第28話 四人の騎士と王弟公国の旅(後篇)

 王弟公国首都、公国府・ヴェルヴェド。

 城を中央として四方を幾層もの高い城壁に囲まれた城塞都市である。

 かつて魔王戦争時、賢弟王エドガーの指揮の下、東方・南方から迫りくる魔王率いる怪物軍団の二面攻撃に耐え抜いた、鉄壁の城廓を誇る。

 それら幾層からなる高い城廓に加え、アドゥ川の豊かな水源を引き入れた深い堀、入り組んだ狭い道に丘上地形の高低差を利用した迷宮のような街並み。これら全てが激闘を重ねてきた街の歴史を物語る。


「でもな、戦争のない時分だと、ただ不便なだけだけどな!」


 と、街並みを説明しながら、ドラッセルは豪快に笑う。

 丘陵に築かれた頑丈そうな煉瓦積みの街並みは、各段層ごとに区画整備されている。それぞれの階を結ぶ道は全て石畳で舗装されており、坂や階段が数多い。

 これら全てを内包して戦火を潜り抜けてきた証だといえよう。

 城の形状や雰囲気は、古都・エーデルの今では放棄された古城址に近いだろうか。


「その通りだ。城塞の造りはエーデル城がモデルになっている」


 エアハルトがそう教えてくれた。王がエーデルの名を冠すだけあって、築城技術はエーデルに模倣されているそうだ。荘厳さよりも質実剛健を求める辺り、大地母神を信奉する高僧の末裔が生んだ、実戦を繰り返す中で生まれた城らしい。

 石と煉瓦ばかりで構築された街は、息を潜めて静まり返っているようだ。生気のない灰色がかった街の色は、どこか辛気臭くさえ感じられる。

 公国府は公国国内政治の中心地。基本的に騎士と内政官の街である。賑やかな看板などのない飲食街や武器屋、道具屋は、彼らの生活を淡々と支えるビジネス街と同様なのだ。それ故、騎士や文官らの休養日は、何処も店を閉めてしまうのだという。

 この活気のなさは、その辺りにも起因しているかも知れない。

 それに加えて昨今は、王の病気療養中による自粛ムードが街全体に漂い、ますます活気を失っているのだそうだ。

 そう聞くだけで、泉のほとりに佇んでいたイリス姫の傷心が思いやられた。



 アードナーらに案内されながら、街の中心であるヴェルヴェド城の外郭をぐるりと巡る。

 四人の騎士たちは、瑛斗たちに建築物の歴史について懇切丁寧に解説をしてくれた。

 特にエアハルトは博識で、古戦で城壁についた傷の理由から近年新規増築した物見の塔に至るまで、微に入り細を穿つ解説は、まるでガイドのお手本のようだ。

 真面目な瑛斗は、そのおかげでヴェルヴェド見物を十分に堪能できた。

 こうして主要な建築物は一通り見終えただろうか。もちろん城の内部までは立ち入るわけにいかないから、恐らくこれが精一杯であろう。

 そこで細い石畳の坂道を下り、石造りの長屋が立ち並ぶ場所へと案内された。日本の城でいう石垣に、小さな窓を付けただけのような横に長い建物だ。


「ここが我々騎士団たちの屯所だ」


 と、アードナーは言った。そう言われて石積みの壁を眺めてみれば、数十メートル置きに並んだドア毎に小さな旗がぶら下がっている。これは騎士団の団旗だろうか。


「この屯所はな、かつて闘技場コロシアムへ向かう通路だった」

闘技場コロシアム?」

「ああ。数々の剣闘士たちがここを通り、闘技場コロシアムへ入ったのだ」


 二十年ほど前に廃止された奴隷制度であるが、その前までは集められた奴隷の中でも屈強な者たちが、剣闘士としてこの先にある収容所へ入れられたのだという。

 そうしてこの石積みの中にあった通路を通り、闘技場コロシアムへと向かっていた。


「今ではこの通路を区切って、それぞれ騎士団の屯所となっている」


 奴隷制度廃止以降、闘技場コロシアムは閉鎖され、今では騎士や兵士たちの訓練所として利用されているのだという。ならばこの通路の再利用は、騎士たちの屯所としてうってつけというわけだ。

