第5話 少女戦士と冒険の旅(中篇)
ここは、古き国境の街・エーデル。
グラスベルの大森林より流れ出す、二本の母なる大河を東西に迎え、百数キロに渡る中州状の地にこの街はある。
遥か昔、大陸が群雄割拠していた時代には、幾度となくこの大河を国境線としていた。故に、
だが、エディンダム王国の奥深くに併呑された現在は、その機能を失って久しい。
街の中心部より郊外を望む丘の上には、その名残としてレンガ積みの古城が見える。
今の世に継ぐ主の姿は既になく、廃墟となったこの古城の外壁は所々崩れ落つ。この街を訪れた旅人に、嘗ての栄華と共に時の流れを感じさせるであろう。
その街のほぼ中心、大聖堂の建つ中央広場に、瑛斗とアーデライードはいた。
「で、これがエーデル・オリーの大聖堂。およそ五百年前に実在した大地母神の修道士、聖人エーデルリックの名前がこの街の由来となったわけなの」
「へぇーっ、珍しく背の高い建物だね」
「何度も増改築が行われていてね、その度に高く改装していったそうよ」
アーデライードは現地ガイドよろしく嬉々として街の案内を買って出た。一方の瑛斗といえば、修学旅行の真面目な生徒のように、時折うんうんと頷きながら彼女の説明に聞き入っている。奇妙な所で良く噛み合う二人である。
昼前にエーデルの街へ到着した後、昼食を済ませてからずっとこの調子だ。
「でね、この大聖堂を中心にして、放射状に全ての建物は建てられているってわけ」
城壁の門をくぐり、大通りから大聖堂を望んだ後、丘陵を上り入城するように作られている。つまり他国の使節や旅人などの訪問者は、街の栄華と大聖堂の威容を必ずや仰ぎ見ることとなる。
要するに、国の勢威を示す政治的な意味合いを兼ね備えた構造になっているということだ。
「ところで、大地母神って?」
「一言で言えば、大地を司る女神さまね」
大地に宿る生けとし生ける全てを、その慈愛で包み込む女神だという。御利益としては、作物の豊穣や、家内安全、無病息災を約束するのだそうだ。
「ここへ来るまでに、山向こうの街道沿いに麦畑が広がっていたでしょう?」
「うん」
「豊穣の実りを約束する神である、大地母神がこの街で最も信奉されているの」
ここで一旦話を切ると、アーデライードは急に神妙な面持ちになった。
「で」
「で?」
この一言で会話を切り出すのは、アーデライードのクセなのだろうか?
「有数の穀倉地帯であり主要名産物が麦であるこの辺りは、葡萄よりも名産の……」
「
瑛斗の即答に、アーデライードは目を丸くして固まった。
「な、なぜそれを……?」
消え入りそうな震え声だった。麦の名産物など綺羅星の如くあろうに。
だがしかし。何故とはこれは異な事を。アーデライード早押しクイズがあれば、瑛斗はそうは簡単に負けなかろう。懲りないハイエルフである。
「飲みたいんだね?」
「あっ、あのね、この街は昔から春出しの
なにやら講釈だか言い訳だか分からない『何か』が始まったようである。
まさか、
アーデライードとしては、決して疚しい気持ちなどない。先週の酒での失敗を挽回したい。したいが為に伏せておきたい事案だった。故の挙動不審である。
日中に観光案内をしっかりこなせば、瑛斗からお褒めの言葉を頂けるはず。そうして汚名返上できたら夕食時にちょっと晩酌を――それだけであった。
しかしそれは酒を嗜まぬ
彼女の『何か』を押し黙って聞いていた瑛斗が、ゆっくりと口を開いた。
「飲みたいんだね?」
再びそう問うと、額に汗を浮かべたアーデライードは、真顔でこくりと頷いた。すっかり呆れ顔の瑛斗を前にして、被告人はただただ硬直するしかない。
計画が根底から瓦解した今、瑛斗への信頼回復失敗の心細さから、ハイエルフ特有の長い耳がへなへなと
焦りが募り過ぎて「いま私ってどんな顔をしているのかしら? 笑えばいいの? 泣いていいの?」などと、無意味な気がかりばかりがぐるぐると頭を巡っていた。
瑛斗が肺腑に溜めていた息を吐く。それにびくっと反応したアーデライードは、宣告されるであろう「軽蔑」という名の死刑判決を覚悟した。
「じゃあ、
気の毒なほど
