第60話 エルフたちと行く奇妙な縁の旅(中篇)

 日が西へと傾きかけたテトラトルテ郊外の森の中。

 獣人族ライカンスロープ人狼ウェアウルフである少女たち――ライカとカルラに久しぶりに出逢った瑛斗ら一行は、サクラの棲む小屋を目指して歩く。

 こうも容易く再会を果たすことになろうとは、思いも寄らぬことであった。


「サクラ姉さま、きっと喜びます」

「ずっとエイト兄に逢いたがってたもんね」

「ですです、いつもエイトさんのお話をしてるです」


 二人の人狼は嬉しそうにそう語ると、少しはしゃぎ気味に、瑛斗の周りをスキップするように歩く。その様子はまるで、大好きな飼い主にまとわりつく子犬の様だ。

 襲撃を受けたあの日――騎士団や怪物を相手に大立ち回りを演じた瑛斗らは、すっかり勇者ヒーローとなっているようだ。しかしそれもそのはず。瑛斗は絶望の闇の底へ落とされていた彼女らにとって、雲間より差し込んだ光のような存在なのだから。


「しかし二人とも、よく俺たちに気が付いたな」

「そりゃあ、エイト兄は変なニオイするもん」

「えっ、変なニオイ?」


 傷つくようなことをカルラにさらりと言われてしまった。

 思わず瑛斗が口籠ると、すかさずライカがフォローを入れる。


「あっ、あっ、そうじゃなくって……カルラったら!」

「あのね、エイトさんからは、嗅いだことない色んなニオイがするの」


 瑛斗はそう言われて自分の身体をあちこち嗅いでみた。当然自分の匂いなど分かるはずがない。人の嗅ぎ分けができるのは、彼女たち人狼特有の能力なのだろう。


「君たちは、凄いね」

「えっ、なにがですか?」

「だって俺たちの匂いに気が付いて、走ってきたんだろう?」

「はい、人狼は鼻がよく利きますから!」


 嬉しそうに語るライカの横で、カルラが得意げに鼻をひくひくと動かした。

 瑛斗がいくら気を付けていようとも、現実世界から持ち込んでいる製品は数多い。着ている服だって上着こそ異世界の物だが、中の下着類は瑛斗の世界の製品だ。洗濯した服からは、きっと芳香剤や柔軟剤の香りがするだろう。車の渋滞する幹線道路を歩いてくれば、排気ガスなどの残り香が服に付着している可能性もある。

 そういった現実世界から持ち込んだ様々な臭いを彼女たち人狼は、特殊な能力を以てして嗅ぎ分けているのだ。


「相手が遠くに居ても気付いたりするの?」

「うーん、そうですね……」


 聞けば彼女たちは、特殊な臭いであれば二、三キロほど距離が離れていようと、その存在に気が付くというのだから驚きだ。今回彼女らは瑛斗たちと数百メートルほどしか離れていなかったため、すぐに気が付いたのだという。