 恐らくこの裏手にある球場のような背の高い壁の建物が、きっと闘技場コロシアムなのだろう。

 小走りで先行していたソフィアが、或るドアの前で足を止めて旗を指差した。


「ここよ。私たちの旗はこれ。銀の皿――銀の皿シルバーディッシュ騎士団」

「銀の皿騎士団?」


 瑛斗は「なんだか宅配寿司みたいな名前だな」と思ったが黙っておいた。赤を基調とした旗の真ん中には、その名の通りに銀色の丸い皿のような模様が描かれている。


「ああ、それで団旗に銀の皿が描かれてるんだな」

「いや、本当はこれ、銀の皿ではなくて、銀の盾なんだけどな」


 と、瑛斗のすぐ横に立っていたドラッセルは、頬を掻きつつ苦笑した。

 この丸い銀の皿……ではなく丸い銀の盾は、銀製の小盾バックラーなのだという。

 銀の皿騎士団――正式名称は、公国第三番護衛騎士団である。

 現在は若手で構成されている育成要素の強い騎士団であるが、第三番と号するだけあって創設は古く、魔王戦争中に再編された騎士団としては公国内の全騎士団中、第三番目に古い歴史を持つ。


「そうか。これは銀の盾をモチーフにした団旗なんだね?」

「そうだ。しかもそれだけじゃないんだぜ!」


 アードナーが自慢げな空気を漂わせ、ギラッと鋭い目付きを光らせた。


「聞いて驚けよ、この騎士団名はな、あの勇者・ゴトーが名付けたんだ!」

「へぇ……」


 爺ちゃんが? と言いそうになったところを瑛斗はグッと抑える。おかげであっけない反応になってしまった。瑛斗の驚きの少なさにアードナーは不満げな顔をした。

 それに気付いた瑛斗は、フォローをするように訊ねる。


「ああ、えっと、どういういわれがあるんだ?」

「ふふん、それはな……」

「あっ、んふん、思い出した」


 アーデライードがアードナーの言葉を遮る様に、ちょっと間の抜けた声を上げた。それまでずっと自分勝手にぶらぶらしまくってたクセに、こういうアンテナは鋭い。やはり何かを知っていたらしく、瑛斗を呼び寄せこっそりと耳打ちをする。


 彼女曰く、魔王が未だ君臨していた頃――六英雄たちがリッシェルの屋敷に滞在していた時のことだ。勇者として名を馳せつつあったゴトーの下へ、若い騎士の子たちが訪れた。そして、自分らの騎士団に名前を付けてくれ、と言いだして庭先から一歩も引かない。


「それでね、最初はきっぱり断ってたんだけどね?」


 屋敷の窓から顔を出して騎士団旗を見た爺ちゃんが、不意にこう言ったのだという。


「それはなんだ、あれだ、銀の皿みたいだな」


 若い騎士たちは、憧れの勇者からこぼれ落ちた声を聞けた感動で、もうそれで十分と喜び勇んで帰っていったという。のちにこれが、この騎士団名の由来となる。


 そう言われてから改めて眺めてみると、もう銀の皿にしか見えない。


「けど、あれからそこそこ武勲を上げてたみたいだから、大したもんよね」

「そうなの?」


 アーデライードに訊ねてみたものの「たぶんね」と呆気ない。当時は自分たち以外の事に、とても興味が薄かったらしい。それは今の彼女を見ていてもそう思う。

 瑛斗とアーデライードでこそこそと話を済ませてしまったせいで、アードナーは面白くなさ気な顔をしていた。そんな仏頂面に気付いたドラッセルが、アードナーの頭の上にわざと手を置いてからかっている。