ああ、なんという寛容か! 一瞬にして、アーデライードの心の中に花が咲いた。大輪の花が咲いた。大輪の花が咲き誇った。彼女のサファイア色の瞳には、まるで瑛斗が天使の化身として映り込んだ。
「わ、わかっているわ。当たり前でしょう?」
にも拘らず、憎まれ口を叩いてしまうのは、如何なものか。
瑛斗の先達として器量のいいところを見せたい。いや、見せねばならない。
そんな気負いがアーデライードにはあった。気負いはあるにはあるものの、必死になればなるほど空回りが激しい。ここの所それが顕著なのは自分でもよく分かっている。
ゴトーはどうやっていたのだろうか。最近はそればかり考えてしまう。
アーデライードは瑛斗に背を向けると、彼には決して見せられぬ、安堵の表情と緊張からくる溜息を洩らすのであった。
一方の瑛斗は、といえば「つくづく顔に出やすいなぁ」と、彼女の背中を眺めながら思っていたが、それを口にすることはなかった。
再び二人でぶらぶらと街を歩き回り、小一時間程した頃であろうか。
「ねぇエイト。そろそろお腹が空いていない?」
アーデライードが、くるんと踵を返して聞いてきた。
言われてみれば、確かに。昼食を摂って時間も経つ。小腹が空いてきた頃だ。
「じゃあ、何か買ってくるから待ってて!」
そう告げると、露店立ち並ぶ市場へ向けて、さっさと走り出して行ってしまった。
先程までの
行く先を見届けた瑛斗が手近な段差に腰を下ろすと、走り去ったアーデライードと入れ替わるように、聞き覚えのある声が背中にかかった。
「あーっ! みつけた!!」
異世界に知り合いのそう多くない瑛斗である。心当たりはただ一つ。
振り向けば、初めてのゴブリン退治で出会った赤い髪の少女戦士が、こちらを指差して立っていた。
但し、身に着けていた簡易的な
異世界の服装は、中世かそれ以前と思しき形状が多い。だが赤髪の少女のそれは、瑛斗の世界と比較的近しい印象に感じられた。よく見慣れたパーカーのフードのせいか、それとも彼女の近代的な目鼻立ちのせいか。
「何も言わずに立ち去ってしまうなんて、ひどい!」
「ごめん。うん、用事があったんだ」
本当は用事などない。瑛斗は重傷だった男二人に手を貸しつつ、赤髪の少女と共にこの街の治療院まで付き添っていた。だが治療院の入り口を目前にして、アーデライードに無理矢理引っ張られて、仕方なく立ち去っただけである。
「ううん、謝らないで。違うわ。お礼が言いたかったの!」
少女の差しのべた手を瑛斗が取ると、彼女は力強く握り返して大きく上下に振った。
握手をする習慣のない日本人の瑛斗としては、女の子に手を握られるだけで少しどぎまぎしてしまう。
「私の名前は、チルダ。チルダ・ベケット」
「俺は瑛斗。ああ、やっと声が出るようになったんだ」
「……おかげさまでね」
赤髪を揺らして、アーデライードが走り去った方向をギロッと睨む。その先には露店に並んでいるハイエルフの後姿が見える。
「よく俺たちを見つけられたね」
「そりゃね、あんなに目立つキラキラした子、そうそういないわよ」
アーデライードの外見の美しさに関しては奇跡的と言っていい。同性であるチルダの目から見てもパーフェクトである。それはどうしても認めざるを得ない。
ゴブリン退治の時もアーデライードの悪口を言おうとして、その美しさを前に二の句が告げられず。何とか捻り出した言葉が「ちびっこエルフ!」とは。自分でも呆れてしまう。
「ところで腕の傷は大丈夫?」
「私はもう大丈夫。腕のいい
軽傷だったチルダの怪我は、もうすっかり塞がっているという。街の治療院で
主に大きい街の場合は、治療院に『
倒れていた二人は、大怪我を負っていたものの命に別状ないとのこと。アーデライードが言っていた通りだったようだ。但し、完全な治癒には数か月かかるそうである。
「だから、このパーティはこれで解散。残念だけれど、数日限りの仲間だったわ」
数日前にギルドから依頼を受けて、共に出発したばかりだったという。
彼ら二人とは同じ村の出身で、今回初めてギルドで出会いパーティを組んだ。顔は見知っていたけれど、仲の良い仲間というわけではない。同郷だったというだけだ。
