを嬉々として語る祖父ってのは、早々いないだろう。そもそも爺ちゃんはそういう性格タイプじゃない。

 もしかして……爺ちゃんもイリスが「大叔母様」と呼ぶ、前エディンダム王妃の全裸を見ていたりするのだろうか、などと余計なことが頭を掠める。


「他にも、かの『傭兵王』が王家の姫をさらったのが、その泉と言われているわ」


 言われてみればそんな話を前に聞いたことがあったっけ。アーデライードのよく嗜むラブロマンス小説にも数多く書かれているとか。王国の姫を浚った舞台というのは、この泉のことだったのだろう。


「その王家の姫というのは、前国王であるオスカー王の娘?」

「あら、よく知っているわね……そうよ。メルクレア・エディンダム王姫よ」


 イリスが言っていた「叔従母様」とは彼女の事で、当世一の勇者とは『傭兵王』と呼ばれるその人の事なのだろう。

 ともあれアーデライードは、段々興がノってきたようだ。数多く恋愛小説の題材となっているという話であるから、そのせいかも知れない。

 何処の世間でもロイヤルファミリーやら、お姫様というのは人気者なのか。

 そこから段々と、皇室ロマンスについて語りだしそうな勢いになってきたので「そのあたりは夜にでもゆっくりと」と、ブレーキをかける。

 中途半端に話を区切られた活字中毒患者は不満そうな顔を見せるかと思いきや、ニヤーリと意味不明な笑顔を見せた。ああ、これは何か嫌がらせをする時の顔だ。


「そういえばエイト、運命の森を散策していたって言ってたけど」

「うっ……う、うん」

「まさか伝説の泉で『出歯亀』していたりしないわよね?」


 ハイエルフは何故かチベットスナギツネのような目をしてこっちを見た。思わず目を逸らしてしまった先のダークエルフまで、チベットスナギツネのような目をしている。


「まっ、まさか! し、してないよ……」


 どことなく消え入りそうな声で、瑛斗は答えた。

 しかし『出歯亀』とは。また古い言葉をアーデライードは知っているものだ。

 この言葉は、明治四十一年に風呂帰りの女性を殺害した『池田亀太郎』という出っ歯な男のあだ名に由来する。この男が女湯覗きの常習者であったことから、覗き魔や痴漢、変質者を指す言葉になったのだ。


「声が小さくなったあたり、怪しい」

「あやしい」

「レッ、レイシャまで! もう勘弁してよ……」


 これ以上は危ない。イリスを思い出して顔が赤くなってしまいそうだ。

 しかしこの言葉で『傭兵王』がメルクレア姫を浚ったのは、やはり沐浴をしている最中だと察した。だとすれば、やはり爺ちゃんも……いやいや、余計な勘ぐりである。


 そんな他愛もない会話をしていると、緑暗色の髪の騎士が二人の大柄な男と女騎士を伴ってこちらへ歩いてくるのが、テーブルの向こう側に見えた。

 昨夜の騎士たちの内で唯一冷静沈着だった男、エアハルトである。


「おはようございます。少々宜しいでしょうか」

「ありがとう、助かった」

「ええと、何の話かな?」

「いや、こちらの話だ。続けてくれ」


 スルーして構わないこちらの事情だ。瑛斗が先方の用事を促す。


「昨夜の件で正式に謝罪を、と思いまして」


 彼らはきっと誠実な性格なのだろう。昨夜言い残した通り謝罪に訪れたのだ。

 真面目な声でエルハルトがそう告げると、大柄な男二人が前へ歩み出た。


「面目ない……騎士として恥ずべき行為だった。心より謝罪する」


 くすんだ赤毛の騎士・アードナーは、時折こめかみを押さえながら言った。きっと二日酔いで酷い頭痛に襲われているのだろう。続いて全身板金鎧フルプレートアーマーの巨漢騎士・ドラッセルも、熊の様な大きな身体を小さく縮めて謝罪した。