「では……申し訳ありませんが、私はここで失礼します」


 エアハルトがアーデライードにそう告げた。

 彼はこれから騎士団の実務を行うのだと言う。船上での会話を盗み聞きしたところの、イリス姫へ上奏した結果を他の騎士たちへ伝えねばならないのだろう。


「あっそう。ま、頑張んなさいな」

「途中での退座、申し訳ない。恐れ入ります」


 エアハルトの敬語はアーデライードのみに向けられている。恐らくエルフ族の寿命の長さを考慮してのことであろう。どうやら年功序列を重んじる性格のようだ。

 普段の柔和な表情が厳しく変わったエアハルトをみるに、上奏の結果が芳しくなかったことくらいは聞かずとも伺える。

 しかしそれはきっとイリスの意志ではないのだろう、と瑛斗は思った。


「ではアードナー。後の案内を頼んだぞ」

「おう、任せておけ」


 こうして良識派がひとり抜けることとなった。


「でもこのままじゃ心配だから、私はアードナーたちについて行くわね」


 良識派の離脱を心配したソフィアは、引き続き同行を申し出た。


「ああ、そうだな。ソフィア、後は宜しく頼む」


 エアハルトはソフィアに軽く手を振って騎士団屯所へ入っていく。ソフィアもそれに応じて手を振った。

 それを見ていたアードナーは、不満げな表情を隠せない。


「ちぇっ、信用ねぇなぁ……」

「ちみちみぃ、評価がガタ落ちだねぇ?」


 底意地の悪い声でアーデライードがアードナーをからかう。


「くっ……恥はいずれ剣で返してみせる!」

「ま、その前に俺たちに夕飯くらいは奢らせてくれよ」


 呑気な声でドラッセルが大きな身体を揺すって胸に手をやった。同調したアードナーも腕組みをしつつ、真一文字に口を結んでうんうんと頷く。

 不満を酒で暴発させない限りは、二人とも元々は気のいい青年なのだ。わざわざ王家別邸まで出向いた結果で、余程腹に据えかねたことがあったのだろう。

 夕飯と聞いたアーデライードが、誰よりも鋭く反応を返した。


「あら、何処か美味しいお店を知っているのかしら?」

「ああ、酒も料理もバッチリ美味い店だ!」

「でもあなた達は、禁酒だからね」


 ソフィアが調子に乗りそうだったアードナーに、水を差すと同時に釘も刺す。アードナーは面倒臭そうに「へぃへぃ」と適当な相槌を打った。


「な、こいつ等は幼馴染なだけあって、仲がいいだろう?」


 そんなやりとりを見たドラッセルは、ニヤッと笑って瑛斗に耳打ちをする。

 確かにソフィアのツッコミは、アードナーに限ってはいちいち手厳しい。

 幼馴染三人の中でもエアハルトは真面目な男だから、気安くツッコミを入れるとなれば、相手はアードナーということになるのだろう。

 幼馴染の間柄とは、きっと何処の世界もこういうものなのだ。



 こうして六人で夕食を摂るため、飲食街へと向かうことになった。

 何故か先頭は、相変わらずアーデライードである。レイシャは相変わらずの無表情で小さく息を吐き出すと、何も言わずハイエルフの後に続いてついてゆく。

 珍しく瑛斗とアーデライードの間に距離が空いた。この機に少し疑問に思っていたことを、ドラッセルに聞いてみることにする。


「ところで、四人とも同じ歳なのか?」

「うんにゃ、オレとアードナー、エアハルトが同期だが、あいつらは今年で十九歳だ。ソフィアはその二つ下の学年だったから、今年で十七歳だな」

「ドラッセルは?」

「俺は二十歳だ。騎士学校入学が一年遅かったからな」


 どうやら外様騎士としての苦労があったようだ。特に深く掘り下げる話ではないので、そこはいちいち聞かずに置いた。


「そうか、俺とソフィアは同じ歳か」

「やっぱりエイトの方が年下なんだなぁー」

「急になにさ、ドラッセル」

「いや、俺らよりも大人びてるっていうか……な?」

「そうかな。でも気にすることじゃないさ」


 瑛斗にそう言われたドラッセルは、暫し考えた後に「それもそうか」と呟いた。


「俺とアードナーたちは、歳は違えど同期の仲間だからな。大した差はないな」

「やっぱり同期の仲間っていうのは、特別なものかな」