チルダは「新たな門出だったんだけどな」と深い溜息をついた。
「ところでエイト君、あの……」
「俺の事は呼び捨てでいいよ。俺もそうする」
「あっ、うん。じゃあエイト。あの、エルフの人のこと……」
「ああ、アデリィのこと?」
正確にはハイエルフだが、指摘しても詮無いことだと黙っておいた。
「私、エルフなんて初めて見た。どういう人なの?」
人間の多く住む街中を、ふらふらと歩くエルフなどそう多くはない。よってエルフやドワーフといった
「えーっと、俺の爺ちゃんの知り合いかな」
「ええっ? 凄く若く見えるけど」
エルフ族は長命な種族である。一説によると寿命がないとも云われている。
その容姿も同様で、非常にゆっくりとした速度で年老いてゆく。しかし幼少期のみは人間と同じ速度で成長する。十二~十三歳くらいを過ぎた辺りから、成長は緩やかになってゆくのだそうだ。
いくら長命とはいえ、例えば百年間赤ん坊の姿でいては、自然界で活きてゆけまい。それが自然の摂理なのだろう。
「どう見ても、年下にしか見えないんだけどなぁ」
「そうだよなぁ。でもああ見えて、もう八十歳は軽く越え……」
「エーイトッ!!」
雷鳴のような突然の怒鳴り声に振り向くと、アーデライードが肉をパンで挟んだ料理を持って、すぐ傍まで来て突っ立っていた。
全くもって目を離せばすぐこれだ、と言わんばかりの形相である。
隣に腰かけていたチルダがすぐさま立ち上がる。
「あの、アデリィさん。少し聞きたいんだけれど――」
「私をその名で気安く呼ばないで!」
アーデライードは激怒した。両手に持っていた料理を叩き落す程に。
しまった。そう言えばこの愛称は『
チルダにそっと「アデリィは愛称なんだ」と耳打ちをする。
「確かに。初対面の人を愛称で呼ぶのは失礼だったわ……ごめんなさい」
「……よろしい。よく弁えているわね」
素直に謝罪したチルダに対し、アーデライードは必要以上に責めることはなかった。瑛斗を前にして激昂した姿を見せるのは、彼女としても本意ではないようだ。
「なんて呼べばいい?」
躊躇いながら尋ねるチルダに、アーデライードは金の髪を掻き上げながら、
「そうね、それなら『お姉さま』とでも呼べばいいわ」
と、しれっと答えると、微妙な間が空いた。
「ええーっと……あの、それはちょっと……」
「無理があるよ、アデリィ」
「ヴェッ、エッ、エイトまでそんなこという?!」
アーデライードは憤慨した。憤慨したというか軽く傷ついた。
気を取り直すように咳払いをして、細い指を形のいい顎に当てると、
「それなら、そうね。『アデル』でいいわ」
ついでに二人に聞こえぬような声でぽつりと「別に思い入れないし」と付け加えた。
アデルとアデリィ――チルダにはその愛称の違いがよく分からなかったが、本人がそれで納得しているのならそれでいい。
「では、アデルさん。改めて聞きたいんだけど」
「いいわ。言って御覧なさい」
「あなたたちって、もしかして冒険者?」
その問いに対しては、いち早く瑛斗が答えた。
「そうだよ。これが初めての冒険になる」
「あなたたちもそうなんだ。実は私もそうなの!」
普段から生気に満ちた光を宿すチルダの瞳がより一際輝いた。そうして斜め掛けしていたショルダーバッグを
「お願い! 私が受けた初めての依頼……手伝って欲しい」
銀色の筒の中には、丸められた羊皮紙が入っている。これは冒険者ギルドから仕事を受けたことを証明する依頼書である。この筒を持って
「どうしてもこれを完遂したい」
ぐっと想いを押し殺したような真剣な眼差し。対するアーデライードの答えは、実にあっさりとしたものだった。
「駄目よ。私たちこれから観光するんだから」
「かっ、観光?!」
彼女の想いを、アーデライードは見事に透かしてみせた。絶対にわざとだ。それが分かっている瑛斗は、透かさず助け船を出してやる。
「まぁまぁ、聞くだけでも聞いてみようよ」
「ふーん、まぁそうね。聞くだけならね!」
してやったりの表情で、腕組みしたアーデライードが鼻を鳴らした。
◆
日が沈み、夕食時となった頃。
瑛斗とアーデライードは、チルダと共に