 それを聞いたアーデライードが柳眉を動かして、何かに気付いたような表情をした。


「あんたたちさ、それって随分前の匂いなんかも見つけられるわけ?」

「えっ? うーん、特別なニオイなら、たぶん大丈夫だわ!」

「特別な匂いって、どんな匂いなの?」

「ええと、森の中にはないニオイとか……かな?」


 ハイエルフに詳細を訊ねられたカルラが、不安そうな表情でライカを見た。優等生なライカは、カルラに代わって小首を捻りつつ、生真面目に例えを導き出そうとする。


「ええと例えば、占い師の使う御香のニオイとか、です」

「あっ、珍しいハーブのにおい袋も分かるよ」

「他にも、渡り鳥が北へ渡って行ったんだなぁ、とか」

「そうそう、カモとかウサギのニオイだったらすぐ分かる!」

「カルラはミートパイを焼いているニオイだってすぐでしょ?」

「あははっ、スパイスの効いた美味しいお料理のお店の店長とかも!」


 何か思い出すことがあったのか、人狼たちは顔を見合わせてころころと笑う。

 そんな二人の様子を見たアーデライードは、形のいい顎を摘んで思案顔になった。何か思うところがあるのか「ふむ」と唸ると、それっきり考え込んでしまった。

 そこで沈黙したハイエルフに代わり、瑛斗が人狼の少女たちへ質問をする。


「それにしても、こんな時間まで森の中で何をしていたんだ?」

「この時期では最後の野イチゴを摘んでいたんです」


 ライカは手に掛けた藤編みのバスケットを見せた。その中にはふたりが頑張って集めたであろう、沢山の小さな野イチゴが摘まれていた。


「こんなにたくさん、どうするんだ?」

「今の時期はちょっと苦味が出るので、ジャムにするんです」

「瓶詰にすれば、長持ちするしね」


 彼女たちにとって、野イチゴは貴重な保存食であるそうだ。パンに塗るだけではなく、肉を炒める時のソースにもするという。

 そんな貴重な野イチゴが収穫できる時期は短い。出来る限り多く集めたくて、こんな夕暮れ迫る時間まで頑張って作業をしていたのであろう。


「翌月になるとキノコやタケノコの時期なんだけどね」

「新しい所でも、いっぱい採れるといいな……なのです」


 ライカとカルラは、少し寂しそうな表情でそう言った。

 どうやら彼女たちは、サクラと共に慣れ親しんだこの辺りの野山を離れる決断をしたようだ。獣人族の村襲撃事件より一夜明けたあの日――二人はこれからサクラを支え、恩返しをすると言っていた。その決意に変わりなく、ずっと行動を共にするつもりなのだろう。

 彼女らと別れたあの日の朝を思い出し、瑛斗の心はチクリと痛んだ。


「あっ、見えてきました!」


 ライカが指差す先には、サクラの棲む小さな山小屋が見えた。

 あの日見た小屋そのままに、屋根の小さな煙突から細い煙が棚引いている。きっと中では何か火を使って、サクラが作業していることは間違いなさそうだ。

 瑛斗がそう思いながら久しぶりの景色を眺めていると、唐突に扉が開いて、中からフライパンを手にしたサクラが、吃驚した表情で飛び出してきた。


「アレ、どうしたんだ?」

「ああ、サクラ姉さまもエイトさんに気付いたんです」

「ずっと会いたがってたもんねぇ、サクラ姉ぇ」


 どうやらサクラもライカたちと同様に、瑛斗の臭いを嗅ぎ分けたのだろう。

 呑気な人狼たちを余所に当のサクラはといえば、瑛斗の顔を見た途端にふるふると打ち震えていた。まるで込み上げる感情を抑えたような、今にも泣きそうな顔である。


「えうぅっ、エ、エイトぉーっ!」


 これまた随分と情けない声で叫ぶと、獣人である妖狐ウェアフォックスの身体能力をフル活用して走り寄る。そうして物凄い勢いで駆け寄ったサクラは、瑛斗の目の前で急ブレーキをかけて立ち止まった。かと思うと落ち着きをなくしてオロオロし始める。

 逢いたかった瑛斗をいざ前にして、どうすればいいのか分からない。抱き付くにも握手しようにも手にしたフライパンが邪魔だしで、サクラはすっかり混乱してるようだ。


「うえっ、あっあう、えう、あうあう……!」

「サクラ、フライパン! あっぶなぁ! フライパン!」


 思わず振り回されたフライパンを、瑛斗は二度三度と間一髪のところで避ける。

 そこで邪魔なものは手放せばいいとようやく気付いたサクラが、手に握ったフライパンをぽーんと放り投げると、瑛斗を思いっ切り抱き寄せた。


「エエ、エイトぉぉーっ、えううっ、あう、ありがとうなぁぁーっ!!」

「うっぷ、サクラ……むぐ、むぐぐっ……」


 背の低い瑛斗は、イリスにも負けず劣らずたわわに実った巨大な胸の中に、顔がすっぽりと埋もれる形になった。ハーフトップの着衣では隠しきれぬ程の胸の谷間の中、獣人族の力で抱き締められては、然しもの瑛斗といえど身動きがとれぬ。


「ちょ、ちょっと! 落ち着きなさいな、サクラ!」

「おちつけ」


 アーデライードの後頭部平手打ちとレイシャの脛への蹴りを受け、サクラはようやく我に返った。その身を離して解放する――かと思えば、今度はくしゃくしゃになって目を回している瑛斗の肩を掴み、両手で高々と持ち上げてしまった。


「わあぁ、エイトがたいへんだぁ!」

「誰のせいだと思ってんのよ、このお莫迦!」


 アーデライードがサクラの顔面の中心をグーパンチで思いっ切りぶん殴る――と、そこでサクラは、ようやく瑛斗を手放した。

 貧弱なハイエルフといえど、相当な力で殴っているはずである。それでもノーダメージだというのだから、獣人族の身体構造と特殊能力には恐れ入るしかない。


「エート、だいじょぶ?」

「まぁ、なんとか……」

「かおまっか、だよ?」

「う、うん……」


 レイシャに心配されながら、瑛斗は頷く事しかできなかった。

 その顔が赤いのは、息が止まり苦しかっただけ――という訳ではない。年頃の女の子に思いっ切り抱き締められてしまったのだ。あれだけ豊満な胸の感触を味わった後では、瑛斗も思春期の男の子。そこは言わずもがなである。