「そりゃそうさ、何せ同じ釜の飯を食い、同じ訓練を潜り抜け、これから先も同じ戦場を駆け巡ることになるんだからよ」


 彼らは騎士である。

 戦争のない時代となった今も、有事の際には戦場へ赴かねばならぬ。王都防衛を任とした護衛騎士団でもそれは同じことである。

 当然同期の仲間の絆は、血よりも濃い絆となって彼らを結び付けているのだろう。


「だからさ、オレらの中でもしも誰かが出世したら、周りの同期を一緒に引き上げるってのも、暗黙の了解の中にあるくらいなんだよ」

「それだけ仲間との絆は固いってことか」

「そうだな、だからこそ命懸けで仲間を助けに行けるってことさ」


 実利優先ともとれる発言だが、当然それだけで命など掛けられるものではない。仲間同士の結束あってのことに違いはなかろう。

 仲間同士で蹴落とし合うのではなく、お互いを支え合い引き上げ合う。これも固い絆を結びあう一つの方法論と言えるのではないか。


「うちらの世代じゃ、ソフィアの同期が一番の出世頭だな」

「へぇ……まだ若いのにな」


 瑛斗の言葉を聞いて、ドラッセルが「オマエも若いだろ」と笑う。

 こういうところがアーデライード曰く「老成し過ぎててちょっと怖いわ」ということなのだろうか。苦笑して頭を掻かざるを得ない。


「そいつはイリス姫の警護担当の従者騎士に選ばれてな。まず剣の腕は確かだし、何よりも姫様直々のご指名だったそうだぜ」


 イリス姫の警護担当の従者騎士、と言われれば、伝説の泉で剣を交えた、あの気の強そうな眼をした金髪の女騎士を思い出す。確か名前をエレオノーラと呼ばれていたか。言われてみれば確かに、歳の頃も瑛斗と同じくらいだった。


「へぇ、彼女がね……」

「うん? なんでそいつが女だって知っているんだ?」


 迂闊にぽつりと呟いてしまった。確かにドラッセルは従者騎士が女だとは言っていない。


「いや、ホラ、姫の御付だっていうからてっきりさ」

「まぁそうか、そうじゃなきゃ遠慮なく側仕えできないもんな」


 ドラッセルは瑛斗の咄嗟で雑な説明でも納得してくれたようだ。だがその後不意眉根を寄せて表情を曇らせたのを、瑛斗は見逃さなかった。


「急にどうしたんだ?」

「いや……その従者騎士の姉がな、こいつは俺たちの同期で優秀な奴なんだが……」


 とても重そうな口を、ドラッセルはゆっくりと開いた。


「行方不明なんだ」

「行方不明?」

「ああ、巷じゃ中央の重要機密を持ち出して裏切ったんだ、っていうがな」


 瑛斗には思い当たる節がある話だ。確かあの時にイリスがこう言っていた。


『命を賭した莫逆の友の諫言により……それを知ったのです』


 その友とは幼少の頃より共に過ごしたイリスの片翼の様な存在。政務書記官であったその友は、イリスに全てを打ち明けた後に行方不明となった、と。

 もしやそれは、従者騎士・エレオノーラの姉ではないだろうか。


「バカ言ってんじゃねぇぞ、ドラッセル」


 二人の会話にアードナーが割って入った。

 ドラッセルとしても不本意な言葉だったようで「当たり前だ」と応じた。


「アイツはそんな女じゃねぇ。俺たち同期の誇りだ」

「ああ、だから絶対に生きている。必ず探し出すぞ」


 イリスは「心ある騎士たちの決死の探索」があるとも言っていた。もしかしたら彼らの事を指していたのかも知れない。

 険しい表情だったドラッセルは「湿っぽい話はここらへんにしてさ」とわざとらしく明るい表情を作ると、胸の前で手をパンッと叩いた。


「俺たちの話はいいんだよ。それよりもエイトはどうなんだ?」

「どうって、何がだよ?」

「美少女二人も引き連れて大型客船の旅とはよ、隅に置けねぇなぁ」


 ああ、そういう話か、と瑛斗は理解した。

 言われてみれば、気にならない方がどうかしている。

 類稀な美貌のハイエルフとダークエルフを引き連れて旅をするパーティなど、この世界に何組存在するものなのか。否、そうそう転がっているような話ではない。むしろ物珍しさを飛び越えて、奇異ですらあると言えるだろう。