彼女が冒険者として受託した依頼書の内容は、こうだ。
エーデルの街近郊。イラを結ぶ街道沿いに於いて、オークの群れが商隊を襲撃する事件が頻発している。これを速やかに殲滅し、解決すべし。
オークとは野蛮で好戦的な種族である。人間よりもやや劣る知能、強靭な肉体と怪力を持つ。醜悪な容姿をしており、下顎から突き出た牙と大きな鼻は「まるで豚のようだ」と評されることが多い。
「探索中、私たちは森の中に『アジト』とみられる洞窟を発見したの」
慎重に観察した結果、洞窟を出入りしているオークの数は二匹。その二匹が洞窟内へ入ったところを確認し、早朝まだ寝ているであろう時間に踏み込んだ。
残念ながらオークたちには気づかれてしまったものの、奇襲には成功。この依頼は無事に遂行できるものと思われた。だが洞窟内での戦闘中、別のオークに背後から襲われた。二匹と思われていたオークが、実は三匹いたのだ。
背後から襲われた後衛の魔術師は、頭を強く打って昏倒した。それを守ろうとした騎士の男は、魔術師を庇って腕と肋骨を骨折してしまう。
「それで、命辛々逃げ帰ったってことね?」
「……悔しいけど、そういう事よ」
気分よく
「三対一の数的不利には敵わない」
撤退を決断したチルダが退路を切り開き、オークの追跡をギリギリで振り切ると、なんとか街道まで撤退したのだ。
「そこで俺たちと出会ったわけだね」
チルダは素直にこくりと頷いた。
「本当にありがとう。エイトのお蔭で助かった」
「私にもお礼を言っていいのよ?」
「アナタは何もしていないじゃない!」
やたらと絡んでくるハイエルフに、チルダは我慢しきれず噛みついた。
アーデライードはチルダの反論を意に介さず、
チルダの依頼に対しても、なんだかんだと前向きに耳を傾けている。
「あ、きたきた」
大皿の上に燻製豚とアスパラガスをたっぷり乗せたパエリアが届くと、チルダはせっせと小皿へ取り分け始めた。彼女はどうやら世話焼きな性格のようだ。
それを横目にアーデライードは野菜のオムレツへフォークを突き刺すと、依頼書の入った銀色の筒を指先で弄り始めた。
「ふーん、星二つね……」
これはレベル2の依頼書という意味だそうだ。星の数は難易度を示す。星の数が多いほど高難易度の依頼となる。
「初めての冒険でよくこの難易度を選んだわね」
「なっ、なによ! 私は全く経験がないわけじゃないわ!」
チルダは戦士として傭兵団に所属し、三年間先陣を切って戦っていたのだそうだ。
その話をアーデライードは「ふーん」と興味なさげに聞いていたが、それにももう飽きたようで、本日二杯目の
その態度にカチンと来たのか、チルダは勘違いした挑発をし始めた。
「なによ? この難易度を見て怖気づいたの?」
「ふん、そんなの大したことないわね」
「素人ね。どんな依頼でも甘く見ないで」
「あら? 私はその十倍のレベルでも問題ないわよ?」
チルダは、さも開いた口が塞がらないといった表情で頭を抱えた。
「星二十だなんて。呆れた……そんなの魔王討伐くらいだわ!」
そこで瑛斗は「なるほど」と膝を叩いた。実際に魔王を倒したアーデライードには、そう言えるだけの権利が十分にある。
アーデライードは「んふー」と謎の鼻声を上げながら、瑛斗に妙な流し目をする。
「どうするぅ? 止めるぅ? もう止めちゃおうよぅ?」
チルダは「ぐっ……!」と息を詰まらせて黙り込んだ。瑛斗たちにこの
だが瑛斗は、逡巡する素振りも見せずに答えた。
「いや、やろう。爺ちゃんも通った道だ」
瞬時にアーデライードの頬と胸の中が熱く
ふと時折見せる瑛斗の男の子らしい一面。そしてまるであの人のような決断。そんな何気ない瞬間に、アーデライードはゾクゾクっと震えが来て、火が点いたように心の奥が熱くなってしまう。
つい嬉しくなって、二杯目の
「そう言うと思ったわ。じゃ、決まりね!」
「うう、もう! そんな舐めた態度で知らないわよ! 私は子守なんてできないからね!」
チルダがそう言い放ったのを、瑛斗は苦笑して聞くしかなかった。
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