 サクラはそんなことを気にする素振りも見せず、明るい声で自分の小屋へと誘う。


「さぁさ、狭い所だけど上がっとくれよ。せめて茶を入れるよ」

「あら、アンタんちにお茶なんてあるの?」

「前にエイトが淹れてくれてさ。それからちょっぴり凝ってるんだ」


 先回りしたよく気の利く人狼たちが、とととっと玄関口へ走り、戸を開けて誘う。

 瑛斗らはあの雑然ととっちらかった小屋の中を思い出しながら、扉をくぐった。


「アリャ、これは……」


 雑然とした小屋の中のあまりの変り様に、瑛斗が思わず声を上げた。

 一人暮らしのガサツなOLの部屋――の様相を呈していた内部は、雑然どころか整然と片付けられており、床は隅まで丁寧に掃き清められている。作り棚には各種ジャムの瓶詰が几帳面に整列し、質素だが可愛らしい食器が並ぶ。そこはまるで絵本の中で見るような、森の中の小さな一軒家として理想的な風景が存在していた。


「どうしたのです?」

「いや……先日来た時と随分違うなぁって」

「あたしが片付けたのよ!」


 瑛斗が目を丸くして感心していると、カルラが手を挙げて答えた。


「サクラ姉はカサツだからね、あたしたちがいないとダメなの!」

「カルラは、お片付けがとても上手なんです」

「えへへ、掃除と洗濯は私が当番だったからね! 任せて!」


 そう胸を張るカルラに誘導されて瑛斗たちがテーブルへ付くと、今度はライカが幾つかのクッキーが乗った籠と、白い皿に乗ったパイを持ってきた。


「あの、残り物ですけど、お口に合うと……いいです」


 恥ずかしそうに差し出されたそれらを、エルフたちは遠慮なく口へ放り込む。


「あら、美味しい」

「おいしい」

「甘さ控えめだけど、干し果物の香りがいいわ」

「おいしい」


 アーデライードは元より、レイシャは夢中な様子でクッキーを次々に口に運んだ。

 エルフたちに褒められて恥ずかしがるライカに代わり、何故かカルラが胸を張る。


「ライカはね、お料理がとっても上手なのよ!」

「その……お料理するの、好きなのです」


 賑やかな獣人たちに、コップとポットを手にしたサクラが苦笑いする。


「二人が来て……ホントに助かってんだ」

「サクラ姉は私たちがいないと、ダメだからね!」

「へへぇ、面目ないねぇ」


 サクラは年少のカルラに叱られながらも、手際よく茶器類をテーブルに用意する。コップに紅茶を注ぐと、周囲には立ち上る湯気と共に爽やかなハーブの香りが漂った。


「へぇ、ハーブティだね」

「ああ、紅茶は高いからね。少しで済むようにハーブを足してるんだ」

「でもとてもいい香りがするね」

「そうだろう? 鼻には自信があるのさね、うふふっ」


 ハーブをふんだんに使った紅茶の中に、しっとりと野イチゴのジャムを落とす。瑛斗の世界でいうところのロシアンティーだ。


「これは……」

「あら、意外と美味しいじゃないの」


 ハーブティーに野イチゴの甘味と酸味が程よく合わさっている。干し杏を使ったパイとの組み合わせは絶妙で、これならセットで店に出してもおかしくないレベルだ。


「ホントに良かったよ……旅立つ前にエイトたちに逢えて」


 少し潤んだ瞳でサクラは感謝を述べた。どうやら瑛斗たちに何も礼を振舞うことができずに旅立つことを、心苦しく思っていたらしい。

 盗賊家業に身をやつしていたとはいえ、サクラは義理堅い性格であるようだ。


「僅かばかりだが、恩返しがしたかったからさ」

「恩返しだなんて、俺は大したことしてないよ」


 村のことを想って暗い顔で答える瑛斗に、人狼たちが声を上げた。


「そんなことないよ、エイト兄のおかげだよ!」

「そうです。それに悪いことばかりじゃなかった、です」


 瑛斗らと別れた後、獣人族の村へと戻った彼女たちが目にしたのは、凄惨な姿と成り果てた故郷であった。だが彼女たちが幾ら必死に捜索しても、幾人か亡くなった者はいたものの、傷ついたであろう村人たちは見つからなかったのだという。