「どういう関係なんだよ、ええ?」

「どうと言われてもなぁ」


 アーデライードとレイシャを説明しようにも、なかなか説明しにくい。片やハイエルフで六英雄、片やダークエルフで元奴隷、などと口が裂けても言えるべくもなく。


「ま、確かに。すっげぇ美人だけどなぁ……」


 思いも寄らぬことに、この話題にアードナーは乗ってこない。むしろイマイチ興味無さげだった。意外と彼には硬派な所があるのかも知れない。

 その様子をみたドラッセルが、やるせない表情で見下げる様にジト見する。


「やっぱりお前は、アレか」

「ああん? そうだよ。女はやっぱ、おっぱいボーンだろ?」


 全然硬派じゃなかった。観点が違うだけで最低野郎だった。


「はぁーあぁ……な? コイツはこういうヤツなんだよ」


 ドラッセルは両手を広げるゼスチャー付きで、大げさに溜息をついた。


「何言ってんだ、オマエは。それ以外に何があるんだよ?」

「ああもうね、ダメだね。高尚な審美眼が、コイツにはない」

「何だとこの野郎!?」


 アードナーが子供みたいに憤慨する。


「それじゃお前は、何が良いってンだよ!」

「その点オレは曲線美を優先するね。まずは腰だな。腰から尻にかけて、どちらかと言えば、尻は小振りで締まっているのが良い」


 ドラッセルはいきなりどうでもいいようなことを力説し始めた。今度はアードナーが呆れる番となった。


「ああん? 何言ってんだオマエは……胸のデカい方が断ッ然良いだろ?」

「バカめ、ウエストの細さがコントラストを演出するんだよ、なっ?」


 ドラッセルは巨体を利して、瑛斗の肩に腕を絡ませて伸し掛かる。どうやら瑛斗を味方につけようとしているらしい。正直、困る。


「その点、あのエルフちゃんは完ッ璧だろ。もう神々しくてまともに見れねぇよ」


 その言葉、この話題。アーデライードに聞かれたら、今度は船の舳先までふっ飛ばされるだけでは済まされまい。八つ裂きか火炙りを覚悟して欲しい。


「バッカ、オマエ、おっぱいボーンに勝るものはねぇよ。なぁ、エイト!」


 それも同じく死の香り漂う、かなり危険なNGワードである。


「ああ、まぁ……」


 瑛斗が返答に困っていると、前方から大声で助け舟が入った。


「おいコラそこッ! エイトさんを悪の道へと引きずり込まないで!」

「い、いや、これは男同士の崇高な語らいなんだよ!」


 大声の主はソフィアであった。先頭でアーデライードとガールズトークを楽しんでいたようだが、後ろからのどうしようもない会話が耳に入ったようだ。

 抑え気味のトーンだったドラッセルに対し、アードナーの声は大き過ぎた。

 ソフィアは普段なら大人しそうな目を吊り上げて、アードナーを威嚇している。

 その隣でアーデライードが思いも寄らぬほど澄まし顔をしていた。これが妙に気にかかる。白銀プラチナに蜂蜜を一滴落としたような金色の髪を掻き上げて、何故か悠然とした表情をしているのだ。そうして若枝のような細い腰がエルフの命だと言わんばかりに、腰をクッと捻っている。