「いいかしら。『酒は飲んでも飲まれるな』……よ?」


 どうでも良さげな顔をしていたアーデライードが、何故か率先して嗜める。

 しかし言語学者としてこういうことわざに強いのか、酒呑みとしてこういう諺に強いのか。いまいち判断に困るところだ。


「おんなこども、なめんな」


 変な言葉を覚えてしまったレイシャも続いた。


「うへぇ……お嬢ちゃん、それは何の話だい?」


 アードナーは覚えてないのか、すっかり困惑した顔で訊ねると、


「女子供は引っ込んでいろ!」


 女騎士・ソフィアが、昨夜アードナーが言ったままにモノマネをする。


「あなたがそう言って、私のことを突き飛ばしたのよ」


 一つに束ねた亜麻色の髪を跳ね上げて、ソフィアが冷たい声で説明した。


「……マジか」

「マジよ」

「マジだわ」

「まじ」


 ソフィアに続いたのはアーデライード、最後の一言はレイシャである。


「すまない……昨夜のことはしっかり覚えてないんだ……」

「酒呑みの風上に置けないわね」


 やはり先ほどのことわざは、酒呑みとしての矜持だったようだ。


「けどな、アンタに言われたことはよく覚えている」


 アードナーは背筋を伸ばすと、真っ直ぐな瞳で瑛斗に言った。


「オレはもう、絶対に諦めねぇよ」

「……騎士は、信念を己の行動で示すと聞く」

「分かっている。騎士の名に懸けて、心に刻んで誓う」


 アードナーは胸の板金鎧ブレストアーマーを拳でゴツンと叩いて誓いのポーズをとった。

 その様子を見届けたエアハルトが、頃合いを見計らって瑛斗たちに伺った。


「これで昨夜の非礼を赦しては貰えまいか」

「赦すも赦さないもない。あれは春の夜の夢」


 瑛斗の返答に、その場にいた騎士たちが「ほぅ」と感心の溜息をついた。

 アーデライードが「ねっねっ、エイトはよく出来た男の子でしょ?」などとソフィアに言っているようだが、忙しないハイエルフのことは見なかったことにする。


「胸の内を吐き出して、また前を向けばいいさ」

「寛大な心遣い、感謝する」

「俺の名は瑛斗」

「オレの名はアードナーだ。宜しくな」


 瑛斗とアードナーはガッチリと握手を交わした。続いて巨漢騎士のドラッセルも瑛斗に握手を求める。


「エイト殿、アンタ強いなぁ」

「俺は強くないよ。彼女たちの方がずっと強いんだ」

「ハハハッ、それは精神的な意味で?」

「いや、物理的な意味で」

「……マジか」


 瑛斗の笑顔のない真剣な表情に、ドラッセルは真実味を感じ取ったようだ。


「だから女子供には、本当に気を付けた方がいい」

「あら、何か言ったかしら、エイト」


 実に外連味けれんみのない穏やかな笑顔を見せるアーデライードが本当に怖い。


「おう、肝に銘じておくぜ」


 ドラッセルは親指を立てて、裏表のない顔でニヤッと笑う。こうした表情を見せると昨夜の獰猛な雰囲気が嘘のようだ。こちらの気のいい笑顔が本来の彼なのだろう。


「これから皆さんは、王弟府へと参られるので?」


 エアハルトがアーデライードに訊ねた。


「ええ、そうね。一日使って観光するつもり」

「お詫びと言ってはなんだが、良かったら案内させて貰えないだろうか」


 アーデライードは「ふむ」と、形のいい顎に指を当てて考える。


「そうね。それじゃお願いするわ」


 アーデライードが珍しく騎士たちの申し出を快諾した。

 王弟府内にある歴史的建造物は、基本的に王弟国家の所有する重要施設である。

 外から眺める程度ならば城下街から可能なものの、より深く楽しむには騎士たちの助力を得た方が効果的と言える。そういう計算があった。


 瑛斗ら三人に、四人の騎士たち。

 計七人という大所帯パーティでの行動は、これが初めてである。


 さて今回は、どんな旅になるのだろう?

 瑛斗の気持ちは、不安よりも好奇心の方がずっと上回っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る