「きっとかなり多くの者が逃げ延びたんだ、と思います」

「北へ向かったニオイが残ってたから、たぶん」

「だから大丈夫、きっとみんな無事さ」


 ここは明るく振舞う獣人たちの、野生の直感を信じたいところだ。

 そうなると次に気になるのは、彼女たちの今後の動向である。


「ところで、次に行くところは決まったのか?」

「いや……それはまだなんだ」


 瑛斗が訊ねると、サクラが面目無さげに俯いた。彼女には生まれ育った村の他、テトラトルテ周辺以外に土地勘はないのだという。


「あたしは幼い頃、リッシェルの方に居たはずだからさ。野宿でもしながらそっちの方へと行ってみようか、とは思うんだけどね」

「リッシェルに?」

「ああ、あたしの名前は……母さまが大好きな桜の花から付けたんだ」


 そうサクラに言われて、瑛斗は思い出していた。

 初めてリッシェルで晩餐を取ったあの日――料理酒場『水面の桜亭』のテラス席から望む、爺ちゃんが植えたとされる六本の桜の木。訪れる時期が遅かったせいで、桜花はすっかり散っていたが、川面には花筏はないかだの名残が見えた。


「もしかしてサクラの名前は、リッシェルの桜から?」

「うん……母さまはそう言ってたよ」


 サクラは懐かしそうに、遠い日を振り返るような瞳で語る。そんな顔で、自分のルーツを辿って旅をするのも悪くないさ、と寂しげに微笑んだ。

 しかし瑛斗には、ひとつ気に掛ることと、思い付いたことがあった。


「その子たちを連れて、か?」


 そう言われて困った顔をしたサクラに、ライカとカルラが必死になって食らいつく。


「そんな……ダメです!」

「置いてっちゃヤだからね、サクラ姉!」

「私たちは、サクラ姉さまに付いて行くです」

「もう、絶対にサクラ姉をひとりになんてしないよ?」

「足手まといにはならない、です」


 その様子を見届けて、瑛斗が彼女たちに提案をした。


「そうだな……もし良かったら、うちに来ないか」

「はぁ?!」


 すぐさま素っ頓狂な声を上げたのは、これまでずっと呑気にことの顛末を眺めていたハイエルフである。


「エイトったら、またそんなお人好しなことを……」

「いや、うちで働かないかってことさ」


 瑛斗はアーデライードの小言を遮る様にして切り出した。

 突然の意外な提案に、獣人たちは目を白黒とさせる。


「は、働く……ですか?」

「ど、どういうことだい、エイト?」

「うちにメイドとして雇われないかってことさ。ライカは料理上手だし、カルラは掃除洗濯に片付け上手だ。この仕事は、君たちにもってこいじゃないかな」


 確かにこの小屋の状況を見るに、ライカの料理上手とカルラの掃除上手は証明済みといえる。それにアーデライードには、この提案を反論できない状況証拠がある。


「これならアデリィだって問題ないだろう?」


 何せ二人のエルフは家事が全くできない。というか、やる気がない。

 瑛斗としては、この生活力の欠如したエルフたちの栄養管理と衛生管理の為にも、必要不可欠にして理想的な交換条件と思われた。

 一方、アーデライードとしても怠惰な前例をバッチリと見られてしまった以上、その提案は大いに助かる良策である。それに――彼女たちに頼みたいこともある。

 そうなると、先程までの小言モードは何処へやら。ちゃっかりハイエルフはだんまりを決め込んでそっぽを向き、口笛すら吹かんとする勢いである。


「ホラね、アデリィもいいってさ……ふたりはどうかな」


 瑛斗がそう言うと、人狼たちの顔がぱぁっと明るくなった。


「やります! いえ、やらせてください!」

「わたしたち、きっと役に立つわよ! まかせてっ!」


 早速腕まくりする勢いの二人と相反して、戸惑うはサクラであった。

 何しろガサツな性格な彼女は、全般的に家事が苦手なのだ。


「あ、あたしは……」

「だ、大丈夫ですっ、サクラ姉さま!」

「そうよ、あたしたちが養ってあげるわ!」

「う、ううっ……」


 年少二人にサクラが恐縮するのを、瑛斗が見かねて助け船を出してやる。


「そうだな、たまに美味しいお茶を淹れてくれればいいさ」

「エ、エイトォ……」


 今にも涙ぐみそうな表情で情けない声を上げるサクラに対し、瑛斗がニイッと笑顔を見せると、ハイエルフは微妙な顔つきをして、ダークエルフはうんうんと頷いた。


「レイシャのエート、やさしい」


 そうしておもむろにクッキーへと手を伸ばし、リスの様にぽりぽりと貪るのである。

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