 一方のレイシャは、ぼんやりした顔つきで相変わらずの無表情だが、胸のあたりを頻りに触っているように見えるのは、気のせいだろうか。いや、気のせいではあるまい。


 ああ、聞こえてた……このエルフ二人の耳にも確実に聞こえてた……

 負けず嫌いの二人だから、セールスポイントを強調しているのだろう。


 瑛斗はそう考えた。だがそれは半分正解で、半分不正解である。そのセールスポイントをアピールしている対象は、他ならぬ瑛斗に対してであると気付くべきなのだ。

 恐らく直前までソフィアらとしていたガールズトークに、そのヒントは隠されていたのかも知れないが、当の瑛斗は知る由もないから仕方がない。

 そうして瑛斗はいつの間にか、アーデライード、レイシャ、ソフィアの女性陣三人に取り囲まれてしまった。


「エイトさん! あんなの放っといて行きましょう!」

「そうね。ところでエイトは、なんて答えようとしていたのかしら? ん?」

「レイシャのエート、いっしょ、こっちいく」

「さっ、行きましょう、エイトさん!」


 右腕をアーデライード、左腕をソフィア、腰のあたりをレイシャに掴まれてしまった。瑛斗はまるで、婦人警官に確保された容疑者の気分である。

 瑛斗は律儀にアードナーとドラッセルへと振り返り、詫びを入れる。


「あ、ああ、ごめんな二人とも……」

「いいんですって、あんなおバカコンビ」


 そんな供述を残しつつ、瑛斗はさっさと先へ連行されてしまった。

 おバカコンビ呼ばわりされた二人は、ぽつねんと置いてけ掘に残された。

 同期の男二人、間抜けな顔を見合わせると、


「な? ああいう誠実な男がモテる時代なんだよ」

「あー、オレらにはいつ春がくるのかね?」

「さぁな……」


 と、お互いに頷き合いつつ、のったのたと四人の後を追うのであった。



 奴隷市場が盛んだった頃の闘技場コロッセオに背を向けて暫し歩くと、飲食街へと辿り着いた。通り沿いは見るからに場末の酒場が数多く見受けられる。

 かつては闘技を楽しんだ後に、この飲食街で酒を楽しむ。そんなことが日々行われていた時代の名残なのだろう。

 今や寂れてしまって、その頃の姿はない、とソフィアは言う。


「とはいえ二十年は前の話だから、活気のある頃を知らないのですけれど」


 瑛斗と同じ歳だというのだから、さもありなん。

 今では主に、若手騎士たちの溜まり場として活用されているそうだ。屯所から歩いて程近くにある飲食街なのだから、それは自然の流れと言えよう。

 ドラッセルを先頭として、一行は一軒の酒場のドアをくぐる。

 すると周囲からすぐさま、ドラッセルへ挨拶の声が飛んできた。

 どうやら気さくなこの大男は顔が広い様で、店のウェイトレスから酔客まで、皆一様に明るく挨拶を交わしている。ぶっきらぼうなアードナーとは対照的のようだ。それでいてこの二人、息はピッタリ合うようだから不思議なものである。

 客層に騎士が多いせいであろうか。瑛斗の背負っている巨大なものは、剣であるとすぐさま気づかれたようだ。

 席に着くなり、その事をドラッセルに訊ねる者が後を絶たずに訪れる。

 その度に豪快に笑い飛ばしながら「彼はオレの事を軽々と投げ飛ばせる剛の男だ」と紹介するのは、ちょっと止めて欲しい瑛斗である。いまだに気恥ずかしい。

 そんな中でも、すぐさまメニューとにらめっこしているのは、マイペースのハイエルフである。ぼんやりダークエルフは、相変わらず目立たずぼんやりとしていた。

 こそこそと水を飲むアードナーには、何人もの客が「今日は飲まんのか?」と不思議そうな顔を向けていたが、その度に「禁酒だ。放っておけ」とぶっきらぼうに答えている。

 ソフィアはそれが可笑しい様で、クスクスと笑いを堪えるのに必死だった。

 最初に届いた料理は、現実世界エイトのせかいでいう「フィッシュ&チップス」である。山盛りの白身魚のフライにフライドポテト、タルタルソースが添えられていた。

 騎士といえば、瑛斗はなんとなくイングランドを思い出すが、料理までイギリスっぽい物が出てくるとは、流石に予想だにしなかった。

 とりあえず一口放り込むと、サクサクとした衣に、淡泊だがふんわりと柔らかい白身魚がよくマッチしていて、思いの外あっさりと食べ進められそうだ。


「この魚、美味いな。何の魚だろう?」

「ぬっふふ、この白身魚はな、何を隠そうサメだよ」

「それ、本当か?」

「ええ、本当よ。この店では、ね」


 ソフィアがそう言うからには間違いなさそうだ。聞けばヴェルワール港で水揚げされる新鮮なサメを、騎士たちは好んで食べるのだという。海の猛獣である鮫は強さの象徴で、それを食らう騎士も強さの象徴。この城塞都市ならではの適した食材なのだろう。

 実際に日本でもサメは食材として用いられることが多い。蒲鉾やはんぺんなど、磨り潰して練り物などの加工製品にされているのがそれだ。

 サメは、低カロリー、低脂質、高タンパク質と実に優れた食材であるのだから、騎士たちの身体作りの為にも理に適っているといえるだろう。

 瑛斗の隣で同じようにフィッシュ&チップスを頬張りながら、グイッと木樽ジョッキを傾けているハイエルフだが、今宵のお酒は黒ビールのようである。


「この料理には、これでしょ!」


 などと口走っているが、瑛斗にその理由はよく分からない。

 アーデライードから「本当はちょっと違うんだけどね」としつつ解説を受けるに、瑛斗の世界、イギリスのパブでよく飲まれている麦酒ビールの真似なのだそうだ。

 黒ビールといえば、アイルランドの醸造所生まれの「ギネス」が有名だろう。

 世界記録で有名な「ギネスブック」のギネス世界記録も、この醸造所の当時代表取締役だった、サー・ヒュー・ビーバーの発案である。

 さておき、この黒ビール「ギネス」のスタイルは「スタウト」と呼ばれているそうだが、異世界にこのスタイルの麦酒ビールは存在していないのだという。

 今宵は代役の「デュンケル」という下面発酵の麦酒ラガー・ビールだそうだ。

 デュンケルはドイツ語で「濃い」という意味だという。そう言われてみれば、船上でアーデライードが飲んでいた「マイボック」よりも濃い黒色をした麦酒ビールだ。

 酔いどれハイエルフ曰く、爺ちゃんの持ち込んだ様々な文献でイギリスのパブの風景を知り、この組み合わせでかねてから飲んでみたいと思っていたのだそうだ。


「ああ、また一つ夢が叶ってしまったわね」


 などと大袈裟に口走っており、非常にゴキゲンである。

 やはり酒を嗜まぬ瑛斗にはよく分からないが、彼女なりに酒呑みには酒呑みの浪漫がそこにはあるのであろう。


「ところでエイト、明日は何処へ行くんだ?」


 アーデライードを羨ましそうに眺めていたアードナーが、気分を切り替える様に瑛斗に訊ねた。


「ここから北上してドラベナの街の方へと戻る予定……のはずだけど」

「そうね、まず目指すは、山間の街・テトラトルテかしらね」


 口元の泡を拭いながら、瑛斗の代わりにアーデライードが答えた。


「なんだよ、それなら同じ方向じゃないか」


 アードナーとドラッセルが声を揃えた。聞けば来月に行われる祭りの警護の為、その準備と打ち合わせにテトラトルテへと向かうのだという。

 彼ら四人の騎士が値段の張る大型客船を利用したのも、どうしても上奏を成功させた上で、この仕事の為に急ぎ王弟府へ戻る必要があったからだ。


「一緒に行くか?」


 ドラッセルの提案に、アーデライードが「むーっ」と少し渋い表情を見せた。実のところ瑛斗との旅を楽しみたいという気分が、彼女の中にはある。


「馬車で行くんだけどさ、まだ余裕あるよな?」

「ああ、二人とちっちゃいのだったら、まだまだ断然余裕だ」


 帰りには資材を積んで帰るので、四頭立ての馬車二台が用意されているのだそうだ。


「んっ! その話、ノった! ノったわ!」


 ハイエルフの心の天秤が一気に傾いて、文字通り二つ返事で提案に食いついた。

 楽したがりの彼女の事だ。これからキツい山越え峠越えだから、できる限り楽できるなら楽したい、との判断なのだろう。

 黙々と食べていたレイシャも異論はない様で「ん」と頷いたきり、あとは夢中で白身魚のフライを頬張っている。


「うふふっ、レイシャちゃん。いっぱい食べて大きくお成りね」


 そう優しげに言うソフィアをじっと見つめて、レイシャはこくりと頷いた。


「いっぱい、おおきくなる」

「あれ? えっと……その、なんだろ? あの、レイシャちゃん?」


 ソフィアは「どこを見てたのかなぁ」と、かねてよりアーデライードが味わっているのと同様の不安感に、ちょっぴり心許無い胸元をそっと押さえつつ困惑するのであった。


 こうしてもう一日の間、四人の騎士たちと旅を共にすることになった。

 彼らとの出会いと選択が、後に大きな運命の歯車を噛み合わせようとは。

 だがこの時、そんな運命を誰一人として知る者はいなかったのである。

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